第一怪 その4
「さて、笠酒寄クン。キミのいう『オオカミの呪い』については心当たりがある」
数分後、僕と笠酒寄は再び室長と対面して座っていた。
なぜ数分後なのかというと、なぜか笠酒寄がほんの少し位置をずらすということをやってくれなかったからである。なぜだ。
とにかく、少しはにやにやが薄れた顔の室長が余裕たっぷりにそう宣言して白衣のポケットからあるものを取り出した。
石……だろう。
黒っぽくて、ごつごつしていて、冷たい質感の石。見た目からは何らかの特殊な物体という印象はなく、その辺に転がっていそうだ。
室長の白い肌に対してその黒っぽい石はなんとも対照的だったが、そんなことには意味はないだろう。重要なのはこれが一体何のためにここに持ってこられたのか、ということだ。
「世の中の奇妙なことには必ず原因がある。キミの『オオカミの呪い』とやらも例外ではない。そしてこの石はとある可能性を検証することができる。まあ、試金石みたいなものだと思ってくれ」
笠酒寄の方を見ながらそういうと室長は石を持った手を笠酒寄のほうに伸ばす。
「笠酒寄クン、持ってみてくれ」
「あ、はい」
石が室長の手から滑り落ちて、笠酒寄の手に収まった瞬間だった。
笠酒寄の腕が毛むくじゃらの、まるで獣のような腕に変化したのだった。
「な!?」
僕は辛うじてそんな声を発することができたのだが、笠酒寄に至っては絶句してしまっている。室長は当然だといわんばかりの表情をしていた。
「これではっきりしたな。笠酒寄クン、キミを悩ませているモノの正体、それは君自身の血だ」
血? 血液? いや、この場合は多分、遺伝子とか先祖とかそういった意味での血だ。受け継がれてきたものだ。だが、そんなことが見た目は普通の人間である笠酒寄に関係あるというのだろうか?
そしてこれは当然のように、室長の分野、怪なるモノの領域だ。
「どれ、返してくれ。このまま接触しておくのはまずい」
そう言って室長は笠酒寄の手から石を取り上げる。
するとゆっくりと溶けるように一瞬で変質した笠酒寄の腕は元の人間の腕に戻っていった。
「……いや、なんなんですか、これ。わけがわからないですよ」
常識なんてものはかなりぶっ壊されているつもりだったのだが、それでもここまでのモノは動揺する。こんなのは想定外だ。
「うん? ああ、これはいま笠酒寄クンに起こっていることだ。単純にそれを人為的に発現させたというだけのことだ」
石をポケットにしまいながら室長はなんでもないように言う。
これが笠酒寄に起こっていること? どういうことだ? これが『オオカミの呪い』なのか?
頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、該当する項目が出てこない。
一体、笠酒寄には何が起こっているというのだろうか?
「どうだい? 笠酒寄クン。『これ』がキミの悩みなんだろう?」
至極落ち着いた声音で室長は笠酒寄に問いかける。
笠酒寄はしばらく沈黙していたのだが、やがて観念したかのように口を開いた。
「……はい。『これ』が毎日起こっているんです。初めは指先だけだったんですけど、だんだん腕まで広がってきて、今は両腕まで広がっています。もう、私どうしたらいいのかわからなくて……」
最後のほうは消え入りそうな声になって笠酒寄はうつむいてしまった。
肩が震えているのが僕にもわかる。
きっと怖かったのだろう。
誰にも相談できなかったのだろう。
まだ高校一年生の女子に降りかかる災難としては大きすぎる気がする。
潰されそうになりながら、僕という希望に縋ったのだろう。
だから僕はこの少女を助けてあげたいと思った。
「室長、笠酒寄の呪いを解くことは可能なんですか?」
「無理だ。そもそも呪いじゃないんだからな」
ばっさりと室長は否定した。笠酒寄が目を赤く腫らした顔を思わず上げる。
「そんな!? それじゃあ笠酒寄は一生こんなことに悩んでいかないといけないんですか!?」
あまりにも無慈悲に思える室長の回答につい語気を荒げて食い下がる。希望を与えておいて、それをいきなり目の前で消すなんてことはあまりにも残酷だ。
「あのなあ、コダマ。人狼っていうのは種族なんだ。呪いとかじゃない。人狼をやめるなんてことは人間に対して『人間をやめろ』っていうようなもんだ」
人狼? オオカミ? それが笠酒寄の『呪い』の正体だろうか? 聞いたことがある気がする。
「……なんなんですか、人狼って。それが笠酒寄にどうかかわってくるっていうんですか?」
自然と責めるような口調になってしまった。これは後でおしおき確定かもしれない、と僕の中のまだ冷静だった部分が告げた。
「そうだな。そこからだな。コダマや笠酒寄クンには人狼というものの説明から入らないとまずかったな。スマンスマン」
全然心がこもっていない謝罪をしながら、室長はいつもの動作を行う。
白衣のポケットに入れていたシガレットケースからリトルシガーを一本取り出して、咥える。
逆のポケットから精緻な細工が施されたライターを取り出して、火を点ける。
火打ち石が擦れる音がしてオレンジ色の炎が灯る。
そのまま咥えていたリトルシガーの先端を炙り、火が移るとライターの火を消し、優雅な動作で元のポケットにしまう。
一連の動作の後に、ぽう、と煙を吐き出して室長は、さて、という宙に視線を移した。
「始まりはかなり昔になる。人間という種、まあ学術的にいうならばホモ・サピエンスだな。これとは近くて別の種が存在していた。彼らは見た目には人間と変わりなかったんだが、一つの特徴があった。獣の因子を取り込んでおり、それゆえに獣と人間の中間にあたるような姿に変身する能力を有していた。彼らはいろんな呼ばれ方をしていたんだが、特に知られているのが狼への変身能力を有している種族だったため、彼らは人狼と呼ばれるんだ」
他にもライカンスロープとかワーウルフとかだな。
室長はそんなことも付け加えたのだが、はっきり言って僕は聞いていなかった。
別の種族。
人間じゃない。
見た目は人間だけど、ヒトとは違う生き物。
そう室長はいった。
「だけど、笠酒寄はどうみても人間ですよ? 人間の女の子です!」
「まあ、推測になるんだが、笠酒寄クンのご先祖様に人狼がいたんだろうな。遺伝子的には人間だろう。しかし、人狼の末裔であることには変わりない。先祖返りみたいなものだろうな」
そんなことでこんなに苦しまないといけないのだろうか? たまたま先祖に特殊な要素があったということだけで、押しつぶされそうになりながら藁にも縋る思いで誰かを頼らないといけないのだろうか? そんなのってあんまりじゃないか。
ぐるぐるとそんな考えが僕の頭の中を支配する。
僕も、もう普通の人間とは言えない。しかし、それでもどうにか人間らしい生活を送って、それなりに楽しみもあるというのに、笠酒寄には一生この人狼という要素に悩んでいかなくてはならないのだろうか? いつだって自らの中にある人狼という名の暗い影におびえないといけないのだろうか? あまりにも理不尽じゃないか!
もし神様なんていうモノが存在しているんだとしたら、そいつはきっととんでもないサディストで不平等主義者だ。もしいま僕の目の前に現れたのならば、きついパンチをお見舞いしてやったうえで室長直伝のお仕置きを食らわせ続けて自分の行状を心から悔いるまで責め立ててやる!
「……というわけで、これを使って笠酒寄クンの悩みを解決してあげよう」
「……は?」
どうも僕は一人で遠い世界に飛んで行ってしまっていたらしい。戻ってきたときにはなんだかすごく軽い感じで室長がすごいことを言っていた。
「なんですかそれ! さっき人狼は種族だからやめることなんてできないって言ってたじゃないですか!」
思わず身を乗り出して叫んでいた。
というかいつの間にか笠酒寄のほうもなんだか明るい顔をしている。
どんだけ僕は自分の世界に浸っていたのだろうか? 完全に間抜けだ。
「なんだコダマ、聞いていなかったのか? どうせ勝手に笠酒寄クンを悲劇のヒロインにでも仕立て上げて現実逃避でもしていたんだろう?」
図星だ。
しかし、ここでそれを悟らせてはいけない。あとでどんないじり方をされるのか分かったものじゃないからだ。
「そ、そんなことよりもどうやって笠酒寄の人狼を解決しようっていうんですか? もしかして僕と同じ方法をとる気じゃないですよね?」
「そんなことするか。キミの場合は例外中の例外だ。今回はこれを使う」
そう言って室長は僕の鼻先に一つの指輪を突きつける。
「指輪……ですか?」
僕のその疑問に室長はふふんと鼻を鳴らして答える。
「そうだ。名づけるなら『服従の指輪』とでも言うべき代物だな。まあ、間違いなく呪いのアイテムに分類されるだろうな」
服従。なんだかとても嫌な響きだ。しかも呪いときたものだ。
「それで、その指輪がどう解決してくれるんですか?」
嫌な予感を覚えた僕は室長に質問する。この手のアイテムに関してはろくな思い出がない。夏休みは僕じゃなかったら死んでいたような事態になったこともある。もし、そんな危険な代物だったとしたら、笠酒寄に対して使わせるわけにはいかない。
「まさか毒を以て毒を制す、の精神で呪いには呪いをとか思っているんじゃないですよね?」
「そのまさかだ。正確に言うと人狼は呪いではないのだが呪いのアイテムで人狼という悩みを解決しようというのは正解だ」
本気で言っているのだろうかこの人は。
ただでさえ危うい状態の笠酒寄にこれ以上負担をかけるとか正気の沙汰ではない。ここは僕が男らしく静止すべきだろう。
「そ……」
「お願いします! 室長さん。わたしにできることなら何でもします!」
んなことできるわけないじゃないですか! という僕の言葉は笠酒寄に遮られてしまった。
「ちょっと待て、笠酒寄。いいか? 室長が持ち出すようなアイテムっていうのはとんでもないモノばっかりなんだよ。お前、どうなってもいいのかよ?」
忠告のつもりだった。しかし、笠酒寄は予想もしていなかった言葉を放ってきた。
「大丈夫だよ。私は頑張れる。っていうか頑張るのは空木君だし」
は?




