黒衣の人形造形師
【日嗣尊:人形造形師】
外から聞こえてくる若い女の声に私は目を覚ます。日本家屋の豪邸、その奥に人形造形師 蒼星である私と昔馴染みの精神病棟看護師、天野樹理が縄で拘束されている。しっかりとした木製椅子に手足を縛られている為、私の力ではどうにもならない。
背中合わせになった二つの椅子はがっちりと固定され、椅子の柵に両手が絡め取られている。あっ、柵って、しがらみちゃんと同じ漢字。
背中でピクリとも動かない天野樹理の容態を確かめる為に必死に口に施された猿轡を口をモゴモゴさせると何とか外れてくれた。すぐさま声を上げる。
「樹理たん!恐らくピンチじゃ!このままでは全滅の可能性もありうる!私達は敵の力を見誤った!」
視界の端に小さな呻き声を上げた樹理たんの横顔が入る。あのメイドの女に箒で殴られた額からは血が流れ、顔の半分を紅く染めている。私は多分スタンガンで気を失わされたみたいで首筋がヒリヒリとする。出血は無いけど。
「うむむ……うるさいわね……イタタッ……これ、血が出てるわね」
「うむ。早く治療するのじゃ!」
「平気よ。それより状況を教えてくれる?」
もぞもぞと体を動かし、縄から逃れようと背中越しに奮闘する音が聞こえてくる。私は考えうる状況を幾つも思い浮かべ、その中から現実に起こりえそうな可能性が高い推測を血を流す樹理たんに説明する。
「私もさっき目を覚ましたところ。陽はまだ暮れていない。そんなに時間は経っていないはず。離れの方から女性の悲鳴が聞こえてきた。恐らく声のトーンからしてあの給仕係の女の子が襲われた可能性が高い」
「これも全部貴女の折込済み?」
「違う!ここへあの少年か容疑者の猪田里実が到着した段階で少年を完全にあの女から安全な場所に引き剥がすのが目的だった。違和感に気付いた彼女は物的証拠と成り得るアレを放って置く訳がない。現場で取り押えるはずだった」
「そうなっては居ないのかしら?」
「曳光の妻、小夜が私達を捕まえた時点で、少年か猪田里実、どちらかがやってきたとしても警察へその情報が流れる可能性は低い。今回の事件は全てタイミングのズレが生死を分かつ」
「あの隻眼の少年を保護できなかったら?」
「警察は手が出せずに、傀儡師による被害は止まらない……はず」
「眼帯のお嬢さんの方は?」
「そっちは恐らく大丈夫じゃ。なんてったって私の可愛い息子が緑青と一緒に付いとるからの。おまけにあの隻腕の小学生、暗殺者見習いの矢川雪ちゃんもついておる」
「尊、一ついいかしら?」
「なんじゃ?」
「考えうる最悪のケースはどんな状況?」
私は頭の中で過去に起きた事件の一つ一つを再構築し、今回の傀儡師事件に関わる全ての人間の繋がりを一つ一つを精査していく。
「傀儡師を殺した人間が猪田里実では無く、別の人間。四肢義体の望月小夜、もしくはあのメイドの女だったとしたら……一三年前に立て続けに起きていた幼女誘拐事件。その中の被害者で未だに行方が分からなくなっている人物が何人も居る。傀儡師 月黄泉を殺した人物がその中の誰かだったとしたら……警察の情報だけでは容疑者として名前を上げられない」
一呼吸間を置いて、私の話した内容を吟味した後に樹理たんが質問をしてくる。
「犯人が特定出来ない状況下……更に最悪なケースを考えるとしたら?」
私はその想像に思考を巡らせる。
「……少年も保護出来ず、猪田里実も確保出来ず、仮面男として羽斑さんを誘きよせた緑青がしくじり、羽斑さんを逃したとする」
「そしたらどうなるのよ?」
「彼を追って二人が動き、三人がその場に居合わせる。羽斑さんはこちらが用意したフェイクの存在を知らない。当然、自分が匿ったクラスメイトの事は違和感を感じた犯人にバレていると思い込む。彼女の取れる残された手段と言ったら……」
「自らが殺人鬼と化す事。それしか風雅君を救う方法は無いという考えに至るはず」
「……風雅君の下に殺人鬼が二人揃う事になる。いや、そもそも猪田里実が私の推測と違い、犯人で無かった場合……望月家の人間が真犯人だったとしたら?傀儡師に四肢を切断された望月小夜が夫を殺したのだとしたら?」
幾つも派生される傀儡師の正体に私の思考がパニックを起こし、動悸が激しくなってくる。私がした事により罪の無い人間が死ぬ。それは耐えられない。
体を震わせる私に気付いたのか、樹理たんが背中合わせの私に後頭部で頭突きしてくる。痛い。
「尊、深呼吸しましょうか。一度、頭をからっぽにするの。大丈夫、貴女は間違えてない。貴女のおかげで七年前の私達は助けられた」
「でも、私は……探偵では無い。ただのカリスマ人形造形師、蒼星じゃ」
「自分でカリスマとかいう神経、相変わらずね。事象の整理とそれらを繋ぎ合わせる事に関しては貴女は誰にも負けない。けど、今回は……精神病棟勤務の私の出番かしらね。人の深淵を覗いてきた私の……かつて深淵の少女と恐れられた殺人鬼天野樹理の……よっと」
背中越しにブチブチと縄が引き千切られていく音がする。
「樹理たん?そんな怪力だった?」
「バカ。丸腰で殺人鬼が住まう家に訪問する訳無いでしょう?」
私の両手を拘束していた白い縄が解かれて自由になる。樹理たんの方を見るとその右手には刀身が黒い短めのナイフが握られていた。
「それは?」
「私を精神病棟から救い出してくれた……金髪の女の子から譲り受けたものよ。何度も私の窮地を救ってくれた」
刃の部分にはRAT-5と刻印されている。看護服のスカートを捲り、それを腿のホルダーに収納する樹理たん。
「これが私の隠しナイフよ」
「黒ストッキングがエロいの……じゃなくて……銃刀法違反じゃ!」
「バレなきゃいいのよっと」
私の足を拘束する縄も一瞬にして解体され、自由になる私達。
「どちらにしろ状況は最悪じゃ。傀儡師は逃げ、全滅している可能性もある」
「大丈夫よ……貴女が10歳で事件を解決に導いたように……あの子達の事を信じてあげましょう」
「あの片目の少年?」
「夜埜風雅君。彼からはお兄さん譲りの何にも屈しない正義の心を感じた。それに何より……力では無く、心で殺人鬼を止められる可能性のある存在でしょ?」
私の選択肢の中に新たな可能性が光を帯びて芽吹く。それはまだ小さく、頼り無い光かも知れないけど、確実に存在するもう一つの可能性。
「子供達は私達大人をどう見ているのかのぉ……」
樹理たんが屋敷の扉を蹴り飛ばして破壊し、こちらに振り向き、皮肉メイタ、笑顔でこう答えた。
「不甲斐ない大人達だなって思われてるわよ、とっくにね」
「面目無いのぉ……」
がくりと私は肩を落とし、樹理たんに続いて走り出した。




