虐メ撲滅計画その1
【猪田里実:担任教師】
その日の朝、私の受け持つクラスに近付くにつれ教室の中からざわめきが聞こえてくる。何事かと教室の扉を開くと騒ぎの中心人物の周りに人集りが出来ていた。自分の席についているのは夜埜風雅だけである。彼一人だけは文庫本を片手に書かれた文字をマイペースに片目で追い続けている。
「一体何の騒ぎ?」
生徒の顔が一斉にこちらに向き、その騒ぎの原因である生徒を指差す。黒髪で黒縁眼鏡をかけていた羽斑柵だ。彼女が眼鏡を外し、髪の色を明るいベージュ色に染めて登校してきていた。元々容姿が良かった彼女はまるで人形の様。私も他の生徒達同様に驚きを隠せないが、教師として彼女の行いは注意せざるを得ない。
「色を戻しなさい」
長めの髪を肩から垂らした羽斑が堂々と立ち上がると、その胸を逸らす。灰色のワンピースに朧げに浮かび上がる少女の膨らみ。その指先が担任である私の顔に向けられる。
「羽斑柵の虐メ撲滅計画その1。私が異端児となり注意を引き付ける」
私が苦い顔をしながら周りの生徒を見渡すと、蔑み嫌悪する様な表情を浮かべる者は1人も居ない。むしろ眼鏡を外し、髪の色と型を変え、可愛くなった彼女に対して憧れの念を抱いてしまっている。虐め対象になる事は嫉妬以外には考えられない。
「確かに異端児には変わりは無いですが、良い方向に異端児だと思います。とにかく髪の色は戻しなさい。理由が理由だけど無理してそんな事をする必要はありません」
羽斑柵さんが得意げな笑みを浮かべてその指先を他の男子生徒に向け直す。
「赤彗君はいいんですか?」
35人居る生徒の中で唯一金髪が認められているのがその男の子だ。小さい頃から金髪姿の彼は春のクラス替えで他の教師から私が引き継いだ生徒であり、個人指導も行なってはいるが、親御さんの強い意向で学校側もそれを特別認めてられている。
「よくは無いけど仕方ありません。学校側は認めています」
「ということで」
一言断りを入れた後、ランドセルを背負い直すと後ろの席の窓際最後尾に席を構えている夜埜風雅の隣の席に着席し、ランドセルを降ろす。本来の席の持ち主である女子生徒の矢川雪がオドオドしながら自分の席だと主張する。
「これもこのクラスの虐め撲滅の為。犠牲になって……矢川ちゃん」
「そんなぁ」と言いながらも矢川雪は自らのランドセルを背負い直すと、筆記用具類を手に持ち、元々羽斑が座っていた席へと引越しを始める。
「改めて宜しくね!風雅君!」
横に座る片目の少年がその目を細めて迷惑そうに困った顔をする。
「異端児になるのはいいけど、僕の隣に来る必要ある?」
「あるよ!いや……ないかも?」
「ないよ」
「虐められる時は私も一緒だからね!」
「だから、実害は無いって言ってるだろ?」
「じゃあ私達はずっと一緒だね!」
「わけが分からない。初めてだよ自分からこっち側になろうとする人に会ったのは」
すっかりとイメージを変えた羽斑が人差し指で口を抑えながら明後日の方角に目を向け、何かを考える様な仕草をとる。
「うーん、君も確かそういう人間だったよね?」
口に当てていた白い指先がふわりと夜埜風雅の潰れた左目にそっと触れる。その言葉に何故かギクリとした様子で右目を見拡げる一ツ目少年。
「な、なんでそれを?誰にも言って無いのに。家族にも友達にも」
再び羽斑がその指をその小さな唇の前に持ってくると「秘密」と囁く。
弱みを握られた少年はそれ以上傍迷惑な学級代表を拒否する素振りは見せずに前に向き直る。羽斑さんは終始ご機嫌に鼻歌を混じらせながら細く白い足をバタバタさせていた。
「やったー風雅君の隣♡」
「……虐メ撲滅の為じゃなかったのかよ」
呆れながら溜息をつく夜埜は次の授業の教科書を机から出して準備をする。
私も出席確認をしなければ。35人全員出席、多少騒がしいけど今日も《《一応》》このクラスの平和は保たれている。




