第五怪 その7
「で、結局あの食人鬼は何だったんですか? マジックアイテムを使ったことは聞きましたけど、詳細は教えてもらっていませんから聞かせてほしいですね」
月曜日。百怪対策室の応接室でのことである。
もちろんというかなんというか、笠酒寄もしっかりといる。
入り浸り過ぎだろ。統魔に目をつけられても知らないからな。
「『奴隷召喚の書』の一つだ。封印した対象を命令に対して絶対服従の状態で呼び出すアイテムだな。そいつを使って石を破壊させた。確実にするためにキミを更に使ったわけだ」
「……どういうことですか?」
いつも通りにソファでくつろいでいる室長に僕は重ねて尋ねる。
面倒くさそうに室長は読んでいた漫画から顔を上げる。
「命令が封印している対象が理解できるものじゃないといけないからな。『塀のあの部分をぶっ壊せ』は理解できても『サンジェルマンの石を破壊しろ』は食人鬼にはちょっと厳しかったからな」
「大して変わらないように思えますけど」
「食人鬼は色彩感覚が弱くてな。人間ほどには色が分からない。塀を全部壊されても困るだろ。だから塀を壊して、ダメだったらあとはキミが破壊する。完璧だ」
僕が食人鬼と対峙することになること以外はですけどね。
そう言いたかったのだが、正直あの程度のことは夏休みの修羅場に比べたらなんということもないので反論できない。悔しいことに。
室長は気分が乗ってきたのか、さらに続ける。
「その上に隠蔽工作として成り立つ。結局、統魔としては食人鬼のほうに気を取られて肝心のサンジェルマンの石には気づかなかっただろ?」
確かにそうだ。
統魔の隠蔽班の人々も食人鬼を移動させて、塀を元通りにすることに一所懸命になっていて、砕けた石自体には全く注目していなかった。
目の前の鬼に気を取られてもっと重要なことに気づかなかったということか。間抜けだ。
「ふふん。これで『怪』も解決したし、統魔のアホっぷりも堪能できたし、文句はないな」
青少年の教育に悪影響を与えそうな顔をするには止めていただきたい。
「こうどなじょうほうせんですね!」
笠酒寄、お前意味わかってないだろ。っていうか漢字が分かってないだろ。
だんだんアホになってきてないか? 文系は得意だったはずだろ。
「まさしく! この情報化社会においてはいかに正確な情報を入手するかによって成果は変わってくる。今回は私の完全勝利だな!」
ソファから立ち上がり、室長は薄い胸をはる。
服装がジャージであるせいで盛り上がりがあるのかどうかもわからない。そもそも白衣をどうにかしろと言いたいが。
まあ、今回は楽な部類だったからよしとするか。
腹に穴が開いたり、全身火だるまになるのはもう勘弁してほしい。
前者のほうの犯人はのんきにドーナツなんてほおばっているが。
ん? ドーナツ?
「おい、笠酒寄。そのドーナツは冷蔵庫の一番奥にあったやつじゃないのか?」
「ふぉうはよー。ふぉいふぃふぉ」
ものを口に入れたまましゃべるな。
とりあえず笠酒寄が口の中のドーナツを飲み込むまで待つ。
飲み込んだのを確認したので改めて。
「……そのドーナツが入っていた箱には僕の名前が書いてあったんじゃないのか?」
「うん。書いてあった」
確認したうえでお召し上がりになられていたらしい。
びしりと僕のこめかみに青筋が走るのがわかった。
「……一ついいか、笠酒寄? お前の家では他の人間の名前の書いてある食べ物は食べていいことになっているのか?」
「ううん。それはないよ。でもここは百怪対策室だし、空木君のだし」
「おまえー!」
「騒がしいぞコダマ。ドーナツの一つや二つでガタガタ言うんじゃない。けち臭いな」
「そんなこと言ったってです……ね……」
「なんだ? 私の顔に何かついているのか」
いや、何もついていない。
問題はその手に持っているものだ。
「室長。つかぬことをお伺いしますが、その手に持っているものは?」
「ん、これか?」
何でもないことのように室長はその手に持っているものを僕の方に向ける。
「これはドーナツという揚げ菓子だ。原型はオランダのオリークックという菓子なんだが、それが伝わっていくうちに変化して現在よく知られているリングドーナツになったわけだ」
いや、そうじゃなくて。
「それ、僕が買ってきたドーナツじゃないんですか?」
室長が持っているのは笠酒寄が持っているドーナツと一緒のやつだ。
伊勢堂のもっちりきなこドーナツ。けっこう人気商品。僕の好物でもある。
「そうだな。コダマの名前が書いてある箱に入っていたから恐らくはそうだろうな。まあ、些細な問題だ」
まったく些細ではない。
せっかく今日は『怪』が終わったので、ゆっくりと紅茶でも飲みながら堪能しようと思っていたものだ。
それを……かすめ取られるとは……。
がっくり来る。膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
これが幼い自動だったら大泣きしているところだ。僕はもう高校生なのでそんなことはしないが。
だけど、なかなかに効く。
ちょっと涙が出てきそうだ。出てこないけど。出てこないったらこない。
「なんだか落ち込んでいるようだが、どうせ三人で食べる気だったんだろう。ちゃんと三個入っていたからな」
そんなことはない。
単に今日は三個ぐらい食べたい気分だっただけだ。
けっして室長と笠酒寄にたまにはおごってやるか、とかそういう気分になったわけではない。
……僕がそうだと主張するならそうなのだ。
「まあいい。私もとっておきのコーヒーを淹れてやる。滅多に飲めるものじゃないから、存分に味わうといい」
室長はそのままキッチンのほうに行ってしまった。
残ったのは最後のドーナツと、爛々(らんらん)とした目でそれを見ている笠酒寄である。
笠酒寄とドーナツを交互に見る。
結果、今にも涎をたらしそうな女子というのはあまり見たくないものであるという結論に至った。
はぁ。どうにも僕はお人よしだ。
「今度おごれよ」
「今度ね」
「わかった。食っていいよ」
「ありがとう!」
嬉しそうにドーナツをかじり始める笠酒寄を見て、僕は少しだけいい気分だった。




