2話
先までの中継空間は妙に柔らかかった。
今居る場所は、ごつごつしている。
いつの間にか気を失っており、視界は真っ暗のままだ。
自己基準で数分前、ミンチになるレベルの交通事故を受けた身として、そのままとりあえず五体の様子を確認する。
力は入るし、動きそうだ。拘束されている様子もない。
期待感と不安に目を開けられずにいると、何かが近づいてくる気配がある。
話の流れ的に召喚された勇者様の様子を、お姫様辺りが確認しに来ているのだろう。
「ゾォ、ゾゥ……ゲォ」
直後、テレビの砂嵐のような雑音を、抑揚をつけて獣の鳴き声にしたような音が耳に入る。
慌てて起きて、そのまま後ろに飛びずさった。
飛びずさったと言っても、普段から運動していないためにあまりカッコいい動きではなく、どちらかと言えば転げまわったとでもいう方が近いのだが。
距離が取れたにしても、取れてないにしても、付近の状態を探るために、目を開ける。
だが、その状況確認は中々順調にいかなかった。
そこがどこだか、俺にはわからなかった。
いや、異世界だから知っている光景ではないのは当たり前なのだが。
それにしたって、目の前の光景は常軌を逸していた。
「浮かぶ……内臓?」
なんとか絞り出して、表現できた言葉はそれだけだった。
赤黒く脈打つ有機的な歪な塊は、方々に管のようなものを伸ばしており、どの部分かはわからないが人体に収まっている臓器に似ている。実物を見たことはないが、知識として知っているソレそっくりである。
加えて、その内臓もどきから伸びる管、その隙間からは手足が生えている。
足は2本、手は3本。
赤黒く肉々しい本体からの延長線らしく、皮膚は無く、筋繊維が丸出しとなっている手足だ。
そしてそれら全部含めて、大きさはおおよそ人に2倍ほど。縦の長さ(身長、とは表現できない)はざっと3mといったところか。
チューカイさんは言った。
お姫様が出迎えてくれる、と。
イメージとしてはドレスか、高位の魔術師的なローブに身をまとっているの女性が、荘厳な儀式の間で迎えてくれるのを期待していた。
だが、目の前にあるのは化け物。
加えて、周囲を何とか見渡せば、妙に作り物めいた青や緑の蛍光色の岩が無秩序に立ち並んでいる。
「ダォ……ゼゼェ、ギュ」
再び、臓器が喋る。
先ほどの雑音と同じで、何処から音を出しているのかはわからないが、目の前の怪物が発していることは確かだ。
「なん、なんだ!?まさ、チューカイさん、場所間違えたとか……」
状況が呑み込めずに、慌て、なんとか食べられる前に逃げようと算段していると、妙な違和感を覚える。
と、いうのも、先に響いた雑音に意味を感じるのだ。
最初の雑音は『ようこそ、おいでくださいました』。
次の雑音は『大丈夫でしょうか?』。
耳が不快に思えども、その意味からは敵意や殺意、害を成そうという気持ちは感じられなかった。
「え、っと……俺を、食べようとか、そういうつもりは……ない、のか?」
日本語で、喋ってみる。
すると、その声がどどいたのか内臓から返答がある。
そして相変わらず耳からは脳をかき乱すようなノイズが入ってくるものの、今度はタイムラグなしでその意味を理解できた。
曰く、
「そのようなこと、恐れ多いです。我々は貴方様に世界を救っていただきたく、お呼び致したのです」
と。
それを聞き、俺は恐ろしい予測を立てる。
目の前に直立二足歩行してい内臓は、この国のお姫様ではないか、と。
「……失礼ですが、あなたはどちら様でいらっしゃるか?」
微妙に口調が変になったが、問いを投げる。
どうやらこちらが日本語と思って発する言葉は、少なくとも目の前の相手には意味が届くようだ。
この辺りは確かにチューカイさんの手腕なのだろう。
「私はここ、ボュァッヌ王国の王女を務めております、カニバリズムと申します」
内臓は――王女カニバリズムそういう意味の音を発した。
(あ、分かった。お姫様は何か呪いでこういう姿にされているんだな……きっと術者というか、ひょっとするとラスボスになるかもしれないけれど、倒せば美女になったりするんだな)
とりあえず、今思いつく限りのつじつま合わせをして納得する。
「どうも、王女様。召喚に応じはせ参じました。田茂暮助と申します」
「ダモクレスさま、ですね。招きに応じていただき、ありがとうございます」
「いや、『たも くれすけ』で……」
「たも……?」
「あ、やっぱいいです」
そっちの方がカッコイイのと、あと脳内で言語変換してくれるにしても、耳は多大な負荷を受けっぱなしなので長い会話を避けるために妥協した。
「私はあなたの事を父上にお話ししてまいりますので、ダモクレスさまはご用意させていただきましたお部屋でお待ちください……ナギナタ!」
薙刀と言えば、日本伝統の武器をイメージするがどうやら人名のようで、呼びかけに応じて後ろに控えていた影がごっちに寄ってくる。
ずっとそこに居たのだろう、召使らしき……内臓が、こちらに来る。
「ご用命仰せつかりました、ナギナタと申します。さぁ、こちらへ」
カニバリズム姫よりもう1mぐらい大きなソレは、真ん中で二つの房に分かれていて、肺とか腎臓とかに似ていたが、結局どっちとも言えなかった。足と手の数はカニバリズム姫と同じく2本と3本。
ちなみに2人(?)とも3本の手は両サイドに1本ずつ、頭のあるべき上部から1本生えており、関節の数は手足とも3つぐらいあって長く、よく曲がりそうである。
ついでに本当の頭がどこにあるかはわからない。
(ははーん。さては呪いはお姫様だけでなく、王族関係者……ひどい場合は国全体にかかっている場合があるな)
世界を侵略せんとする存在に対抗すべく、勇者を召喚しようとする国である。
敵から反感を買い、国規模の呪いをかけられてもおかしくない。
少々ハードなスタート地点だが、それぐらいのスパイスが効いてないと冒険譚は味気ない。
ナギナタに案内されるままついていく。
どうやら、召喚儀式を執り行っていた部屋は地下室だったらしく、出入り口を抜ければ階段を徐々に上がっていく。
ただ、壁や階段などの景色は儀式の間と大差なく、青と緑の無造作な岩のような無機物肌である。
いくらか昇ると、光が差し込む。地上階に出たようだ。
細い通路(といっても巨大なナギナタにとってであり、俺にとっては余裕過ぎる)は高い位置に窓があり、そこから外の光が差し込んでくるのだろう。
ただその光は、赤かったのだが夕焼けと少し違っていた。
「おや、どうされましたかな?」
「えっと、外は今……?」
「夜も更けております。その方が召喚の儀式に使える力も高まりますので」
光源は太陽ではないのか?
いぶかしみながらも、歩くナギナタについていく。
地上階に出ても、構造物は変わらず、蛍光色岩の荒っぽい作りである。
また階段をいくらか昇り、通路をいくらか進んだところで、ナギナタは足を止めた。
「こちらが、お部屋でございます」
案内された先に扉は無かった。
そういえば儀式の間も、扉のようなものは無かった。
代わりに遮るものの無いかなり大きな穴が開いており、そこから出入りできるらしかった。
だから、すぐに中の様子は見て取れた。
相も変わらず蛍光色の岩肌である。
ところどころに、よく見れば壁や床と同じ素材で作られた何かオブジェが配置されてある。
それらはよくよく見れば、テーブルや椅子、寝台に見えなくもない。
「まだ、夜も深いです。こちらにいらしてのお疲れもあるでしょうから、ひとまずはお休みください」
「あ、え、っと、その」
「何か、不足がございましたかな」
不足だらけなのだが。
柔らかそうなものは目の前の内臓の質感ぐらいしかない。
こんなところでどうやって寝て休んで疲れをとれというのか。
だが、こんな人外に対しても不平不満はうまく言い出せなかった。
口の下手さは、異世界に召喚されただけでは治らないらしい。
まごついていると、ナギナタさんは
「ふむ、もし何か用がございましたらそちらのベルを御鳴らし下さい」
とだけ言って去ってしまった。
ベル。
机のようなオブジェの上に床や壁と異なる材質で出来たこぶし大の禍々しいオブジェがある。
何か熊か犬か、獣の生首のように見えなくもないソレは紙のような素材でできており、ペーパークラフトを思わせた。
ベル。
「寝れるかわからないが、寝よう」
何かと頭の回転が追いつかないので、休むことにした。
想像していた異世界冒険と少し違うが、どこかで帳尻が合うはずだ。
そんな甘い考えは、もっと早くに捨てるべきだとこの時は知らず、ベッドらしき岩の上で眠りに落ちていった。