第三怪 その8
「な、なに? なんなのあなた!」
桃ノ瀬先輩のお母さんが狼狽する。 そりゃあいきなり窓をぶち破って参上する人物なんて映画の中ぐらいでしか見たことはないだろうから仕方あるまい。
それに対して、今しがたこの上なく派手な登場を果たしてくれた室長のほうは至極落ち着いたものだった。まとわりついているガラスの破片がきらきらと輝いてなんだか漫画の一コマのようにも見えるあたりとてもシュールだ。
「失礼。私はヴィクトリア・L・ラングナー。いまだにあなたを縛る過去と、過去に縛られているあなたの娘を開放しに来た者です」
意味不明な自己紹介をした後に室長がなにか聞き取れない呪文を唱えると無残なことになっていた窓が修復を始める。
逆再生を見ているかのように破片がくっつき、一枚のガラスに戻り、穴を埋めていく。さっきの人形を思い出させる光景だった。
あっという間に窓は元通りになり、ほんの十数秒前と違っているのは室長という存在が増えたということだけだった。
僕、笠酒寄、桃ノ瀬先輩、先輩のお母さん、室長、そして、人形。六者が集った部屋。
破壊できないあの人形を、『怪』を、室長は一体どうするつもりなのだろう。
誰も動けない。あまりにも突然に登場した室長に圧倒されてしまっている。
僕もまさかこんな登場の仕方をするだなんて想像もしていなかった。
一同が固まっている中、室長は全員を順番に眺めていった。
ん? 眼鏡?
いままで室長が眼鏡をかけているところなんて見たことがない。しかし、今に限ってはやたらと古めかしいデザインの丸眼鏡をかけていた。おかげでみょうちきりんな格好に拍車がかかっている。
一通り眺め終わるとなぜか眼鏡を外してポケットにしまいながら室長は言った。
「さて、今回の『怪』、生き人形とでも名付けるべきだと思うかもしれないが間違いだ。今回の一件は、そうだな『成長する霊』とでも名付けるべきかな」
人形、じゃないのか? だって今こうやって人形が自我を持って行動しているじゃないか。悪霊が人形を媒介にして家族を求めた結果、起こったのが今回の『怪』じゃないのか?
僕の頭の中を疑問が駆け巡る。依然として人形は宙に浮いたままだし、事態は進展していない。しかし、なんだろうか。室長も言ったように、何かを見落としているのだろう。手がかりは登場していた。室長の言葉だが、どういうことだ?
わからない。超自然的現象について、僕はほんのちょっぴりばかり認識しているだけに過ぎない。答えにたどり着いているのはおそらくは室長だけだ。
「さっぱり訳が分かりませんよ室長。成長する霊とか、生き人形とか、もはや頭の中が洪水状態ですよ」
「今回ばかりはキミを馬鹿にできないな。私も早合点してしまったのだからな」
めずらしく僕に対する返事で反撃してこない。そのことをちょっと意外に思ってしまう。
「さて、ちょうど役者もそろっていることだしな。何年も残っていた『怪』を終わらせよう」
手近にあったおそらくは桃ノ瀬先輩のものであろう椅子を引き寄せ、それに座って室長はそう宣言した。
「どうするって、人形は破壊できないんですよ? いや、正確には破壊できるけど再生してしまうんですよ」
先輩のお母さんも人形もいるが、もはや知ったことではない。室長が解決を宣言するということは、終結が宣言されたということに等しい。なら、僕にできることは疑問をぶつけて砕いてもらうことだけだ。
「破壊する必要はない。再生できないように破壊するには桃ノ瀬クンの御母堂を殺さなくてはならないからな。そんな物騒なことをやってまでしなければならないことじゃないんだ」
「どういうこのなのかしら。人形を壊すのになぜ私のお母さんを殺す必要があるの?」
すかさず桃ノ瀬先輩が訊く。流石に母親を殺さないといけないといわれては黙ってはいられなかったのだろう。
「それは桃ノ瀬クンの御母堂が人形の存在を強く強く望んでいるからだ。本当に、心の底からな。母の愛というやつかな」
「偽物の、植え付けられた愛だわ」
「それが今回の私たちの勘違いだ。家族の絆というものをよく知らないがゆえに私は対処を誤った」
君たちには余計なことをさせてしまったな。すまない、と室長は謝る。
間違い? 現状を見るに間違っているということはない気がするのだが。どういうことだろうか。実際に先輩のお母さんは人形を娘と誤認していたし、人形自体もこうやって自立行動をしている。悪霊か、それに類するなにかしらの存在が影響しているのは事実だろう。
そんな僕の内心なんぞ知ったことかとばかりに室長は続ける。
「さて、順番にいこう。桃ノ瀬クン、キミの名前はなんだったかな?」
「癒結花です」
「そして、あの人形はなんと呼ばれている?」
「……伊里花」
少しばかり言いよどんでから先輩は答える。
「さて、ご婦人。あなたの名前を教えていただけますか?」
クルリと椅子を回して先輩のお母さんと人形のほうに向いて室長は問う。言葉こそは丁寧だが、有無を言わせない圧力があった。
「……奈由花と申します」
中学生ぐらいの見た目の室長に対して中年のご婦人が丁寧語を使うというのはなかなかに妙な図だったが、そんなことは今関係ない。
花。
すべての名前には花が含まれている。
偶然? いや、『怪』には理由がある。理由がないものはただの理不尽だ。これには意味がある。花という文字で何かがつながっている。一体どういうつながりなんだ?
「子供に名前の一部を受け継がせるということはどこでもあることなのだが、桃ノ瀬クンの家もそうだったようだな。桃ノ瀬クンも、その妹も花の字を継いだんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ室長! 先輩は一人っ子なんですよ? 妹なんているわけないじゃないですか」
「そう、現在の桃ノ瀬クンは一人っ子だ。しかし、姉妹だった時期があったんだ。恐らくはほんの少しの、記憶にも残らないような、いや残さないようにした時期が」
そうでしょう? ご婦人、と室長は奈由花さんに確認する。
訊かれて、奈由花さんはうつむいてしまう。
しばらくはそうしていたのだが、やがて何かを観念したようにぽつりと口を開いた。
「はい。……私は癒結花が一歳三か月の時に死産しました。あの子が私のおなかにいた間は癒結花はお姉さんでした」
「その子につける予定だった名前は?」
「伊里花……です」




