【80】25歳モニカ、目覚める日 (3)
モニカはとても動揺した。
自分が王家の血筋というだけでも、頭が混乱しているのに、名乗りをあげろなどと冗談にしか聞こえなかった。
「……何故、そんなこと……」
頭が回らない。ただ、なんとかかすれた声で言い返すことはできた。
「……クレメンスと名乗る〈仮面の魔術師〉が権力の中枢にいることは知っておりましょうや。あやつは逆らう者を権力で排除し、都合のいいようにこの街の構造を組み替えていましてな。それは、直系のフルスベルグとて例外ではないのです。その権力の根拠となっているのが、王家の血筋とされるファティマという女の存在なのです」
ジークフリートは淡々と答えつつ、懐から王家の紋章の描かれた短剣を取り出した。モニカに向かって紋章の部分を提示する。
「ファティマは、我々の目の前で、王家の血である証を示しました。よって古き盟約に従い、彼ら側につく者も現れました。ただ……」
少し言いにくそうに顔をしかめている。
「我輩の目から見れば、ファティマは操り人形。実際のところはクレメンスのやりたい放題なのです。しかもあやつとて、冒険者組合の創始者であり、クラスAの身分とされる。貴族に対しては王家のファティマを前に立て、庶民や冒険者たちにはクレメンスが前に立つ。それでも刃向かう者には、粛清が待っている。抵抗する方法はこれしかないのです」
モニカは、耳を立てて聞くことしかできなかった。ジークフリートの声に、わずかにすがるような口調を感じたような気がした。
「俺からもお願いする。モニカ嬢」
背後からカールの声が聞こえた。
モニカは振り返る。
「ミヒェル組合長の裁判が、あまり良い方向に向かっていない。このままだと有罪判決を受けて、処刑されてしまう。王家の圧力でなんとかしてくれ。……頼む」
モニカは、ジークフリートとカールの姿を交互に見る。
自分より二倍近く年上の男から、しかも二人から懇願されるなんて思ってもみなかった。それだけによほど切羽詰まった状態であることがうかがえた。
「すいません……自分の中で整理が……少し時間を……」
「それならば、ぜひ我輩の屋敷に案内する。こちらへ」
ジークフリートは手招きし、奥へと歩き出した。その先は、扉に通じている。どうやらこの馬小屋は、ジークフリートの屋敷の一部だったらしい。配下の男が、明かりをつけて先導する。
「モニカ嬢」
背後からカールの声が聞こえた。有無を言わせない雰囲気だ。モニカは諦めて、ジークフリートの後を歩き出した。
【5】
案内された部屋は、本棚がびっしりと置かれた部屋だった。小さな図書室のようだ。窓はなく、少々紙の臭いがする。壁につけられた魔法の設置灯が、淡い白色を照らしている。
「少しお待ち頂けますか」
ジークフリートは本棚を開き、探し物を始めた。
モニカは、無意識にその動きを目で追う。
ようやく、頭の回転が回復してきた。信じられないが、自分は王家の人間らしい。それはなんとか理解できた。そして、母親は何らかの事情があったのだろうということも。
ただ、それを聞いて、自分の気持ちがどうなっているかわからなくなってしまった。心が麻痺してしまったかのようだ。
怯えているのだろうか。安堵しているのだろうか。怒っているのだろうか。わからない。
そして、これから自分がどう行動を取るべきだろうか。言われるままに、王家の人間として振る舞うべきなのだろうか。それとも、逃げた方がいいのだろうか。わからない。
どうしたらいいのだろう?
どうしたら?
どうしたら。
エリー。
「さて、姫にはこの本をお渡ししましょう」
モニカは、我に返った。
気がつけば、ジークフリートが一冊の本を差し出してきていた。モニカは無意識に手をのばし、受け取った。
表紙は黄色く変色していた。表題は古代文字が使われていて読めない。かなり古い本だ。
「これは……?」
「先ほどの〈精霊の国〉について書かれた本です。姫の起源がたどる時にきっと役に立つと思われます。それと……」
さらに赤い布に包まれた何かを取り出し、目の前の机に置いた。そして布を広げると、握り拳大の宝石が現れた。
「これを差し上げます。アクアマリン原石です。この大きさになると〈水の中位精霊〉を封じ込めることができます」
モニカは目を奪われ、言葉を失った。これを装飾品にすれば、より大きな水の魔法を行使できる。しかし、受け取るわけにはいかない。
「こんな貴重な物は受け取れません。それにまだ、決めたわけではありません」
「いや、返事に関係なく受け取ってください。それを使いこなしていた男はもういなくなってしまいました」
「それはどういう……」
「なに、血気盛んな若者がいたというだけの話です」
ジークフリートは口をつぐんだ。
モニカは、それ以上追求することはできなかった。
「一度、席を外します。決断を迷う時間はあまりありません。今夜中に返事を下さい。分からないことがあれば、呼んで下さい」
「俺も席を外そう。こればかりは他人が口出せる内容じゃない。一人でじっくり考えるべきだろう」
二人は示し合わせたようにうなずき、部屋を出て行く。部屋には、モニカとアクアマリンの原石だけが残された。
【6】
一人になると、部屋の空気がシンと冷たくなった気がした。既に深夜も過ぎている。本来ならとうに寝ている時間だ。
屋敷には黙って抜けてきた。誰にも話してはならないと言われたから。ここで名乗らないと決めれば、全てがなかったことにできる。そう配慮されているのだろう。しかし朝までには絶対に帰らなければならない。
「どうしよう……」
モニカの目の前には、アクアマリンの原石が置かれている。この宝石の中に〈水の中位精霊〉が封じ込められているという話だ。
思考がまとまらない中、自然とアクアマリンに手を伸ばし、魔力を注入してみる。すると、宝石から水が飛び出し、人型の女の形になった。
精霊が姿を取る時は、何故かよく人型を形成する。それにはいくつかの仮説があり、一番有力な説は、人が死んだ時の魂は肉体から離れ、バラバラになって水や大地に溶け込むのだという。それが精霊なのだと考えられている。
つまり目の前の精霊は、元人間かもしれないのだ。
「困った……」
モニカは首を下に向け、一人呟く。
すると、水の精霊は意外な反応を見せた。
「相談ニ乗リマスヨ」
驚いたモニカは顔を上げた。精霊が妖艶な笑みを浮かべていた。
こんな感情的で自発的な精霊は見たことがない。それに水の中位精霊とは契約していない。妙に親しげなのも変だ。
「えっと?」
「我ガ主ニ、貴女ヲ助ケルヨウニ言ワレテイマス」
「主って誰?」
「分カリマセン」
よく分からない。主の名前が分からないのに仕えている?
主はジークフリートではなさそうだ。彼が言っていた血気盛んな若者、なのだろうか。
しかし、相談に乗ってくれるというのだから、質問してみようと思う。
「相談に乗ってくれるのは本当?」
「ハイ」
「じゃあ、お願いするね。私は今まで、ただの一般庶民だと思ってたの。でも今日、王家の人間だと言われ、しかもそれが本当らしいの。そして、今日から王家の人間として振る舞えって言われてるの。どうしたらいいと思う?」
水の精霊は、水の体をふよふよと漂わせながら、考えるそぶりを見せた。そして、人差し指をモニカの持っている本に指した。
「ソノ本ヲ読ンデミテ。ソコニ答エガ乗ッテル」




