義手の少女
【夜埜風雅:一ツ目】
その日の朝の出来事だった。木漏日小学校5年4組でまた行方不明の生徒が出たらしい。これで13人目だ。
季節は夏の兆しを見せ始め、太陽は高く上り陽光は大地を照り返している。通り魔被害にあったクラスメイトのうち体の一部を持ち去られた生徒を除き5人が行方不明になり、変わり果てた姿で路上に打ち捨てられているところを発見されている。
右手首を通り魔に切り落とされた加藤はその場にいた羽斑の応急処置が功を奏し一命をとりとめる事は出来た。他に舌、左肩、右耳、口、顔の皮膚を奪われた生徒も何とか命を取り留める事は出来たが、頭を切り落とされた状態で見つかった生徒や上半身や下半身がくり抜かれて発見された生徒、腹が切り裂かれ腸が消えていた生徒は死んだ。そして今朝、意識を失って発見された女生徒、松島桐子は一命は取り留めたものの、背中の皮を剥ぎとられた状態で見つかっており、今も病院で集中治療を受けている状態だ。
生徒達は二つの事を口々に噂している。5年4組は殺人鬼に狙われている。そしてもう一つは突拍子も無い仮説に過ぎない。羽斑柵が殺人鬼を呼び寄せているのだと。
校舎の玄関で上履きを履き替えた僕は羽斑が委員長権限でキープしてくれていた図書室の文庫本「暗黒神話」を手に教室を目指す。明日の被害者は僕かも知れないが、それを決めるのは犯人の気分次第だ。新米とは言え警察である兄も動いてくれている。さすがに犯人も逃げきれないだろう。
教室がある三階の廊下に差し掛かると6年の先輩三人に囲まれ、羽交い締めにされている斉藤雄介君が必死に足掻いていた。この子は殺人鬼に鼻を奪われた。その顔には包帯がその部位を隠す様に巻かれている。その包帯が無惨にも好奇心旺盛で無慈悲な先輩に取り払われ、鼻が切り取られた断面が外気に晒されている。それに合わせて体格のいい6年の先輩達が好奇の悲鳴をあげ、心ない言葉を投げかけている。ただでさえ嗅覚が無くなり、味覚の無い生活を強いられているのに更に虐められてはたまったものでは無い。
君は一つも悪くないよ。
体中を巡る血液が熱く脈打ち、その足に力を込める。僕はその蛮行を止めさせる為、包帯を取り上げた先輩の膝裏めがけて足を振り抜く。やってしまった。もう後には引けない。引くつもりも無いけどねっと。その衝撃で片足を崩した大きな体の先輩が廊下に膝を着く。その隙に手にしていた包帯を奪うが、横に構えていた6年の男子生徒に突き飛ばされて窓側の壁に体を叩きつけられてしまう。頭を大きな手で掴まれ、壁にゴリゴリと押しつけられて痛い。だけど標的がこちらに向いてくれた。これでいいや。
「この一ツ目がっ!生意気なんだよ!」
理不尽な暴力の前に正義はいつだって無力だ。それは誰も逆らいようの無い心理でもある。体勢を崩された先輩二人に僕の体は殴る蹴るの暴行を顔と体に受けてその部分が麻痺して動かなくなる。血の味が口に広がっていく。斉藤君が涙目になりながら僕の名前を叫び、必死に先輩の手から逃れようとするが二次性徴期を迎えている6年生の男子達に叶うわけも無い。その拳が僕の残された右目を狙ってきたのでそれをするりと避ける。その拳が横にそれて勢いよくコンクリートの壁に打ち付けられて涙目で手を押さえる。その僕の所作が怒りを買った様で、斉藤君を捕まえていた先輩もその手を離してこちらに向かってくる。まぁいいか。
僕は先輩達にバレない様に包帯を斉藤君に渡す。目を丸くし、驚いた目でこっちを見返してくる斉藤君。キミまでこちら側に来ることは無いよ。襟首を掴まれ、宙吊りにされた僕の体にかかる重力が消えて廊下に叩きつけられようとした時、その先輩の短い悲鳴が聞こえ、僕を解放する。その先輩の後頭部から血が滴り、廊下に点々とした紅い染みを作っていた。
僕の事を助けてくれたのは左腕を通り魔に切り落とされた元僕の隣の席の女子「矢川雪」だった。
右手には取り外された義手の腕を掴んでいてそれを殴打する武器に使用したようだ。その腕の部分に血痕が付着している。唖然とする先輩達を余所に後頭部を負傷した男子生徒の前頭部めがけてその二撃目を打ち込むとその先輩は廊下に倒れ込む。矢川雪がゆらりと妖しく笑みを称える。そこにクラスメイト全員を癒していた笑顔は見る影も無い。二次性徴期を迎えた彼女の背も少し伸び、どこか大人びて見える彼女の体を暴こうと二人の先輩が彼女に襲いかかるが、義手をその場に放り出した矢川は左腕が無い事を生かしてするりと体勢を変え、その手を櫂くぐりながら足を器用に使い、その二人の生徒の腹に鋭い蹴りを素速く打ち込む。重なり合うように倒れ込む先輩二人の上に音もなく舞い降りると、ギリギリとそのつま先を一番上に倒れ込む先輩の首元にめり込ませていく。僕は義手による殴打をさせない為に近くに転がったそれを抱え、彼女に近づく。その光景を眺めていた斉藤君が「もういい、それ以上やると死んじまう」と矢川を止めに入る。
僕は青痣の出来た体を引き吊りながら矢川に礼を述べる。
「ありがとう、矢川。助かったよ」
ゆらりとこちらに振り向いたその目に狂気が宿っているような気がした。くすりと笑う彼女の薄い唇から声が漏れ出す。
「ううん。人を殺す為の予行演習がしたかっただけだから。気にしないで風雅君。うん、ガキなら殺せそう」
ストンと先輩達の体から飛び降りた矢川の白いワンピースの裾がひらりと舞う。その白い衣服に血が点々と染みを作っていた。
自分達を狙う通り魔事件が発生し、恐怖で怯える生徒の中彼女がただ一人、復讐の炎をその眼に宿していた。僕たちに狙いを付けている殺人鬼の特徴として一度狙った生徒を二回狙う事は無い。だから矢川雪や斉藤雄介君達が死に怯える必要は無いのだ。残された生徒達はどの部分を殺人鬼に差し出して命を長らえるか、そればかりを囁き合う異常な光景がクラスには広がっている。
しばらくして委員長の羽斑がやってくるなりボロボロになった僕の傍に駆け寄り抱きしめてくれる。その後、きちんと事情を僕らに聞いた彼女は僕らになるべく落ち度が無い様に色々と学級委員長として動いてくれた。多少贔屓を含ませて。いつもありがとう。羽斑。矢川の事は間違っても犯人を追わないように注意してあげないとな。