【96】
【1】
春が来た。
雪が溶け、村が開かれた。もはや、雪除けのフードを被らなくても、外を出歩けるようになった。
元宮廷魔術師クヴィラは、間もなく栄養不足と凍傷から完全に立ち直った。ベッドから起き上がり、屋敷の中を歩けるほどになっている。
その痩せ細った体とは対照的に、目はギラギラと輝かせていた。その根元が復讐であるとはいえ、生きる気力に満ちているようだ。
そのクヴィラが、アクセサリが欲しいと言ってきた。用途を尋ねると〈魔法付与〉をしたいのだという。
それぐらいなら問題ないだろうと、モニカは手持ちのブローチを手渡した。それから彼は部屋に閉じこもって、何かを作り始めた。
そして一月が立った今日、部屋から飛び出してきた。そしてモニカを見るなり、ブローチを投げ返してきたのである。
「これは……?」
モニカは手に持っているブローチを、ただただ眺めている。〈魔法具〉とのことなので、モニカは〈魔力感知〉を使ってみた。すると、綺麗な正二十面体の魔法陣が積層している様子が見えた。
「〈転移門〉だ」
「……転移系の魔法ですか?」
転移系の魔法は扱いが難しい。何より、完全に理解されているものではない。
というのも魔法陣自体は〈時空の精霊〉と呼ばれる存在を仮定して、作られている。しかし今だに、直接意思疎通できた魔術師はいない。
それゆえか〈時空の精霊〉は、本当にいるのかとよく議題に上ることが多い存在だ。
「そうだ、説明するより見た方が速い。貸せ」
モニカは、言われるままにブローチを再び彼に手渡した。
クヴィラがブローチを操作すると、空中に人が二人入れるほどの黒い穴が出現した。穴の中には、岩壁で囲まれた通路が見える。
「これは、どこに繋がっているんですか?」
「どこにも繋がっていない」
「どういうことですか?」
クヴィラは質問には答えず、穴の中に飛び込んで行った。振り向きもせずに通路の中を歩いて行く。
「ついてこい」
モニカは、渋々と彼の後を追って、穴の中に入っていった。
【2】
クヴィラは迷うことなく、通路を歩いていく。
モニカは、黙って彼の後ろについていった。そして幾つかの分かれ道を通り過ぎた後、ついに行き止まりに到達した。
「まあ、ここが良かろう」
入り口から随分遠くまで来た。
もしも、ここで彼に襲われたら助けを呼べないだろう、と一瞬だけ頭をかすめた。だがまさか、そんなことをするはずがない。
モニカは、頭を振って邪念を追い出した。
「えっと?」
「お前の話を聞いて、思いついた」
クヴィラは、モニカの方を見向きもせずに、魔法を唱え始める。
モニカは一瞬身構えた。だが、すぐに人を害する魔法ではないと感じ取り、構えを解いた。
そんな行動に全く気にも止めずに、詠唱を続けると、岩壁が呼応しはじめた。何もなかったはずの行き止まりに、魔法陣が淡く浮かび上がっていく。
空間が歪み、岩壁に穴が空く。穴から昼の明かりが射し込んでくる。向こうには、クヴィラの部屋が見えた。
「この洞窟は中継地点だ。ここから登録した地点へと自由に移動できる」
クヴィラはそう言いながら、穴から出て行く。
モニカは、彼の言葉を理解するのに少しだけ時間がかかった。そして、魔法の知識を駆使して、彼が何をしたのかを理解した。
「つ、つまり……一度行ったことのある場所なら、自由に行き来できる、ということですか?」
「そうだ」
我に返ったモニカは、慌ててクヴィラの後を追って、穴から出た。
するとクヴィラがブローチを操作したらしい。モニカの背後にあった洞窟の穴が消えさった。
「転移の魔法陣の応用だ。これから役立つだろう。持ってろ」
そのままブローチを投げ返してきた。
モニカは、ただ驚くばかりだった。
「何故ですか? 貴方がお持ちしていればよいのではないでしょうか? ブローチの一つぐらいは差し上げましょう」
「いや」
クヴィラは、首を横に振って拒絶した。
「俺の柄じゃない」
そして、モニカから視線を外して、外を見る。
「さあ、出てってくれ。一人になりたい」
【3】
クヴィラは歩けるようになってからも、部屋に篭ることを好んだ。食事の時間ですら、部屋で食べていた。
食事を運ぶのは、モニカの役目だった。というのもクヴィラは警戒心が強く、モニカ以外の人間には威嚇してくるからだ。モニカの部下も、村人たちも、彼に対して疎ましそうに対応していた。
「ご主人様、あれをまだここに置くのですか?」
ついに、モニカの腹心である侍女ですら、ためらうことなく言い出し始めた。その度にモニカは、クヴィラを擁護する。
「彼は、今の私にとって必要な存在です。このブローチを見たでしょう。きっと心強い味方になってくれますよ」
「そうだといいのですが……」
確かに、彼から受け取ったブローチの効果は劇的だった。
春になって、モニカは再び近衛兵たちを派遣したのだが、ブローチのおかげで情報収集能力が格段に上昇したのだ。より多くの状況が分かってきたばかりか、近衛兵たちがモニカの身辺警護をする余裕すら出てきた。
「それで、今の状況を説明して頂けますか?」
「あ、はい」
侍女は気を取り直して、集めた情報の分析結果の報告を始めた。
その話によると、王宮の状況はかなり変化していた。王家に連なる者で、人間はほとんど殺されるか、幽閉されたようだ。
そして、反乱者たちが国の運営を行っているらしい。その中で、ついに首謀者らしき名前が浮かび上がってきた。
「王族狩りの先頭に立っていた者は、ウダルフリート=レンツ公爵」
「あの人ですか……」
モニカは、信じられないという気持ちと、さもありなんという気持ちの両方を、同時に味わった。
ウダルフリート公爵は元々、王家の人間だった。しかし数年前に〈臣籍降下〉により、レンツの姓を得て、王家から離れた。そして五つある騎士団のうちの、第二騎士団長に収まったのだ。
王家の身分を離れたのは、気性が荒い本人の性質と、結婚の相手が非王族だったからである。ただ、その気性の荒さは、軍人としては非常に適していた。〈精霊の国〉の第二騎士団と言えば、周辺国にとって恐れられている存在だった。
「どうして彼が、身内であるはずの王家に刃を向けたのかわかりますか?」
「そこまでは……。ただ可能性としては、彼の奥様が関係しているのではないか、と考えられます」
「何か、気になることでも?」
ウダルフリートの妻は、ナーシムと言った。肌がやや黒く、異国の娘だったと記憶している。直接は話したことはないが、何度か交流会で見かけたことがある。
確か、ウダルフリートが東の国に遠征した際に、連れ帰ってきた少女だったはずだ。つまり異国の人間だ。ウダルフリートが、彼女と結婚すると告白した時には、王族の皆はこぞって反対したものだ。
自国の血ですら、混ざることに良い顔をしないのに、異国の血となったら、なおさらだ。それでもウダルフリートは結婚すると言い張った。結局、それが王権剥奪の大きな要因となった。
「いえ……どうも消息がつかめないのです」
「理由は推測できますか?」
「分かりません、ただ……」
「ただ?」
「消息が分からなくなる前に、得体の知れない者たちが、彼らに付きまとっていたようです」
「なるほど、それは興味深いですね」
モニカは大きく頷いて見せた。
少なくともウダルフリートの行動には、外部からの干渉があったことは間違いなさそうだ。
「では、引き続き分析の続行をお願いします」
「もちろんです、ご主人様」




