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切り取られた右耳:音田静香

学校帰り、町の小さな文具店で消しゴムを買った後お店のおばあちゃんに挨拶をしてから出るとガラスのショーウィンドウに背中をもたれかけている少女と目が合う。私よりも少し身長の低い長髪の女の子は右目を眼帯で覆っていた。

 「えっと、あっ、ごめん!私帰らないと!」

 私は手にした買いたてのピンク色の消しゴムを握り締めて彼女から慌てて逃げ出す。背後でのっそりと彼女が動き出す気配がする。

 「ごめん!しがらみちゃん!また明日学校でね!」

 ドタバタと全速力で走る私の後ろから声が聞こえる。

 「音田さん!待って、私も一緒に帰ってあげるから!」

 今クラスで噂されているのは……彼女が現れた後、蒼いコートの仮面男に襲われて……体の一部を持っていかれる。中学生ぐらいの胸の持ち主だった皆月ちゃんも犯人にその胸を切り取られてしまったし。私が捧げるとしたらどこだろう。胸は無いので捧げられない。後ろを追いかけてくる学級委員長ならそれが可能かも知れないけど。ちょっと羨ましい。あの灰黄色に染めた明るい髪色と右目の眼帯が合いまってちょっとワイルドでカッコいい。元々黒髪黒縁眼鏡でインテリっぽかったけど今はちょい悪不良少女みたいな外観だ。でも良家のお嬢様みたいに白いブラウスに紺色の細いリボン。それに蒼いフレアスカートを合わせてて気品は完全に消せていない。私の着用している可愛いネズミ柄のTシャツはお気に入りだけどなんだか比べると恥ずかしくなっちゃう。ウニクロの安売りカートで販売されてた奴だから。あ、彼女に返事をしないと。

 「来なくていいよ!柵ちゃんと帰ると体をもってかれちゃうもん!」

 後ろにちょこっと振り返ると、彼女が裁ちバサミをランドセルから取り出す姿が見える。なんでそんなものを?私、彼女に殺されちゃうの?

 「待ちなさい!ダメっ!路地裏に逃げちゃダメ!私も一緒に帰るってば!」

 「柵ちゃんも仮面男に怪我させられてるんだから動いちゃダメだよ!私の事はいいから!」

 「ダメっ!逃がさない!わよ」

 彼女の恐ろしい形相に私は泣きながら前に向き直り、家に続く近道を通る為に細い路地を抜けて行く。私はその途中に置いてあるポリバケツを薙ぎ倒しながら柵ちゃんの進行方向を塞ぐ。これで少しは時間稼げるかも。家まで走れば10分ぐらい。ここで頑張らないと、私の体が持ってかれちゃう!

 「ちょ!きゃっ!」

 背後で大きな物音がして彼女がゴミまみれになって転んでいる姿が見えた。折角の上品な衣服が台無しになってなんかごめん。そんな私の心配を余所にゴミまみれになりながらも立ちあがってこちらを追いかけようと立ち上がる。膝には擦り剥いたのか赤い血が滲んでいる。

 「させない、絶対にさせない」

 路地裏を少し抜けた所で誰かと肩がぶつかる。

 「ごめんなさい!急いでて!」

 よろけて倒れそうになる私を支えてくれた手は細いけど節ががっしりとした手で、性別が分からない。

 「気にしないでいいから。えっと君は5年4組の音田静香ちゃんだね?」

 「は、はい!お兄さんは?」

 「新米の刑事さんさ」

 優しく微笑む20歳代ぐらいのお兄さんが黒い警察手帳を開いて私に見せる。腰に拳銃が固定されているのがチラリと見えた。そっか、こんなに4組の子達が被害を受けているのに警察が動いてない訳が無い。世間への混乱を恐れて公になっていないだけだ。

 「とりあえず行こうか」

 「ど、どこに?」

 「彼女が追って来ないところさ」

 「柵ちゃんの?」

 「そう。羽斑柵ちゃんと5年4組の通り魔事件とは関係があると警察では睨んでいる。いや、正確には僕らだけか」

 私は紺色スーツを着た警官に手を引かれて再び走りだす。そのお兄さんが少しだけこっちに振り返ってその片目が私の瞳を捉える。なんだろう。顔形は違うけどその雰囲気は私の知るクラスメイトにどこか似ていた。

 「君達は絶対にお兄さん達が助けてみせるからね。近くに車を止めてある。仲間の警官も居るし」

 「良かった。私助かるんだ」

 「あぁ。助ける。そして犯人は必ず僕等が捕まえる。ん?女の子?」

 先を走る警官のお兄さんの前方に白いワンピースに赤いランドセルを背負った女の子が道の先で立っていた。

 「あの子は確か写真で見た顔だな」

 「雪ちゃん!矢川雪ちゃんです!通り魔に左腕を持ってかれた女の子です。でもなんで?」

 夏休み前、その日は珍しく涼しい日に一際冷え込む冷気が辺りに流れ込んできた。まるで雪ちゃんがその冷気の中心に居るみたいに。

 「君、そこを退きなさい」

 長めのボブカットの下から覗く彼女の無表情だった顔に変化が訪れる。

 「羽斑さんは殺人鬼?」

 「何を言っている?」

 「ねぇ。知ってる?バラバラ殺人人形事件って」

 「退きなさい」

 「音田静香ちゃん、もし私が殺しそこなったら……そうね、左耳は鏨新一君が持って行かれたし、貴女は右耳をリクエストするといいわ」

 十M先で彼女がランドセルからカッターナイフを器用に取り出してそれを右手に構える。義手の左手は彼女の思いを反映する事無く、ただぶら下がっているだけだ。

 「どきなさ……」

 男の人の叫びが住宅街に響き渡る前にそれは中断される。足を踏み込み、駆けだした義手の女の子が私と男の人の間に音も無く身を滑り込ませる。その勢いで前を走っていた刑事さんがアスファルトの地面に転がり、血溜まりをつくる。

 「ホント、こんなんじゃ弟に言い訳出来ないな。頼んだよ、君」

 その刑事さんのお腹には長い刃物が突き刺さっていて体を貫通していた。私は雪ちゃんに体を押し倒されて尻餅をついている。彼女が私を見下ろす様に立ち、彼女の背後で刑事さんが黒い拳銃を引き抜いているのが見えた。

 「一応規則だから警告するよ。動くと撃つ」

 そう一言断りを入れてから破裂音と共にその拳銃が火を吹く。乾いた音が複数回辺りに響いて私の叫び声が付随する。シトシトと雨が降り出し、それが肩にかかる。目を恐る恐る開けた私の頭上でカッターを握る矢川ちゃんの手から血が滴っている。空は晴れ、夕焼け空がいつの間にか拡がっている。その橙色の光の影に血が私の眼に黒く映し出される。

 「雪ちゃん?なんで?」

 数カ月前に比べて私よりも女性らしくなった彼女が夕日を背中に浴びながらカッターを離すと素早く役割を果たしていない左手を握り、それを体の前に構えるとそこに小振りの鉈が突き立てられる。その反動で彼女の体がふわりと浮いて私の目の前で尻餅をつく。白いスカートの裾から華奢な白い足が輝いて見えた。

 「やっぱり、まだダメね」

 若い警官が血を口から吐き出しながら銃を連発させて弾切れになるまで撃ち尽くす。

 「やっぱり……当らないもんだな。くそっ、ここまでか」

 私の背後で夕焼けにも染まらない漆黒の闇そのものが蠢いた気がした。危険を感じて振り向くと蒼いコート姿の仮面男が湾曲した鉈を片手に握って立っていた。衣服のあちこちが破れてささくれだっているけど血は出ていなかった。


 継ぎはぎだらけの仮面の下から掠れた声が聞こえてくる。


 「ドコガイイ?」


 私は私の為に血を流してしまった雪ちゃんや警察の人の事を考えると無念さが込み上げてくる。


 「あげないっ!どこもあげない!」


 ランドセルを背中から降ろしながら立ちあがってそれを思いっきり仮面男の顔面に勢いよくぶつける。それに僅かによろめく仮面男の後ろから少女の声が聞こえてくる。


 「ここで、ここで殺してやる!辿り着かせない!風雅君に!」


 夕日を正面から浴びた眼帯の少女がゴミ塗れになって立っている。


 「し、柵さん!」


 クルクルと右手に握る小さな湾曲した鉈を怪人は振りまわしながら周りを囲む私達に目をやる。すぐ後ろから他の警察の人の叫び声が聞こえてくる。


 「夜埜っ!すぐ応援が駆けつける!それまで耐えろ」


 よるの?先程感じた既視感はクラスメイトの一ツ目君。虐められっ子の夜埜風雅君だ。怪人の男の周りに私を含めた少女3人に警察の男の人が2人。でもこの構図、距離感、怪人が私達3人を人質に取っている。


 「夜埜!?もしかして風雅君のお兄様ですか!?」


 柵ちゃんが夕刻でも分かるぐらい顔を赤くしながら刑事の人に質問する。苦しそうに腹に鉈が突き刺さっている刑事さんが叫ぶ。

 「そうだ。その眼帯に髪の色。羽斑柵さんだね?」

 「そうです!」

 「風雅を宜しく!」

 「はいっ!」

駆け寄ってきた警官の手にしていた拳銃をお兄さんが奪うと、足を引き吊り、発砲しながら距離を詰めてくる。仮面の男がそれに怯みを見せた瞬間、私の背後に居た雪ちゃんが私を引っ張って怪人から距離を空けてくれる。


 その刹那、背中から怪人の男に鋏みを突き立てる羽斑さん。


 「硬い!何かを着込んでる!」


 銃の発砲音と共に怪人の肩の一部が弾けて砕け散る。ボロボロと崩れたそれはまるで土塊の様だった。


 「逃げなさい!君らがこれ以上犠牲になる必要は無いっ!地獄へ道連れといこうか仮面男!」


 その言葉に反応して仮面男が標的を私達からお兄さんに向けると殺意の方向性が変えられる。いや、最初から殺意など無かったように思う。ここにきて初めてハッキリと殺意が行動と気配に混じり込むのが分かった。


 「カエシテ……ワタシのカラダ」


 発砲しながら向かってきた警官に対して今度は反対に距離を詰めて行くと、その腕が夜埜君のお兄さんに振り下ろされる。中に何かが仕込まれているようで立ち眩みを起こすお兄さんに仮面男が掴みかかる。柔道の技みたいにそのまま怪人男を地面に叩きつけると、仮面男の動きが止まった。


 「殺人鬼、傀儡師。ここで捕ま」


 腕を掴まれていた怪人の右腕が切り離されると、コートの端から生身の腕が顔を覗かせる。その腕は人形の腕をグローブみたいにして装着していたみたいだった。お兄さんの腹に刺さっていた長い鉈を引き抜くと、そのままお兄さんの体を縦に切り裂き、駆けつけた別の警察官の人の四肢を素早く切りつけてから心臓を突き刺しにする。呆気にとられながら警官達の血が辺りを紅く染めて行く。


 「カエシテ」


 羽斑柵ちゃんの悲痛な叫び声が辺りに響き渡る。


 「そんな、止めて!これ以上彼から大切なものを奪わないで!」


 その場に崩れる柵ちゃんに構う事無く、矢川ちゃんをその場で殴り倒すと私の目の前に怪人が迫る。


 「内臓がマダ足りない」


 仮面男の声が私の近くで聞こえ、恐怖で動けない私。

 その長い鉈が私の腹部を切り裂こうとした時、倒れていた雪ちゃんが囁く。


 「右耳も足りてないわよね?」


 「ミミ……左耳だけ。ミギミミ無い」


 怪人男が湾曲した方の小さな鉈を左手で切り返すと、空中に私の右耳だった部位が舞う。痛みはその時には無くて、唖然としながら耳が落下運動を始めるまでその光景を見つめ続けていた。時間差で私の右耳から血が噴き出し、お気に入りの可愛いネズミのTシャツが耳から流れる血で赤く染まって行く。


 懐から出した紺色の布に私の「右耳」だった部分を大事そうに仕舞うと、仮面男は無慈悲にその場から立ち去って行く。既に息をしていない夜埜君のお兄さんが抱きかかえた腕の部分を回収する仮面男。その場で切り取られた右耳の痛みと激しい耳鳴りを起こしながら私は患部を手で抑えつけその痛みに耐える。普段から取り乱さない羽斑さんが一番ショックを受け膝から崩れ落ちていた。義手に怪人のナイフを受けた雪ちゃんが無表情で私に話しかける。


 「右耳で良かったかしら?」


 「は、はい。腸を抜き取られるぐらいだったら」


 「でもこんなのただの時間稼ぎにしかならないわ。何れ、私達の中で腸を抜き取られた変死体となって発見される生徒が貴女ではなくなったという事に過ぎないわ」


 遠くで複数のサイレンの音が鳴り響いて聞こえてくる。


 私はその日、右耳を失った。


 そして夜埜君はお兄さんを失った事になる。買いたてのピンク色の消しゴムだけが変わらずにそこにあって少し嬉しかった。

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