閉ざされた右眼:羽斑 柵
【猪田里実:担任教師】
クラスで唯一の虐め被害者である夜埜風雅の隣席に羽斑柵が強制的に席移動を行ってから数日経ったある朝の光景。大好きな彼の隣席で浮かれていた柵であったが、その日は椅子に静かに腰を降ろす。読書に耽る風雅は声をかけられる事が習慣付いていないのかその存在にはまだ気付いていないようだった。
「風雅君、何読んでるの?」
いつもとは違う彼女の声色に風雅は少し戸惑いつつ、その本のタイトルを答える。
「仄暗いところで待ち合わせ」
柵はそのタイトルを聞いて僅かに口の端を動かすに留まる。
「作家、甲一先生の名作ね。確か事故で目の見えなくなった女性の家に職場で孤立しがちな会社員が転がりこんできて……」
風雅が慌てて柵の口を閉ざす。
「読むの遅いからまだ結末は言うなよ?」
「フフッ、暗黒神話もおススメよ?図書室のやつ、委員長権限でキープしといてあげる」
「いいよ、どうせもう少し時間かかるし、不正行為は君が最も嫌悪する……ん?」
本を閉じて柵の横顔を改めて確認するとある違和感に風雅が気付く。その視線の向こう側でもクラスメイトが柵の様子を伺う様にひそひそ話をしている。
「羽斑、お前、顔色悪いぞ?」
風雅の呼びかけにベージュ色へと変わった長髪を小さく揺らしながら返事をする柵。
「大丈夫よ。ちょっと両親が死んだだけ。ただのそれだけの事よ」
チャイムと同時に教室に足を踏み入れた私が、クラスメイトに挨拶をする。
羽班が一時間目、理科の教科書をランドセルから出そうとしてそれを床に落としてしまう。
クラスメイトの出席確認を行なう最中、緩慢な動作でそれらを拾い上げる彼女にいつもの快活さは一片も見受けられ無い。それも仕方ないか。
「お前、両親が死んで平気な訳ないだろ?!あとでノートとか見せてやるから保健室で休んでろよ。隈もひどい……し?」
風雅の方に顔を向けた羽斑の明るい灰黄色の髪がするりと流れてその目元を晒す。
「羽斑柵の虐メ撲滅計画その2。風雅君の苦しみを分かち合おう」
反射的に羽斑の右目を覆う黒い眼帯に手を伸ばす夜埜。
「片目だと距離感上手く掴めないのね。何回か廊下で転ぶし、物も上手く掴めない。君が本を読むのが遅いのもきっと疲れるから」
その伸ばした手が眼帯に伸びる前にその腕を掴む眼帯少女。まるで触れる事自体を拒絶する様な所作は彼女が夜埜に見せる初めての拒否反応だった。
「嘘よ。只のメバチコ。触ると黴菌が入るからダメなの」
風雅が戸惑いながらその手を引っこめる。クラスの点呼が終わり、私が一言付け加える。
「皆には説明しておきますが、先日羽斑さんのご両親が行方不明になりました。警察で捜査は進められていますが依然進展はありません。あとで写真を配りますので皆さんも羽斑さんのご両親を街でお見かけしたら先生や警察にすぐ教えて下さい。今後、羽斑さんは家庭の事情で授業に出られない時もあありますが、皆も一緒に協力してあげて下さいね」
羽斑柵は率先して学校行事へと参加していた為、私の言葉に全員が頷いて肯定の態度を示していた。羽班の隣の席に座る風雅を除いて。
「羽斑、さっき死んだって言ったよな?」
その言葉に羽斑柵は薄く微笑みを浮かべるだけに留まる。そして彼女はこうも付け加えた。
「死んで正解よ、あんな奴等」
彼女の眼帯で隠された右目の奥が妖しい光を放つ錯覚を隣の席に座る少年は右ノ眼一ツで感じとっていた。
それは水面下、得体の知れない怪物が蠢きだしたざわつきを肌の下に感じながら。それから何日経っても羽斑柵の両親が見つかる事は無かった。彼女が右目を黒い眼帯で隠してから1週間ほど経った頃、最初の犠牲者がクラスメイトの中から現れる事になる。それは眼帯少女が呼び寄せた狂気の風。




