【08】20歳モニカ、昇級試験を受ける(1)☆
【1】
〈水瓶座〉の月。年が明けてからの風雪で、フルスベルグは雪化粧に包まれた。
モニカ達がフルスベルグにやってきてちょうど一年。モニカも20歳になった。
もはや馴染みとなった〈冒険者組合〉に、今日も依頼を探しに来た。施設の中もすっかり冬景色だ。暖炉の火がパチリと音を立てる。
受付のおっちゃんが、無精髭を撫でながら、手を上げて出迎えてくれた。
「よう。嬢ちゃん達。寒いのに精が出るな。」
「おっちゃん、こんにちわ。」
モニカも真似て、手を上げて挨拶を返す。おっちゃんは手に書類を持ちながら、手招きした。言われるままにカウンターに向かう。
「今日は、雪下ろしの依頼が沢山ありそう。ある?」
「いやその前に、嬢ちゃん達に連絡事項があるんだ。」
彼は一枚の書類をモニカの目の前に滑らせた。モニカはその紙に目を通す。
「冒険者組合からの昇級試験要項だ。」
書類には確かに、昇級試験要項と達筆で書かれている。首を傾げた。
「昇級試験?」
「何だ、知らんのか?」
「ええ……。ははは。」
モニカは一度、冒険者になるにあたって一通り説明を受けたが、一年経って、スッパリ全て忘れ去っていた。照れ笑いで誤魔化した。その様子を見ておっちゃんが、しょうがないなという顔をする。
「冒険者ランクFから、ランクEに上がるための試験だ。」
今までの生活に漸く慣れてきた頃だ。今更、ランクが上がると言われても戸惑うしかなかった。
「ランクEになると、どうなるんですか?」
「一言で言えば、信用が上がり、受けられる依頼が増えるってことだ。」
それでも、何となく実感が沸かない。おっちゃんは言葉を続ける。
「ランクFは別名、無頼者ランクとも揶揄されるな。浮浪者。犯罪者予備軍。それが街からの評価だ。当然、重要な仕事はやらせてもらえない。」
「無頼者……。」
モニカにも心当たりはあった。約束を途中で放り投げる自称冒険者。下品な荒くれ者。盗みを働いた者。
「ランクEになると、本格的に冒険者予備軍として認められる。さらにフルスベルグ市民候補として、様々な権利がもらえるんだ。」
突然、エリーが横からずいと出てきた。モニカは少しだけ驚いた。エリーが話に割りこんでくる事は稀だ。何故だろう。
「つまり、具体的にどうなるの?」
「具体的に言えば、依頼のうち〈護衛〉〈斥候〉〈輸送〉ができるようになる。例えば、商人たちの馬車の護衛、近くの村の連絡係、郵便配達、少額ならば現金輸送などができるんだ。」
エリーが満足そうに頷いた。
「へえ、結構、やれることが増えるんだねー。」
おっちゃんは、無精髭をまた撫でながら話を続けた。
「他には、露天許可証が出るな。商人ではなく、冒険者らしいのが露天で店だしてるの見たことあるだろう?」
「あれができるようになるの……。」
〈黄色雀蜂〉事件の一件から、よくお世話になっている露天の冒険者の顔を想像する。歴戦の戦士な風貌だけあって、冒険者として必須な小道具をよく取り揃えているから、よく利用するのだ。主にイル先生の依頼で。
「まあ、取り敢えず、その書類を読んでみな。改めて宿に案内書きを送るからよ。何か質問あるか?」
モニカは、書類にさっと目を通しつつ、質問する。人差し指を口に持っていく。癖だ。
「試験に失敗したらどうなるのです?」
「どうもない。死ななければしばらくの期間をおいて、再挑戦できる。試験は年に二回ある。他には?」
「〈党〉は?」
「こちらで編成する。悪いようにはしないつもりだが、どうしても拒否するなら、一回のみ変更は認める。」
「エリーと一緒に受けたいんだけど?」
「その辺は抜かりない。こちらでは既に二人は〈党〉と見なしている。他の〈党〉と組み合わせる形になるだろう。」
「試験内容は?」
「試験内容は、今回は、ダンジョン探索だ。どう探索するかで成績がつく。」
そろそろ、質問が思いつかない。言葉に詰まったモニカは書類から目を離し、エリーに話を振ってみる。
「エリー?」
腕を組んで、壁に寄りかかっていたエリーが口を開く。
「ダンジョン探索だと、腕っ節に自信がないのは不利になるんじゃない?」
「採点方法は、戦闘だけじゃない。多角的に見るので、不利にならない。」
「具体的には?」
「戦闘補助能力や、危機回避能力、判断力、環境適応力なんかだな。」
エリーは口をつぐんだ。もう質問はないようだ。その様子を見て、最後におっちゃんがまとめた。
「何らかの能力を示し、危機を乗り越えるというのがランクE到達への条件だ。嬢ちゃん達なら大丈夫だろう。」
【2】
一度、宿に戻ることにした。
帰り道、ザクッザクッと雪を踏みしめながら、二人で相談する。
「ダンジョンか。やっぱり魔物出るのかな。」
「モニカっち。武器より防具を新調した方がいいと思う。」
「わかった。後は小道具ね。欲しいのは縄、予備用の短剣、それに小皿辺りかな。」
「そうだね。」
「残りは、イル先生に相談してみよう。」
「他には……。」
【3】
試験の日。
指定された時間の通り、早朝に冒険者組合の戸を叩いた。おっちゃんがいつものように無精髭を撫でながら、出迎えてくれた。いつもと違うのは、奥の椅子に小さな女の子が、ちょこんと大人しく座っていた点だ。
「おお、時間通りに来たな。」
「まあ、試験ですし。」
エリーを叩き起こすのには、苦労した。
そのエリーは後ろで、寝ぼけて〈熊皮の上衣〉の毛をアムアムしている。それは食べ物じゃない。
「受験生の構成は女3人、男1人の四人だ。詳細内容は全員が集まってから説明する。」
「男1人?」
小さな女の子がいるのは驚きだったが、この子が受験生の一人だろう。しかし、辺りを見回してみても、男がいる様子がない。
「ああ、あいつは少し遅れるんだ。」
「そうなんですか。て、知ってる人なんですか?」
「紹介は、後でする。少し待ってくれ。」
その時、玄関の扉がバァンと開き、黒髪の青年が駆け込んできた。モニカ達は驚いて振り向いた。男の中では身長は平均程度。エリーとほぼ同じ高さか少し高い。パッと目立たなくて掴みどころのない優男の風貌だった。息を切らしている彼の口からは、白い煙がもくもくと出ている。全速力がここまで走ってきたのだろう。
おっちゃんは無精髭を撫でながら、手をあげて挨拶した。モニカは、いい加減にあの髭が気になり始めた。プチッって抜きたい。
「よう、ハインツ。全員集まってるぜ。」
「いや、遅れてすまん。話を続けてくれ。」
丁度その時に、遠くでカーンと時計塔の鐘がなった。今、集合時間になったのだ。
おっちゃんは苦笑いした。
「それじゃあ、俺から皆を紹介しよう。」
彼はモニカの横に立ち、肩に手を置いた。モニカはいきなりの事で、吃驚してしまった。
「この嬢ちゃんは、モニカ=アーレルスマイヤ。ぴちぴちの20歳だってよ。所有技能は〈魔術師〉。四大属性の下級は、一通り使えるみたいだぞ。」
今までのならず者を思い出してしまい、嫌な気分になった。しかし、悪意が無さそうということもあって、表情を平常を保つことはできた。
「よろしくお願いします。」
それからエリーの方に向かって手のひらを向ける。
「んで彼女がエリノール=アーレルスマイヤ。21歳。所有技能は〈戦士〉。一通りの武器は扱えるようだ。」
「ふああ……。よろしくー……。剣と弓を使うよー。」
エリーは眠たそうに欠伸をした。モニカは、段々恥ずかしくなってきた。
それからおっちゃんは、椅子に座ってる小さな子の方に向かい、頭をナデナデする。女の子は嬉しそうな、くすぐったそうな顔をしていた。
「この子がコルネリアだ。13歳。所有技能は〈治療士〉だな。」
「お、お願いします。」
最後に青年の背中をドンと叩く。意外に力が入っていたらしく、青年はよろめいた。
「んでこれが、ハインツ=ドレイアー。28歳。技能は〈斥候〉〈戦士〉。」
「よろしく。罠や気配があれば、率先して見つけよう。」
おっちゃんの簡単な紹介が終わった。この4人で試験を受けるのだ。
「年齢、技能、人種を見て、俺が党編成した。党首はハインツだ。何か問題があるかい?」
エリーが、欠伸を噛み殺しながら言った。
「ふあ、人、少なくないー?」
「それぞれの事情や、受験生の組み合わせの関係上、こうならざるを得なかった。能力的には、不足はないと思っている。」
ハインツも困ったように頭を掻きながら、おっちゃんにボヤいた。
「いくらなんでも、俺以外女の子というのは……。」
その言葉におっちゃんは、言葉を詰まらせた。ハインツを手で招き寄せる。
「ハインツ。ちょっとこっちに来い。」
二人は、部屋の隅に行き、ひそひそと話をしている。恐らくモニカ達の事を話しているのだろう。時折、モニカ達の方に視線を向ける。
いたたまれなくなったモニカは、エリー達の方を観察した。エリーはというと、壁に寄りかかってウトウトしている。コルネリアという女の子は、椅子に座ってカチコチと固まっている。
何だか背中がむず痒くなった。何この空気?
「そうか。分かったよ。」
そのハインツの声で、モニカはハッと我に返った。いつの間にか、二人の話が終わっていた。
「さて、他にないようなら、詳細説明に入るがいいか?」
誰も異論は挟まない。おっちゃんは一息置いて、話を続けた。
「この街の上流に古いダンジョンがある。中には不死生物が生息している。」
「ひょっとして、街の歴史に出てくるダンジョンですか?」
モニカは思わず質問した。エリーの持っていたガイドブックを思い出した。
おっちゃんは話に割り込まれた事を気にせずに言葉を続けた。
「そうだ。だが厳密には違う。ダンジョンを破壊しても、すぐ近くに代わりの新しいダンジョンが生まれるらしい。4代目だそうだ。仕方ないので今は、監視という形をとっている。」
おっちゃんは言葉を一旦切った。話が逸れたことに気がついたようだ。軽く咳払いをした。
「嬢ちゃん達の試験内容は、そこの地下5階にある前線基地に、物資を送ることだ。なお、物資はこちらで用意する。ダンジョン入り口までは馬車で、ダンジョン内はカートで運ぶ。」
今までの依頼では、依頼主が何かを用意するというようなことはなかった。つまりこれは〈護衛〉の依頼だ。モニカは、ランクEの試験とはランクEの依頼そのものであることに気がついた。
「ここまでで、何か質問はあるか?」
おっちゃんの言葉に反応して、ハインツが淡々と質問した。
「その物資が破損したり紛失した場合は?」
「少々なら問題はない。だいたい2~3割の破損は許容するようだが、それ以上は向こうの気分次第で罰則がつく。」
「途中で戦闘不能になった場合は?」
「一定時間内に到着しなければ、救助に向かうことになっている。だからその場で待機していればいい。」
誰も言葉を発しない。他に質問はないようだ。
「では、出発だ。馬車を東正門前に待機させてある。直ちに向かってくれ。」
【4】
東正門に、幌馬車が止まっていた。幌馬車の中は大量の食糧、武器、魔法薬、薪、材木、毛布などが積み上げられていた。人が乗る空間は3人分ある。
ハインツは、御者の位置に乗り込んだ。
「さあ、後ろに乗ってくれ。」
「え、ハインツさんが運転するんですか?」
「そうだ。そういうことになっている。」
モニカは少し驚いた。どこでそんな技能を身につけたのだろう。
全員が幌馬車に乗り込むと、やがて街道に沿って、軽快な音を立てて走り出した。
【5】
フルスベルグ川を左手に、順調に街道を走っている。馬車の中では誰も喋らない。こういう空気が苦手なモニカは、思い切ってコルネリアに話しかけた。
「コルネリアちゃんはどうして冒険者に?」
今の段階で彼女が13歳という話だった。この歳で試験に参加するということは、信じられないことに、最低でも12歳から冒険者ということになる。
「コ、コルでいいです。コルとお呼びください。それで、冒険者になったのは……その……。」
か細くなっていくコルの言葉に、前から助け船が来た。
「俺から説明しようか。」
ハインツだ。顔は前方を向いたままだ。
コルがビクッと反応した。その後、か細い声で「お願いします……。」と言うのが、傍にいたモニカには聞こえた。
ハインツには、それを聞こえたとは思えない。しかし彼は続けた。
「その子は難民なんだ。それをある冒険者夫婦が保護した。一緒に行動する為に早くから、冒険者登録をした。」
やけに簡略化された経歴だ。モニカは違和感を覚えた。だが、顔を合わせたばかりの人間に込み入った質問をするのは失礼だったなと思い、謝った。
「ゴメンなさい。代わりに私のことを話しましょうか。」
「いえ、あ、お願いします。」
そこに、やっと目が覚めてきたエリーが話に割り込んでくる。
「あたし達って、そんな人に言えるほど面白い話なんてないじゃんー。」
モニカはすかさず反応した。
「あたし達、とか混ぜるなッ。エリーは色々と恥ずかしい武勇伝があるじゃないッ!」
「あったっけ?」
「……あら、ウンコ踏んだ話とかしていいわけ?」
「あ、それはやめてー。あたしのイメージに傷がつくー。」
「ブッ、エリーは最初から傷だらけだから気にしなくていいのよ? というか傷しかないじゃないッ!」
コルを放置して、エリーとモニカの口喧嘩が始まった。コルは初めはオロオロしていた。しかし、二人の口喧嘩は面白い。やがてクスクスと笑い始めた。
そこに、ハインツがポツリと火に油を注ぐ。
「仲いいんだな。」
モニカが反応した。
「仲いいんじゃなくて、私はいつもこの危険物に振り回されてるだけッ。でも、コレを扱えるのは私だけだから、仕方が無いのッ!」
「人を危険物扱いするなー!」
口喧嘩は続く。そんなエリーとモニカを交互に見比べていたコルがが俯いた。そして、たどたどしく話しだした。
「エリーお姉さん、とモニカお姉さん、は同郷の人ですよね。羨ましいです。」
モニカは、我に返った。
コルは難民だ。つまり、故郷をなんらかの事情で追われたのだ。もしくは、故郷が消滅した。
「私たちは、飢饉で村にいられなくなったから出てきたのよ。」
コルの気持ちを少しでも慰めようとモニカは自分の事を話し始めた。ところがエリーがまた混ぜっ返す。
「そうそう、だからあたしたちは美味しい物が食べられれば、それでいいよー。だから手っ取り早く冒険者になったのさー。」
「だから、食い意地張ってるのはエリーだけでしょ。混ぜないでッ!」
「えー、モニカっちー。仲間になってよー。」
会話に釣られて、ハインツも口を出してきた。
「騒ぐのはいいが、物資を壊すなよ。」
「はーい。」
【6】
気がつけば、日が暮れかけていた。
夕暮れに照らされて、川のキラキラした反射も紅く染まる。
「もうすぐ着くが、酔ってないか?」
モニカとエリーは平気だったが、コルが気持ち悪そうだ。
「大丈夫です……。もうすぐ着くなら我慢します……。」
「休憩しても良いが。」
「い、いえ、結構です。」
「そうか。」
モニカは口を出そうと思ったが、コル本人が頑なに否定するので何も言えない。
代わりにハインツの事が何となく気になった。コルの身上話は聞いたが、彼の事はまだ何も聞いてない。
「ハインツさん。」
「ん?」
「ハインツさんは、どうして冒険者に?」
ハインツは少し沈黙して、空を見上げた。彼にもやはり事情があるのだろうか。
「俺はそうだな。君たちみたいな事情はない。親は街内で服飾屋やってるしな。……ただ、なんとなく、かな?」
質問した時の様子がそんな感じには見えなかった。本当だろうか。何か言おうとした時、ハインツが思い出したかのように言った。
「そうだ、今のうちに〈戦闘長〉を決めてもらおうか。」
「えっ。〈戦闘長〉?」
ハインツは確かに、〈戦闘長〉と言った。〈党首〉とは違うのだろうか。モニカは混乱した。
「俺は試験官だ。戦闘にむやみに参加することはできない。」
「えっ?」
今度こそ、本当に驚いた。
「俺はランクDなんだ。この試験の試験官を無事にやり遂げる事が、俺のランクCへの昇級試験だ。つまり、俺も受験生ではあるが、君たちの〈|党首〉であると同時に、試験官であり、護衛でもある。」
モニカは驚きの余り、何と言ったらいいのかわからない。口をパクパクさせた。その時、後ろからエリーの声がした。
「それなら、あたしはモニカっちが〈戦闘長〉でいいと思うよ?」
後ろを振り向くとエリーがニコニコしている。そこでやっと、モニカは頭が回りだした。〈戦闘長〉なんて嫌だ。
「ええ、エリーの方が強いじゃない。」
「あたしは、考えながら何かをやるってのは苦手だよー。第一、今までモニカっちが最終的に決めてやってきたじゃん。今までと変わんないって。」
思い返してみれば、確かに行動指針はずっとモニカが決めていた。今までと変わらない。のか?
「確かにそうだけど……。」
「大丈夫だって。困ったら、あたしが助けるからさ!」
「うん……。」
「なら、決まりだな。」
なし崩し的に皆に決められてしまった。何だか嵌められた気分だ。
日没後、間もなく目的地についた。
【7】
目的地は中継基地という名の村だった。
入り口を、二本の篝火が怪しく浮かび上がせる。馬車は篝火の間を通り抜け、厩舎の前で停止した。
「着いたぞ。」
その声と同時に、馬車の振動は止まる。エリーは馬車から飛び降りた。モニカも降りようとした。
が、ふとコルを見ると震えていた。モニカは保護欲に駆られた。ゆっくりと近づく。
「コルちゃん、大丈夫よ。」
モニカは、コルをそっと抱きしめ、手を繋ぎ、共に降りた。
ハインツの方を見れば、馬の首筋を掌で叩いて、労を労っていた。モニカは声を掛ける。
「あの。私たちはどうすれば?」
「ん、ああ。間もなく案内の兵士が来るだろうから、付いていけ。俺は少し用事がある。」
モニカは、案内が来るまで周りを観察した。薄暗闇の中、兵士がバタバタと走り回っている。エリーは、あちこちの備品に手をつけていた。コルは、モニカの手を握っている。
やがて一人の兵士が近づいてきた。
「ご苦労様です。ダンジョン攻略は明日になります。今日は宿に泊まって頂きます。ご案内しましょう。」
兵士の後を追おうとコルの手を離す。離れない。コルは逆に強く握り返してきた。これは困った。
正直、幼女なんてどう扱えばいいのか分からない。
「コルちゃん……?」
コルは俯くばかり。モニカは仕方ないのでそのまま歩きだす。コルは手を握ったまま付いてきた。これでいいのか。
「エリーッ。行くよッ!」
「あーい。」
モニカ達は兵士に先導され、明かりの灯った木造施設に辿り着いた。
【8】
案内された部屋は、二段ベッドが二つの四人部屋だった。
部屋の中央の机の上には〈行灯〉が置かれ、部屋全体を照らす。
エリーは背中から〈背嚢〉を降ろし、机の上に置く。
「んふー。随分と物々しい雰囲気だねー。」
モニカとコルは、二段ベッドの下の段に腰掛けた。
「うん、街の雰囲気と全然違う。緊張感がある。」
エリーは、4つのベッドを見やる。標的を決めたようだ。エリーの目がキュピーンと光った、気がした。
「あたしは、この上のベッドがいいー!」
そう言ってモニカの上段のベッドに飛び込んだ。ベッドがミシミシと音を立て、僅かな埃がモニカの項に落ちた。壊れてしまいそうだ。
正直、今のは怖かった。
「エリー、飛込み禁止ッ!」
「えへへのへ?」
「笑って誤魔化すなッ!」
さっきから、エリーが興奮している。初の遠征だからか。モニカはベッドから立ち上がって、抗議しようとしたが。
男の声で遮られた。
「あー、お楽しみの所、申し訳ないんだが。」
振り返ると、入り口の扉にハインツが立っていた。こめかみに指を当てている。何か頭痛のタネでもあるのだろうか。
と言うか、全然お楽しみじゃない。
「簡単にこれからの事を説明する。そのままの状態でいいから聞いてくれ。」
エリーは上段ベッドに腰掛けた形に。モニカとコルは、下段ベッドの縁に腰掛けた形になった。
「先ずはダンジョンについて。言われてる通り、ここは不死生物が出現する。切り刻んでも動き続ける存在だが、一般的には火に弱い。」
モニカもエリーも〈魔物〉と戦ったことはない。だが、覚悟と準備だけはしてきた。
〈魔物〉とは、人を見れば襲いかかってくる生物の総称だ。山中で出会う獣とは異なる。獣は、危険を感じたら逃げる動物だ。
「戦闘は三人に任せる。俺は物資の護衛役と荷物持ちをやろう。」
コルの握る手の力が強くなった。モニカはそっと頭を撫でて、落ち着かせた。
「作戦、戦闘指示はモニカが出せ。ただし、俺が危険だと感じたら、口や手を出すから安心しろ。」
戦闘指示など初めてだ。モニカは緊張した。その様子を見て、ハインツは苦笑する。
「そんなに硬くなるな。索敵は俺がやる。だから不意打ちは、絶対ない。戦闘前の打ち合わせぐらいは出来る。」
それを聞いて、多少の不安は和らいだ。考える時間があれば、余裕もできるだろう。
「何かあるか?」
モニカは、少し考えたが特に言うようなことはない。
「ないです。」
「では、今日は体を休めるといい。じゃあ、また明日。」
ハインツは別れの挨拶と共に、扉を閉めて去っていった。閉まった扉には、閂がついていた。
「じゃあ、寝るかー。」
エリーは、上のベッドに引っ込んだ。
モニカは困った。横に居るコルは手を話してくれない。できるだけ優しい声で話しかけた。
「コルちゃん。明日の為に早めに寝ましょう。だから、手を離してくれるかな?」
「……モニカお姉ちゃんと、一緒に寝たいです。」
モニカは固まった。
何だって?
なんと言った?
「コルちゃん、もう一回。」
「お姉ちゃんと一緒に寝たい……。」
「もう一回。」
「……お姉ちゃん?」
混乱して、思わず何度も聞き返してしまった。怪訝な様子のコルを見て、我に返った。仕方が無い。
「ごめんなさい。わかったわ。一緒に寝ましょう?」
よく顔を見ると、コルの唇が紫色に染まり、顔は蒼白だった。13歳ではこの雰囲気に耐えられなかったのかもしれない。
「だから、手を離してもらえるかな?」
「はい……。分かりました……。」
コルはやっと手を離してくれた。
モニカはベッドから立ち上がり、扉の閂を閉めに向かった。そしてベッドに戻り、コルの手を取ってベッドに入ろうとした。
が、思い直す。
コルの手を引っ張り、エリーと反対側の下段ベッドに飛び込んだ。
【9】
次の日の朝。
初めに目覚めたのはモニカ。目覚めたら目の前にどアップの女の子の顔があってびっくりした。
「あ、あー……。」
コルの顔だった。急激に回転し始めた頭で、なんか前にもこんな事があったなと思いつつ、声をかけた。
「コルちゃん、おはよ。」
「ん……。」
乱れた服の隙間から、若々しい鎖骨と、全く色気の見られない僅かな膨らみがチラリと見えた。ドキリとしたモニカは、黙って服装を治してあげる。まだ目覚めてない様子のコルを起こすのはまずいと思い、そっと起き上がって外に出た。
日の出は何度見ても清々しいものだ。
周りを見ると、壁際に水桶が積まれていた。これで朝の用事を済ませろということか。
モニカは水桶を持って、井戸に水を汲みに行く。
汲んだ水桶を持って戻ってくると、コルは既に起きていた。櫛で髪を梳いている。
「モニカお姉ちゃん、おはようございます。」
「おはよう。」
もう、コルの中では、モニカお姉ちゃんで固定化されたようだ。モニカもそれを受け入れた。
「エリーは?」
「エリーお姉ちゃんは……まだです。」
予想通りの返答に、頭を抱えた。エリーは寝坊癖が酷い。
「あ、うん、いい。わかってた。」
「そ、そう、ですか……?」
モニカはツカツカと歩き出して、エリーの下のベッドに潜り込んだ。
そして。
「ウオォォッ、起きろやァァアッ!」
モニカは、女とは思えないような吠え声と共に、握り拳でベッドの天井をぶっ叩いた。
「ギャァアアッ!」
エリーは跳ね起きる。
最近はモニカにも腕力がついたらしく、全力で叩けばエリーも反応するようになった。そんな様子を目の当たりにしたコルは、完全に動きが停止していた。チラっとコルに目を配ると頭に櫛が刺さってた。
「あ、あ、モニカっちッ、起きたッ、起きたッ、ほら!」
「そう、良かった。」
イル先生直伝の微笑みを、慌てて跳ね起きたエリーに向けた。彼女は、この微笑みの意味を知っている。急に動きがぎこちなくなった。
「いやっ、そのっ。」
モニカは、エリーの慌てぶりを無視して、二人に水桶を渡す。
「ほら、これで朝の身支度しなさい。」
そう言って、全員で朝の身支度をした。具体的に言えば、顔を洗う、整髪する、歯を磨く、体を拭う、などだ。
そんな作業をしながら、エリーがボヤいた。
「最近、モニカっちが凶暴化してて、怖いよ、もう。ホントに。」
「エリー、前に寝過ごして〈依頼〉を駄目にしたのは誰だったかしら?」
「は、あ、いえ、何でもありません……。」
エリーは肩を縮めてションボリする。コルは何も言えないでいた。エリーはコルに向き直り、頭を撫でる。
「コルっち、大きくなっても、こんな凶暴な女になっちゃダメだよ?」
「あ……え……。」
モニカは、目を釣り上げた。
「エリーィイ?」
「ゲフゲフ、ンンンッ!」
エリーはわざとらしく咳をして、慌てて手を引っ込めた。
最近、エリーの誤魔化しも種類が増えた。
【10】
やっと身支度が終えたので、朝食を取る。
朝食は外からとってきた水、モニカのクッキー、コルが持ってきたジャーキーだ。三人で分け合った。
そして、クッキーを食べ尽くした。
食べ尽くしただと?
気がつけば、モニカの〈背嚢〉の食糧が空になっていた。おかしい。四日分は持ってきたはずだ。
「エリー、食糧をもっと持ってきたような気がしたんだけど。」
「……さあ?」
露骨に目を逸らすエリー。おい。
「さては、馬車の中で喰ったなッ?」
モニカは、馬車での出来事を思い返す。確かに自分の背嚢から目を離した事がある。ハインツに語りかけた時だ。
さて、何と言って追い詰めてやろうか。
モニカは、頭で計画を練り始めた。
とその時、ノックの音が聞こえた。
「入っていいか?」
「どうぞ。」
思考を中断されて思わず返事をしてしまった。返事をしてから、特に問題がない事を確認した。大丈夫だ。
ガチャリと音を立てて部屋に現れたのはハインツだ。彼は入ってくるなり訝しげに首を傾げた。
エリーの方は、露骨にほっとしている。後で懲らしめてやる。
「先ほど、この部屋で大きな音がしたような気がしたんだが……。」
モニカは焦った。壮絶に心当たりがある。
「ははは、たいしたことじゃないです。」
「まあ、いいが……。何か破損してたら、君らの給金から差っ引くみたいだから、気をつけてな。」
「ははははは……。」
モニカは顔を引きつらせた。コルが不思議そうな顔をしていた。
「出発の準備が出来たら、広場にくるように。じゃあ、邪魔したな。」
ハインツは、背中を見せて立ち去ろうとした。モニカは、慌てて声をかける。
「あ、ちょっと待ってください。」
「ん?」
「食糧って分けていただけますか?」
「忘れたのか?」
「ええ……まあ。」
曖昧に返事をしながら、心の中で3回、エリーを殴っておく。
「ここの兵士に言えば、少しは分けてもらえるはずだ。街と比べると割高だがな。……他になければ、もう行くぞ。」
「はい、大丈夫です。」
そう言ってハインツは部屋を去った。
彼に言われたように、荷物の最終確認をし、準備をする。
モニカは、改めて新しく新調した〈鎖服〉を服の下に着込んだ。それに召喚媒体もきちんと召喚できるかの確認をした。後は小道具が予定通りの個数があるかなど。
エリーは武器や防具を豚脂をつけて磨く。剣は一度分解し、剣首を締め直した。折り畳み弓は、矢がセットできるか試し、そして一本試射。手首から肩まですっぽり覆う腕防具を身につけ、剣踊した。動きを障害しないかの確認だ。
コルは、特にする事はない。〈短杖〉に異常がないか確認したぐらい。元々、彼女の荷物は少なめだ。
道具を充分に確認して、宿を出た。
モニカは、近くに居た兵士に食糧を分けてもらえないか尋ねる。すると、食糧品店に案内してもらえた。店に入ると、確かに割高だった。干し肉を割いたジャーキーを購入した。
ふとエリーを見ると、露骨に目を泳がせた。エリーめ。
広場に到着した。
建物の陰には、今だ残雪が残る。ハインツの口からは白煙が立ち昇り、朝の寒さを一層感じさせる。
ハインツは既にカートに荷物を積み替えて、待機していた。
「来たな。準備はいいか?」
三人とも首を軽く縦に降る。そのままハインツに連れられ、ダンジョンの前まで辿り着いた。
「では後ろで俺が見守ってるから、思う存分やってみるがいい。」
そしてエリーを先頭に、モニカとコル、殿のハインツという順番にダンジョンの中に入っていった。
【11】
中は暗闇だった。
コルは早速、〈提灯〉に火を灯そうとする。が、モニカが手で遮った。
「それには及ばない。私が魔法を使います。」
モニカは、召喚の準備に入った。
「〈光の精霊〉よ、我が求めに応じて姿を現せ。」
モニカの〈光の耳環〉から発光体が3つ飛びだし、周囲を照らす。〈光の精霊〉による光球は、火より遥かに明るくて探索向けだ。
「〈光の精霊〉を呼び出しました。これで探索が楽になるでしょう。」
ハインツは手を翳し、目を細めた。彼にはやや眩しいようだ。光に照らされた通路が奥まで延びる。
「エリー、地図作成と印付けをお願いね。」
「よし来た。」
エリーは歩き始めた。
別れ道に遭遇すると、黒鉛を取り出して壁の下の方に、複数の数字と記号を書き込む。数字は分かれ道につけられた番号。その周りに小さめに書かれた数字は別れ先の番号。さらに出口に向かう方向にはEのマーク。いざという時はEのついているマークだけを辿れば良い。
今までは短剣で代用していたが、傷つけられない可能性も考えて、黒鉛を購入した。
何度か分かれ道を通り過ぎた頃。
コルが突然目を回し、足元が覚束なくなった。
「ああ、何が何だかわかりません……。」
「ちょ。コルちゃんッ?」
どうやらコルは、エリーの印とは別に、脳内で地図を作成していたらしい。
しかし、下り坂、上り坂、元に戻ってくる道などを、脳内で完結するには無理がありすぎた。
「心配しなくても、印があるから平気よ?」
「あ、そうですけど、何となく……。」
その時、ハインツの鋭い声が飛んだ。
「待て。曲がり角の向こうに、何かいるようだ。」
「人ですか?」
「この歩き方は違うな。不死人間と言ったところか。皆いけるか?」
全員が無言で頷きあった。