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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【3章】
72/106

【75】25歳モニカ、結婚する(1)

 【1】


 最近、モニカ=アーレルスマイヤは気分が優れない。

 やるべき事が多いからだろうか。製薬業、屋敷の維持、食料物資の輸送、元冒険者組合長ミヒェルの弁護資料探し、〈転移門(ワープポータル)〉の管理、アプト村の発展、〈天の精霊(ウラヌス)〉の研究などを、一手に行っている。

 最近は、ハインツの下にいる冒険者達の世話もしなければならなくなった。書類上、彼らは死んだ事になっている。だからアプト村に住んでもらっているが、二百人もいれば、村に腰を落ち着ける者や、故郷に帰ると言い出す者も出てくる。そうなると、親戚や縁者に連絡したり、フルスベルグの家に連れて行かないといけない。それも敵に見つからないように、細心の注意を払ってだ。

 また、裁判の方もうまく行っていない。モニカ以外の仲間がアーレルスマイヤ村を調査してくれているが、良い情報が得られていない。元々、偏屈なところがある村なのだ。旅人を装って情報集めをしようとしても、たかが知れている。


「ん……ふう」


 モニカは執務室で書類と格闘していた。机の前でため息をつき、椅子にもたれかかる。

 最近、新設したこの部屋は〈冒険者組合ベンチャーズギルド〉から持ち込まれた書類で溢れていた。というのも〈白銀の騎士団(ジルベラスリッター)〉は物凄い速さで〈冒険者組合〉を解体しつつあるからだ。既に生き残った元冒険者は、ほとんど騎士団に組み込まれてしまった。施設の立ち退きももうすぐ来るだろうと予測している。だから、施設の管理者であるカール=クプファー人事部長は、少しずつこの屋敷に運びこんでいるのだ。

 敵は、クラスCの冒険者から調査をしているらしい。だからクラスDで、しかも高級住宅地にあるモニカの屋敷が、ちょうど良い潜伏先なのだという。

 しかし、それも時間の問題だ。手遅れになる前に反旗を翻すかどうかで、カールとハインツは夜な夜な相談をしている。だが、まだ結論は出ていない。


「モニカお姉様」


 扉からノックの音が聞こえた。コルだ。


「コルちゃん、どうしたの?」

「約束の時間ですけど」

「あ、ああ、ごめんなさい。忘れてた。入って」


 モニカは体調が優れないので、コルに診てもらう事になっていた。〈生命の精霊(セフィロト)〉の魔法ならば、ある程度の病気や疲れは取り除けるはずだ。


「では、失礼します」


 コルは、部屋の中に入って来た。モニカは壁際に置かれたソファに座り、コルを呼び寄せた。


「ここでいい?」

「はい」


 モニカとコルは隣り合って座った。そして、いつものように手を握り合う。

 最近コルに対して、気恥ずかしさを隠せない。顔を見るたびに頬にキスをして、抱きつきたくなってくる。自分は正常のつもりだったが、気が弱くなってくると男女を問わず、信頼できる相手に依存したくなるようだ。

 間違いなく、エリーの影響だろう。今にして思えば、エリーは、モニカをレズの道に引き込もうとしていた。それがジワジワと花を開こうとしている。


「モニカお姉様。私はいつでも、お姉様を受け入れますよ」


 コルはにっこりと笑顔で返してきた。

 彼女は、モニカよりもっと手遅れだった。何のてらいもなく言ってのける。しかも心を読んでくるので、なおタチが悪い。

 モニカは必死に頭を振って、邪念を追い出した。


「いい、いい。コルちゃんは、いい男の人を見つけなさいよ」

「私は、モニカお姉様から離れたくありません」

「コルちゃん……」


 どう答えていいのか分からなかった。このままだとコルは一生、独身になる可能性がある。しかしモニカも、コルを手離したくはなかった。


「モニカお姉様」

「な、何?」


 コルは突然モニカの手を離し、やや硬い声で尋ねてきた。モニカは、焦りながらも答える。


「最後に生理が来たのはいつですか?」

「え?」


 変な質問だ。

 モニカは過去の記憶を探る。最近の忙しさで、時間の感覚がなくなってしまった。カレンダーを見ながら、必死に思い出す。

 最後に生理が来たのは……ええと、あ……そういえば……ここ二ヶ月ほど、生理が来て……いな……い……?


「いや、でも」


 体調が悪い日は、ズレることもある。近ごろは乱れることもままあるようになった。多少延びる事もあるだろう。


「モニカお姉様、おなかに児が宿っています」


 コルはハッキリと断言した。


「……え?」

「間違いありません」


 最近、毎日ではないが夜にハインツを誘うようになった。相性がとても良かったらしい。つまりはそういうことだ。


「モニカお姉様はどうしたいですか?」

「ど、どうしよう……」


 自分でも、驚くほど動揺した。

 モニカに仕える二人の〈侍女(メイド)〉、二百人の冒険者たち、アプト村の人たち、ハインツ、カール、ミヒェル組合長、さらには〈冒険者組合〉そのものが、モニカの肩にかかっている。

 モニカだけの問題だけではない。ハインツも忙しく駆け回っている。相談するのも気が引けた。


「モニカお姉様、気が引けているようですが、ここはハインツさんに相談すべきだと思います」

「そ、そうね」


 頭が真っ白になったモニカは、言われるままにコルの言葉を受け入れる。

 その日はショックのあまり、一日中寝込んだ。


 【2】


 次の日の昼ごろ。

 モニカが寝室で休んでいると、扉からノックの音が聞こえた。


「お姉様、ハインツさんを呼んできました」

「モニカ。入っていいか?」


 モニカは体を起こし、しばらくためらってから言葉を返す。


「ど、どうぞ」


 扉がガチャリと音を立てて開いた。

 コルとハインツは、心配そうな顔をしていた。二人はベッドの横に椅子を持ってきて座る。


「話は聞いた」

「ハインツさん……」

「モニカはよくやってくれている。だから休んでくれていい」

「ですけど……」

「みんなの事か? 気にするな。みんな各々適当にやるさ。それより、モニカの方が心配だ」


 横からコルが首を差し挟んできた。


「昔からですけど、モニカお姉様は生真面目すぎるのです。もっと肩の荷を下ろして、テキトーに構えていればいいのです」


 それはエリーも言っていた。他の皆にも何度も言われていたことだ。しかし、そうですかと言って改められるものでもない。


「でも」

「そうだな。順序が逆になってしまったが、結婚しよう。できるだけ早くだ」

「ハインツさ……」

「モニカは気をもむ必要はない。俺が全て準備しよう。アプト村の村長に頼めば、快く〈婚姻の儀〉をやってくれるはずだ。前例もいくつかあるしな」

「あ……」


 モニカは、固まった。

 自然と目から涙を溢れてきた。あれこれと悩んでいたことに道筋が立ったような気がして、心が落ち着いていく。実際の状況は、何も変わっていないのに。

 顔がぐしゃぐしゃになりそうだったので、顔を伏せてシーツで隠した。


「お、おい……やっぱりダメ……か?」


 ハインツの動揺する声が聞こえてきた。

 モニカは本当に嬉しかった。だが、どうしても恥ずかしい。少しだけ意地悪したくなり、完全にそっぽを向けてみた。


「大丈夫です。モニカお姉様は喜んでいます。照れているだけです」

「そうか……なら良かった。モニカに否定されたらどうしようかと思っていたよ」


 コルが、口を挟んできた。

 これはひどい。情緒が全くない。だが〈読心術〉をもつコルがハインツの側につけば、モニカには勝ち目はない。

 恥ずかしさをごまかすためにも、ちょっと甘えてみる。シーツの隙間から、片目でチラチラとハインツの方をうかがう。


「一週間後に」

「え?」

「〈婚姻の儀〉は一週間後に」

「いや……それはちょっと……早すぎるんじゃ……」

「そ、そんな……!」


 ヨヨヨと泣き崩れてみた。


「いや、その」

「だって、ハインツさん。言いましたよね? 早い方がいいって」

「わ、分かった……」


 ハインツは少し口が引きつっていた。本来の〈婚姻の儀〉は、準備に最低でも一ヶ月はかかる。

 モニカは、パァっと笑顔を作り、弾むように言った。


「やった、とても嬉しいです! それにハインツさんが、全てやってくれるんですよね」

「あ、ああ……」


 ハインツが腰を浮かせて、青ざめている。

 その様子を見て、モニカは胸がチクリと痛んだ。かなり無茶を言ってしまった。コルに目を向けると、ニコニコしているばかりで、口を挟もうとはしない。

 コルも意外に腹黒い。

 モニカは、今さら前言撤回できないので、演技を続けることにする。


「〈婚姻の儀〉は是非、豪華にしてくださいますか?」

「あ、ああ……」

「お金も、全部ハインツさんが出してくださいますか?」

「ぁ、ぁぁ……」

「ああ、なんて素敵なんでしょう。期待して、お待ちしております!」


 自分の胸を抱きしめ、やや上目遣いでお願いしてみる。効果はあったらしく、ハインツの目が泳ぎだした。


「そ、そうだな……じゃあ、今からでも準備をするから……失礼するよ……」


 そのまま、ハインツは立ち上がって、部屋を出て行ってしまった。唐突の行動だったが、流石にそれを引き止めるほどの、勇気と悪意は持てなかった。

 少し調子に乗りすぎたかも。ごめんなさい。


 【3】


 数日後、屋敷にカール=クプファーがやってきた。

 モニカは客間で応対する。


「カールさん、今日もお疲れ様です」


 カールは、隠し持ってきた書類を〈侍女メイド〉ブリギッテに手渡す。目の下にクマがあり、白髪も数本ほど増えている。客間のソファに座り、話しかけてきた。


「モニカ嬢、聞いたぞ。ハインツ坊と結婚するんだってな」


 モニカも反対側のソファに座る。顔を赤らめながらも、コクンとうなずいた。

 


「なんとなく、そういう事になりました」

「そうか、あの朴念仁がなあ……。だが、あまりいじめないでやってくれ」

「ははは……」


 モニカは乾いた笑いで返した。結局あの後、ハインツに頭を下げて謝った。一週間は流石に無理なので、二週間にし、モニカも手伝う事になった。


「結局、エリノール嬢の思い通りになったのか」


 カールは無精ひげをさすりながら、つぶやくように言った。

 予想外の言葉に、モニカは目を見開いた。


「……何ですって?」

「あ、いや、知らなかったのか」

「どういうことですか」


 カールは慌てたように言葉を濁した。モニカが黙って顔を見つめていると、渋々と語り始めた。


「いやな……。ハインツ坊への伝言に、お前さんの事をよろしく頼むって書いてあったらしい」

「え……」


 モニカは言葉を失った。

 確かにモニカへの伝言にも、ハインツを頼るようにと書いてあった。当時はあまり深く考えてなかったが、今にして思えば、彼なしにはここまで来れなかっただろう。

 

「エリー……」


 既に、エリーからの連絡が来なくなって久しい。あの大爆発から逃げられただろうか。実際に会った時は、敵対の態度を取っていたが、裏で色々助けてくれていたのだ。


「信じているからね」


 モニカは、できる限り小さな声でつぶやく。

 カールはその様子を見て、努めて明るい声で話題を切り替えた。


「今日は、モニカ嬢に合わせたい人がいるんだ」

「え、どこにいますか?」


 モニカは辺りを見回した。誰もいないはずだが、たまに魔法で姿を隠して来る人もいる。そう思って、見えない誰かに呼びかけた。


「いや違う。多忙な人でな。今日は予定調整しに来た」

「どんな方なんですか?」

「それは、ここでもちょっと言えん」


 モニカは首をひねった。

 客間は、既に防諜処理がなされている。だから話をしても問題ないはずだ。


「いや、本当に奥の手なんだ。だから無理なんだ」


 要領を得ない。

 身分も明かせない人がモニカに会いたいという。危険な香りを感じるが、目の前のカールは、モニカがこの町に来た時からの顔見知りだ。信用してもいいだろう。


「分かりました。その予定はいつなんですか?」

「この日だな」


 カールは懐から筆記用具を取り出し、紙に書いて見せた。随分な念のいれようだ。

 そこに書かれた内容は〈婚姻の儀〉の二日前だった。


「その日はちょっと……」


 モニカは言葉を濁す。

 カールは無言で、さらに日にちを書き加えた。今度は三日後だった。〈婚姻の儀〉が終わってもまだやる事はある。が、初めに提示された日よりはマシだ。


「他にはありませんか?」

「いや、できれば緊急で頼みたい」

「……わかりました」


 モニカは折れた。カールの緊張ぶりを見れば、とても重要なことに思えたから。

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