【97】
【1】
「え、お願いですか?」
「そうなんだよ、助けてやってくれよ。どうにも断りきれなくてよ」
春が来て、陽気も良くなった頃。
ある日突然、ヴァスマイヤ村長の次男であるルローがやってきて、頼み事をしてきた。
「姫さんの力なら、ちょちょいのちょい、と解決できるだろ」
「ええ、まあ……」
モニカは少し戸惑った。
彼の頼み事とは、フルスベルグの事だ。
フルスベルグは、山からの水や川が集まるような地形をしている。なので水源が豊富で、少し地面を掘れば、直ぐに水が吹き出るほどだ。
その代わり、ひとたび川が氾濫すれば、多数の村人たちが濁流に飲み込まれ、溺れ死んでしまうらしい。
今年も雪が大量に降った。
すなわち春になれば、雪解け水となってフルスベルグへ流れて行き、ひどい水害が起きることが予想できる。
つまりこの水害に対して、なんとかして欲しいとモニカに頼み込んでいるのだ。
「それにしても、どうして私の事を、フルスベルグの方々が知っているのでしょうか?」
王宮からの追っ手をかわす為に、モニカの存在は隠されていなければならない。従って、村人たち以外は、モニカの事を知らないはずなのだ。それは、村人たちとの約束だ。
「……」
急に、ルローが挙動不審になった。
何気ない一言だったが、彼に何か思うところがあったようだ。
「ルローさん?」
「……」
彼は冷や汗を垂らして、黙っている。
モニカは、ジト目で彼の顔を見つめた。
見つめた。
見つめた。
見つめた。
穴が開くほど、見つめた。
「すまん、俺がばらした」
「……」
ルローは耐えきれなくなったのか、目をそらした。あははと笑って、ごまかしている。
モニカは軽く溜め息をついた。そして、事情を説明するよう、目で促す。
「いや、ちゃんとした理由があるんだ」
「そうですか」
「だから、本当だってば」
「そうですか」
「いや、だから、聞いてくれよ」
「聞いてますよ」
ルローは、それなりに罪悪感があるらしい。このままでは話が進まないので、モニカははっきりと、口で言った。
「分かりましたから、まずその事情というものを教えてください」
「わかったわかった。だけど姫さんよ?」
「……何でしょうか」
「その微笑が怖いから、マジでやめてくれ」
【2】
ルローの話はこうだった。
ヴァスマイヤ村と、フルスベルグ村はそれなりに交流が深く、仲が良い。
ヴァスマイヤ村にとって、フルスベルグは流通の中継地点だ。つまり、ほとんどの物資は、川の名を冠したこの村を通して、運ばれてくる。
また、フルスベルグ村にしてみれば、山からの薪など、生活に欠かせない物を持っていてくれるのがヴァスマイヤ村だ。だから、商売の相手としては、持ちつ持たれつの関係が構築されていた。
その上で血筋の関係もそれなりに深い。
国の規律によって、ヴァスマイヤ村の婚姻に制約がかかる前は、お互いの村に嫁いだり嫁がれたりしていた。
ゆえに、族名は違えど、遠い親戚と言えなくもなかった。
「つまり、あそこの人々は信頼できるわけだ」
「そういえば、前に頂いたワインは、フルスベルグ産でしたね。おかげさまで、体が温まりました」
「そうだとも、そうだとも」
ルローは、うんうんと頷いている。
モニカは納得した。
元々、モニカが匿ってもらえているのは、王家の人間であるという理由からだ。しかし、村人たちの好意があるのも事実。
なぜなら、最悪、ヴァスマイヤ村が戦場になることもありえる。ましてや、不穏な人物も養っているのだ。理由をつけて追い出すことも、不可能ではない。
不満を言えるはずもなかった。
「それにだな、味方は多い方がいい。だろ?」
ルローの言う通りだ。
まだ彼には言ってないが、生き残った王家の人間や、仲間を集め、王宮を攻める計画がある。クヴィラが主軸となって練っている。
「そうですね。貴方の言う通りです」
「よし、そうと決まったら、近いうちに出発だ」
「はい、よろしくお願いします」
【3】
出発の日となった。
旅の参加者は、早朝の日の光が登る頃、村の入り口に集まる事になっている。
モニカたちは参加する者を率いて、村の入り口にまでやってきた。すると、旅に出る村人たちが既に集まっていた。
「お待たせしました」
「よし、じゃあ行こうか」
一緒に行動するのは、村人からは三人だった。
村長の次男坊ルローの他には、気の弱い木こりのタンコ、モニカに心酔しているポニーテールの娘、シュティラだ。今回は人里に出るため、それほど人数を増やせない。
一方、モニカの屋敷から参加するのは、モニカと、その右腕の侍女であるリュミエラ。
そして、狂気の魔術師クヴィラだった。
「事前に話しておきましたが、今回は、このクヴィラさんが作った〈転移門〉を使って、フルスベルグに移動します」
村人の三人が、一斉に疑いの目を向ける。
その視線を浴びたクヴィラは、引きつったような笑いをあげた。
「ク、クククク」
その笑いがより一層、周りを不快にさせる。
モニカは、彼を守るかのようにクヴィラの前に立ちはだかった。
「彼は、悪い人ではありません。私が保証します」
村人たちは何も言わない。
ただ、剣呑な雰囲気は回避されたようだった。モニカは溜め息をついて、侍女に向き直る。
「リュミエラ。今から開けますので、先導を頼みます」
「はい」
モニカは、ブローチを操作して〈転移門〉を開けた。
クヴィラが言うには、このブローチには鍵を掛けた、とのこと。モニカの血に反応して、初めて効果を発揮する。従って、モニカ以外には使いこなすことはできない。どうしても他人に使わせたい場合は、モニカの血を飲ませれば良いのだという。
モニカの短剣についていた王家の紋章を、応用したものらしい。彼の〈付与魔術〉のセンスには、感心せざるを得ない。
「おお」
村人たちのどよめきが上がる。
「では皆さん、ついて来てください」
侍女リュミエラが先頭となって、一行は〈転移門〉をくぐった。
【4】
一行は何事もなく、フルスベルグにたどり着いた。
問題があったといえば、クヴィラが列から大きく外れて後ろを歩いていたぐらいか。嫌われているのを自覚しているのか、ただただ沈黙していた。
「早ぇーな」
村長の次男であるルローが、仕切りに感動を口にしていた。
本来なら、徒歩で一週間はかかる道のりを、半日で踏破したのだ。半日もかかったのは、リュミエラが気をきかせて、フルスベルグ近くにある東の小山に設置してくれていたからだ。これなら、周りにバレることなく、山から来た旅人のように振る舞える。
「じゃあ、タンコ。行こうぜ」
「うん」
「姫さん。少し待っててくれ。野暮用を済ませてくる」
「はい」
木こりのタンコが背中にマキを背負い、ルローと共にフルスベルグ村に入っていく。彼が言うには、来たついでにマキを売っぱらう、ということらしい。
ちゃっかりしている。
モニカは、遠目で二人の様子を眺めていた。
ふらふらと雑貨屋らしき建物に入っていく。そのまましばらく待っていると、手ぶらで出てきた。うまく売買が成立したのか、二人の顔がにこやかだった。
「どうでしたか?」
「ふっふっふ」
ルローが自慢げな笑いを浮かべて、親指を天に向けた。
「今季の冬のお陰でマキの需要が上がってたってよ。結構良い値段で売れたぜ」
「そうですか、それは良かったですね」
「お、おいらじゃあ、うまく交渉できなかったから。アニキのおかげで、もごもご」
タンコは、もじゃもじゃ頭を掻きながら、仕切りにルローを褒め称えていた。というか、いつの間にか、ルローへの呼び名がアニキになっている。
いや、元からだったか?
とにかく、仲が良さそうで何よりだ。
「うむ、それでだな。一応、村長に顔出しに行こうと思うのだが……」
ルローが言葉を濁らせて、クヴィラの方に目を向けた。何かしでかすのではないか、と危惧しているようだ。彼が何をやってきたのかは漠然としか教えてはいないが、なんとなく狂気のオーラは分かるらしい。
その様子を感じ取ったのか、クヴィラは笑いながら、両手を上げた。
「ク、ク、ククク。何もせんよ」
ルローはその様子を一瞥してから、モニカの方を見る。
「大丈夫です。私たちのやることは、水害を鎮めることですから」
「だと、いいけどな」
ルローは村長の次男といえ、ここではヴァスマイヤ村の代表だ。二村間のトラブルは、極力避けたいはずだ。気持ちは、痛いほどよくわかる。
「じゃあ、行こうか」
【5】
一行は、ルローの案内で、フルスベルグ村長の家にたどり着いた。
村長の家は、幾つかの密集している住宅街の中央にあった。その周辺は広大な農地が広がっている。見渡す限りの、狩り終わったブドウの木が立ち並んでいる。
「村長、ヴァスマイヤのルローです。約束通り、水害を鎮めに来ました」
「おーおー、小僧。よく来たな」
家の中から現れたのは、でかい体をした老人だった。
ルローと再開のあいさつを交わしてから、モニカの方を向く。
モニカは既に体が染み付きつつある、王族のみに許された挨拶の仕草をする。
「どうも、私は王家の末席に所属しております、モニカと申します。以後、お見知り置きをお願い致します」
「そうですか、貴女が噂の姫さまですか。儂は村長イングベルド=フルスベルグ。この度はわざわざ、儂の村にようこそおいで頂き、光栄の至りです」
噂の……?
モニカは、村長の言葉に引っかかった。
横目で一瞬だけルローの方を見る。彼はあらぬ方向を見て、知らんぷりをしていた。この様子だと、随分と言いふらしまくっていたらしい。
おい。
この男、一体どうしてくれよう?
……いや、終わったことだ。
彼のことで引きずっても、仕方ない。
「ええ。彼の話を聞きますと、フルスベルグは毎年、水害に悩まされているとの事。この私が微力ながらも、お手伝いできれば、と思います」
「姫さまにそこまで言って頂けるとは、大変心強い」
イングベルド=フルスベルグ村長は、神話の巨人からつけられた名に恥じぬ巨体を揺らした。
「もし、今回の件で必要な物があれば、できる範囲で用意させましょう」
「いえ、大丈夫でしょう。必要な物は自前で用意してあります」
「それならば、成功した場合の報酬をですな……」
「いえ、それも結構です。それに、私たちが成功したとして、一体誰がそれを確かめられるのでしょうか? 結果が出るのは、今年の春を過ぎてからでしょう?」
「なるほど。いや、しかし……」
村長が口ごもった時、背後から声が聞こえた。
「ならば、ブドウ酒を寄越せ」
クヴィラだった。
モニカは慌てて、口を挟んでフォローをする。
「そうですね。確かに、前回頂いたブドウ酒が大変、美味で、村人全員で楽しく飲ませて頂きました。もし報酬を頂けるのならば、それで充分です」
「なるほど。それは、それは、儂たちも望外の喜びです。ではそのようにしましょう」
イングベルド村長は気を悪くした様子もなく、受け答えた。モニカは内心ヒヤヒヤとしたが、無事に会話を繋ぐことができたようだ。
すぐさま、ルローが横から割って入った。
「村長、川に関する話が聞きたいんだが」
「小僧、少しは儂に遠慮せんか! もう少し、姫さまと話がしたかったのに!」
モニカは微苦笑を浮かべた。そして一歩下がり、話を聞く側に回る、という意思を示した。
村長は、少し残念そうな顔をしながらも、ルローの方に向き直った。そしてルローと村長とで、今回の依頼に関する情報交換をすることになる。
フルスベルグ村には、中央に走る巨大なフルスベルグ川の他、中小様々な支流がある。しかし、上流に遡って行けば、全ては一本に通ずるのだという。
従って、モニカたちはまず、フルスベルグ川に沿って、南下していく。そして、全ての支流の合流した地点に到着した時点で、細工をしていくことになる。
「分かりました。これだけ情報があれば、この〈依頼〉も完遂できるでしょう」
「ああ、小僧。よろしく頼んだぞ」
モニカ一行は、丁重に村長に礼を言いつつ、その場を離れた。
【6】
左手には、ゆっくりと流れるフルスベルグ川が見える。太陽の光に照らされて、キラキラと輝いて見えた。川辺の両端には、取水器が取り付けられ、そのまま畑や農地へと水を引き寄せている。
もうすぐ、この水かさが増して村に大災害を及ぼすとは、にわかには信じられない。
「ということでだ、このままこの川に沿って登っていくことになる」
ヴァスマイヤ村長の次男坊であるルローは、先頭に立って、全員に向かって宣言した。
その考えに反対するものはいない。各々が各々の仕草で同意した。
「ええ、構いません。それより、さっきの……」
モニカは、気になった事をぶつけてみた。
ルローは、とぼけた感じで肩をすくめる。
「姫さん、何だ?」
「いえ、その〈依頼〉という表現が気になったので……」
〈依頼〉には、頼まれ事という意味の他、新しい事に挑戦するという意味合いも含まれる。確かに、この場面では的確な表現のように思えた。
「ん、気に入らなかったか?」
「いえ、逆です。何か新しいことをするって凄くワクワクするのですが」
「はは、そうか。気に入ってもらえて良かった」
モニカは、無邪気に笑っていた彼の姿が、妙に印象に残った。




