【09】20歳モニカ、昇級試験を受ける(2)☆
【12】
モニカは戦闘の準備を始める。
「では〈光の精霊〉を消して〈火の精霊〉を呼び出します。一度暗くなるので、気をつけて下さい。」
通常、複数の精霊を同時に召喚することが出来ない。戦闘中は必ず一つの属性で戦う。
不便ではあるが、それを最大限に活用する小道具は、沢山持ってきた。
モニカは〈腰嚢〉から8枚の火皿を取り出し、自分の周囲に置く。それぞれの油を注ぐ。
次は小箱を取り出す。小箱から〈燐石〉を出し、擦って正面の皿に投げ入れた。火が灯る。
それから〈光の精霊〉を送還した。
正面の火皿の種火を除いて、辺りは暗くなった。〈火の精霊〉を呼び出す。
「〈火の精霊〉、設置した火皿全てに火を灯して。」
正面の火皿からチロチロと火の舌が伸び、次の皿に点火する。時計回りに順次、火が点く。全ての火皿に火が灯った。
ほんのりと辺りは明るくなった。
「来たよ。」
エリーの声が飛ぶ。
闇の向こうから影が現れた。
武装した人型3体と犬型が1体。嫌な腐臭が鼻をつく。顔が腐って溶け落ち、中から骨が見える。眼球は抜け落ち 、眼窩が覗く。見えないはずなのに、確実にこちらに歩いて来る。四肢は水死体のように、異様に膨れていた。
「すまん、犬がいた。」
ハインツはバツが悪そうに謝った。
「いえ、充分です。エリー、十分引きつけてから、私が足の速そうな犬を燃やすよ。エリーは残りをお願い。」
エリーは無言で剣を頭上にかざす。
モニカが頷いた。そして魔法に集中する。
「モニカお姉ちゃん、私は……?」
心配そうなコルの声。
ハッとした。
モニカはコルの頭をそっと撫でる。
13歳の彼女に無理はさせられない。安全な所で戦ってもらえばいい。
「コルちゃんは、エリーの後ろで待機。もし抜けてきたら短剣で対処ね。」
「はい。」
コルは嬉しそうに、エリーの後ろにつく。それを見届けたモニカは、魔法の準備に入る。
「後ろは俺がいる。前だけに集中しろ。」
「ありがとうございます。」
背中からハインツの声がする。敵に目を向けながら、受け答えた。
【13】
モニカは、犬型を警戒する。
その殺気に当てられたのか、犬型は突然駆け出した。牙を剥き出し、急接近する。
「〈火の精霊〉、犬を狙えッ!」
モニカは叫んだ。
〈火皿〉の火が大きく揺らめき、〈火球〉が飛び出した。そのまま犬に投げつける。
しかし、犬はギリギリでかわす。地面に落ちた〈火球〉は、湿った地面に消えた。
「続けてッ!」
最初の〈火皿〉は火球に火力を奪われ、弱火になっていた。モニカは次の〈火皿〉から〈火球〉を生み出す。
かわされた。
その次。
かわされた。
次。
かわされた。
モニカは、8枚の〈火皿〉から時計回りに〈火球〉を生みだし、犬に対して弾幕を張った。
犬型を弾幕で翻弄する。
近づかせない。絶対に。
【14】
エリーは、人型を睨んだ。
モニカの推測した通り、犬型より動きが遅い。これなら、纏めて相手にできそうだ。
スラリと鞘から剣を抜く。
モニカの意図は分かる。後ろにコルがいる。敵は剣があまり効かない。つまり、剣ではなく盾になれ、と言っているのだ。
後ろへ敵を流してはならない。
後ろに下がってはならない。
後ろを振り向いてはならない。
剣術でいう〈空間制圧〉という技術を使う。敵を威圧し、その空間に入れば薙ぎ払い、押し返す。
剣の間合いを幻視しろ。
空間制圧域を定めろ。
敵の武器に反応しろ。
制圧域に入れるな。
精神を集中せよ。
思考を削れ。尖らせろ。
現在の動きに専念しろ。
未来の動きを予測しろ。
体の記憶を引き出せ。
来た。
左の敵。
槍。
刃先を叩き落とせ。
右の敵。
剣。
切り上げろ。
中央の敵。
短剣。
そのまま切り落とせ。
左と右。
右を優先しろ。
うち払え。
左。
槍の穂先が迫る。
一歩前に出ろ。
かわせ。
回し蹴り。
敵の鎧に命中。
蹴り飛ばした。
エリーは次々と攻撃対象を切り替えた。
身体より武器を狙う。
斬りより蹴りを狙う。
敵に傷をつけるには、武器を掻い潜り、防具の隙間を狙う必要があって危険を伴う。エリーは常に安全圏から剣を振るった。
【15】
コルも動き出す。
ただ守られるだけなど嫌だ。
出来る限りエリーに近づきながら、自分の体内に宿る〈生命の精霊〉に語りかける。
「エリーお姉ちゃんを助けてあげて!」
コルの体に淡い光が灯る。光はエリーの体躯に飛び移った。肉体を一時的に休めた同じ効果をもたせ、疲れにくくする魔法。
ささやかだが、着実に効果を上げた。
【16】
モニカは〈火球〉の弾幕を投げながら、観察した。
犬型のかわし方は5通り。
伏せる。
一歩下がる。
右に飛ぶ。
左に飛ぶ。
上に飛ぶ。
この中で隙をつけそうなのは「上に飛ぶ」だ。狙い時を定めた。
次に観察したのは〈火球〉の投げ方と犬型のかわし方の関係。
一歩下がるのは〈火球〉が手前に落ちた時。
伏せるのは顔を狙った時。
左と右はそれぞれ側面を狙った時。
そして。
上に飛ぶのは、伏せている時に手前を狙った時だ。
モニカは、徐々に弾幕を薄くして火力を温存する。
手前を狙う。
一歩下がった。
顔を狙う。
伏せた。
手前を狙う。
上に飛んだ。
「〈火の精霊〉、今だッ!」
火を時計回りに捻じり上げ〈大火球〉を作る。投げた。
向き良し。
角度良し。
タイミング良し。
命中。
犬型に着火した。ジュウジュウと嫌な音と臭いを撒き散らす。
しかし、まだ近づいて来る。
モニカは慌てた。
火をつければ動きを止める、と思っていた。痛覚がないらしい。なら何故、今まで避けたのか。
本能?
とにかく〈火球〉による牽制を再開する。しかし〈大火球〉に火力を吸い取られ再発射に時間がかかる。
【17】
エリーは面食らった。
突然、暗くなった。奥の犬型の火が逆光となって、人型の輪郭しか見えない。勘で敵の武器を打ち払った。
しかし次の攻撃は無理だ。
ついに一歩下がってしまった。
左の足裏がむにゅんとした。
バランスを崩した。
まずい。
その時、背後から強い光が差し込んだ。敵の剣がよく見えるようになった。
最大の集中力を発揮。
敵の剣がゆっくり動く。
左手を出す。
剣の刃の側面に手を当てる。
払う。
剣の軌道が変わる。
右足を大きく後ろに下げる。
バランスを取り戻す。
左足を前に出す。
敵の胴を蹴る。
蹴り飛ばした。
時間の流れが元に戻った。
「ご、ごめんなさい!」
コルの声だ。
どうやらコルの足を踏んでしまったようだ。敵の武器を打ち払いながら、エリーは叫ぶ。
「近づき過ぎだ! 離れろ!」
【18】
モニカは冷水を浴びせかけられた。
一瞬暗くなっただけで、危うくエリーが崩れる所だった。
後ろからハインツの声が飛んでくる。
「モニカ! 照明役を自称するなら、絶対明かりを絶やすな! それとコル! お前はエリーに近づき過ぎだ! 俺の所まで来い!」
コルは酷く青ざめた顔で、モニカの横を通り過ぎる。後ろから戻ってきた時には手に〈提灯〉を持っていた。
「明かりはもう気にしなくていいから、モニカは、犬の牽制を続けろ!」
頭が真っ白になって、動きが止まってしまっていたモニカは、その声に突き動かされた。やっと火力が戻った火皿から火球を投げ始めた。やがて犬型は、ブスブスと紫煙をあげながら動きを止めた。
その様子を呆然と見ていた。
しかし、ハッとした。
犬型から出る煙の色が変だ。
気味が悪い。
吸ってはいけない煙の気がする。
二度もエリーを危険に晒してはいけない。
〈風の精霊〉を使う。
モニカは、〈火の精霊〉を送還し〈風の精霊〉の召喚準備に入った。
【19】
エリーは、犬型が動きを止まったのを目の片隅で確認した。
余裕ができた。
危険を承知で、数を減らすべき。
畳み掛けろ。
交戦相手の切り替えを、左と中に集中させる。そして、右を引きつける。
やがて、右の敵が最接近。
敵の剣が、エリーの顔を狙う。
恐怖をぐっと抑えた。
剣を片手から両手に持ち変える。
一歩、左側に踏み込む。
敵の剣をかわす。
足の力を手へ、そして剣へ。
一気に振り上げる。
膨れあがった敵の両腕を断ち切った。
肘上から千切れた腕と剣が、宙を舞う。腐った肉汁を飛び散る。
右側に落ち、地面に突き刺さった。
両腕を失った敵はたたらを踏む。
左と中の敵が接近する。
その肉塊を壁にした。
槍と剣が突き刺さる。
うじゅるうじゅると肉汁が滴る。
刺さった肉壁を手で押し除けた。
左の敵は、槍を抜くのが遅れた。
釣られてヨタヨタと体を崩す。
【20】
「〈風の精霊〉よッ。我の求めに応じ、姿を現せッ!」
モニカは〈風の精霊〉の召喚に成功した。紫煙を〈そよ風〉で吹き飛ばす。
視界が晴れた。
モニカは、そのまま敵の動きを妨害する。
敵が、剣を、槍を振り回す。
逆風を当てた。
エリーが、剣を振る。
追風を当てた。
やがてエリーは敵を追い詰める。
中の敵を縦で真っ二つ。
返す刀で左の敵を横に真っ二つ。
さらに踏み込む。
手首を。腕を。肩を。頭を。足を。
斬り飛ばした。
〈生きる死体〉はバラバラになった。
エリーは叫んだ。
「火を!」
モニカは火皿を拾い上げ、肉塊に投げ込んだ。油と火が跳ね飛ぶ。
「風よッ!」
風に煽られた火は、肉塊を焼き尽くす。紫煙は渦を巻いて、通路の向こうに霧散していった。
【21】
〈生きる死体〉を全滅させた。
モニカは、焼き尽くした事を確認した後に〈風の精霊〉を送還する。そして、へなへなと崩れ落ちた。
ハインツは、すぐさまエリーの側に歩み寄って声を掛けた。
「エリー、怪我はないのか?」
「全く。」
「本当に? 両腕を出してみろ。」
エリーは両腕を見せる。紺の肌着に穴が空いた様子はない。ハインツは一息ついて、腕から目を離した。
「傷口から体液が入ると、奴らの仲間入りだぞ。念の為に、コルに診てもらえ。コル、来い。」
そんな事を知らなかったエリーは、仰け反った。慌てて、服に転々と染み付いた肉汁を払い落とす。当然、取れない。
「うげ、うげげげ、げげげげ! やだー。取れないー!」
エリーが突然、ガバッと服を脱ごうとした。驚いたコルが、慌てて腕を抱えて抑える。
「ダ、ダメですー! 私がちゃんと診ますのでー!」
我に返ったエリーは、嫌そうに自分の体を見回した。流石に諦めたようだ。
「とにかく〈状態確認〉します。手を貸してください。」
エリーは手を差し出す。コルはエリーの手を握った。
「大丈夫です。若干、左前腕部に打ち身がありますが傷はありません。」
「あー、良かったー。」
エリーは支障がないと知り、ホッと胸を撫で下ろす。コルもエリーの手を手放す。
そこにモニカが駆け寄ってきて、エリーに謝罪する。
「エリー、ごめんなさい。こちらの失敗で危険に晒してしまって。」
「気にすることはないよー。初めての対魔物の戦闘だし。」
エリーは、軽い感じで笑顔で手を降った。コルも潤んだ目でエリーを見上げる。
「エリーお姉ちゃん。私もごめんなさい……。」
「いいっていいって。気にすることはないよー。次があるさ。」
モニカは、採点が気になった。チラッとハインツの方を見上げる。
「んー。最初にしては合格だと思うぞ。気にせず、次の戦いに備えろ。まだまだ〈生きる死体〉はいるだろう。」
【22】
モニカは先ほどの失敗を踏まえ、コルに〈提灯〉を持ってもらい、光源役を任せる。
エリーが先頭に、モニカがその後ろ、モニカの右手にコルが手を繋ぎ、いちばん後ろにハインツが並ぶ。
それから何度か〈生きる死体〉に遭遇した。
エリーは壁になりながらも、死体を無力化する。モニカは〈火の精霊〉と〈|風の精霊〉を交互に召喚して、焼き尽くす。コルは、光源役と戦闘後の治療。
三人で力を合わせて、順調に撃退していった。
やがて下へ降りる縦穴を見つける。
その穴に、先人が設置したらしき真新しい頑丈な〈編み綱〉が垂れ下がっていた。ハインツがその穴を指差す。
「ここから先が二階層目という事になっているな。」
「では、この隊列で降ります。」
モニカは、先にエリーが降りるように促した。指示を受けたエリーが、綱を握って降りていく。次はコルだ。意外にもするすると降りていった。
モニカの番になって、ハタと気がついた。
カートをどうやって降ろすんだろう。
後ろを振り向いて、口を開こうとした時に向こうから声を掛けてきた。
「カートは、綱をつけてゆっくり降ろす。気にせず、先に行け。」
モニカが見ている間に、ハインツはカートを綱で見事な形に縛り上げた。
「では、先に行きます。」
【23】
無事に二階層に降りることができた。
二回層は、一階層と殆ど代わり映えがない。たまに〈生きる死体〉と遭遇する程度。エリーも手慣れてきたようで、肩の力が抜けてきている。
「うーん、余裕かなー。」
「三階層からガラッと変わるから、油断するなよ。」
間もなく、三階層への階段を見つける。モニカは、不思議そうに首を捻った。
さっきは縦穴だったのに。
「階段?」
「さっきの縦穴はきっと正規ルートではないんだと思う。何処かに階段があるかもな。」
先発隊が改装したのだろう。階段は左半分が埋め立てられ、坂のようになっていた。カートを降ろしやすい。
【24】
三階層目。
丁度、お腹が空く頃になった。
余裕が出てきた一行は、食べ物の話で盛り上がった。その中でモニカは、エリーの盗み食い疑惑を思い出す。
唐突に言ってみた。
「エリー。馬車の中で、隠れてクッキー食べてなかった?」
「え、い、いや? し、知らないなあ。」
エリーはビクゥと反応した。面白いように挙動不審だ。
「そう、知らないの。」
モニカの冷め切った声。コルに向き直る。
「コルちゃん、何か知らない?」
「し、し、し、し、し、知らないです……。」
コルよ、お前もか。
顔を背け、下に俯いているし、物凄いどもってる。これでは、自分も犯人ですと自白しているようなものだ。
まあ、予想はついてた。
「ふーん。エリー、馬車内で何回食べたっけ。」
「そ、そうだ、ね、ねえ聞いてよ。あたしの妹の事なんだけどさー。」
「エリー、貴女に妹は居ません。というか、末っ子でしょう。」
何処かで聞いたことがあると思ったら、エリーに貸した小説の一文だった。主人公が強引に話を逸らす時の口癖だ。そう言えば、あの本まだ返してもらってない。
心の中の閻魔帳に一筆追加しておく。
「それで、エリー? 馬車で、何回、食べましたか?」
今度は若干、猫なで声。
「え、えっとー……。」
エリーは観念したのか、指を折る。
小指から始まって、折った指は何故か親指まで進み、剰え、そこから戻ってきている。ちなみにエリーにクッキーを渡した回数は二回だ。
「エリー、もういいです。」
エリーは、だらだらと額から汗を垂らしている。そんな彼女を無視し、今度はコルに話しかけた。
「コルちゃん。エリーがクッキー食べてるとこ見なかった?」
コルは、モニカとエリーの顔を見比べて、困ったような顔をしている。エリーは何か物凄く言いたそうな顔をしているが、二人が目でどんな会話をしているか想像がつかない。
「み、見ました。」
「ふーん、さっき知らないって言ってたけど、嘘だったの?」
コルは何かを間違えたかのように、驚いた顔で「あっ」と言って手で口を塞いだ。
「さあさあ、ネタは上がってるんだ。キリキリ吐きなさい!」
「ごめんなさい……。」
コルはエリーに申し訳なさそうに見上げた。その憂いを帯びた泣きそうな顔にゾクゾクする。
「エ、エリーお姉ちゃんはモニカお姉ちゃんの目を盗んで、何度かクッキーを食べてました。」
「エーリィィィー?」
エリーは頭に手を載せて「あっちゃー」という様子のポーズをしていた。
というか、幼い子に嘘をつかせるなよ。
「ちょ、ちょっと待って! 共同食糧なんだから、あたしが食べても問題ないはずだ!」
「そうね。で、私に黙ってどれだけ食べたの?」
物凄い勢いで、目が揺れ始めた。
「……えーと。……沢山。」
「エリー。」
「いや、だってさ! クッキーうんめえじゃん! モニカっちだって食べたくなるよー!」
なお、エリーの食べたクッキーは、全く味付けされていない。最低限腹が膨れる程度の物である。一応非常食なのだから、美味しくてついつい食べたくなったら、非常食にならない。
「で、食べたくなった私の分は?」
「うっ。」
ついに言葉を詰まらせた。反論は尽きたようだ。
「今日のご飯は、抜きね。」
彼女は泣きそうな顔で、モニカの顔を見つめてきた。
「えー、そんなー。勘弁してー。」
「ダメです。」
その瞬間、魂が抜けたかのような幽鬼的な足取りで「おー、この世の終わりだー」だの「モニカっちが虐めるー」だのと、嘆き悲しみだした。全くもって大袈裟すぎる。こっちが泣きたいくらいだ。
しかも、まだ追求しなければならない事が残っている。そちらも片づけなくては。
「で、コルちゃん。何をもらったの?」
「ヒッ。」
油断していたのだろうか。突然コルに話を戻したら、裏返った声で怯え出した。
またゾクゾクした。嫌だなあ、虐めませんよ。エリー程には。
「な、な、な、何って。」
「エリーに、口止めされてたんでしょう。」
コルは首をコクコクと壊れた噴水のように頷く。エリーの方は、まだ何かブツブツ言っていた。
「だとしたら、口止め料に何か貰っててもおかしくないなあと思ったけど?」
俯いて、ただただプルプル震えているばかりだった。やがてガバッと顔をあげる。
「ご、ご、ごめんなさい! エリーお姉ちゃんにクッキー分けてもらってました!」
やだ、可愛い。
思わず抱きしめてしまった。
「えらい、コルちゃんはちゃんと謝れたから許しちゃう。今日のご飯一緒に食べようねー?」
「えー、ズルいー。」
エリーがブーブー喚く。が、彼女はまだ謝罪してすらいない。
「ダメです。」
さらにトドメを刺そうと、息を吸って口を開く。
「おい、そろそろ、その辺にしてやれ。」
「え、あ、はい……。」
試験中だったのを思い出した。頭が冷えていく。ひょっとしたら、怒っているのだろうか。片目でチラリと彼の様子を伺う。
「クッキーなら今度、旨い店を案内してやろう。」
「ええっ!」
怒ってなかった。驚いて、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「胡桃クッキーは絶品だぞ。」
「なんだってー。」
「俺が好きなのは牛乳クッキーだな。」
「うっひょー!」
この男、詳しすぎる。何者だ。非常に心を惹かれた。
もちろんクッキーに。
「ビンダーナーゲルの百色クッキー店という店でな。百種類とまではいかないが、沢山の味があるぞ。」
今度はどんな味のクッキーがあるかで会話が盛り上がった。
【25】
最初に気がついたのはエリーだった。
「あっちが明るいけど、何だろ。」
モニカにも、辛うじて薄明るい光が差し込むのが見えた。
「明るいってことは、人がいるのでは?」
「いや、そんな様子でもなさそう。」
探索方針には口を出さないはずのハインツが、珍しく声を掛けてきた。
「危険はない。行ってみたらどうだ。」
モニカにも特に否定する理由はない。個人的に興味もある。
「じゃあ、エリー行ってみよう。」
「あいよー。」
エリーが曲がり角を越える。歩みが止まった。
「ほわー……。」
彼女が驚きの声をあげるのは珍しい。気になってモニカも、エリーの隣に立つ。
なるほど。美しい。
コルも、呆然としてすべての動きが止まっていた。手が中途半端な位置で止まっている。
そこはかなり広い地底湖だった。
湖の周りには、透明白色の水晶が析出していていた。天井には地上までの穴があいていて、明るい空が覗く。太陽光が、水晶と水をキラキラと輝かせていた。辺りには上から降ってきた残雪が微かに積もり、誰かが通った足跡がある。
「この湖の水は飲めるぞ。かつての〈前線基地〉だったんだ。休憩しよう。」
「ええ、是非。」
モニカに否定する理由もない。
手頃な水晶に腰掛けて昼食を取った。三者三様に頬張る。
モニカは〈背嚢〉から、ジャーキーを取り出してかぶりつく。ジャーキーは手がべとつくから、好みではないのだが仕方が無い。
「モーニーカっーちー。」
「実は見ての通り、このダンジョンは水晶が取れるんだ。だけどここは見ての通り幻想的な光景でな。手を出さないと決めてあるのさ。」
「あーやーまーるー。」
「水晶は魔法の媒体になるので、使用価値は高いでしょう。」
もぐもぐ。
「ごーめーんーなーさーいー。」
「そうらしいな。水晶狙いで潜り込んでくる奴らもたまにいるようだ。」
「おーなーかーすーいーたー。」
「でも、入り口に中継基地がある以上、なかなか入ってこれないのでは?」
もぐもぐ。
「ねえってばー。」
「このダンジョンを掘ったのは俺たちじゃない。強く止める理由はない。」
「あ、あの。」
「なに、コルちゃん?」
「そ、そろそろエリーお姉ちゃんを許してあげても。」
「おお、コルっち!いいこと言う!」
「ダメです。」
「鬼! 悪魔!」
「で、そうそう、ダンジョンの話でしたっけね。」
「うっうっうっ。」
「一体、ダンジョンってのはどういう目的で作られてるんでしょうか。」
「うわーん。」
エリーはとうとう嘘泣きを始めた。というのも、声が明らかに棒読みだ。
大丈夫、大丈夫。一日、飯抜いただけでは死にはしない。村では日常茶飯事だったし。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、ほ、ほら、私が少し分けてあげるから。」
「おお、コルっち、天使だー!」
「あの……。」
コルがチラッチラッと見てくる。可愛い娘だなあ。
「私は今日は、エリーに餌をやらないって決めたからやらないけど、エリーがそれ以外で餌にありついたのならそれは何も文句は言わないわ。」
「モニカお姉ちゃん……。」
コルが可愛いので、適当な理由をつけて許可した。本音を言うと、エリーが鬱陶しい。
「ダンジョンの作られる目的なんて、そちらの方が詳しいんじゃないか?」
「え?」
エリーに気を取られていたので、一瞬、話の流れが理解できなかった。思わず聞き返した。
「〈地の上位精霊〉にそういう魔法があると聞いたが。」
「そ、そうなんですか。」
初耳だった。
よく考えれば当たり前かもしれない。ダンジョンをまともに人の手で作るとなると大事業だ。そんな話は聞いたことがないし、利益もない。自然に作られた洞窟ならまだしも。
「食べ終わったら、水を汲むのを手伝ってくれないか?」
ハインツは既に昼食を食べ終えていた。カートの中から空瓶を取り出す。そしてモニカ達に手渡した。
「あ、はい。」
「この水も〈前線基地〉に送るんでな。」
やっと、全ての空き瓶に水を満たした。カートの中身をよく見ると、結構な分量の空間を占めている。やはり水は貴重なのだろうか。
「ねね、モニカっち。」
エリーが、ニヘラッという顔でモニカの肩をツンツンする。さっきまで泣いてたのは嘘のようだ。
じゃなくて、実際、嘘だったな。
「服を洗い落としたいんだけど。」
ふむと納得した。確かに身の危険をあるものを身につけたままにして置けない。
「いいけど。寒いよ?」
「我慢する。」
モニカは、エリーから荷物を受け取ってから、コルとハインツの方を振り向いた。
「じゃあ、皆さん、危ないからエリーから離れて下さい。後、ハインツさんは後ろを向く。」
何が何やらという顔だが、二人は言う通りにしてくれた。
「何をやるんだ?」
「エリーごと洗濯します。」
「え。」
モニカは、召喚を始める。
「〈水の精霊〉さん。思いっきりエリーにぶっ掛けてー。」
湖から水が飛びだしたかと思うと、エリーの頭上から、ズシャアアと降り注いだ。
びちょびちょになって、下着が薄っすら透けて見える。ショートヘアーの艶やかな黒髪も、肌に張り付き水滴が落ちる。
モニカは、石鹸をぽーいと投げる。受け取ったエリーは汚れている所を重点的に擦りあげた。
「はい、次ー。もう一回ー。」
また、湖から水が立ち上り、泡ごとエリーを洗い流す。
「ヘックショーイ!」
「エリーに張り付いた水を流し落としてー。」
物凄い勢いで水滴が滴り落ち、間もなく乾き始めた。エリーはくしゃみを繰り返す。
「ヘクショーイ!」
「〈水の精霊〉さん、ありがとー。さて、次は〈風の精霊〉さんー。あれを乾かしてあげてー。」
まだ少し、しっとりしているエリーの服の中に風が入り込む。
「あはは、これ。寒いけど、くす、いつも、あはは、くすぐったい。癖になりそう。はあっ。」
「はいそこー。妙な声を出さないでー。」
エリーの洗濯は終わった。
コルの目が点になって、止まっていた。
【26】
休憩が終わり、再びダンジョンの中。
「エリー、止まれ。」
先頭のエリーは、立ち止まった。モニカもコルも、ハインツの顔を見る。
「次は〈不死蝙蝠〉だ。吸血はしないが、体当たりして噛み付いてくる。数が沢山いるのも厄介だ。」
モニカは、人差し指を咥えて少し考え、結論を出す。
「では、火で牽制して弓で射ります。」
エリーは「弓なら任せろー」と言って〈背嚢〉の口を開け閉めし、さらに屈伸運動もしている。訳わからん。
無視。
「攻撃はそれで良いかもしれんが、防御はどうする。」
「火では駄目なんですか?」
ハインツが首を横に振った。
「火では完全に防げない。向こうは傷さえつければ、勝ちだしな。もちろん回避出来るようなものでもない。戦闘も長引くから、戦闘後、回復という訳にもいかない。」
モニカは、自分の考えた作戦が駄目だしされるとは思わなかった。人差し指を咥えて考え直すが、いい考えは出てこない。
「ん、万策尽きたようだな。では、コルの出番だ。」
三人の視線がコルに集まる。コルは少し戸惑った。
「〈状態保護〉は使えるな?」
「あ、はい……。」
「どんな魔法ですか?」
〈状態保護〉は対外から入ってくる毒物や異物を未然に防ぐ免疫強化の魔法。ほぼ全ての異物を弾く。
欠点は魔法薬などの効果も弾くこと。本人の魔力が持続的に消費すること。また、余りに長時間使うと、免疫が暴走すること。
「へえ。」
モニカは感心した。魔法も奥が深い。
「じゃあ、全員にかけてくれる?」
「が、頑張ります……。」
コルは〈生命の精霊〉を召喚した。淡い光が零れ出る。と思いきや、困ったような顔でモニカの顔を見上げてきた。
「あ、あの、保護期間はどうしましょう。」
「そんな所まで指定するの?」
「はい。」
「確か、その魔法は途中で終わらせることも出来たな?」
「はい。」
ハインツは見つめてきた。
モニカが決めろ、ということらしい。人差し指を咥え、腕を組んで考える。
「コルが倒れた場合のことも考えろよ。」
頭上から声が降ってきた。
むむむ。
「では、期間は二刻。コルちゃんは、戦闘が終わったら解呪をお願い。」
「分かりました。」
コルは全員に〈状態保護〉を掛けて回る。ハインツに駆け寄ると、彼は手で遮った。
「俺には必要ない。」
「え?」
コルが、どうして、という顔をする。ハインツは微笑した。
「〈状態保護〉と似たような効果の〈魔法薬〉があるんだ。俺が飲んでるのは〈抗不死化薬〉というやつだ。」
コルが残念そうな顔をした。
【27】
モニカは〈火の精霊〉を召喚した。
火元は、モニカとコルの〈提灯〉。燃料は補充して満タンに。〈提灯〉の蓋は少し開けておく。
コルに二つとも持たせた。彼女は火源兼光源役だ。少々熱そう。
エリーは剣を鞘に納め、折り畳み式の〈短弓〉を取り出した。まだ展開はしていない。
準備ができた。
「エリー!」
「あいよ!」
突撃。
天井の高い、大きな部屋だった。地下水が岩から染み出し、鍾乳石から水が滴り落ちる。その音は、雨のようにうるさい。
地面は、落石によるものか尖った岩石がゴロゴロと転がっている。ゆえに部屋の広さに反し、足場は少ない。
また、濡れた地面は滑りやすくなっている。これでは、まともに剣技を使えない。
「くるよッ!」
天井の岩影から、バサバサ、キーキーと不気味な鳴き声が反響する。
モニカは振り返った。ハインツがついてきていない。狭い入り口で待機していた。
「あ、その手があっ」
腹に軽い衝撃を受けた。危うく舌を噛みかけた。
「モニカっち!」
慌てて〈火の精霊〉に命令。火を網状にして、頭上に展開。この〈火の網〉で蝙蝠を牽制する。
「火を!」
エリーからの鋭い声。
モニカは、慌てて彼女の傍に火を配置した。
【28】
エリーは素早く〈短弓〉を展開。
右腰の矢筒の鯉口を外す。
薬指と中指で、スルリと矢を取り出す。
矢先に火を点け、つがえる。
熱い。
火矢からの輻射熱だ。
耐えろ。
落ち着け。
五感を研ぎ澄ませろ。
触覚で羽ばたきを。
聴覚で羽音を。
嗅覚で獣の臭いを。
視覚で挙動を。
味覚で……えーと。
そうだ、コルにもらった昼飯は美味かったなー。
顔に蝙蝠が飛び込んで来た。
「うわっぷ。」
頬に手をやる。
手袋にほんのり血がついている。
……。
くそ、物凄い勢いで気を逸らされた!
許さないぞ、蝙蝠どもめ!
もう一度集中。
一番、近いのを狙え。
点で捉えるな。
線で捉えろ。
狙いを定める。
黒点を一つ抽出。
点を線に。
撃つ。
火が尾を弾く。
赤線と黒線が交わる。
命中。
赤線の軌道が乱れる。
火が地面に落ち、跳ねた。
次。
【29】
モニカは〈火の精霊〉の操作に苦心した。
この魔法の扱いは少々難しい。操作を誤れば、あっという間に魔力を持っていかれ、暴走する。
ジワリジワリと魔力が減っていく。
「エリー、まだなの……。」
顔が歪む。
エリーは、着実に蝙蝠を撃ち落としているが、まだ終わりは見えない。
今更ながら、この作戦に後悔し始めた。
だが足場が悪く、魔法を維持しながらの後退も難しい。このまま続けるしかない。
一瞬、気が抜けた。
火がエリーを焼こうとした。
「〈火の精霊〉ッ。動くなッ、網を維持しろッ!」
〈火の網〉に引っかかった蝙蝠が足元にボトリと落ちた。
【30】
コルは気を抜いてしまった。
「あっ!」
蝙蝠が、左手に直撃。
〈提灯〉がもぎ取られる。岩の向こうに吹き飛び、明かりが消えた。
残る〈提灯〉は一つ。
大変なことをしてしまった。
〈提灯〉がなくなれば、終わりだ。
血の気が引く音を聞きながら、コルは右手の〈提灯〉を脇に抱き締めた。
絶対に離さない。
これは皆の生命線だから。
空いた左手で、腰から短剣を引き抜いた。少しでも速く戦闘を終わらせたい。
地面でもがく蝙蝠に向かう。
蝙蝠に短剣を突き刺し、踏み潰した。
そして次の蝙蝠へ。
【31】
エリーは矢を取り出した。
狙いをつける。
……。
的がいない。
「終わっ……た?」
矢先を右にずらす。
いない。
左にずらす。
いない。
「終わったー!」
エリーは弓矢を持ちながら、両手の拳を振り上げる。気がつけば周囲の地面に、大量の蝙蝠の死骸が転がっていた。
矢の残存数の確認をする。
初めは100本あった。今は、1、2、……8本。かなり際どかった。
「皆ー、無事かー?」
一安心したエリーは振り返って、仲間の顔を見た。
「コルっち!」
思わず叫んでしまった。コルの顔が焼けただれ、火傷を起こしている。かなり危険そうだ。
「モニカっち! 手当てを!」
「分かった!」
コルにはキョトンとしている。自覚してない、つまり感覚がないという事だ。
モニカは急いで〈水の精霊〉を召喚する。そして〈背嚢〉から綿と包帯を取り出して、火傷部分を冷やし、包帯で巻き始めた。
「そうだ。コルちゃん、魔法でなんとかならないの?」
やっと事態が掴めてきたコルは、嬉しそうな顔になった。包帯の隙間から、モニカを見上げた。
「あ、大丈夫です。自分で治せますので。」
なんと言ったらいいのかわからない。口を開こうとしたら、背後から声がした。
「作戦があまり、良くなかったな。」
モニカは驚いて振り向く。何時の間にか、ハインツがモニカの背後にいる。不安げな顔で質問した。
「この場面は一体どうすべきだったのでしょう。」
「目的は、敵を倒す事じゃない。だから盾を持って駆け抜けるのが良かったんだ。」