隻眼少年
【夜埜風雅:一ツ目】
物心ついた時から僕は児童施設に居た。両親の記憶も写真も残されていない事から産まれてすぐに親に捨てられたのだと思う。その施設には同じ様な境遇の子は何人も居て、中には家出してきた子や両親の暴力により死にかけていたところを保護された場合もあった。だから自分自身だけが不幸だとは到底思っていない。だから僕が産みの親に会ってみたいと願う事ももしかしたら我儘なのかも知れない。親代りだった施設の人達に聞いても困った顔をしてただ首を横に振るだけで何も教えてはくれない。いや、何も知らないのかも知れない。
この左眼は児童施設にいる時に潰れてしまった。それに関しては自己責任でもあるし、僕の出しゃばった行動がその結果を招いた事に違いは無いので割愛する。
施設に居た頃からこの左眼を馬鹿にされたりはあったけど、小学校に通いだしてからはそれが顕著に現れるようになった。死角になる左側からバレて無いつもりかは知らないけど馬鹿にされるジェスチャーを送られたり、左眼を瞑って風雅君の真似とかいってからかわれたりした。
それらはまだ序の口で口に出すのも憚れる様な事もされた。思い出したくも無い。あいつらは主に集団を作って異端者を恥ずかしめる。似た者同士が集まって誰にも似てない奴を集団から排除して自分達の繋がりを確認する為だけに、安心感を得たいが為だけに弱者を虐げるのだ。片目と両目のハンデは結構大きい。私生活にはほぼ影響ないけど、取っ組み合いの喧嘩には確実に不利になる。しかもこっちは残された片目を守るのに必死でなかなか踏み込んだ攻撃も出来ないので、最終的には僕が丸まって地面に倒されて殴る蹴るされて、相手が満足したらそれで終わりというパターンだ。小学二年までは悔しくてずっと一人で泣いたりしてたけど、ある日、施設に近隣で起きた事件の聞き込みにやって来た若い刑事のお兄さんが、施設でもすっかりいじめられっ子に定着しつつあった僕を見兼ねて引き取ってくれた。
僕の中で虐められる事が日常と化す中でそれは異常だと教えてくれたその人は僕の兄になり、血の繋がりは無いけど産まれて初めての父と母という存在が出来た。今、僕が名乗っている苗字、夜埜家の人々はすごく優しくて本当の息子の様に育ててくれた。
学校で除け者にされる毎日だったけど、家に帰ると僕の事を一つ目の妖怪としてでは無く、人間として受け入れてくれる夜埜家の人々のおかげで僕は初めて人としての価値を認められたような気がした。存在の許諾。それがどんなに心強かったか。そんな血の繋がりの無い両親も会って数ヶ月で別れる事になる。不運な交通事故により僕は兄と二人暮らしになってしまったけど、それでも一人では無いという安心感が僕を学校へと向かわせてくれた。
何時からだろうか。小学四年生にもなるとあからさまな虐めや暴力は無くなったけど、片目である僕を警戒してか誰も寄り付かなくなってしまった。
それはそれで寂しいけど、僕はその気持ちを読書や絵画といった別の世界へ潜り込む事で折り合いをつけている。それが正しいかどうかは分からないけど、少なくとも何かに没頭しているうちはそういったしがらみから解放され、自由の翼を得たような気分になれた。それが僕なりの渡世術という訳だ。
僕を捨てた両親に、失った左眼はもう戻って来ない。それを事実として受け入れ、折り合いをつけていくしか無いのだ。
昔、片目に慣れなくて学校の廊下で躓いた時に誰かが僕に尋ねた。
「その目を傷付けた人が憎い?」
僕は迷わずに確かこう答えた。
「同じ目に合わせてやる」
目だけにね?
5年4組の自分の席で本を読みながら、自分のくだらないジョークに吹き出してしまう。よほど笑いに飢えているらしい。その事に気付いた隣の席に座る矢川さんが目を丸くして困惑しながらこちらに向くと、その切り揃えられたしなやかな前髪がそれに合わせて揺れる。僕は慌てて咳払いをして誤魔化すけど無理がありそうだ。
「それ、そんなに面白いの?」
僕が読んでいたのは乱歩の小説だったので何とも間が悪い。
「ゴメン、ちょっと思い出し笑い」
矢川さんがいつもみたいに天使の様な癒し系笑顔で笑いながら答えてくれる。
「プフッ、私もね、時々あるよ?あれすごく恥ずかしいよね(^ν^)私も最近、デパートで買物しててお父さんが迷子になった事を思い出して笑っちゃった。大丈夫、今のは忘れてあげる。プフフ……風雅君もそういうのあるんだねぇ。なんか可愛いくって」
そうやってクスクスと笑う隣の席の女の子を顔を赤くしながら見つめていると、名前の順で前の席に居る学級代表の羽斑が周りの女の子と話しながらその黒縁眼鏡の奥からこちらを見てくる。……騒がしくしてごめんなさい。僕は誤魔化すように手元にあるミステリー小説へと視線を戻す。そういえば……羽斑もそうだけど隣の席の矢川も僕に対しては普通に接してくれている。友達になれるといいな……いや、僕と仲良くしてるとこをみられたらきっと一緒に除け者にされるに違いない。
虐めが無くならないなら誰かがそれを担ってやればいい。それを担うのは一人で充分だ。君達がこちら側に来る必要は無いのだから。




