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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【3章】
89/106

【92】

【11】


 〈狂える風の上位精霊〉は一瞬、止まったかに見えた。

 しかし咆哮を上げ、四枚の羽を広げた。周囲に竜巻が何本も発生し、モニカを吹き飛ばそうとした。

 〈地の上位精霊〉の属性場による保護を貫通し、モニカ自身の〈風の精霊〉による保護魔法を貫通し、強烈な重い空気に打ちのめされた。

 モニカは、歯を食いしばり、足に力を込め、心の声を精霊に呼びかける。


「〈風の上位精霊〉よ!」


 本来ならば神性を持つ精霊が、ここまで人間らしい感情に支配されているとなると、よほどの魔術師が魔法を暴走させたに違いない。

 精霊の精神と、人間の精神に対する両方の面から対応した方が良さそうだ。


「〈風の上位精霊〉よ! 汝の属性は自由! 思い出せ! 束縛から解き放て! 自由なる空へ!」


 モニカは、必死に呼びかける。

 風の精霊が少し震えたような気がした。

 効果がありそうだ。


「思い出せ! 汝の姿、役目を!」


 精霊とは、肉体に入っていない魂が、自然の属性を得たものだ。

 その存在は極めて希薄で、魂は離散集合を繰り返す。よって不浄な思念や魂が混ざると、暴走しやすい。

 つまり、正しい理念である風の理を示せば良い。不浄な思念を弾き出すことができるはずだ。

 モニカは目を閉じた。そして、朗々とした声で歌い出す。


「空に、鳥あり。翼を風に乗せ、空を飛ぶ。地に、木あり。種を風に乗せ、繁殖す。南から、暖気を運び、春を呼ぶ。北から、寒気を運び、冬を呼ぶ……」


 風の理を説いた〈風の祝福歌(シルフィブレスソング)〉と呼ばれる歌だ。

 その影響力は絶大で、歌い手の声、思念の届く範囲であれば、風に属する精霊全てを調伏することができる。


「……汝は、万物の運び手。汝なくば、世界はたゆたい、滅ぶ……」


 歌が中盤に差し掛かると〈風の上位精霊(ヴァンアールヴ)〉に変化が訪れた。精霊が震え、二つの意識に分裂しようとしている。

 一つは精霊本来の意識、もう一つは、人間の意識だ。そして、その人間の精神はひどく傷ついている。


「……我は、汝を神と崇める。世界を構成する柱。今こそ、その存在を認め、ここに形づくらん」


 ついに歌い終えた。

 気がつけば、風がおさまりつつある。調伏に成功したようだ。

 モニカは、ホッと胸を撫で下ろし、肩に降り積もった雪を振り払った。

 正直〈風の祝福歌〉で調伏できるとは思っていなかった。ほとんど賭けに近かった。

 そして、その賭けに勝った。


「風の神よ、自由たれ!」


 訴えは受けいられた。風の精霊はその姿を消し、元の状態に戻っていく。


「はぁ……」


 モニカは深呼吸する。

 まだだ。まだ、終わっていない。

 まだ、崩壊しかかった人間の精神をどうにかしなくては、同じことが起きかねない。


「〈風の中位精霊(エアリアル)〉よ! 我に羽を与えよ!」


 周囲に乱気流が起きた。

 モニカは〈地の上位精霊ガンダールヴ〉の巨人の肩から飛び降りた。巨人の腰ぐらいまで落下してから〈飛翔〉が発動。

 爆心地の中心を目指し、飛んで行く。


【12】


 モニカは、ついに爆心地にたどり着いた。

 爆心地は、かなり大きなクレーターができていた。外周には、割れた岩石や折れた巨木が散らばっており、全てを吹き飛ばした形跡が見受けられる。

 その上から、雪がうっすらと大地を覆い隠していた。


「やはり……」


 モニカは中心に目を向けながら、地上に舞い降りた。

 目の前には、痩せ細った男がうつ伏せで倒れていた。意識は失っているように見える。

 雪山に登るにしては、やけに軽い服装だ。周囲には、男が装備していたと思われる物が散乱していた。その中でも特に目についたのは、真ん中からへし折れた〈短杖〉だった。

 かなり強力な〈魔法具〉らしい。だが壊れているらしく、これが精霊暴走の原因に思えた。

 モニカは慎重に〈短杖〉を拾い、観察する。目に魔力を込め、魔法回路を読み取ろうとした。


「これは凄い……」


 モニカの目には、正二十面体の魔方陣が見えた。しかも、その中にも正十二面体や立方体の魔方陣が、積層して描かれているようだ。

 一般的な魔法回路は、複数の魔法陣を組み合わせて作る。その組み合わせ方には個人の癖があり、鑑定屋が見れば、いつ、誰が、どこで作ったかわかるのだという。

 しかし、この芸術的な魔法陣の組み立て方は、見たことがなかった。さぞかし名のある〈魔法付与師(エンチャンター)〉が作ったに違いない。

 しかし今は、この杖が暴走の引き金になっているようだ。何らかの処置をしなければならない。

 モニカは、名残惜しい気持ちで、魔法陣に、新たな補助回路を書き加えていく。


「もったいないですが……」


 一瞬のためらいの後。

 モニカは思いきりへし折った。

 これで、異常気象は収まるだろう。村は救われた。

 再び、視線を地面に落とす。次はこの男だ。


「もしもし、大丈夫ですか?」


 モニカはしゃがみ込み、軽く体を揺さぶってみた。

 返事はない。

 体温はかなり下がっている。こちらも危険だ。


「体、動かしますよ?」


 意識がないと分かっているが、念のため、確認をとる。男の肩に手をかけて、体をひっくり返した。


「こ、これは……」


 絶句した。

 男の首に首輪をはめられていた。しかも、どこかで見たことがある。

 モニカはすぐに思い当たった。


「奴隷の首輪……」


 王宮で師匠アルヴィスに見せられた首輪。

 装備者は、精神に変調を来たし、屈服してしまうのだという。師匠は、触ることすら危険だと言っていた。

 これは、どうなっている?

 この男は、王宮で起きた内戦と関係あるのか?

 ここで倒れているのは何故?

 モニカの頭に、沢山の疑問点が浮かび上がった。

 何としてもこの男を助け、事情を聞かなくては!

 モニカは、立ち上がった。

 雪は止んでいた。寒さが若干和らいでいた。

 東の地平線がかなり明るくなっていた。太陽の光が背後の山を照らし始める。

 戦いは終わった。


【13】


 モニカ達が、ヴァスマイヤ村に帰って来た時には既に昼が過ぎようとしていた。

 雪は完全に止み、小春日和な暖かさに包まれている。村中のあちこちで、子供達が雪で遊んでいた。


「お帰りなさい!」


 村の者たちが明るい顔で出迎えてくれた。モニカについて来た村人たちが、それぞれの家族の元へと散って行く。

 モニカは、それをただ漠然と眺めていた。

 ……少し、羨ましい。


「姫さんよ、こいつはどうするんだ?」


 背後から、粗野な言動の男に話しかけられた。

 彼が言っているのは、荷車の上で毛布に包まれている魔術師のことだ。

 見つけた時には、凍傷になっていたので、今は〈火の精霊〉に命令して〈保温(ウォーマー)〉の魔法がかけてある。


「そうですね。今すぐにでも、私の屋敷に運んで下さいますか?」

「分かった」

「私は、先に村長に報告に向かおうと思います」


 結局、今回の一件で、彼と一番仲良くなれたと思う。かなり頼りになる。

 もじゃもじゃ頭の木こりは、初めのベースキャンプで勇気が足りず、脱落してしまった。ポニーテールの女性は、魔力を吸われて寝込んでいる。

 彼らが悪いというわけではない。ただ、少し運がなかっただけだ。

 二人には、後で見舞いたいと思う。


【14】


 モニカは、村長の家に向かった。

 村長は、思ったより速い帰還に驚いていた。が、喜んで出迎えてくれた。

 そして、一通りのあいさつを終えた後で、今度の一件に対する結末を説明する。

 村長は全てを聞き終えると、唸るような声をあげた。


「なんと……冬の到来が速かったのは、その男が原因だったのですか……」

「そのようです。ですが、問題は全て排除しました。もう大丈夫でしょう」

「……わかりました。で、そいつはどうなされますか?」


 村長はやや不快そうな声色だった。天候すら操れる、正体不明の男だ。できる限り、村には置いておきたくないのだろう。

 だがモニカにとってみれば、今、王宮で起きていることへの手がかりだ。手放すわけにはいかない。


「それがどうも、私にとって重要な情報を持っているようなのです。ですから、彼の身柄を私に預からせてもらえないでしょうか」


 村長の眉間のシワが、わずかに増えた。それからふっと力が抜け、軽いため息をついた。


「ええ、それなら仕方がないでしょう」

「感謝します」


 不満ではあるが、納得してくれた、という感じだ。信用してくれたのだろう。

 モニカは報告を終えると、丁重にお礼を述べ、退室した。


【15】


 モニカは息つく間もなく、村の外れにある屋敷にたどり着いた。

 屋敷の前では、休息を取らせていた侍女と、粗野な言動の男がやり取りをしていた。

 侍女はモニカの姿を認めると、手を振ってきた。


「ご主人様! ご無事でしたか? どこかお怪我はありませんでしたか?」

「何ともありませんよ」

「どうして、何も仰って下さらなかったのですか?」

「休みを邪魔してはいけないと思いまして」

「どうしてですか。ご主人様の為なら、一日や二日は惜しみませんのに」

「もう、終わったことです。どうしてもと言うならば、今すぐ急いで暖を用意してください」


 ハッとした侍女は、慌てて屋敷の中に駆け込んでいく。

 その様子を見送ったモニカは、粗野な男に向かって言った。


「ご苦労様でした。後は私たちがやりますので」

「そうかい?」

「ええ」


 彼は、少し考えるような素振りを見せてから、不思議そうな顔をした。


「そうか。じゃあ、ここに荷車を置いていく。後で村の方に持ってきてくれ」

「はい、そのように。ありがとうございました」

「おう。また何かあったら、何か言ってくれ」


 男は手をあげてから、モニカに背を向けた。そして確かな足取りで、村の方へと帰っていく。

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