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語り手は本心を隠す

この世の何ものも信じてはならぬ

作者: 悠井すみれ

 この花を、妹の墓前に供えるのだ。あれが好んだこの国の花だ。今はまだ蕾だが、そなたが道中欠かさず水をやれば、あちらに着く頃には花開くだろう。

 忘れるでない、口に出すのは言うまでもなく、胸のうちであっても叔母上様などと呼びかけてはならぬ。そなたは我が娘に違いないが、正妃腹ではない。庶子風情に気安く呼ばれるのは、あれはきっと嫌がるだろう。我が妃に目通りする時のように、といえば分かるはず。余人に対する時も必ずそのように話すが良い。


 そなたのことだからさして心配はしていないが。そなたは私の子供たちの中でも特別賢いようだ。愚かな振りをするのが自身の益になるとわきまえられるほどに。

 また可愛げのない顔をしたな。褒められたのは嬉しいが見透かされたのは悔しいか。だが、そなたを育てたのはこの父だ。如才のなさを自分の手柄と驕るなよ。

 我が父が娘を育てるのに失敗したのを見ていたからな。妹を見ていてつくづく思ったのだ。女は下手に学があっても面倒を起こすだけだとな。


 とにかく、この縁談がととのったのもそなたの見た目の無害さゆえだ。

 そなたの母は王妃よりも美しかったし、礼儀作法は王女たちと共に学ばせた。何よりへりくだって周囲を立てることを知っている。他国に出しても何も恥ずかしいことはない。

そのように仕上げた父の教えに感謝するが良い。縁談の相手も庶子ではあるが王の子だ。下手に国内に嫁ぐより、生涯我が妃の影に怯えるより、よほど恵まれた縁であろうよ。

 そうだ、感謝というなら我が慧眼に対してもだ。そもそもそなたの婿が生かされたのも私の助言によるものだ。妹は大変扱いやすい女だったから。王の移り気を許してこそ王妃の器、と。そう囁くだけで、あれは淫売の子の母親代わりを承知した。


 あれは、正論でさえあれば必ず通ると思っているところがあったからな。図に乗った愛妾やその落し子は罰して当然と言い出しかねなかった。我が妃でさえ、胸の内ではともかく人前でそのようなことを口に出さない程度の分別はついているのだが。せっかく寛容を演じ民の支持を得る機会だったというのに、自ら無にしようとしていたのだ。

 女の知恵など所詮その程度のもの。あれがもっと上手く立ち回っていれば何かと楽に運んだろうに。




 まあ、妹の浅はかさもそなたの教訓になると思えば悪くない。それに、後知恵ではあるがそなたの嫁ぎ先としてもちょうど良かった。庶子、しかも女とあっては人並みに伴侶を得るのにも苦労するもの。娘のために心を砕いた父の恩義を、ゆめゆめ忘れることのないように。

 だが思い上がるな。そなたのためだけという訳では決してない。一国の王たるものが庶子のためだけに動くことなどありえないのだから。そなたは自身の幸せなど考えてはならぬ。夫となる者のことさえ二の次だ。


 そなたが嫁ぐのはただ我が甥と姪のため。愚かで哀れな妹が遺した正統な王子と王女のためだ。

 義弟は――あれを弟と呼ぶのは忌々しいが――どこまでも情に流され易きに流れる男で信用ならぬ。聞けばあの淫売の子を、最初は母がいないから、次は日陰の身だからといたく贔屓しているとか。相変わらず見たいものしか見ようとしない男だ。母がいないのは甥たちも同じことだというのに。妹はあの子供を我が子と同じように育てたというのに。……それもあれの愚行の一つではあるが。


 嫡子と庶子とは厳と区別して育て、立場をわきまえさせるのが上に立つ者の役目。王妃の実子のみが世継ぎ足り得るという法を曲げてはならぬのは言うまでもないが、庶子にいらぬ期待を抱かせるのも酷だろうに。


 その点そなたは出来た子だった。菓子や絵本を選ぶのも、いつも王女たちの後からだったな。その方が同情を集めると知っていたからではあるだろうが。ところで妃がそなたを睨んでいたのには気付いていたか? 卑しい姿を晒そうものならここぞとばかりに皮肉ってやろうと思っていたのに、あてが外れて口惜しかったのだろう。まったくそなたは幼い頃から見事に自分というものをわきまえていた。

 それでも我が妻は表立ってそなたやそなたの母を不当に貶め嫉妬心を露にすることはなかった。意地なのか誇りなのかは分からないが、そなたには敢えて関わらず、自身の子供たちを立派に育て上げることで王妃の格を見せつけた。


 ところが妹にはそれができなかった。

 自身の子もいなかったくせに、王の娼婦への敵愾心から王妃の務めを忘れたのだ。あの女から生命ばかりでなく子供も奪い、慈悲深い母親を気取って勝ったつもりになったのだ。賢いようで、あれはいつも誰より愚かでただの女だった。

 そなたは違うな? 私はそなたをきちんと躾けたはずだ。正嫡たる甥や姪、そなたにとっては従妹弟たちのために自身を投げ出すことを厭いはしないな? そうだ、流石は我が娘だ。それでこそ今日まで育てた甲斐があるというもの。




 愚妹と義弟が揃って私生児を甘やかしたおかげで、あちらは少々混乱しているようだ。王と王妃以外の子が玉座を継げる道理などないというのに。あの娼婦の子、義弟の不実の証、そなたの婿となる者の周りには、後ろ盾に名乗りを上げ、おもねる者が後を絶たないとか。正妃が命を懸けて産んだ王子を蔑ろにするとはまったくもって嘆かわしい。王があれでは無理からぬこととはいえ、臣下の風上にも置けぬ不忠者どもよ。


 そのような下衆どもはそなたにも擦り寄ろうとするだろう。が、付け上がらせてはならぬ。

 何を贈られようと何を約束されようと、決して心を動かされるな。そなたはあの淫売とは違うはず。何が夫の、国のためになるか区別がつくはずだ。

 何も分からぬ振りをしながら追従をかわせ。無邪気な振りで邪な企みを挫くのだ。夫に対しても、万が一にも分を越えた夢を持つようなら捨てさせろ。王の気まぐれで生まれた命だ。次の正統なる王のために使うのだと思い知らせろ。

 そして義弟に対しては、権力など恐ろしい、お義母様のようになるのは怖いと涙のひとつもこぼせば良い。そう、あの淫売のことだ。あの雌犬を母と呼ぶなど口の汚れも良いところだが、あの男にはその方が効くだろう。愛妾を悪名に塗れさせ、正妻たる妹を見捨てたことに対して、少しでも気が咎めているならな。本心から淫売の子を庇いたいなら、下手に情愛を見せるべきではないと悟らせるのだ。




 そなたにとっては難しくないことと信じているぞ。何しろそなたは義弟が好む類の女を装うことに長けている。

 義弟は、自分では愚かな女が好みだと思っているのかもしれないが、それは間違いだ。それなら妹が顧みられなかったはずがない。どのように振る舞えば男の気を惹けるか知っていた分、あの淫売の方がまだ賢かった。


 結局、あの男は弱い者が好きなのだ。自分程度の力で守れる者しか守らないのだ。女のため、子供のためと言を左右にしながら、自身が傷つくことは絶対にしないのだ。無傷で片手間に庇護しておいて恩を着せるのがあの男の手管。そのくせ一人前に矜持は持ち合わせているから、見下す相手が必要なのだ。王に生まれながら上を見ようしない。ずる賢く地を這う蛇のような男よ。


 妹に弱さを見せるなと教えたことが心底悔やまれる。異国にひとり嫁いだ女が心細くないはずがないだろうに。義弟は虚勢と傲慢の区別もつかなかったのだ。

 仮にあの臆病者が爪の先ほどでも戦う勇気を持っていたなら、妹は良い助けになったはずだ。何も自ら剣を取って血を流せと言っている訳ではない。あの男の惰弱は遠くこの地にさえも聞こえていた。だからこそ妹の力を欲しがるかと思ったのだが。

 王の名の下に多少の屍の山を築き憎しみを受ける覚悟さえあれば、それ以上の栄光を得ることができただろうに。どこまでも自分ばかりを大事にする男だ。


 妹は、夫がどんな男だろうと決して見下したりはしなかった。むしろ、救いようがないほど愚かならその分だけ、自分が補わなければと躍起になった。兄の忠告も届かないほど。

 不思議と義弟が淫売を庇おうとしたのに似ているな。男と女の間というものは、自分がいなくてはと思わせた方が勝ちなのかも知れぬ。あれが嫁ぎ先で孤立し敵意を買ったのは、半ば以上は義弟のせいだ。

 義弟は恐らく分かっていないだろうが、あれは別に王になれと言われて育った訳ではない。我が母と同じように夫を支えることを至上の喜びとすべく教え込まれていた。あの淫売の遺言の一つに女は男に従うべし、とあったが、王女だろうと王妃だろうとそれは変わらない。学問も政の知識も王を負かすためでなく王を助けるために与えたものだ。義弟は妹を恐れる必要などなかったのだ。

 流石は王妃、お前のお陰だとことあるごとに言ってやれば、あれは夫のために何でもしただろうに。そこらの女の機嫌を取るために衣装や宝石を見繕うより、よほど手軽に心を奪うことができただろうに。妹を動かす鍵は至極分かりやすかった。あの男は探そうともしなかったようだが。




 過ぎたことはもう言うまい。妹とは違う意味で義弟も御しやすい男であるのは事実。今はそれで十分だろう。

 そなたの相手は夫というよりも義父であるあの男だと心得よ。愚鈍だろうと怯懦だろうと、あの男がまだ王であるのは事実なのだから。世継ぎを決めるのもまたあの男の胸先三寸にかかっている。

 か弱い風情と涙で訴えるのだ。庶子は王の血を引いてはいても王族ではないのだと。望むのは市井の幸せだけ、過ぎた権勢など恐れ多いと。それよりは正嫡の子たる王女と王子に愛を注げと。

 それでも義弟が妙な気を起こす気配を見せたなら、この父のことを思い出させろ。あの男が今も生きて玉座にあるのは私がかつて容赦したためだけに過ぎぬとな。そなたは私に少し似ている。それは妹の面影もあるということ。その気になればあれのように強気な表情もできるだろう。義弟を再び心胆寒からしめてやれ。




 ほう、生意気にも父を気弱と謗るか。妹に請われてあの国へ軍を引き連れて行った時に、義弟の首を刎ねていたならこのようなことにはならなかったと? 妾の娘に頼るのでなく、自身の剣で甥たちを救えと? 

 女子供の浅知恵で、簡単そうに言ってくれる。


 我が軍が戦えば負けることなどありえない。

 しかし犠牲が皆無という訳にはいかぬ。嫁いだ以上は王女とはいえこの国の者ではない。たかが妹の意地と矜持のために死を命じるなど、斃れた将兵に顔向けできぬ。私がするのは剣を見せて脅すまで。女と女の戦いは、やはり女が終わらせるべきだ。

 第一、かの国を滅ぼしては甥が継ぐ玉座が消えてしまうではないか。


 思い出話の退屈さに言葉を繕うのが面倒になってきたようだな。王であり父である私を前に、不遜な態度を取るものだ。だがもう少し我慢しろ。私が言いたいのはここからだ。死んだ者、愚かな者の話をするためだけに、嫁ぐ前の娘の時間を奪っている訳ではないのだ。


 こういう時の心構えは、本来ならば母から告げるべきではある。しかし、そなたの母は既に亡く、妃はそなたを――本人は歯牙にもかけていないつもりのようだが――好いてはいない。よって父から伝えよう。


 この世の何ものも信じてはならぬ。


 愚かさを盾にすれば許されると信じていた女は愚かさゆえに死を招いた。妹は自身の正しさと血統を信じていたが、夫たる王に裏切られた。信じることが破滅への一歩となるのだ。

わけても愛などに信を置くのはもっての他だ。

 あの淫売が増長したのは愛されているという幻のため、妹が現実に目を向けなかったのは愛されたいという夢のため。義弟が今なお生きながらえているのは口先でしか愛を語ることをしないからだ。

 お前の夫となる者のことを私は知らぬ。しかし、父親に似たなら見た目良く口も回って好ましいだろう。実母に似たなら一見善良で素直に見えるだろう。万一妹の教えが欠片でも残っているならこの父を思い出させて懐かしくさえ感じるかもしれぬ。


 しかし決して気を許すな。その者は甥や姪の、そなたの血の繋がった従妹弟たちの敵にもなり得る者、この世の道理を曲げかねない者だ。愛し愛される夫婦の姿など夢見てはならない。そなたはその者の妻になるためではなく、見張り、時に操るために傍にあるのだ。愛などという不確かなものに溺れて、父の期待を裏切ることなどないように。


 誓いだの結婚だのという言葉は女の耳には大層心地よく響くらしい。妹でさえ惑わされていたのだから、庶子に生まれたそなたには尚更だろう。

 しかし実母のことを思い出せ。あの者はそんなまやかしは望まなかった。愛も、いかなる約束も。だからこそねだられずとも何かと便宜を図ってやろうという気にもなったし、最後まで寵を失うことなく生を全うできた。私を信じていなかったからこそ、徹底してこの私を利用したのだ。そして私も同じこと。我らの間に愛などなく、あの女がもたらす快楽に相応の報酬を払っただけに過ぎない。

 この世では信じない者こそが勝利し、幸福をつかむことができるのだ。父と母から見習うが良い。




 何がおかしくて声を立てて笑うのだ? 年頃の娘がはしたない。


 ……そうか、やはりお前は賢しいな。再び会えるかは分からないから、特別に放言を許してやろう。

 そうだ、何ものも信じてはならぬからには、父の言うことでさえ信じてはならぬ。

 それだけ頭と口が回るなら安心できる。どこへ行ってもそれなりに役目を果たすだろう。

 さあ、今宵はもう休むが良い。この花はここに置いて行け。旅立ちの時にまた渡そう。

 明日こそ永の別れになるはず。最後に見せるのが寝不足で腫らした顔だった、などと許さぬぞ?

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