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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【3章】
92/106

【95】

【1】


 厳寒の冬が過ぎた。

 雪が降らない日が続き、降り積もっていた雪原から、わずかに緑が見えはじめた。春の気配が感じられる。

 その間の娯楽と言えば、村人たちとの宴会しかなかった。そこではフルスベルグ村から貰ったワインが振る舞われ、雑談が弾んだ。

 モニカは、彼らの事がよく分かってきた。

 モジャモジャ頭の木こりの名前は、タンコという。

 とても優しいが、かなり気が弱い。その為か、モニカを目の前にすると、どもって上手く話せなくなるようだ。

初冬の冒険では、案内役だったのに、最初の方でリタイヤしたことをいたく気にしていた。


「結果として、村を救ったのです。貴方がいなければ何も始まらなかった。貴方のおかげですよ」

「い、い、いえ、お、おいらの、おいらなんか、何もできなかった」


 話をするたびに、彼は自分を責めるので、モニカは何度でも褒めた。少しでも、自信がついてくれればと期待しながら。


「モニカ姫様ぁ……」


 ポニーテールの女性が、恋する乙女を見るような目で近づいてくる。

 彼女の名はシュティラという。頼りにしていた姉を亡くして以来、誰かに精神的な依存するようになってしまったようだ。結婚はしていない。

 元々レズの気があり、ことあるたびにモニカに抱きついてきたり、キスしてきたりする。

 そのたびに周りが囃し立て、酒の肴にするので、モニカも断りきれずに相手にする。


「ははは。姫さんにも、苦手なものはあるんだな」


 モニカに対して、普通に話しかけてくる男は、ルローといった。

 彼はなんと、ヴァスマイヤ村長の次男だという。自分の親である村長が、モニカに対してあまりに丁寧なので、逆に反抗的な態度を取ってやろうということだったらしい。

 ところが、モニカが素直に受け入れてしまったので、そのままの立ち位置になってしまった。彼が話しかけてくる時は、いつもモニカの侍女や近衛兵の顔が渋くなる。

 魔法もそこそこ使えるが、腕力を使う方が好みのようだ。かなり万能の魔法戦士だ。


「なあ、姫さんよ」

「何でしょうか?」


 ルローは、モニカに話しかけてきた。やや渋い顔で、声のトーンは低い。


「俺たちが助けた男、どうなんだ? 何というか……ヤバイ臭いがするんだが」


 モニカの笑顔が、わずかに歪んだ。

 山奥で倒れていた男、つまり〈山向こうの国〉の宮廷魔術師クヴィラのことだろう。裏切られ、理不尽な断罪をされそうになった為、仲間や弟子を皆殺しにして逃げてきたと言っていた。

 その話が本当なら、かなり狂っている。かと言って全てを話したら、彼を村から追い出されてしまう。だが、このまま野に放つのはもっと危険だ。

 それにモニカの目から見て、彼はそこまで排除すべき人間に見えなかった。野蛮な獣、というより、傷ついて怯えている獣という感じか。


「いえ、危険はありませんよ?」

「本当か?」


 二人の間に、妙な沈黙が降りた。

 モニカは、ルローの目をまっすぐ見据えて答えた。


「少なくとも、私には好意的です」

「……だといいんだがな。ヤツの部屋の前に立っている、姫さんの兵、妙にピリピリしている」


 さすが、村長の次男といったところか。人を見る目がある。

 さて、どう答えるべきか。

 この場面で下手に隠し事をすると、築いた信頼を失う可能性がある。しかも、彼は村長に近しい。彼に何かを告げるということは、村長に知られることに等しい。

 かと言って全てを話したところで、理解が得られるかどうか分からない。

 ふと、彼の瞳の中を覗いてみた。強い意志が感じられた。だが、どんな感情を持っているかはわからない。

 〈精神の精霊〉については、モニカは門外漢だ。精神の精霊を理解することは、常に発狂の危険性を伴う。だから、師匠アルヴィスから禁止され、学ぶことはできなかった。

 人の心の深淵を覗く時、向こうもまたこちらを覗いている。


「俺の気のせいかもしれんな。忘れてくれ」


 ルローは息苦しくなったのか、手を振って話を切り上げようとした。

 やはり、彼には隠さない方が良いのかもしれない。こちらの意図を察してくれる事に賭けよう。

 モニカは少し声を落として、彼にだけ聞こえるように言った。


「そうですね。少々、短期な所はあります。ただ、もしも暴れられたら、抑えられるのは私だけでしょう」


 ルローは振り上げた手を降ろし、視線を地面に向けた。


「……そうか」


 二人は、しばらく沈黙した。

 ちょうどその時、周囲で大爆笑が起こった。誰かが面白い事を言ったらしい。

 モニカは気になって、そちらの方を見た。


「……もうすぐ、春だな」

「そうですね」

「姫さんは、これからどうするんだ?」

「……」


 モニカは、なんと言って良いかわからなかった。かなり複数の意味が込められている、ような気がした。

 王宮から追われたままでいいのか? 復讐しなくていいのか? 狂った魔術師をどう扱うのか? そんな言葉が含まれているような気がした。


「わかりません。ただ、王宮に残してきた者たちと連絡が取れれば……」

「その後は、どうするんだ?」

「……わかりません」


 本当に分からなかった。

 今は冬だ。やる事はない。やる事と言えば、せいぜいクヴィラという元宮廷魔術師の世話ぐらいだろう。

 それは現実から逃げている行為だ、と指摘されたら否定できそうになかった。


「姫さん。俺たちはな、姫さん達だけなら受け入れることはできる。だが、あの魔術師は別だ。受け入れることはできそうにない。だから、なるべく速く、俺たちを安心できる何かを示してくれ」


 だめか。

 モニカの意図を察してはくれなかった。

 だが、仕方が無い。彼らは村の中を維持することで精一杯なのだろう。村の外まで考慮する必要はない。


「はい……」


 それ以降の宴会の談笑は、モニカの頭に全く入ってこなかった。


【2】


 次の日の昼。

 モニカは昼食のスープを持って、元宮廷魔術師クヴィラの部屋を訪れた。

 いつもの日課だ。


「入りますよ?」


 相変わらず返事がないことを確認してから、扉を開けて、中に入った。

 今日は珍しいことに、クヴィラはワインをちびちびと飲んでいた。村人達が持ち込んだフルスベルグ産のワインだ。

 彼は満足気な顔をしている。


「うまいな……」


 モニカの顔をチラリと見て、すぐにワインに目を戻した。再び、舌をチロチロと出してコップを舐める。

 自称、元宮廷務めにしては信じがたい食事のマナーだ。だがモニカには、不思議と「彼らしい」とも思えた。


「珍しいですね」


 モニカが話しかけるも、返事はない。

 持ってきたスープを、ベッドサイドの机にコトリと置く。


「今日の昼食です。ここに置いておきますね」


 いつものように彼は寡黙だった。

 モニカは軽くため息をついて、そのまま部屋を出ようとした。


「待て」


 振り返ると、クヴィラがモニカの顔を真っ直ぐ見つめていた。

 今までにない反応に、モニカは手間取った。


「それでいいのか?」

「はい?」


 全く話の流れが読めない。

 ただ、クヴィラは真剣な眼差しなので、冗談というわけでもないらしい。


「復讐しなくていいのか?」

「……」


 彼の目を見ると、金色に光っていた。精霊を見る時に出てくる〈識別の目〉だ。

 恐らく、モニカの感情を読み取ったのだろう。そうなると、彼は〈精神の精霊〉に精通していることになる。


「……今は、特に考えていません」

「何故だ」


 低く鋭い声が、モニカの胸に突き刺さる。

 何故だろう。

 モニカは一族、両親、兄弟、姉妹の事を思う。わずかずつだが、現実を受け入れ始めたのか、半年前と比べて胸が張り裂けそうな思いが強くなってきた。

 だからといって、反乱した貴族に復讐しようという気にはなれない。


「分かりません」

「俺はお前が分からない。何故だ。憎い、殺したい。滅茶苦茶にしたい。そうは思わないのか?」

「そんな気にはなれません!」


 クヴィラは、ワインを飲み干した。

 空になったコップとワインの瓶をベッドサイドに置き、乗り出すようにモニカに問いかけた。


「俺はお前に興味が湧いた。話がしたい」


 今までにはない反応だ。どういうことなのだろうか。

 モニカは、彼の心理を分析する。

 ひょっとして、彼は己の中の獣を持て余しているのかもしれない。その事に何らかの呵責を感じている可能性はある。

 あるいは単純に、男と女の差、だろうか。


「構いませんよ」


 モニカは扉から離れ、彼のそばに座った。

 それから、モニカは自分の心情や状況について語り始めた。クヴィラはたまに相槌を打つだけで黙って話を聞いている。

 気がつけば、話が止まらなくなっていた。自分でも、何か溜まっている物があったらしい。家族の事、兄弟、姉妹のこと、全て洗いざらい話してしまっていた。いつの間にか、目に涙が浮かんでいた。

 恐らくクヴィラが、モニカから一番遠い人間だったからかもしれない。村人達や部下達はいわば身内だ。弱みを見せるわけにはいかない。

 油断の出来ない男ではあるが、ベラベラ喋るような口の軽さはない。その点である意味、安心してしまったのかもしれない。


「不思議だ。理解できん」


 モニカが話を語り終える頃には、クヴィラはしきりに首を傾げていた。


「全く理解できん。それで、お前はどうしたいのだ」

「……」


 また、これだ。

 確かに今は、どうしたら良いのか分からないが、できるなら何も考えたくはない。

 しかし、そんな気持ちにお構いなしにクヴィラは言葉を続ける。


「国の外れに逃がされて、満然と無為に過ごすのか? 飛ばしたヤツも何か目的を託したのでないか?」


 今にして思えば、何の為に師匠アルヴィスはモニカだけを逃がしたのだろうか。

 モニカを転送した〈転送の魔法陣〉は、あの後、間も無く向こう側から破壊された。何か違和感はないか?


「お前の兄を壊した〈奴隷の首輪〉は、俺が国を追われた原因でもある。どこからどこへ流れたのだ? 不思議には思わないのか?」


 彼が言うには〈奴隷の首輪〉は、目の前の彼自身が作った物だという。しかし、それは国が厳重に管理するものであり、ましてや国外に出せるものではないという話だ。

 では、確かに〈奴隷の首輪〉が誰が持ち出したのか。


「俺はたった今、やるべきことができた。俺をはめたヤツらを殺してやる。それには、お前が必要だ。手伝え」


 今までは、クヴィラは死んだような目をしていた。だが今は、怪しい光を放ち、暗い躍動感に満ち溢れている。

 モニカは気圧されるように、首を縦に振ってしまった。

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