第五怪 その6
というわけで夜である。午後九時。
あの後にもなんやかんやと室長の悪だくみが展開していたのだが、それは割愛する。あえていうならばあの人を放っておくとこの町ぐらいならぶっ壊れるということがわかった。統魔、仕事しろ。
しかしながら、依頼人である矢筈さんの『怪』を終わらせるために僕はこうして矢筈さんのオフィスの近くの喫茶店にいるというわけだった。
なぜこんなところにいるかということを僕は詳細を聞いていない。
ただ単に、「見つけたやつをぶっ飛ばせ」と命令されただけだ。一応それ以外にも多少はあるものの、核心の、どうやって統魔の目をごまかすかということは聞いていない。
アバウトすぎるだろ……。
一応は異常が起きたら知らせてくれる腕時計を貸してもらっているが、それも当てになるのかどうかわからない。なぜこうも世の中というものは僕に厳しいのだろうか? 管理者に問いただしたい。
三杯目のコーヒーを飲み終わったころ、腕時計からチクリとした感触が伝わった。
……どうやら始まったらしい。
会計を済ませて店を出る。
それなりに広い道路に面しているこの喫茶店からは周辺が良く見える。夜でも僕は吸血鬼のなりそこないなので特に問題はない。
その視力が妙なものを捉えた。
人間にしては妙な影。
しかし、二足歩行をしており、なにか長いものを持っている。
おかしいのはそれが身長二メートル以上はあって、かなり体格がいいこと。そして、上半身に比べて異常に下半身が小さいということだった。
人間じゃない。
ふっ、と消えるように影は路地に入っていく。あっちは矢筈さんのオフィスがある方向だ。
追ってこいということか。
もう展開は読めている。この後に僕の胃が痛くなるのだろう。
「あー、まったく……」
ちなみに室長は百怪対策室だ。この作戦の実行犯は僕ということになる。
今度タバコの葉の中に唐辛子を仕込んでやる。
剣呑な気分になりながら僕は影を追って路地に向かった。
闇の中、正体不明の影を追って僕は走る。
見失わない程度に流す感じだ。正直、相手はそんなに足が速くない。
突然、相手の足が止まった。
矢筈さんのオフィスの前だ。
追っていた相手の姿がしっかり見えるぐらいの位置まで近づく。
二メートルを超える身長。人間に似ているものの、はっきりと違うとわかる体つき。なによりも、その顔は醜悪で、口の端からは鋭い牙が生えていた。
無理やり人間の形にしたイノシシといった風情だろうか。
薄汚い布を纏っており、形容しがたい悪臭が漂ってくる。
手に持っていたのはこん棒だった。あれで殴られたら人の頭ぐらいなら簡単に砕けてしまうだろう。ああ怖い。
いつの間にか僕のほうを向いていたそいつはファンタジーでいうところの食人鬼という奴だった。
「ガァァァァッッッ!」
威嚇なのか、何かの宣言なのか吠える。とはいっても僕には何の意味もない。
正直、この距離なら能力を発動してしまえばそれで終わってしまう。しかしながら、今回は室長から『ある時』を除いて能力は使うな、という制限を受けている。よって、肉弾戦ということになる。
負けはしないだろうけど、殴られるのは嫌だ。痛いのは勘弁してほしい。
とっとと指令を終わらせることにしよう。
食人鬼の懐に飛び込もうと僕が身体を沈めた瞬間、やつは持っていたこん棒を隣にあった塀に振り下ろした。
派手な破砕音がして塀が砕ける。
ちょうど、サンジェルマンの石が埋まっていた箇所だ。
きらきらと月光を反射しながら埋められていた石が飛び散る。
その中でも水色をしているトルコ石は一個しかなかったのでよくわかった。
くそ。そういうことか。
僕は意識をサンジェルマンの石に集中する。
ふわりと髪が持ち上がり、同時に石が砕け散る。
あっけないほど簡単に、『怪』の原因は壊れてしまった。
室長から受けた制限。それは『サンジェルマンの石を破壊するとき以外には能力を使うな』というものである。
他の石は食人鬼のこん棒の一撃で砕けてしまっているものも多数ある。
そんな砕けてしまった石の中に砕けたサンジェルマンの石は紛れ込んでしまった。
あくまでもサンジェルマンの石はこの食人鬼が砕いた、という主張が通るわけだ。統魔にはそれを確かめるすべはない。そもそも、この騒ぎに統魔が気づくということもないかもしれないが。
これでサンジェルマンの石を破壊した上に、統魔からも咎められるということはないわけだ。
なんともひどい。
まさかこんな呆れるような手段で解決するとは思っていなかった。力技にもほどがある。
小さな嘘を隠すには大きな嘘を吐けばいいという理論だろうか。ダイナミック過ぎてついていけない。
それはさておき、目の前の食人鬼のほうが優先だろう。だいぶ興奮しており、一刻も早く僕の頭を砕きたいようだ。
やらせないけど。
全力で駆ける。
なりそこないとはいえ、吸血鬼の身体能力なら一瞬で距離をつめられる。
驚愕の表情なのか食人鬼が奇妙に顔を歪める。同時に迎撃のためにこん棒を振り上げる。
遅い。
その時には僕はもう飛び上がっていた。
二メートルを超える巨体を飛び越えて背後に着地する。
振り向いてくる食人鬼の顎に突き上げるように掌底を一発。
骨が砕ける嫌な感触がした。何度やってもこれは慣れない。
流石にそんな威力の一撃を食らっても立ち上がるぐらいのタフネスはなかったらしく、食人鬼は白目をむいて倒れこむ。
ちょっと人間より強いぐらいならこんなもんだ。
確実に食人鬼が気絶していることを確かめると室長に連絡を入れる。
三コールで室長はでた。
「終わりましたよ。石のほうもキチンと破壊しました」
『わかった。私の方から助手がなにかに襲われたという連絡を統魔に入れる。そのうちに統魔の隠蔽班が到着するだろうからそこで待っていろ。たまたま通りがかったと言い通せ』
「了解です。しかし、こいつどっからやってきたんですか?」
『ああ、昔手に入れたマジックアイテムだ。量産品だから足がつくことはない』
「はいはい……」
それから数十分後、血相を変えた統魔の隠蔽班がやってきて、事後処理を始めた。
僕はなんだかんだと訊かれたのだが、室長の言いつけ通りにたまたま通りがかったという主張を通した。
解放されたころにはすでに日付が変わってしまっていた。
……これから家に帰るのか。
考えただけでも憂鬱になるが、まさか週の初めから休むわけにもいかないので僕は走って家路についたのだった。




