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あの!

 道路上パーキングを見つけると多賀は素早くハンドルを切ってクルマを停めた。コインを入れてあたりを見渡すと、あまり離れていない所に古き良き趣きと傾きのある食堂を見つけた。そして少し早目の昼食とることに決めた。ガラスの引き戸を開けて店内に入ると、四人は連なってトイレに向かい、一番窮している様子の石井ちゃんがそそくさと先頭を歩いた。ドアがあき、水が流れる音と共にスッキリした顔で出てきた石井ちゃんに多賀は

 「先に席を取っておけよ」

 と言い残すと、トイレに入った。スッキリした顔で出てきた多賀が、さして広くもない店内をいくら見渡しても石井ちゃんの姿がどこにも見当たらないので、おかしいなと思いながらチョット疲れた女性店員に訊くと、そのまま出て行かれましたと言う。あのバカ何やってんだボケカスと思いながら、仕方なく自分で席を確保した。

 用を終えた千葉とコンちゃんが多賀がいる席に着いても、まだ石井ちゃんは外から戻って来なかった。どこに行ったんだろうと考えても仕方がないので、三人はそれぞれの注文を入れた。十分もたたないうちに料理が運ばれてきたが、まだ石井ちゃんは戻って来なかった。

 「何やってんだよあのバカは、ガキじゃああるまいし。少しはちゃんと出来ねえのかなあ。店から出るときは一言いって行くもんだよ、ったく」

と多賀が言えば千葉が

 「ホントどこに行ったんでしょかねえ、石井さん。この近くに知り合いでもいるんでしょうかねえ」

 「いる分けねえよ、あのバカに。それにしてもどこへ行ったんだ。しょうがねえバカだ、先に喰ってるか」

 と多賀が言えばコンちゃんは

 「そうしましょう。それにしてもご飯より大事な用があるんでしょうかねえ。食べ終えて出る頃に戻ってきたら、コンビニでパンでも買えばいいでしょう。罰です、罰」

 と笑いながら言ったので、多賀も千葉もそうだそれがいいと言いながら箸を進めた。


 トイレを済ませて店を出た石井ちゃんは、黒いゴリラの様な体に血相を変えた顔ですれ違う人を捕まえては、交番はどこですか、知りませんか、助けてくださいなどと言って表通りから一歩入った路地を走り回っている。

 何人目かの初老の爺さんを捕まえた時、交番ならその表通りに出て左へ。そこの先100メートルくらい行った左側だよ、と教えてもらった。それを聞いた石井ちゃんは、うるんだ目でお礼を言うと体を揺らしてまた駆け出した。息を弾ませながら初老から聞いた交番を見つけると

 「助けてくださーい、お巡りさん。助けてたすけて、殺されます。ヤクザに追われてます。助けてください、お願いします。殺されます」

 と、ありったけな大声で駆け込むと、奥から出てきた若い巡査の腕を掴んで離さない。涙顔で必死に懇願する石井ちゃんを見た他の巡査も、これは大事件の前触れかと交番内はザワメキたった。

 「どうされました、落ち着いて落ち着いて。エッ何、助けて、ヤクザ!追われてる、殺される。落ち着いて落ち着いて。ここにはお巡りさんがいますから、大丈夫です。安心してください」

 「ああ~お巡りさん、ヤクザに追われてます。殺されます。助けてください、殺されます」

 と、また石井ちゃんが言うので、先輩格の巡査が石井ちゃんを交番の奥に連れて行くと、なだめながら椅子に座らせた。そして若い巡査に命じて所轄署に電話を入れさせ、応援要請をしたのだった。

 「ハイ、そうです。たった今50代中頃の男性が『ヤクザに追われている。殺される』と言って当交番に駆け込んできました。ハイ、かなり血相を変えておりまして、ハイ、いま落ち着かせています。ハイ、ハイ、ヤクザだと言っております。では宜しくお願いします」

 電話を切り十分もたたないうちに所轄署のマル暴担当デカが二人、疑わしい顔で来た。交番内の奥で小さくなっている石井ちゃんの涙目を見た二人のマル暴は、これは本物だなと踏んだ。そこで一人のマル暴が、ここでは追ってくるヤクザや通行人に見られるかも知れないので、所轄署で詳しい話を聞きましょうと言って石井ちゃんを黒い覆面パトカーに乗せたのだった。

 所轄署の3階の小部屋に石井ちゃんを通すと、熱くて薄味のお茶を勧めた。二人のマル暴は石井ちゃんの〇☓△という、実にまとまらない話から苦心して筋道を探り、頭の中でパズルのようにまとめながら何とか話を書き綴っていったのだった。


 「遅いなあ何やってんだあのバカが、まだ来ねえのかぁ。飯終わったじゃねえか」

 と多賀が言えば

 「ホントですよねえ。どこに行ったんでしょう、石井さん。食べ終わってしまいましたね」

 と腹をさすりながら千葉が続き、コンちゃんは爪楊枝を右手に

 「おかしいですよねぇ、石井さんがご飯も食べずにいなくなるなんてホントおかしい。何かやったかなぁ」

 「今野、何かやったかって何のことだ。何か知ってんのかぁ」

 「ああ、いえ。ただ石井さんはいつも自分に都合が悪いことがおこると、すぐ何処かに隠れる癖がありますから」

 「おおッそうだ。オイ今野、まさかそれ、石井のバカがここ来て・・野郎ここでやったのかァ」

 と言い終えると、多賀はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。黒い顔が白みかけていた。

 「・・・ああダメだ、出やしねえ。留守電だ。ヤロウまさかここまで来て、まさかトンズラ決め込んだんじゃあんめぇなあ・・」

 「多賀、トンズラって何だ。まさか石井さんが逃げたわけじゃあないよなぁ。オイオイ、困るよそれは。冗談じゃぁない、じょうだんじゃないよ」

 「いちいちピーピー言うなボケ。今野、ドラスゴの電話番号分かるか、代表番号。チョットかせ」

 と言うと、多賀はメモしてあった番号を受け取り迷わず電話した。

 「ああ、ドラッグ凄井さんの本社ですか。私、土浦の多賀工務店の多賀と言います。実は今日の午後1時から2時までの1時間、凄井社長様とお会いする約束になっているのですが、チョット道路事情が混んでおりまして、約5分ほど遅れるかと思われますので、予め、ハイ、そうです。それでですね、秘書の方がおりましたら、ハイ、直接、ハイ秘書の方・・・。待ってろ今秘書を呼んでもらっているから・・。もしもしハイ私、多賀工務店の多賀と申しまして、今日の午後1時から社長様と会う・・、ハイ、エッ、はい、はい、アッそうですかぁ・・はい、そうですか、ですよねぇ・・・分かりました、ハイ失礼します」

 「オイ多賀どうだった、ドラスゴは」

 「社長は出張で今週いっぱい不在だってよ。そのようなお約束も受けてはおりませんだってよ。お約束の話は今初めて聞いたってよ」

 「アア~・・・・」

 「・・・・ハァ」

 「アノバカヤロウ。ふざけやがって、舐めてんのかぁ。ぶっ殺してやる」

 この会話と様子を断片的に奥の厨房から見聞きしていた店主は、お金を持っている石井ちゃんがいなくなったので三人は頭を抱えている、必ず無銭飲食をするに決まっている、という経営者的な先入観で睨んでいた。ちょっと疲れた女性店員は、新たに入ってきたお客の対応に追われてハツカネズミのような顔で動き回っていた。


 「はい、分かりました石井さん。つまりこうですね。あなたは今野という地元の、ああ、松戸ですね。その地元のヤクザに、土浦市にある多賀工務店がとった1千万円の仕事を300万円でやれと言われ、断り続けたにも関わらず、無理やり、かつ強引に300万円の契約を結ばされ、仕方なくやらされた。当然700万円の穴が空いたので、その700万円の金を今度は多賀工務店が石井さんに貸しつけた。無理やり借用書を書かされた、そうですね。で、借りたお金はいつ返すんだ、ウチの700万をどうするんだと多賀工務店に半年に亘って言われ続け、かつ二人から殴る蹴るの暴行を受け、脅迫され続けた。今日その700万円を返せないと言うなら東京湾に沈めてやる、と脅されてクルマに乗せられた。東京に来て、昼近くになったので最後のご飯が食べたいと石井さんが言ったら、最後だから良いだろうと言われて食堂に入った。店内に入ってオシッコがしたいと言ったら掴んでいた腕を放したので、その隙を突いて店から逃げ出した、という事ですね。これで間違いないですね。いいですか、いいですね、ハイ分かりました」

 と、一方のマル暴が書き留めたノートを見ながらこのようにまとめ上げた。石井ちゃんは背を丸め下を向いたままの姿勢で、小さく

 「ハイ、間違いないです」

 と、答えた。額がテーブルに着きそうだった。

 この言葉で確信を得た一方のマル暴が

 「では、これで被害届を出しましょう。石井さんは今野の面通しをしてもらいますので、暫くここにいてもらいます」

 と言って席を立った。石井ちゃんはうなだれながらこのマル暴の背中を横眼づかいに見送った。

 一人残ったマル暴が

 「で、松戸の今野というヤクザの住所は分かるか。エッ、おお、ハイハイ、はいはい。で土浦の多賀と言う工務店の男の住所は、詳しくは・・ハイハイ自分は詳しくは分からないが、今野が知っている。フンフン、あっ、それから最後に千葉とか言ってた男ね、その男は。ハイハイ、今日始めて会った。分からない。面識がない、か。ウ~、もしかしたらこいつは漁船の手配師かもなぁ・・」

 「あっそうか、だからあんなに道路に詳しかったんだぁ」

 生温かい石ちゃんを見抜けない一人残ったマル暴は、すぐさまこの言葉をメモ用紙に書き留めた。

 

 「おお頭イテエ、どうするこれから。社長もいなけりゃあ石井もいねえ。どっちもいねえんじゃあ、ケンカも出来ねえって事だよなあ・・。とりあえずここにいてもしょうがねえから、一旦出るか・・。アッ御姐さん全部でいくらになるかな」

 と、チョット疲れた女性店員に会計を告げると、奥の厨房で三人の動向を睨んでいた店主は安堵の溜息と共に胸を撫でおろした。代金を払ってクルマが置いてある路上パーキングに戻ると

 「多賀、これからどうする」

 と沈んだ声で弱々しく千葉が言った。

 「マア乗れや。ここで考えてもしょうがねえから・・帰るしかねえべ」

 と言いながら、多賀はクルマを出し、先ほど来た道を引き返した。

 「ここまでお昼ごはんを食べに来たようなものですね」

 とコンちゃんが言った。千葉は枯れかかっていた。


 「それでは課長、これから今野という松戸のヤクザのヤサに行ってきます。ホシはまだガイシャガが保護されたとは思っていないでしょうから、夕方まで張り込めばガラは確保できるかと・・」

 「ヨシ、分かった、宜しく頼む」

 二人のマル暴は話を手短にすますと鼻息荒く松戸を目指し、クルマはアクセル全開で首都高を北上していった。


 多賀は、帰りも来た時と同じ6号国道を走り、車中ではコンちゃんに替わり助手席に千葉を座らせ、子供をなだめるように話しかけ、ハンドルを握った。千葉が住む松戸のアパートに着くと

 「明日また連絡するから、そうガッカリするなよなぁ」

 と言う多賀の言葉と共に車から降りた千葉は、力なく手を振った。コンちゃんは後席から助手席に移ると、窓越しに無言で頭を下げた。再びクルマを走らせた多賀に向かってコンちゃんが

 「全く今日という今日は・・。呆れましたねェ、石井さんには」

 「あのバカと長く付き合っているお前が言うんだからなあ。呆れる。全く。それにしても千葉のショックはかなり大きいと思うよ。あのひねくれモヤシみたいな身欠きニシンの体がもつかなぁ。憤死するかもなぁ」

 「そうですよねえ、怒りながらもだいぶ落ち込んでいましたからねぇ」

 「・・でもしょうがねえよ。あのバカに期待したオレ達が悪いんだから」

 反省を含めての寂しい帰路であった。午後2時を過ぎた時間だったが、車内は黄昏ていた。


 千葉が住んでいるアパートから20分ほどで、コンちゃんの家に着いた。お互い今日の反省の言葉を短くかわすと、コンちゃんはクルマから降りて玄関に向かった。その時である、塀の陰にいた一人の男がコンちゃんの右わきに近づくと鋭く声をかけてきた。

 その様子をルームミラーで見ていた多賀も、気が付けば自分のクルマの前に両手を広げて進行を阻んでいる男が立っているではないか。とっさに素人ではないと直感したが、何をやってんだボケ!と思って窓を開けると

 「多賀さんですか、ちょっとクルマから降りて頂けませんでしょうか。お聞きしたいことがありまして・・」

 と言うのでエンジンを切って降りてみると、コンちゃんも同じようなことを言われて名前と住所を訊かれていた。何のことか、どおいう事かとコンちゃんが訊いてみると

 「警視庁港署のものです、お聞きしたいことがございまして」

 と言って一人がコンちゃんに身分証を提示すると、もう一人が

 「石井照夫さんを御存知ですか。今日の午後、その方かが署に来られまして暴行と恐喝の被害届が提出されました。分かりますか、この意味」

 と冷ややかに言った。何のことかさっぱり分からないコンちゃんが首を傾げながら玄関先で被害の提出過程を聞いていると、あの食堂からトンズラした石井ちゃんのその後の行動が鮮明に分かったのだった。

 この話をコンちゃんの隣で聞いていた多賀の血が一気に頭に上ると、瞬間的に爆発した。 

 「ふざけるな!何が被害届だァ!被害にあっているのはこっちの方だ!こっちに来い。証拠があるから見せてやる、こっちに来い!早く来いコノヤロー」

 と言うと二人のマル暴の袖を無造作に掴み、クルマまで連れて行った。そして車内に置いてあった鞄から二枚の紙と印鑑証明書を取り出して二人の眼前に突き出したのだ。

 「何ですかこれは?」

 「いいから読んでみろ!読んでから判断しろ。いいかあ、場合によっちゃあ今ここから弁護士に電話するからなあ。いいな!読め、読んでみろ、早く読め」

 二人のマル暴は顔を摺り寄せてA4の紙を手にして読み進むうち、全身からの血が気が引いた。多賀の口元が緩み、マル暴の膝が笑い始めた。


 「・・これは、これはどういう事ですか。石井さんの話とまるっきり逆ではないですか」

 「逆も、どうもこうもあるか、ここに石井本人が書いてある通りだ。ここに書いてある700万の金を返済してもらうために、あのバカにオレ達が仕事を紹介したりしているのに、いつもトンズラこきやがって!今日もこの件の仕事で東京に行ったら、昼飯時にトンズラしていなくなったんだよ。何が被害者だ、ふざけんな。弁護士も知っているんだよ、何ならここに呼ぶかぁ」

 「・・・・」

 「・・・・ああ、いえ」

 「いいかよく聞けぇ!石井はなぁ、ガキの頃から何人もの女を強姦するは、酔っぱらってスナックは潰すは地元のヤクザの組は潰すは、挙句の果てにダンプでプロレスラーをひき殺そうとして殺人未遂罪で8年も刑務所に行ってたんだよ。背中にクリカラモンモを入れた立派な極道よ!ウソだと思ったら背中見てみろ。松戸署で前科前歴調べてみろ!まだ残っているかもしれねえや。どっちの方が正しいか調べてみろ。あのバカに会わせろ。第一、今野のボンボン顔がヤクザに見えるか、よく見てみろ。この顔だぁ」

 二人のマル暴は開いた口を開きっぱなしにして、目を丸くしてコンちゃんを見た。コンちゃんはボンボン顔を丸くして、ニッコリ微笑んだ。

 「君、早く松戸署に訊いてみろよ!アア、本署を通してだ、本署を」

 この声に一方のマル暴が我に返ると所管の港署に連絡を入れ、港署から松戸署に石井ちゃんの前科前歴の照会確認の電話を入れてもらうよう依頼した。数分後、電話をかけたマル暴の携帯が鳴り

 「ハイ・・エッそうですか、事実ですか・・そうですか。ハイ分かりました、了解です。それでは石井さん本人は、私たちが帰るまで面通しをするからということで、帰さないように。いいですね、くれぐれも帰さないように、ハイ頼みましたよ。ハイ、ハイでは」

 と言って電話を切ると、多賀の話が嘘偽りでないことが分かった二人のマル暴は、事実確認不足の非礼を詫びた。

 「分かればいい、わかれば。あのバカに関わるとみんなロクなことがねえからなァ、アンタらも被害者だ!」

 多賀は憮然とした顔だったが、その言い方は勝ち誇った言い回しだった。


 溶岩のように煮えくり返るハラワタを必死に抑え込みながら、二人のマル暴は先ほど来た首都高を今度は南下した。頭の中はアノヤロウ、コノヤロウ、締め上げてやるの文字で溢れ、目は見開いていた。所轄署に着くと裏口から階段を一気に駆け上がり、石井ちゃんのいる三階の小部屋のドアを蹴飛ばす勢いで開けたのだった。

 「石井ぃ!テメエ、コノヤロウ、舐めたマネしやがって、どういうつもりだァ」

 「ふざけたマネしやがって!」

 と二人が怒鳴ったかと思うと、一人が石井ちゃんの後ろに立ち、一人がテーブルを挟むようにして正面に回り込むと、両手に有らん限りの力を込めテーブルを叩いた。バーンともドーンともいわれぬ音が部屋中に響き、おもりをしていた若いマル暴がのけぞった。石井ちゃんはいつもの条件反射で立ち上がると、有らん限りの声を出して

 「ゴメンナサーイ」

 と言いながら、得意の電光石火の早業で土下座をしたのだった。額はいつものように床に擦り付けた。

 前と後で仁王立ちのマル暴は、先ほどらいの優しい事情聴取声から一変して、厳しい取り調べ口調になった。まさにマル暴の本領発揮である。石井ちゃんの背中にクリカラモンモが入っていることが、その口調を一層激しくさせる要因となったことは、間違いない。

 「アアーー、ごめんなさーい、ごめんなさーい」

 泣き叫ぶようにして土下座をする石井ちゃんの前に、一人のマル暴がしゃがみ込むと今度は一転して優しく肩を撫でながら

 「今日はここにお泊りをして、お巡りさんの大事な業務を妨害したことについてゆっくり話し合おうな、いいな。夜は美味しい麦飯に薄ーい味噌汁と御新香のフルコースを御馳走してやる。あしたの朝はコッペパンにマーガリンを付けてご馳走するからな。ああそうだ、美味しい白湯も付けてやるぞ。嬉しいだろう、良かったな。ン」

 と言うと、石井ちゃんは擦り付けていた顔をあげるて上目づかいに

 「かつ丼がいいです、麦飯は嫌いです。それならいらないです、帰りますから。あまり心配しないでください」

 と自分の立ち位置も分からずに言ってしまった。この一言は、静まりかけていたマル暴活火山に原爆を投げ込む行為に等しかった。

 「イシイ!てめえナメてんのかぁコノヤロオ!絶対帰さねえぞオォ」

 この雷鳴のような声は建物一階まで響き、免許証の更新手続きに来ていた一般住民は一歩後退して息を呑んだ。石井ちゃんのお泊り確定!の瞬間であった。

 

 白く分厚いコンクリートの壁の中で一人寂しく石井ちゃんがうなだれていた頃、千葉の怒りが時間と共に込みあげてきた。頭の中はアノヤロウ、コノヤロウが渦巻く混沌世界である。そんな時、一人の女神が千葉の頭に降臨し、怪しい知恵を授けたのだった。

 そうだ、今日のこの会話を頓田土木の社長に話し、石井という男が角丸親分の縄張りを広げ、命までを救った大恩人だと言っていたが知ってるか?石井はたいそう自慢していたぞ、と言えば、頓田から組長に話が伝わり、組長から石井を懲らしめてもらうことができる、という、何とも子供じみた告げ口的な外交戦略だった。南朝鮮のパクリ大統領と以下同文、思考がない脳回路だった。

 頓田土木の頓田博史は千葉が仕事でよく使っている下請け業者で、誰が見ても焦がしたタヌキの置物に目だけはキツネ目というような印象を持つ。体躯はデップリとしていて、歩くときはいつも腹を突き出してガニ股で歩く御年60歳。この人ほど作業着と長靴が似合う人も珍しいと、業界の評判であった。どちらが年上かは分からないが、角丸親分とは竹馬の友である。

 夜の10時に近かったが、千葉は携帯電話を取り出すと躊躇することなく頓田社長に電話した。

 「今大丈夫か、そうか、何だか賑やかな声がするが。エッ飲み屋、スナック?ああ大丈夫ね、で話はね。・・・と、いうわけで、最初は組長のことで笑いながら行ったんだが、その後が参ったよ・・。でも何だなあ、親分もあんないい加減なバカに頭が上がらないとは、ねえぇ・・」

 から始まった会話はニ十分にも及んだ。

 その会話の中で千葉は、石井ちゃんが言った縄張り拡張の的部分に出来るだけ大きな尾ひれと胸びれをつけて、面白おかしくバカにした口調で話したのだった。そして最後に 

 「これを親分が聞いたら『そうだそうだ、命の恩人だ』って言うんだろうなぁ、全く」

 と言って締めくくり、電話を切った。頓田は〇☓△で酔っていた。


 翌朝、頓田は何か昨夜面白い話を聞いたような気がしたなあ・・と気にかかる記憶があるものの、イマイチ良くわからないでいた。昼近くになってアルコールが抜けかけてきた頃になって、ようやく千葉からの電話であったことを思い出したのだ。

 夕方になって仕事の片づけを済ませると、何だか意味もなく無性に親分に昨夜の千葉の話をしたくなってきた。頓田は酔っていた〇☓△の点と点の記憶を針金で結ぶようにして、話の筋道を辿るのだがイマイチ繋がらない。それでも角丸組の親分が、石井とかいう男に縄張りを広げてもらい、今ではすっかり頭が上がらない?らしい、という内容だったことだけは記憶にあったので

 「久しぶりです、頓田ですが」

 と電話を入れたのだった。

 千葉の尾ひれ胸ひれの面白話は、頓田の曖昧で不確かな記憶で増幅拡大されて親分に伝わった。千葉のメダカの話が頓田の頭の中では鯉になり、さらに業界人である親分の頭の中では、鯉がクジラとなって記憶されたのだった。今の組とシマは石井が作っただとぉ、俺が石井に頭が上がらなくてペコペコしているだとォ、オレの命までも救ってやった大恩人だとォ、角丸組はいつでも自由にできるだとォ、メンツにかけても許せねえ、ぶっ殺してやる!の話になっていた。

 男の世界で生きる親分である、メンツは潰せない。角田組長はごくごく単純に、しかもあっさりと、千葉の告げ口的外戦略にサメのように喰らいついてしまったのだ。そして三人の若い衆を呼びつけると業界用語的に

 「オイ!あのォ石井を連れて来い!」

 と、声低く命じたのであった。


 この日の夕方、1泊2日のお泊り体験学習を終えた石井ちゃんが、港署の裏口から放たれた。

 「いいか石井!二度とふざけた真似をするんじゃぁねえぞ。二度と警察の手を煩わすなよ、分かったな。今度同じことをしたら1泊ではすまねえからな、いいな、覚えとけよ」

 の、温かいはなむけの言葉を贈られた石井ちゃんは、青菜に塩となった体をピンと伸ばして頭を下げると

 「すみませんでした」

 と一言いった。

 そして今の自分の立場がどうなっているか全く知らない石井ちゃんは、我が家がある松戸へと向かったのだった。


 親分の勅命を受けた若い衆三人は、その足で石井ちゃんの家に行き、昨夜港署に泊められて今は不在だが夜までには帰ってくるとの話を息子から聞いたので、即刻クルマで駅へと向かった。改札口で夜の7時まで待っていると、鼻歌交じりの石井ちゃんが鼻クソをほりながら改札口から出てきたのを確認すると、気づかれぬように後をつけた。

 改札口を出た乗客が徐々にではあるが減り始めた頃、目で合図を送った一人が石井ちゃんの前に素早く立つと、残る二人も素早く石井ちゃんの左右に並び立ち、しっかりと両腕を抱えた。

 「な、何ですかなんですかアンタたちは?もう警察は終わりました」

 「オイ石井、昨日東京に行く車の中で、角丸組のシマをデカくしたのは自分だとか、自分がデカくしたシマを角丸組が横取りしただとか、親分の命を救ったのは自分だとか、親分は自分に頭が上がらねえからいつもペコペコしているだとか、たいそうな御託を並べてくれたそうじゃぁねえか。ええ、いい度胸だ。ちょっと付き合ってもらうよ」

 と、正面の若い衆が低めの声で言った。

 「知りませんよ、そんなこと。誰が言ったんですかそんなこと、自分、知りません」

 「うるせぇ!今から事務所に連れて行く、分かったな。おとなしくしろ、親分が待ってる」

 と言われても、おとなしくできない石井ちゃんは、親分が待っているの言葉で全身の力がみなぎり、左右の男を強引に振り払うと、目の前にいた若い衆の鼻にパンチ一発喰らわせた。若い衆はボキッという音とともに鼻血を噴き上げてのけぞると、すぐに両手で鼻を押えてその場にしゃがみ込んだ。

 そこに腕を振り払われた二人の若い衆が体制を整え、また石井ちゃんの左右の腕を抑え込もうとしたので、二人続けて鼻にパンチを喰らわせた。二人の若い衆も鼻から音と血を出して、その場にうずくまった。もう三人は自分を追っては来ないだろうと思った石井ちゃんは、ゴリラとは思えぬ脱兎のごとき速さで駆け出した。玄人には何故かめっぽう強いのである。


 「アア、あっ今野さん俺ですオレオレ」

 「あー石井さん!石井さん昨日はとんだことをしてくれたよねぇ。あれから家に帰ってきたら警視庁のマル暴が来ていて、俺のことヤクザだ、傷害容疑で被害届が出ているとか、もう大変だったんですよ。多賀さんなんか血圧上昇で顔を真っ赤にして、怒鳴るわ吠えるわで、ホント大変だったんですから。どうしてくれるんですかホントに!一日たってもこっちは頭に来ているんですからね、全く」

 「ああスミマセンすみません、自分も警察に一晩泊められて・・それで・・」

 「それは自業自得でしょ!当たり前のことです、当然の報いです。もっと泊まってくればよかったのに、何で出てきたの」

 「アアそれは、そうですよねぇ。アアそうじゃなくて、それより自分、いま角丸組の親分に狙われているんですよ。今そこの若い衆に襲われて大変だったんですから。ホントです、ウソじゃぁないです」

 「それは良かったね、芽出度しめでたしじゃあないですか。で、何で狙われるの。また親分の女にでも手を出して、孕ませたの?」

 「アアそうじゃあないんです。違うんです、そうじゃあないんです。自分が駅から降りてきたら、若い衆が三人で自分を囲んで、オイ昨日東京に行くクルマの中で角丸組のシマをデカくしたのはオレだとか、親分は俺には頭が上がらないだとか、たいそう立派な御託並べてくれたなァ。今から事務所に来い!親分が待ってる、なんて言うんですよ。ホントです」

 「・・それで」

 「それでいっしょうけんめい謝って謝って、許して下さい、ごめんなさいと頭を下げて、やっと逃げてきたんです」

 「良かったね、親分の女に手を付けた事がバレてなくて」

 「そうじゃぁないんです。誰が角田親分に言ったんですか、クルマの中の事。今野さんですか?多賀さんですか?」

 「そんなこと俺は言ってないよ、第一角丸組なんて知らないもん。多賀さんだって知らないよ、角丸組なんて」

 「じゃあ・・アッ、あの時しゃべっていたのは千葉さん?・・千葉さんだ!千葉さんのところ知っている」

 「知らないよ。多賀さんに聴いてみたら、多賀さんなら知っているよ」

 「多賀さんに電話なんかできません。殺されます。ホントに、ほんとに殺されます」

 「それ、み~んな自分が悪いんじゃあないの、自分が。いい加減なことを言ってトンズラするから」

 「・・・そうです、そうです。警察にも言われました・・」

 「当然だよ、じゃあ切るよ」

 「アアぁ待ってください、待って。実はあと一つお願いが」

 「何ぃ早く言って、もう話もしたくもないから」

 「じつは、この携帯電話、多賀さんに返してください、お願いします」

 「返すって、じゃあ自分で返えせば。返すと言いながら、今もこうして話していくせに」

 「アアぁ、そうじゃぁないんです。今夜中に今野さんの家のポストにビニール袋に包んで入れて置いときますから。だから今野さんから返して下さい。お願いします、頼みます」

 「そんなの自分で返せば」

 「アアぁ、自分は家に帰れないのでこれから逃げます、追われているので逃げます。多賀さんには会えませんから、お願いします今野さん」

 「わかった、逃げるんだね。それではガンバってね」

 「ハイ、ガンバリます」


 この電話の後コンちゃんは多賀に電話をかけ、携帯電話の件と石井ちゃんが逃げなければならない今の立場を、昨日の車中の会話を基に推測を交えて話をした。

 「まあ、あのバカがやったことだから、身から出た大サビだから当然と言えば当然のことだよ。どこでも好きなところに逃げればいい。バカと関わっていると時間と金が無駄になる。あのバカと関わっていない方が早く700万回収できるかもなァ。まあバカは死ななきゃあ治らないが、あのバカは死んでもバカだからどうでもいい」

 「そうですね。それと携帯電話ですが、今度会った時に返しますが、その時でもいいですか」

 「その時でいいよ、どうせ石井専用の首輪携帯だから」

 「分かりました、じゃあそういう事で今度会った時に渡します」

 「ハイよ、宜しく」


 夜の10時近くになった頃に、多賀から電話が入った。

 「有賀か、今大丈夫か、そうか。じゃあ、面白い話を聞かせてやろうか」

 「面白い?もしかして、真っ白な犬がいました、尾も白い、面白い!なんてつまんねぇ事言うなよな」

 「あーオモシロイ。ボケ、そうじゃなくてもっと面白い話だ。あのバカ石井が、松戸のヤクザに追われて逃げてるってよ。どうだ面白いだろう」

 「マアな。で、何で逃げているんだ、また女か?で、何処に逃げたんだ」

 「知るかそんなモン。でも今度会ったら詳しく話してやるよ、俺もいま今野から連絡があっただけで詳しくは知らないんだ。でな、話はな、今回バカのために有賀にも営業権利譲渡契約書を作ってもらったりして、何かとやってもらったんだが、結局1円の金にもならなかった。だから少しでも元が取れればナァと思って、それで電話したんだよ」

 「何だよ、その元取る方法って?石井ちゃんから金なんかとれるのか」

 「そうじゃぁなくて、あのバカを主人公に小説を書くんだよ、小説。あんなバカは有史始まって以来のバカだから、題材になる。世の中のほとんどの人が、見たことも聞いたことも無い様な歴史に残るバカだから、売れる!それで今回の費用の足しにでもしたらどうだ」

 「そんなことかぁ、アァでも分かった、後で聞かせてくれ。何とか金になるようにするよ。ありがとナ」

 「ああガンバレや。じゃあな、儲けたら俺にも飲ませろよ」

 「取らぬタヌキ話は、中山の詐欺爺で懲りている。金が手に乗ったら電話する。お休みな」

 「アァお休み」


 有賀は電話を切ると、今までの無駄な時間がもしかしたら金に換えるかもしれないと思えてきた。多賀が言うとおり、石井ちゃんほど滅茶苦茶な人間は見たことも聞いたことも無かった。ただ小説にしたとしても「よくこんなにいい加減なストーリーがおもいつきましたね」で終わってしまうだろう、実在する人物、モデルがいるとはとても信じてはもらえないだろう、とも思えた。

 「絶対フィクションだと言うよなァ、信じてはくれないだろうよなァ」

夏の夜の、ため息交じりの呟きだった。

 


 

 

 



 



 

 


 


 












  

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