第三怪 その9
今現在『怪』を引き起こしている人形につけられた名前が伊里花。十数年前、産まれた時に亡くなった桃ノ瀬先輩の妹さんの名前も伊里花。もし、『怪』が霊的存在だったとしても、その名前を知っているのはおかしい。死産ということだったし、桃ノ瀬先輩の両親ぐらいしか知らないだろう。
「つまりはその人形に入っているのは桃ノ瀬伊里花クンということだ。死産の際にきっちりと魂が導かれずにそのまま奈由花さんと一緒にいたのだろうな」
それを聞いて奈由花さんは顔を両手で覆ってしまった。
すすり泣きの声も聞こえてくる。
「今回の『怪』の肝はだな、最も影響されている人間がそれを歓迎していたということだ。死別したはずの自分の娘と一緒に暮らせるということがどれほど嬉しいか、なんてこと私にはわからないが少なくとも嫌なものではなかったんだろう」
なるほど。
むしろ望んで『怪』の影響を受けて続けていたのか。だが、それでも疑問が残る部分がある。
「室長、でも僕が、その、伊里花ちゃんの入っている人形を壊した時に復元したことの理由が分かりませんよ」
少なくとも今の説明では、『怪』の正体と目的の意味は分かったが、あの現象は説明できない。そもそも室長が出張ってくる事態になってしまったのはあれがあったからだ。
「コダマ、それは愛だ」
「はい?」
唐突過ぎる単語に思考がフリーズしそうになる。なぜいきなりその言葉が出てくるのか?
それで理由付けできるのだったら百怪対策室自体がいらないんじゃないのか? とか身も蓋もない反論が喉まで上がってくる。
しかし、その前に室長はちゃんと説明してくれた。
「復元したのは奈由花さんの娘と一緒にいたいという想いが強かったからだ」
「想いであんなことができるんですか?」
「本体は幽霊だからな。自分を維持したい伊里花クンと娘と一緒にいたい奈由花さんの二人のつよい想いに、『怪』という現象が加わって成し遂げられた一種の奇跡だな」
過ごせなかった家族と一緒に過ごしたいという二人の力で『怪』が起きたというわけか。
「さて、ここからは依頼を果たすとしよう。それに、あまり一般人と霊魂が近くにいることはまずいからな」
室長は椅子から立ち上がって、宙に浮く人形の前に進み出る。
少しだけひざを折って、目線を合わせる。そして聞いたことのない優しい声で言った。
「伊里花クン、キミはこんなにもお母さんに想ってもらえているんだ。それはキミのことをお母さんが一時も忘れていなかったことの証明じゃないか? キミが死んでしまったことを悲しいと思わなくなってしまったんじゃない。キミの幸福を祈っているんだ。決して、キミはいらない存在なんかじゃないんだ」
カタカタと人形の顔が揺れる。
どんなことを考えているのかはわからない。しかし、少なくとも敵意があるようには見えなかった。
「伊里花、お母さんはあなたのことを忘れたことなんてないわ……」
どうやら伊里花ちゃんは奈由花さんに確認したようだった。僕には聞こえないが、彼女には伊里花ちゃんの声が聞こえるのだろう。親子の絆がなせる業か。
ふと、桃ノ瀬先輩のほうを見てみるといつの間にか涙ぐんでいた。
「そうね。わたしは知らなかった。でも、もう忘れないわ。でも、あなたはわたしたちと一緒にいるだけじゃなくて、もっと他の子ともできるはずよ」
ん?
「先輩、伊里花ちゃんの言っていること聞こえてるんですか?」
「うん……聞こえる。わたしにもやっと聞こえたわ」
とうとう涙をこぼしながら先輩は答えてくれた。
やっとこれで、家族がお互いの気持ちを確かめ合うことができたということか。僕と笠酒寄は完全に置いてきぼりだ。必要だったのか? 僕たち。
「さて、あの容れ物のほうは誰が持っている? コダマか? 笠酒寄クンか?」
「あ、わたしが持ってます」
「渡してくれ」
突然の室長からの要請に多少疑問符を浮かべながらも笠酒寄は素直に人型の変な物体を室長に渡した。
「さて、伊里花クン。キミを魂の輪廻に戻すために私の知り合いにところに連れていこう。ただ、そのままというのはまずいからこいつに入ってくれ」
そう言って人形の目の前に容れ物を差し出す。
キシ、とわずかに人形の首が動いて奈由花さん、桃ノ瀬先輩の順で向いた。
ほんの少し間があった。
そして、人形は吊っていた糸が切れたかのように床に落下した。
「な、なにが起こったんですか?」
室長に尋ねる。
「自分が想われているということに満足して転生することを決めてくれたんだ」
伊里花ちゃんの声が聞こえない僕としては室長が言っていることも本当かどうかわからない。
しかし、奈由花さんと桃ノ瀬先輩の泣き笑い顔を見ればそれが真実だということぐらいはわかる。
「浄霊、するんですか?」
「ああ、輪廻に戻って、また生まれるんだ。そして今度こそ人生というやつを謳歌するんだろう。悲しかった分、きっと彼女は優しくなれるからな」
室長にしては珍しく感傷的な言葉だった。
丁寧な動作で容れ物をポケットにしまうと室長は奈由花さんに一礼して、
「ほら、『怪』は終わったんだ。帰るぞ」
なんてことを言ってきた。
正直何が何だかわからないままに僕たちはそのまま桃ノ瀬先輩宅を後にした。
こうして、家族を想い続けていた少女の霊は家族の想いを得て、新しい生を受け入れることになったのだった。
てくてくと夜道を歩く。もうすでに夜の九時に近い。
百怪対策室に戻った後、笠酒寄を送って行けと命令されて笠酒寄と一緒に歩いている。
なんとも今回は役に立たなかった僕である。結局、室長が言ったように愛の力というやつは偉大だということなのだろう。
「しかしまあ、解決してよかったよな。桃ノ瀬先輩はかなりやばかったんだしな」
なんとなく、感想程度にそんなことを笠酒寄にも聞こえるようにひとりごちる。
同意してもらいたかったのかもしれない。なんとも情けない話だが、僕は自分のやったことが良かったのか悪かったのかわかってないのだ。
「そうだね。家族っていいものだもんね」
「僕は妹に完全になめられているけどな」
「それだけ空木君を信頼してくれているってことだと思うよ」
「だといいけどな……」
散発的な会話が続く。
あともう少しで笠酒寄の家に到着するという地点でいきなり笠酒寄が足をとめた。
「どうした? 地面からいきなり手が出てきて掴まれたか?」
「それこそ『怪』じゃない? って、そうじゃなくて。空木君、何か忘れてない?」
「ん? 忘れてなんか……あ」
桃ノ瀬先輩宅に行く前の百怪対策室でのやりとりを思い出す。
そういえば約束していた。
「後日ってことじゃダメか?」
「だめ。今やって」
ぐ、くう。こういう時は三十六計逃げるに如かずなのだが、僕には笠酒寄を振り切れる自信がない。覚悟を決めよう。
「……わかったよ。ほら来い」
「うん!」
どのくらいやることになってしまったのかは秘密だ。




