表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【1章】
9/106

【09】20歳モニカ、昇級試験を受ける(2)☆

【12】


 モニカは戦闘の準備を始める。


「では〈光の精霊〉を消して〈火の精霊(サラマンデル)〉を呼び出します。一度暗くなるので、気をつけて下さい。」


 通常、複数の精霊を同時に召喚することが出来ない。戦闘中は必ず一つの属性で戦う。

 不便ではあるが、それを最大限に活用する小道具は、沢山持ってきた。


 モニカは〈腰嚢(ウエストバッグ)〉から8枚の火皿を取り出し、自分の周囲に置く。それぞれの油を注ぐ。

 次は小箱を取り出す。小箱から〈燐石りんせき〉を出し、擦って正面の皿に投げ入れた。火が灯る。

 それから〈光の精霊〉を送還した。

 正面の火皿の種火を除いて、辺りは暗くなった。〈火の精霊〉を呼び出す。


「〈火の精霊〉、設置した火皿全てに火を灯して。」


 正面の火皿からチロチロと火の舌が伸び、次の皿に点火する。時計回りに順次、火が点く。全ての火皿に火が灯った。


 ほんのりと辺りは明るくなった。


「来たよ。」

 エリーの声が飛ぶ。


 闇の向こうから影が現れた。

 武装した人型3体と犬型が1体。嫌な腐臭が鼻をつく。顔が腐って溶け落ち、中から骨が見える。眼球は抜け落ち 、眼窩(がんか)が覗く。見えないはずなのに、確実にこちらに歩いて来る。四肢は水死体のように、異様に膨れていた。


「すまん、犬がいた。」

 ハインツはバツが悪そうに謝った。


「いえ、充分です。エリー、十分引きつけてから、私が足の速そうな犬を燃やすよ。エリーは残りをお願い。」


 エリーは無言で剣を頭上にかざす。

 モニカが頷いた。そして魔法に集中する。


「モニカお姉ちゃん、私は……?」

 心配そうなコルの声。


 ハッとした。


 モニカはコルの頭をそっと撫でる。

 13歳の彼女に無理はさせられない。安全な所で戦ってもらえばいい。


「コルちゃんは、エリーの後ろで待機。もし抜けてきたら短剣で対処ね。」

「はい。」


 コルは嬉しそうに、エリーの後ろにつく。それを見届けたモニカは、魔法の準備に入る。


「後ろは俺がいる。前だけに集中しろ。」

「ありがとうございます。」


 背中からハインツの声がする。敵に目を向けながら、受け答えた。


【13】


 モニカは、犬型を警戒する。


 その殺気に当てられたのか、犬型は突然駆け出した。牙を剥き出し、急接近する。


「〈火の精霊(サラマンデル)〉、犬を狙えッ!」


 モニカは叫んだ。

 〈火皿〉の火が大きく揺らめき、〈火球ファイアーボール〉が飛び出した。そのまま犬に投げつける。

 しかし、犬はギリギリでかわす。地面に落ちた〈火球〉は、湿った地面に消えた。


「続けてッ!」


 最初の〈火皿〉は火球に火力を奪われ、弱火になっていた。モニカは次の〈火皿〉から〈火球〉を生み出す。


 かわされた。

 その次。

 かわされた。

 次。

 かわされた。


 モニカは、8枚の〈火皿〉から時計回りに〈火球〉を生みだし、犬に対して弾幕を張った。


 犬型を弾幕で翻弄する。

 近づかせない。絶対に。


【14】


 エリーは、人型を睨んだ。


 モニカの推測した通り、犬型より動きが遅い。これなら、(まと)めて相手にできそうだ。


 スラリと鞘から剣を抜く。


 モニカの意図は分かる。後ろにコルがいる。敵は剣があまり効かない。つまり、剣ではなく盾になれ、と言っているのだ。


 後ろへ敵を流してはならない。

 後ろに下がってはならない。

 後ろを振り向いてはならない。


 剣術でいう〈空間制圧ゾーンオブコントロール〉という技術を使う。敵を威圧し、その空間に入れば薙ぎ払い、押し返す。


 剣の間合いを幻視しろ。

 空間制圧域を定めろ。

 敵の武器に反応しろ。

 制圧域に入れるな。


 精神を集中せよ。

 思考を削れ。尖らせろ。

 現在の動きに専念しろ。

 未来の動きを予測しろ。

 体の記憶を引き出せ。


 来た。


 左の敵。

 槍。

 刃先を叩き落とせ。


 右の敵。

 剣。

 切り上げろ。


 中央の敵。

 短剣。

 そのまま切り落とせ。


 左と右。

 右を優先しろ。

 うち払え。

 左。

 槍の穂先が迫る。

 一歩前に出ろ。

 かわせ。

 回し蹴り。

 敵の鎧に命中。

 蹴り飛ばした。


 エリーは次々と攻撃対象を切り替えた。

 身体より武器を狙う。

 斬りより蹴りを狙う。

 敵に傷をつけるには、武器を掻い潜り、防具の隙間を狙う必要があって危険を伴う。エリーは常に安全圏から剣を振るった。


【15】


 コルも動き出す。


 ただ守られるだけなど嫌だ。

 出来る限りエリーに近づきながら、自分の体内に宿る〈生命の精霊(セフィロト)〉に語りかける。


「エリーお姉ちゃんを助けてあげて!」


 コルの体に淡い光が灯る。光はエリーの体躯に飛び移った。肉体を一時的に休めた同じ効果をもたせ、疲れにくくする魔法。

 ささやかだが、着実に効果を上げた。


【16】


 モニカは〈火球(ファイアーボール)〉の弾幕を投げながら、観察した。


 犬型のかわし方は5通り。

 伏せる。

 一歩下がる。

 右に飛ぶ。

 左に飛ぶ。

 上に飛ぶ。


 この中で隙をつけそうなのは「上に飛ぶ」だ。狙い時を定めた。


 次に観察したのは〈火球〉の投げ方と犬型のかわし方の関係。

 一歩下がるのは〈火球〉が手前に落ちた時。

 伏せるのは顔を狙った時。

 左と右はそれぞれ側面を狙った時。


 そして。

 上に飛ぶのは、伏せている時に手前を狙った時だ。


 モニカは、徐々に弾幕を薄くして火力を温存する。


 手前を狙う。

 一歩下がった。

 顔を狙う。

 伏せた。

 手前を狙う。

 上に飛んだ。


「〈火の精霊〉、今だッ!」

 火を時計回りにじり上げ〈大火球〉を作る。投げた。


 向き良し。

 角度良し。

 タイミング良し。


 命中。


 犬型に着火した。ジュウジュウと嫌な音と臭いを撒き散らす。

 しかし、まだ近づいて来る。


 モニカは慌てた。

 火をつければ動きを止める、と思っていた。痛覚がないらしい。なら何故、今まで避けたのか。


 本能?


 とにかく〈火球〉による牽制を再開する。しかし〈大火球〉に火力を吸い取られ再発射に時間がかかる。


【17】


 エリーは面食らった。


 突然、暗くなった。奥の犬型の火が逆光となって、人型の輪郭しか見えない。勘で敵の武器を打ち払った。

 しかし次の攻撃は無理だ。


 ついに一歩下がってしまった。

 左の足裏がむにゅんとした。

 バランスを崩した。


 まずい。


 その時、背後から強い光が差し込んだ。敵の剣がよく見えるようになった。


 最大の集中力を発揮。


 敵の剣がゆっくり動く。

 左手を出す。

 剣の刃の側面に手を当てる。

 払う。

 剣の軌道が変わる。

 右足を大きく後ろに下げる。

 バランスを取り戻す。

 左足を前に出す。

 敵の胴を蹴る。

 蹴り飛ばした。


 時間の流れが元に戻った。


「ご、ごめんなさい!」

 コルの声だ。

 どうやらコルの足を踏んでしまったようだ。敵の武器を打ち払いながら、エリーは叫ぶ。


「近づき過ぎだ! 離れろ!」


【18】


 モニカは冷水を浴びせかけられた。

 一瞬暗くなっただけで、危うくエリーが崩れる所だった。


 後ろからハインツの声が飛んでくる。


「モニカ! 照明役を自称するなら、絶対明かりを絶やすな! それとコル! お前はエリーに近づき過ぎだ! 俺の所まで来い!」


 コルは酷く青ざめた顔で、モニカの横を通り過ぎる。後ろから戻ってきた時には手に〈提灯(ランタン)〉を持っていた。


「明かりはもう気にしなくていいから、モニカは、犬の牽制を続けろ!」


 頭が真っ白になって、動きが止まってしまっていたモニカは、その声に突き動かされた。やっと火力が戻った火皿から火球を投げ始めた。やがて犬型は、ブスブスと紫煙をあげながら動きを止めた。


 その様子を呆然と見ていた。

 しかし、ハッとした。


 犬型から出る煙の色が変だ。

 気味が悪い。

 吸ってはいけない煙の気がする。


 二度もエリーを危険に晒してはいけない。

 〈風の精霊(シルフェ)〉を使う。


 モニカは、〈火の精霊(サラマンデル)〉を送還し〈風の精霊(シルフェ)〉の召喚準備に入った。


【19】


 エリーは、犬型が動きを止まったのを目の片隅で確認した。


 余裕ができた。

 危険を承知で、数を減らすべき。

 畳み掛けろ。


 交戦相手の切り替えを、左と中に集中させる。そして、右を引きつける。


 やがて、右の敵が最接近。

 敵の剣が、エリーの顔を狙う。

 恐怖をぐっと抑えた。


 剣を片手から両手に持ち変える。

 一歩、左側に踏み込む。

 敵の剣をかわす。


 足の力を手へ、そして剣へ。

 一気に振り上げる。


 膨れあがった敵の両腕を断ち切った。

 肘上(ちゅうじょう)から千切れた腕と剣が、宙を舞う。腐った肉汁を飛び散る。

 右側に落ち、地面に突き刺さった。

 両腕を失った敵はたたらを踏む。


 左と中の敵が接近する。

 その肉塊を壁にした。

 槍と剣が突き刺さる。

 うじゅるうじゅると肉汁が滴る。

 刺さった肉壁を手で押し除けた。

 左の敵は、槍を抜くのが遅れた。

 釣られてヨタヨタと体を崩す。


【20】


「〈風の精霊(シルフェ)〉よッ。我の求めに応じ、姿を現せッ!」


 モニカは〈風の精霊〉の召喚に成功した。紫煙を〈そよ風(ブリーズ)〉で吹き飛ばす。


 視界が晴れた。


 モニカは、そのまま敵の動きを妨害する。

 敵が、剣を、槍を振り回す。

 逆風を当てた。

 エリーが、剣を振る。

 追風を当てた。


 やがてエリーは敵を追い詰める。

 中の敵を縦で真っ二つ。

 返す刀で左の敵を横に真っ二つ。


 さらに踏み込む。

 手首を。腕を。肩を。頭を。足を。

 斬り飛ばした。


 〈生きる死体リビングデッド〉はバラバラになった。


 エリーは叫んだ。

「火を!」


 モニカは火皿を拾い上げ、肉塊に投げ込んだ。油と火が跳ね飛ぶ。

「風よッ!」


 風に煽られた火は、肉塊を焼き尽くす。紫煙は渦を巻いて、通路の向こうに霧散していった。


【21】


 〈生きる死体(リビングデッド)〉を全滅させた。


 モニカは、焼き尽くした事を確認した後に〈風の精霊〉を送還する。そして、へなへなと崩れ落ちた。

 ハインツは、すぐさまエリーの側に歩み寄って声を掛けた。


「エリー、怪我はないのか?」

「全く。」

「本当に? 両腕を出してみろ。」


 エリーは両腕を見せる。紺の肌着に穴が空いた様子はない。ハインツは一息ついて、腕から目を離した。


「傷口から体液が入ると、奴らの仲間入りだぞ。念の為に、コルに診てもらえ。コル、来い。」


 そんな事を知らなかったエリーは、仰け反った。慌てて、服に転々と染み付いた肉汁を払い落とす。当然、取れない。


「うげ、うげげげ、げげげげ! やだー。取れないー!」


 エリーが突然、ガバッと服を脱ごうとした。驚いたコルが、慌てて腕を抱えて抑える。


「ダ、ダメですー! 私がちゃんと診ますのでー!」


 我に返ったエリーは、嫌そうに自分の体を見回した。流石に諦めたようだ。


「とにかく〈状態確認ステータスチェック〉します。手を貸してください。」


 エリーは手を差し出す。コルはエリーの手を握った。


「大丈夫です。若干、左前腕部に打ち身がありますが傷はありません。」

「あー、良かったー。」


 エリーは支障がないと知り、ホッと胸を撫で下ろす。コルもエリーの手を手放す。

 そこにモニカが駆け寄ってきて、エリーに謝罪する。


「エリー、ごめんなさい。こちらの失敗で危険に晒してしまって。」

「気にすることはないよー。初めての対魔物の戦闘だし。」


 エリーは、軽い感じで笑顔で手を降った。コルも(うる)んだ目でエリーを見上げる。


「エリーお姉ちゃん。私もごめんなさい……。」

「いいっていいって。気にすることはないよー。次があるさ。」


 モニカは、採点が気になった。チラッとハインツの方を見上げる。


「んー。最初にしては合格だと思うぞ。気にせず、次の戦いに備えろ。まだまだ〈生きる死体(リビングデッド)〉はいるだろう。」


【22】


 モニカは先ほどの失敗を踏まえ、コルに〈提灯(ランタン)〉を持ってもらい、光源役を任せる。

 エリーが先頭に、モニカがその後ろ、モニカの右手にコルが手を繋ぎ、いちばん後ろにハインツが並ぶ。

 それから何度か〈生きる死体(リビングデッド)〉に遭遇した。

 エリーは壁になりながらも、死体を無力化する。モニカは〈火の精霊〉と〈|風の精霊〉を交互に召喚して、焼き尽くす。コルは、光源役と戦闘後の治療。

 三人で力を合わせて、順調に撃退していった。


 やがて下へ降りる縦穴を見つける。

 その穴に、先人が設置したらしき真新しい頑丈な〈編み綱(ザイル)〉が垂れ下がっていた。ハインツがその穴を指差す。


「ここから先が二階層目という事になっているな。」

「では、この隊列で降ります。」


 モニカは、先にエリーが降りるように促した。指示を受けたエリーが、綱を握って降りていく。次はコルだ。意外にもするすると降りていった。

 モニカの番になって、ハタと気がついた。

 カートをどうやって降ろすんだろう。

 後ろを振り向いて、口を開こうとした時に向こうから声を掛けてきた。


「カートは、綱をつけてゆっくり降ろす。気にせず、先に行け。」


 モニカが見ている間に、ハインツはカートを綱で見事な形に縛り上げた。


「では、先に行きます。」


【23】


 無事に二階層に降りることができた。

 二回層は、一階層と殆ど代わり映えがない。たまに〈生きる死体〉と遭遇する程度。エリーも手慣れてきたようで、肩の力が抜けてきている。


「うーん、余裕かなー。」

「三階層からガラッと変わるから、油断するなよ。」


 間もなく、三階層への階段を見つける。モニカは、不思議そうに首を捻った。

 さっきは縦穴だったのに。


「階段?」

「さっきの縦穴はきっと正規ルートではないんだと思う。何処かに階段があるかもな。」


 先発隊が改装したのだろう。階段は左半分が埋め立てられ、坂のようになっていた。カートを降ろしやすい。


【24】


 三階層目。


 丁度、お腹が空く頃になった。

 余裕が出てきた一行は、食べ物の話で盛り上がった。その中でモニカは、エリーの盗み食い疑惑を思い出す。


 唐突に言ってみた。


「エリー。馬車の中で、隠れてクッキー食べてなかった?」

「え、い、いや? し、知らないなあ。」


 エリーはビクゥと反応した。面白いように挙動不審だ。


「そう、知らないの。」


 モニカの冷め切った声。コルに向き直る。


「コルちゃん、何か知らない?」

「し、し、し、し、し、知らないです……。」


 コルよ、お前もか。

 顔を背け、下に(うつむ)いているし、物凄いどもってる。これでは、自分も犯人ですと自白しているようなものだ。

 まあ、予想はついてた。


「ふーん。エリー、馬車内で何回食べたっけ。」

「そ、そうだ、ね、ねえ聞いてよ。あたしの妹の事なんだけどさー。」

「エリー、貴女に妹は居ません。というか、末っ子でしょう。」


 何処かで聞いたことがあると思ったら、エリーに貸した小説の一文だった。主人公が強引に話を逸らす時の口癖だ。そう言えば、あの本まだ返してもらってない。

 心の中の閻魔帳に一筆追加しておく。


「それで、エリー? 馬車で、何回、食べましたか?」


 今度は若干、猫なで声。


「え、えっとー……。」


 エリーは観念したのか、指を折る。

 小指から始まって、折った指は何故か親指まで進み、(あまつさ)え、そこから戻ってきている。ちなみにエリーにクッキーを渡した回数は二回だ。


「エリー、もういいです。」


 エリーは、だらだらと額から汗を垂らしている。そんな彼女を無視し、今度はコルに話しかけた。


「コルちゃん。エリーがクッキー食べてるとこ見なかった?」


 コルは、モニカとエリーの顔を見比べて、困ったような顔をしている。エリーは何か物凄く言いたそうな顔をしているが、二人が目でどんな会話をしているか想像がつかない。


「み、見ました。」

「ふーん、さっき知らないって言ってたけど、嘘だったの?」


 コルは何かを間違えたかのように、驚いた顔で「あっ」と言って手で口を塞いだ。


「さあさあ、ネタは上がってるんだ。キリキリ吐きなさい!」

「ごめんなさい……。」


 コルはエリーに申し訳なさそうに見上げた。その憂いを帯びた泣きそうな顔にゾクゾクする。


「エ、エリーお姉ちゃんはモニカお姉ちゃんの目を盗んで、何度かクッキーを食べてました。」

「エーリィィィー?」


 エリーは頭に手を載せて「あっちゃー」という様子のポーズをしていた。

 というか、幼い子に嘘をつかせるなよ。


「ちょ、ちょっと待って! 共同食糧なんだから、あたしが食べても問題ないはずだ!」

「そうね。で、私に黙ってどれだけ食べたの?」


 物凄い勢いで、目が揺れ始めた。


「……えーと。……沢山。」

「エリー。」

「いや、だってさ! クッキーうんめえじゃん! モニカっちだって食べたくなるよー!」


 なお、エリーの食べたクッキーは、全く味付けされていない。最低限腹が膨れる程度の物である。一応非常食なのだから、美味しくてついつい食べたくなったら、非常食にならない。


「で、食べたくなった私の分は?」

「うっ。」


 ついに言葉を詰まらせた。反論は尽きたようだ。


「今日のご飯は、抜きね。」


 彼女は泣きそうな顔で、モニカの顔を見つめてきた。


「えー、そんなー。勘弁してー。」

「ダメです。」


 その瞬間、魂が抜けたかのような幽鬼的な足取りで「おー、この世の終わりだー」だの「モニカっちが虐めるー」だのと、嘆き悲しみだした。全くもって大袈裟すぎる。こっちが泣きたいくらいだ。

 しかも、まだ追求しなければならない事が残っている。そちらも片づけなくては。


「で、コルちゃん。何をもらったの?」

「ヒッ。」


 油断していたのだろうか。突然コルに話を戻したら、裏返った声で怯え出した。

 またゾクゾクした。嫌だなあ、虐めませんよ。エリー程には。


「な、な、な、何って。」

「エリーに、口止めされてたんでしょう。」


 コルは首をコクコクと壊れた噴水のように頷く。エリーの方は、まだ何かブツブツ言っていた。


「だとしたら、口止め料に何か貰っててもおかしくないなあと思ったけど?」


 俯いて、ただただプルプル震えているばかりだった。やがてガバッと顔をあげる。


「ご、ご、ごめんなさい! エリーお姉ちゃんにクッキー分けてもらってました!」


 やだ、可愛い。

 思わず抱きしめてしまった。


「えらい、コルちゃんはちゃんと謝れたから許しちゃう。今日のご飯一緒に食べようねー?」

「えー、ズルいー。」


 エリーがブーブー喚く。が、彼女はまだ謝罪してすらいない。


「ダメです。」


 さらにトドメを刺そうと、息を吸って口を開く。


「おい、そろそろ、その辺にしてやれ。」

「え、あ、はい……。」


 試験中だったのを思い出した。頭が冷えていく。ひょっとしたら、怒っているのだろうか。片目でチラリと彼の様子を伺う。


「クッキーなら今度、旨い店を案内してやろう。」

「ええっ!」


 怒ってなかった。驚いて、素っ頓狂な声をあげてしまった。


「胡桃クッキーは絶品だぞ。」

「なんだってー。」

「俺が好きなのは牛乳クッキーだな。」

「うっひょー!」


 この男、詳しすぎる。何者だ。非常に心を惹かれた。

 もちろんクッキーに。


「ビンダーナーゲルの百色クッキー店という店でな。百種類とまではいかないが、沢山の味があるぞ。」


 今度はどんな味のクッキーがあるかで会話が盛り上がった。


【25】


 最初に気がついたのはエリーだった。


「あっちが明るいけど、何だろ。」


 モニカにも、辛うじて薄明るい光が差し込むのが見えた。


「明るいってことは、人がいるのでは?」

「いや、そんな様子でもなさそう。」


 探索方針には口を出さないはずのハインツが、珍しく声を掛けてきた。


「危険はない。行ってみたらどうだ。」


 モニカにも特に否定する理由はない。個人的に興味もある。


「じゃあ、エリー行ってみよう。」

「あいよー。」


 エリーが曲がり角を越える。歩みが止まった。


「ほわー……。」


 彼女が驚きの声をあげるのは珍しい。気になってモニカも、エリーの隣に立つ。


 なるほど。美しい。


 コルも、呆然としてすべての動きが止まっていた。手が中途半端な位置で止まっている。


 そこはかなり広い地底湖だった。


 湖の周りには、透明白色の水晶が析出していていた。天井には地上までの穴があいていて、明るい空が覗く。太陽光が、水晶と水をキラキラと輝かせていた。辺りには上から降ってきた残雪が微かに積もり、誰かが通った足跡がある。


「この湖の水は飲めるぞ。かつての〈前線基地〉だったんだ。休憩しよう。」

「ええ、是非。」


 モニカに否定する理由もない。

 手頃な水晶に腰掛けて昼食を取った。三者三様に頬張る。

 モニカは〈背嚢〉から、ジャーキーを取り出してかぶりつく。ジャーキーは手がべとつくから、好みではないのだが仕方が無い。


「モーニーカっーちー。」

「実は見ての通り、このダンジョンは水晶が取れるんだ。だけどここは見ての通り幻想的な光景でな。手を出さないと決めてあるのさ。」

「あーやーまーるー。」

「水晶は魔法の媒体になるので、使用価値は高いでしょう。」


 もぐもぐ。


「ごーめーんーなーさーいー。」

「そうらしいな。水晶狙いで潜り込んでくる奴らもたまにいるようだ。」

「おーなーかーすーいーたー。」

「でも、入り口に中継基地がある以上、なかなか入ってこれないのでは?」


 もぐもぐ。


「ねえってばー。」

「このダンジョンを掘ったのは俺たちじゃない。強く止める理由はない。」


「あ、あの。」

「なに、コルちゃん?」

「そ、そろそろエリーお姉ちゃんを許してあげても。」

「おお、コルっち!いいこと言う!」

「ダメです。」

「鬼! 悪魔!」


「で、そうそう、ダンジョンの話でしたっけね。」

「うっうっうっ。」

「一体、ダンジョンってのはどういう目的で作られてるんでしょうか。」

「うわーん。」


 エリーはとうとう嘘泣きを始めた。というのも、声が明らかに棒読みだ。

 大丈夫、大丈夫。一日、飯抜いただけでは死にはしない。村では日常茶飯事だったし。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん、ほ、ほら、私が少し分けてあげるから。」

「おお、コルっち、天使だー!」

「あの……。」


 コルがチラッチラッと見てくる。可愛い娘だなあ。


「私は今日は、エリーに餌をやらないって決めたからやらないけど、エリーがそれ以外で餌にありついたのならそれは何も文句は言わないわ。」

「モニカお姉ちゃん……。」


 コルが可愛いので、適当な理由をつけて許可した。本音を言うと、エリーが鬱陶しい。


「ダンジョンの作られる目的なんて、そちらの方が詳しいんじゃないか?」

「え?」


 エリーに気を取られていたので、一瞬、話の流れが理解できなかった。思わず聞き返した。


「〈地の上位精霊〉にそういう魔法があると聞いたが。」

「そ、そうなんですか。」


 初耳だった。

 よく考えれば当たり前かもしれない。ダンジョンをまともに人の手で作るとなると大事業だ。そんな話は聞いたことがないし、利益もない。自然に作られた洞窟ならまだしも。


「食べ終わったら、水を汲むのを手伝ってくれないか?」


 ハインツは既に昼食を食べ終えていた。カートの中から空瓶を取り出す。そしてモニカ達に手渡した。


「あ、はい。」

「この水も〈前線基地〉に送るんでな。」


 やっと、全ての空き瓶に水を満たした。カートの中身をよく見ると、結構な分量の空間を占めている。やはり水は貴重なのだろうか。


「ねね、モニカっち。」


 エリーが、ニヘラッという顔でモニカの肩をツンツンする。さっきまで泣いてたのは嘘のようだ。

 じゃなくて、実際、嘘だったな。


「服を洗い落としたいんだけど。」


 ふむと納得した。確かに身の危険をあるものを身につけたままにして置けない。


「いいけど。寒いよ?」

「我慢する。」


 モニカは、エリーから荷物を受け取ってから、コルとハインツの方を振り向いた。


「じゃあ、皆さん、危ないからエリーから離れて下さい。後、ハインツさんは後ろを向く。」


 何が何やらという顔だが、二人は言う通りにしてくれた。


「何をやるんだ?」

「エリーごと洗濯します。」

「え。」


 モニカは、召喚を始める。


「〈水の精霊〉さん。思いっきりエリーにぶっ掛けてー。」


 湖から水が飛びだしたかと思うと、エリーの頭上から、ズシャアアと降り注いだ。

 びちょびちょになって、下着が薄っすら透けて見える。ショートヘアーの艶やかな黒髪も、肌に張り付き水滴が落ちる。

 モニカは、石鹸をぽーいと投げる。受け取ったエリーは汚れている所を重点的に擦りあげた。


「はい、次ー。もう一回ー。」


 また、湖から水が立ち上り、泡ごとエリーを洗い流す。


「ヘックショーイ!」

「エリーに張り付いた水を流し落としてー。」


 物凄い勢いで水滴が滴り落ち、間もなく乾き始めた。エリーはくしゃみを繰り返す。


「ヘクショーイ!」

「〈水の精霊〉さん、ありがとー。さて、次は〈風の精霊〉さんー。あれを乾かしてあげてー。」


 まだ少し、しっとりしているエリーの服の中に風が入り込む。


「あはは、これ。寒いけど、くす、いつも、あはは、くすぐったい。癖になりそう。はあっ。」

「はいそこー。妙な声を出さないでー。」


 エリーの洗濯は終わった。

 コルの目が点になって、止まっていた。


【26】


 休憩が終わり、再びダンジョンの中。


「エリー、止まれ。」


 先頭のエリーは、立ち止まった。モニカもコルも、ハインツの顔を見る。


「次は〈不死蝙蝠(アンデッドバット)〉だ。吸血はしないが、体当たりして噛み付いてくる。数が沢山いるのも厄介だ。」


 モニカは、人差し指を咥えて少し考え、結論を出す。

「では、火で牽制して弓で射ります。」


 エリーは「弓なら任せろー」と言って〈背嚢〉の口を開け閉めし、さらに屈伸運動もしている。訳わからん。


 無視。


「攻撃はそれで良いかもしれんが、防御はどうする。」

「火では駄目なんですか?」


 ハインツが首を横に振った。


「火では完全に防げない。向こうは傷さえつければ、勝ちだしな。もちろん回避出来るようなものでもない。戦闘も長引くから、戦闘後、回復という訳にもいかない。」


 モニカは、自分の考えた作戦が駄目だしされるとは思わなかった。人差し指を咥えて考え直すが、いい考えは出てこない。


「ん、万策尽きたようだな。では、コルの出番だ。」


 三人の視線がコルに集まる。コルは少し戸惑った。


「〈状態保護(ステータスガード)〉は使えるな?」

「あ、はい……。」

「どんな魔法ですか?」


 〈状態保護(ステータスガード)〉は対外から入ってくる毒物や異物を未然に防ぐ免疫強化の魔法。ほぼ全ての異物を弾く。

 欠点は魔法薬などの効果も弾くこと。本人の魔力が持続的に消費すること。また、余りに長時間使うと、免疫が暴走すること。


「へえ。」


 モニカは感心した。魔法も奥が深い。


「じゃあ、全員にかけてくれる?」

「が、頑張ります……。」


 コルは〈生命の精霊〉を召喚した。淡い光が零れ出る。と思いきや、困ったような顔でモニカの顔を見上げてきた。


「あ、あの、保護期間はどうしましょう。」

「そんな所まで指定するの?」

「はい。」

「確か、その魔法は途中で終わらせることも出来たな?」

「はい。」


 ハインツは見つめてきた。

 モニカが決めろ、ということらしい。人差し指を咥え、腕を組んで考える。


「コルが倒れた場合のことも考えろよ。」


 頭上から声が降ってきた。

 むむむ。


「では、期間は二刻。コルちゃんは、戦闘が終わったら解呪をお願い。」

「分かりました。」


 コルは全員に〈状態保護〉を掛けて回る。ハインツに駆け寄ると、彼は手で遮った。


「俺には必要ない。」

「え?」


 コルが、どうして、という顔をする。ハインツは微笑した。


「〈状態保護〉と似たような効果の〈魔法薬〉があるんだ。俺が飲んでるのは〈抗不死化薬アンデッドレジストポーション〉というやつだ。」


 コルが残念そうな顔をした。


【27】


 モニカは〈火の精霊〉を召喚した。

 火元は、モニカとコルの〈提灯(ランタン)〉。燃料は補充して満タンに。〈提灯〉の蓋は少し開けておく。

 コルに二つとも持たせた。彼女は火源兼光源役だ。少々熱そう。

 エリーは剣を鞘に納め、折り畳み式の〈短弓(ショートボウ)〉を取り出した。まだ展開はしていない。

 準備ができた。


「エリー!」

「あいよ!」


 突撃。


 天井の高い、大きな部屋だった。地下水が岩から染み出し、鍾乳石から水が滴り落ちる。その音は、雨のようにうるさい。

 地面は、落石によるものか尖った岩石がゴロゴロと転がっている。ゆえに部屋の広さに反し、足場は少ない。

 また、濡れた地面は滑りやすくなっている。これでは、まともに剣技を使えない。


「くるよッ!」


 天井の岩影から、バサバサ、キーキーと不気味な鳴き声が反響する。

 モニカは振り返った。ハインツがついてきていない。狭い入り口で待機していた。


「あ、その手があっ」


 腹に軽い衝撃を受けた。危うく舌を噛みかけた。


「モニカっち!」


 慌てて〈火の精霊〉に命令。火を網状にして、頭上に展開。この〈火の網(ファイアネット)〉で蝙蝠を牽制する。


「火を!」


 エリーからの鋭い声。

 モニカは、慌てて彼女の傍に火を配置した。


【28】


 エリーは素早く〈短弓〉を展開。


 右腰の矢筒の鯉口を外す。

 薬指と中指で、スルリと矢を取り出す。

 矢先に火を点け、つがえる。


 熱い。

 火矢からの輻射熱だ。

 耐えろ。


 落ち着け。

 五感を研ぎ澄ませろ。


 触覚で羽ばたきを。

 聴覚で羽音を。

 嗅覚で獣の臭いを。

 視覚で挙動を。

 味覚で……えーと。

 そうだ、コルにもらった昼飯は美味かったなー。


 顔に蝙蝠が飛び込んで来た。


「うわっぷ。」


 頬に手をやる。

 手袋にほんのり血がついている。


 ……。


 くそ、物凄い勢いで気を逸らされた!

 許さないぞ、蝙蝠どもめ!


 もう一度集中。

 一番、近いのを狙え。

 点で捉えるな。

 線で捉えろ。


 狙いを定める。

 黒点を一つ抽出。

 点を線に。


 撃つ。


 火が尾を弾く。

 赤線と黒線が交わる。


 命中。


 赤線の軌道が乱れる。

 火が地面に落ち、跳ねた。


 次。


【29】


 モニカは〈火の精霊〉の操作に苦心した。


 この魔法の扱いは少々難しい。操作を誤れば、あっという間に魔力を持っていかれ、暴走する。

 ジワリジワリと魔力が減っていく。


「エリー、まだなの……。」


 顔が歪む。

 エリーは、着実に蝙蝠を撃ち落としているが、まだ終わりは見えない。

 今更ながら、この作戦に後悔し始めた。

 だが足場が悪く、魔法を維持しながらの後退も難しい。このまま続けるしかない。


 一瞬、気が抜けた。

 火がエリーを焼こうとした。


「〈火の精霊〉ッ。動くなッ、網を維持しろッ!」


 〈火の網〉に引っかかった蝙蝠が足元にボトリと落ちた。


【30】


 コルは気を抜いてしまった。


「あっ!」


 蝙蝠が、左手に直撃。

 〈提灯〉がもぎ取られる。岩の向こうに吹き飛び、明かりが消えた。

 残る〈提灯〉は一つ。


 大変なことをしてしまった。

 〈提灯〉がなくなれば、終わりだ。


 血の気が引く音を聞きながら、コルは右手の〈提灯〉を脇に抱き締めた。


 絶対に離さない。

 これは皆の生命線だから。


 空いた左手で、腰から短剣を引き抜いた。少しでも速く戦闘を終わらせたい。

 地面でもがく蝙蝠に向かう。


 蝙蝠に短剣を突き刺し、踏み潰した。

 そして次の蝙蝠へ。


【31】


 エリーは矢を取り出した。

 狙いをつける。


 ……。


 的がいない。


「終わっ……た?」


 矢先を右にずらす。

 いない。

 左にずらす。

 いない。


「終わったー!」


 エリーは弓矢を持ちながら、両手の拳を振り上げる。気がつけば周囲の地面に、大量の蝙蝠の死骸が転がっていた。


 矢の残存数の確認をする。

 初めは100本あった。今は、1、2、……8本。かなり際どかった。


「皆ー、無事かー?」


 一安心したエリーは振り返って、仲間の顔を見た。


「コルっち!」


 思わず叫んでしまった。コルの顔が焼けただれ、火傷を起こしている。かなり危険そうだ。


「モニカっち! 手当てを!」

「分かった!」


 コルにはキョトンとしている。自覚してない、つまり感覚がないという事だ。

 モニカは急いで〈水の精霊〉を召喚する。そして〈背嚢〉から綿と包帯を取り出して、火傷部分を冷やし、包帯で巻き始めた。


「そうだ。コルちゃん、魔法でなんとかならないの?」


 やっと事態が掴めてきたコルは、嬉しそうな顔になった。包帯の隙間から、モニカを見上げた。


「あ、大丈夫です。自分で治せますので。」


 なんと言ったらいいのかわからない。口を開こうとしたら、背後から声がした。


「作戦があまり、良くなかったな。」


 モニカは驚いて振り向く。何時の間にか、ハインツがモニカの背後にいる。不安げな顔で質問した。


「この場面は一体どうすべきだったのでしょう。」

「目的は、敵を倒す事じゃない。だから盾を持って駆け抜けるのが良かったんだ。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ