役割演劇:RPG
【猪田里実:担任教師】
東京都八ツ森市にある木漏日小学校5年4組の教室内では《《道徳》》の授業が行われている。35人在籍するこのクラスを任されているのはこの私、猪田里実である。今この中に少なくとも7人はいじめ被害にあっている《《こと》》になっている。道徳授業の一環として1グループ5人に分かれ、ロールプレイングが行われているからだ。
其々の役割を任された生徒がその役になりきって演劇する。各役割は①担任教師②虐める子供③虐められる子供 ④クラスメイトA⑤クラスメイトBとなり、5つのグループに分かれた十一歳の少年達が必死に其々の役割を演じようと悪戦苦している。
今や学校の虐め問題は日に日に浮き彫りになり教育の見直しがとりだたされている。その問題性を孕みながらも社会は廻り、今年も児童による自殺が後をたたない。
虐めに苦しむ子供達を救うべく法案などの見直しと強化は計られてはいるが現実問題としてその影響力はまだまだ弱い。RPG《ごっこ》と現実は違う。
昔と今の虐めの性質が変わってきている事も対策の取りにくさに一役買っている。昨今の子供達は教師や親の目を盗み、バレないようにイジメを行なう。そして自分自身への被害を恐れて傍観者を決め込む者が大半を占めている。
今から数年前、O市の中学で起きた虐めが被害者を自殺にまで追い込んだ。それは当然マスコミの知る所になり、教員達が世間から弾圧を受けるまで情報が開示されずなかなか全貌が明らかにならなかった。教育現場の風通しの悪さが世間の知るところになる。死んでからでは遅い。虐めを無くすには初期対応の早さが決め手となる。いかにそれを早く見つけ出し、全力でそれを潰すのが最優先事項となるのだが……そう上手くはいかない。現実に意識を引き戻す。
「はーい、それじゃあそろそろ……」
道徳授業のまとめに入ろうとした私の目に〈最小単位5グループにすら入れず1人で何もせず立ち尽くしている少年〉の姿が映る。彼の名は夜埜風雅君。この5年4組で孤立している現実虐メられっ子である。その容姿のせいか誰も彼に寄り付こうとしないらしい。
「夜埜君。君の役割は何かな?」
夜埜風雅は長めの前髪から覗く右目をゆっくり動かしながら周囲を見渡す。何かを諦めた様な表情でそれに答える。
「リアルいじめられっ子なので間に合ってます」
担任でもある私は教室の中央で堂々と授業をサボらざるを得ない少年と同じ様に深い溜息をついた。
「リアル担任なのでいじめっ子を探さないといけません。何かヒントをくれるかな?」
夜埜風雅は全てを諦めた瞳でもって皮肉気味に答える。この子の奇妙なところは普通は起こるはずの絶望感や羞恥心が全く感じられない部分にある。まるでそうする事が自然の摂理であるかの様な。
「ヒント:全員です」
それでも私はこの子供への虐めを無くしてあげたい。5年4組の道徳の授業が「夜埜風雅のいじめ問題」解決に移行するのはこの春から数えてこれで8回目を超える。一向に道徳の授業は進まないし、私の評価と評判は教員内では心底悪いそうな。気にしないけど。
しかし、どういう訳かこの片目の少年に対する周囲の反応の変化も何ら改善が見られない。悪化しないだけマシなのかも知れないが。私が手を叩いて生徒全員への着席を促す中、微動だにしない女生徒が不服そうな顔を浮かべて私の顔を睨みつけ、挙手し続けている。
「また君?羽斑柵さん」
頬を膨らませ、不服そうに眉を潜めるのはこのクラスの学級代表を務める女の子だ。黒縁眼鏡をかけた彼女の奥で光る双眸が正義こそ我に在りと私に訴えかけている。
「猪田先生!一応提言しますが私だけは風雅君を無視していじめてませんからっ!ね!」
鼻息を荒くしながら正義を主張するその少女は模範生徒とも呼べる品行方正、成績優秀、それに加えて容姿端麗と非の打ちどころの無い生徒なのだが……少々融通が利かない。羽斑柵が目を輝かせながら夜埜に近付き、その手を両手で握り締め、彼を元気付ける様にその手をブンブン上下に振りまわす。
「風雅君!私が君をいじめから救って見せるからっ!自殺とかダメだよ!むしろ私の為に生きて!」
夜埜が委員長からの猛烈なアピールに迷惑そうに口を引きつらせている。小学5年に上がった生徒達がまだこのクラスに馴染んで居ない事もあるが、夜埜との接点を極力減らそうとしているのは弱者に対するそれでは無かった。
彼の事を“一ツ目”と呼び、本能的に距離をおこうとするのは未知の存在に対する動物的な恐怖だ。夜埜風雅は幼少期の事故により傷付いた左目が潰れて開かない。ただそれだけだ。見た目で異形と分かる存在を11歳の子供たちがすんなりと受け入れられるはずも無かった。それに本人の諦めの良さも悪い方向に働いている。
「えっと、羽斑いいよ別に。実害はほぼ無いし僕はこのまま静かに余生を過ごしたいんだ」
「ダメっ!!」
「それより、手を離してくれる?皆見てるし」
「嫌っ!」
「いっ、嫌なの?」
「見てて、風雅君!私が君を助けるからね!」
羽斑の言葉が熱気を帯びると共に自然と夜埜に顔を近付けていく。
「ちょっ、なんか近いって!何か柔かいの腕に当たってるし!」
其々別のベクトルに頑なな2人の少年少女達は道徳の時間がくる度にこうやって夫婦漫才を繰り返している。
「風雅君もちょっと大人びて来た気がする!背も伸びてきたし、私と同じぐらい!柔かいのは最近何か胸の辺りに脂肪が……」
夜埜が慌てて羽斑の腕を振りほどく。
「知らないよ!って友達でも無いのに下の名前で呼ぶな!」
「私は気にしないよ!変な名前だけど柵って呼んで!」
「人の話を聞けっ!」
2人のやりとりを聞いて周りの生徒達の緊張もほぐれ、笑い声が教室を包み込む。私はその光景を見て大人が手を出すまでも無い様な気もしていた。
「この羽斑柵が学級代表としての任を全うする為、このいじめ問題を解決して見せますっ!だから先生も安心して下さい!」
黒縁眼鏡の奥で少し茶色がかった瞳が決意の熱を帯びている。この子はなぜそこまで虐めを、いや、この男の子にこだわるのだろうか。対照的に夜埜風雅はあくまで冷めた目で現状を捉えている。虐げられている者を救おうとする人間に付き纏うリスク。救おうとした者にも同じ被害が及ぶ事を彼は一番心配している。彼の潰れた左目。それは体に刻みこまれた教訓の象徴そのものである様に。




