佐藤珈琲
【猪田里実:担任教師】
私と風雅が暮らすアパートの玄関で修理業者の対応をしているスーツ姿の警官。このアパートを囲うように十人。先刻雪崩れ込んできた警官は六人。他は動かずに監視役かしら。風雅には中堅の刑事さんが二人付いている。動ける六人から二人差し引いて四人。そしてこの部屋で業者対応しているベテランの刑事さんを横目で見る。今動けるのは三人か。私は洗濯物を干した後、渋々業者の相手をしているベテランの刑事さんの為に珈琲を用意して差し出す。
「こりゃあすいません。お気遣い頂いて」
「いえいえ、刑事さんにはきちんと弁償して頂かないといけませんからね」
「安心して下さい。早とちりして踏み込んだ私達に責任はあります。経費で落ちそうですし、私は痛くも痒くも無いんですけどね」
「それなら良かったですわ」
「……美味しい珈琲ですね。インスタントとは思えない」
「はい。八ツ森でも有名な喫茶店から頂いたもので……風雅のお兄さんが残したものですが」
夜埜大樹。殺人鬼傀儡師から生徒を助ける為に殉職。目の前で苦い顔をしながら珈琲を啜る刑事さんは知り合いなのだろうか。
「夜埜はね……本当に弟思いの良い奴でしたよ」
「でしょうね……こんなメモまでウチの子に残すぐらいですから」
「メモ?」
「さっき風雅がここで読んでいたものなんですが……殺人鬼に関する情報が書かれていました」
「……刑事として事件の情報を一般人に漏らすのは頂け無いが、兄としては正解でしょうね」
「でも、こんなメモを残したところで風雅にわかる訳ないでしょ?」
ベテランの刑事が私の手から風雅のじゆうちょうを丁重に回収するとその中身を確認していく。
「あいつ……こんな形で風雅君に託すなんてな……真面目で大人し過ぎると心配していたが、なかなかやるな。おや、所々に別の字でびっしり文字が書かれてますね」
刑事さんの横からじゆうちょうに追記された文章を覗き込むと風雅の字で隙間が埋め尽くされていた。風雅なりのいくつもの推測と考察。行方不明になった子達や被害に遭った子供達の証言も書き込まれている。
「大樹の奴……案外弟さんに事件の事を託したのは正解かも知れませんね。今日日の子は昔の私達よりも賢くて叶わない」
「えぇ……ほんとに」
「まぁ、先生も若くてしかも、お綺麗でいらっしゃるが」
私の隣で照れ笑いを浮かべる刑事を他所に私の頭に不安が過る。ここ数ヶ月は絵など描いていない。風景画を描くために公園に出掛けようと提案した事も無い。ここ最近は造形の方に興味を持ち始めたようで粘土を捏ねて小さな動物を作製していた。それは傀儡師の正体が人形造形師であり、その心情を理解する為の創作活動だった?私は風雅が書き加えた文字を必死に目で追う。以前、このノートを見せて貰った時はそんな書き込みは無かった……彼の中で何か犯人に繋がる何かを見つけたのかも知れない。
その中の一文に「三年前のかいらいし事件と十二年前の幼児ゆうかい事件の関連性?」と書かれていた。
そして傀儡師として容疑者として名の上がった人形造形師五人の名前が追記されている。
灰燼=渡部直人
陽影=篠崎洋平
蒼星=日嗣尊
狐狸五里=鈴木由来
月黄泉=望月曳光
その中の一人、望月曳光の名前だけにバツ印が付き死亡と書かれ、その上から望月という名前が何重にも丸で囲まれ、クエッションマークが赤字で書かれていた。この追記された名前は当時非公開にされていた。一般の人間は知るはずも無い。夜埜大樹がメモに残した文字にそんな記載は無い。ならこの情報の出所は?
「どうかしましたか?先生?」
「いえ……ちょっと気になる事が。うちの風雅と警察関係者の方が事件について何かお話しになっていたとか聞いていますか?」
「いや、そんな事は無いですよ。そんな子供の恐怖心を煽るような大人はいませんし、口が裂けても事件の情報は刑事なら話しません」
メモの内容の追っていくと、その中の一文に困った時は監察医の佐藤深緋に相談する旨が書かれていた。
「刑事さん……この佐藤深緋さんっていうのはまさか……」
「えぇ。あの佐藤深緋ちゃんですよ。別の事件で名の知れている佐藤浅緋ちゃんのお姉さんだ。今は監察医の見習いとして働いてるよ。大樹と私は今回の事件、彼女の助けも借りているからね」
「そっか……それで佐藤喫茶の珈琲が戸棚にあったのね」
「通りで美味い訳だ。深緋ちゃんの実家の喫茶店のやつだったか」
「この監察医っていうのはどんな職業なんですか?」
私の中の嫌な予感が心をざわつかせる。
「日本じゃ聞きなれないですが……よく海外ドラマなどで検死官って聞きませんか?日本じゃその職業にあたるのが監察医にあたるんですよ。遺体を調べ、死者の声なき声を聞く尊く、忌み嫌われる誰もやりたがらない仕事ですよ。わしらでもゴメンだ」
「……そう……ですか」
私は立ち上がり台所へ向かうと包丁棚から包丁を二本引き抜く。
「先生?どうし……ました?」
「刑事さん、風雅が助けを求めた時、室内に居て、通報もしていないのによく彼のピンチの声を聞きつけましたね」
刑事さんの顔色がみるみる悪くなっていくのが分かる。薬が効いてきたようね。
「そ、それは……」
「盗聴器……ですよね?」
「はい。しかし、許可はとっています」
「誰に……ですか?」
「風雅君にで……す」
するりと反転し、居間であぐらをかく刑事さんの眼前に包丁を突きつける。
「私の許可は?」
「それは……」
「容疑者の一人に許可を取る必要は無い……そういう事ですね?」
蒼白になっていく顔に虚ろになる目。必死に意識を保つのがやっとのようだ。
「誰にも……私と風雅の幸せは邪魔させないわ……」
「先生……?くそ!まさか!お前ら!応援を……!?」
「人生って……なかなか上手くいかないですね……そう思いませんか?」
刑事さんがその返事の代わりに意識を失い、床に倒れる込む。
「風雅……君は何も知らなくていいの。これは私と殺人鬼である父との問題なのだから……待っててね……すぐに行くからね、ママ」
私はなりふり構わず、着の身着のままエプロン姿に白のタートルネック、薄黄緑色のロングスカートのまま、両手に包丁をぶら下げ、素早くアパートから飛び出した。私の本能が足を動かしある場所へと向かわせる。……全ての始まり。あの忌まわしき場所へと。誰にも邪魔はさせない。そうでしょ?羽斑柵ちゃん。




