第六怪 その4
『何かわかったか? コダマ』
ごく静かに室長はいきなりそんなことを訊いてきた。
どこまでお見通しなのだろうか。
「僕にはブロック塀に見えていましたが、笠酒寄にはレンガの壁に見えています。しかも、高さまで違っています」
ありのままに現在確認できている事実を伝える。
『それなら正体はぬりかべだな。脱出する方法は簡単だ』
ぬりかべ。
聞いたことがある。というか日本人で知っていない人間はいないだろうというぐらいにメジャーな妖怪だろう。
確かに今の状況には合致している。
僕たちは壁に行く手をさえぎられているのだから。
「どうやって退治したらいいんですか?」
『おいおい、物騒なことを言うんじゃない。ぬりかべはほとんど無害な妖怪だ』
この区画に閉じ込められている身としては無害とはいいがたい。
そんな僕の心境には気づいていないのか、室長は続ける。
『そもそも妖怪という存在はだな、人間が勝手に怖がっているだけの場合がほとんどなんだ。彼らは生態として超常的な現象を起こすものの、敵対しない限りは基本的には友好的だ。これに関しては一般的な生物と一緒だな。まあ、日本の超越的存在というものは……』
「その話は戻ってから聞きますから、打開策を教えてくれませんか?」
長くなりそうだったのでぶったぎる。
こういう時にまで豆知識を披露したくなるのは魔術師の性なのだろうか? 年齢のせいで説教臭くなってしまっているのか。
『ふん。知識欲のない奴め。そんなことではこれからの人生はハードモード一直線だぞ』
「ありがたいご忠告は受け取っておきますから、とっとと打開策を授けてくれませんか? いい加減にここから脱出しないと新製品どころかシュークリームのほうさえも危ういですよ」
『それは困るな。仕方ない、教えてやる』
もったいぶってないでさっさと教えてほしい。
『コダマ。笠酒寄クンに隠していることがあるだろう? それを告白するんだ』
なんですと?
意味不明な答えが返ってきた。
なんだそれ。隠していることっていったいなんだ? 多すぎて見当もつかない。というか僕の人生に起こったこと、そしてその時に感じたこと全部を白状しない限りは隠し事がゼロになるなんてことはない。
室長は一体なにを考えているのだろうか? こんな人気のない路地で延々と人生語りをしろとでも言うのだろうか? どんな羞恥プレイだ。そんなことを望んだ憶えはない。というかなんでそんなことをしないといけないんだ? ああそうか、この状況を打破するには必要なのか。
だったらしょうがない。ここはひとつ赤裸々(せきらら)に僕の半生を語ることに……。
「なるかぁ!」
一喝。
たとえ電話越しの室長であっても思わず耳をふさぎたくなるような大音声で叫ぶ。
健全な男子高校生が同級生相手に自分のことを包み隠さずに話すだなんてことはあってはならない。あってもらったら困る。
「なんですかそれ! 一体どんな権限があって僕にそんなとんでもない要求を押し付けようっていうんですか? 横暴です! 僕はそういった横暴に対しては断固として戦うことをここに宣言します! 言ってしまえばアレです! 僕は全国の男子高校生の代表として宣言してもいいくらいです! 日本国憲法において思想の自由は保障されているはずです! それを無視しようだなんていい度胸です! 相手は日本国ですよ!」
『何を勘違いしているんだコダマ』
完全に混乱状態に陥っていた僕のしっちゃかめっちゃかのたわごとに室長はかなり冷たい反応を返してくれた。
しかし、そのおかげで少しは冷静になることができた。
「……すいません。取り乱しました」
『いい。録音しているからな。後で一緒に聞こう』
「……勘弁してください」
こういうことに関しては隙のない室長だった。
「それよりも、僕が勘違いしていることって何ですか?」
僕の勘違い。それがわからないことにはまた同じことを繰り返すだけだ。
今度はしっかりと室長の言葉をきちんと最後まで傾聴することにしよう。
『別にキミが笠酒寄クンに伝えていないことを全部開示する必要はない。キミが笠酒寄クンだけには絶対に教えられないと思っていることを教えてやればいい。それでぬりかべからは逃れられる』
はて? 僕が笠酒寄には隠していること?
なんだそれは? 見当もつかない。
室長の声は続く。
『ぬりかべの、いや、ぬりかべの作り出す壁の正体は人が心に作っている壁だ。教えたくない、接触したくない、関わりたくない。そういった心の働きが壁を生み出し、ぬりかべはそれを利用して人間の行く手を阻む。いうならば、ぬりかべという『怪』の原因は壁に道を阻まれる本人なんだ』
僕は黙って聞いてる。
笠酒寄も横から口を挟まずに黙って僕と室長のやり取りを聞いている。もっとも笠酒寄に聞こえているのは僕の声だけだが。
『本来、ぬりかべは孤立している人間の前に現れる。孤立している人間というのは大抵、心の中に強固な壁を作ってしまっているものだからな。やりがいがあるんだろう。だが、複数の人間がぬりかべに遭遇してしまった場合は違う。その人間たちの間にある壁を具現化させる。見る人間によって壁が違うのはそのためだ。今回はコダマと笠酒寄クン、それぞれがお互いに対して作っている壁が具象化しただけだ』
「僕と笠酒寄、それぞれの……心の壁……」
『そうだ。それを多少なりともどうにかしないことにはぬりかべからは逃れられない。とはいってもどうにかできたらそれで終わりなんだがな』
「どうすればいいんですか?」
僕にはどうしたらいいのかさっぱりだ。
心の壁なんて言われても、思いつくことはない。
笠酒寄には正直に僕のことは伝えているつもりだ。特別に隠していることなんてものには心当たりがない。
『はぁ……鈍いな、コダマ。いいだろう。笠酒寄クンに代わってくれ』
? なんだろう、すごく見下されてしまった気がする。
もやもやしたものは残るものの、あとで何かされても困るので大人しく笠酒寄に僕のスマホを渡す。
「室長が笠酒寄に代わってくれってさ」
「え? う、うん。わかった」
意表を突かれたのか笠酒寄はあたふたと僕のスマホを耳に当てて「もしもし、ヴィクトリアさんですか? 笠酒寄です」なんてのんきにあいさつをしていた。
果たして、笠酒寄に代わったからといってなにかできるのだろうか?
笠酒寄も確かにいくつかの『怪』には関わってきたのだが、それでもどちらかというと一般人の側だ。
僕や室長、そして統魔の人々みたいに完全に逸脱しているわけではない。
人狼の力も制御できていることだし。
そんな笠酒寄に室長はなにをさせるつもりなのだろうか?
笠酒寄はしばらく、「はい」とか「えぇ!」とか「そんなぁ」とか相槌を打っていたのだが、そのうちに顔を真っ赤にしてしまった。
一体何を吹き込んだ? 室長。
茹蛸のように真っ赤になってしまった笠酒寄は「わかりました……」となんとも情けない声をあげながら、スマホを耳から離した。
通話は終わったのだろうか?
室長は一体笠酒寄に何をさせるつもりなのだろうか?
……とりあえずスマホは返してほしい。
だが、笠酒寄は僕にスマホを返すことなく、あろうことが両手で握り締めた。
「おい、笠酒寄。あんまり乱暴に……」
「空木君! いいたいことがあります!」
僕の抗議の声はこれまでに聞いたことのない真剣な笠酒寄の声にかき消されてしまった。




