【75】25歳モニカ、結婚する(1)
【1】
最近、モニカ=アーレルスマイヤは気分が優れない。
やるべき事が多いからだろうか。製薬業、屋敷の維持、食料物資の輸送、元冒険者組合長ミヒェルの弁護資料探し、〈転移門〉の管理、アプト村の発展、〈天の精霊〉の研究などを、一手に行っている。
最近は、ハインツの下にいる冒険者達の世話もしなければならなくなった。書類上、彼らは死んだ事になっている。だからアプト村に住んでもらっているが、二百人もいれば、村に腰を落ち着ける者や、故郷に帰ると言い出す者も出てくる。そうなると、親戚や縁者に連絡したり、フルスベルグの家に連れて行かないといけない。それも敵に見つからないように、細心の注意を払ってだ。
また、裁判の方もうまく行っていない。モニカ以外の仲間がアーレルスマイヤ村を調査してくれているが、良い情報が得られていない。元々、偏屈なところがある村なのだ。旅人を装って情報集めをしようとしても、たかが知れている。
「ん……ふう」
モニカは執務室で書類と格闘していた。机の前でため息をつき、椅子にもたれかかる。
最近、新設したこの部屋は〈冒険者組合〉から持ち込まれた書類で溢れていた。というのも〈白銀の騎士団〉は物凄い速さで〈冒険者組合〉を解体しつつあるからだ。既に生き残った元冒険者は、ほとんど騎士団に組み込まれてしまった。施設の立ち退きももうすぐ来るだろうと予測している。だから、施設の管理者であるカール=クプファー人事部長は、少しずつこの屋敷に運びこんでいるのだ。
敵は、クラスCの冒険者から調査をしているらしい。だからクラスDで、しかも高級住宅地にあるモニカの屋敷が、ちょうど良い潜伏先なのだという。
しかし、それも時間の問題だ。手遅れになる前に反旗を翻すかどうかで、カールとハインツは夜な夜な相談をしている。だが、まだ結論は出ていない。
「モニカお姉様」
扉からノックの音が聞こえた。コルだ。
「コルちゃん、どうしたの?」
「約束の時間ですけど」
「あ、ああ、ごめんなさい。忘れてた。入って」
モニカは体調が優れないので、コルに診てもらう事になっていた。〈生命の精霊〉の魔法ならば、ある程度の病気や疲れは取り除けるはずだ。
「では、失礼します」
コルは、部屋の中に入って来た。モニカは壁際に置かれたソファに座り、コルを呼び寄せた。
「ここでいい?」
「はい」
モニカとコルは隣り合って座った。そして、いつものように手を握り合う。
最近コルに対して、気恥ずかしさを隠せない。顔を見るたびに頬にキスをして、抱きつきたくなってくる。自分は正常のつもりだったが、気が弱くなってくると男女を問わず、信頼できる相手に依存したくなるようだ。
間違いなく、エリーの影響だろう。今にして思えば、エリーは、モニカをレズの道に引き込もうとしていた。それがジワジワと花を開こうとしている。
「モニカお姉様。私はいつでも、お姉様を受け入れますよ」
コルはにっこりと笑顔で返してきた。
彼女は、モニカよりもっと手遅れだった。何のてらいもなく言ってのける。しかも心を読んでくるので、なおタチが悪い。
モニカは必死に頭を振って、邪念を追い出した。
「いい、いい。コルちゃんは、いい男の人を見つけなさいよ」
「私は、モニカお姉様から離れたくありません」
「コルちゃん……」
どう答えていいのか分からなかった。このままだとコルは一生、独身になる可能性がある。しかしモニカも、コルを手離したくはなかった。
「モニカお姉様」
「な、何?」
コルは突然モニカの手を離し、やや硬い声で尋ねてきた。モニカは、焦りながらも答える。
「最後に生理が来たのはいつですか?」
「え?」
変な質問だ。
モニカは過去の記憶を探る。最近の忙しさで、時間の感覚がなくなってしまった。カレンダーを見ながら、必死に思い出す。
最後に生理が来たのは……ええと、あ……そういえば……ここ二ヶ月ほど、生理が来て……いな……い……?
「いや、でも」
体調が悪い日は、ズレることもある。近ごろは乱れることもままあるようになった。多少延びる事もあるだろう。
「モニカお姉様、おなかに児が宿っています」
コルはハッキリと断言した。
「……え?」
「間違いありません」
最近、毎日ではないが夜にハインツを誘うようになった。相性がとても良かったらしい。つまりはそういうことだ。
「モニカお姉様はどうしたいですか?」
「ど、どうしよう……」
自分でも、驚くほど動揺した。
モニカに仕える二人の〈侍女〉、二百人の冒険者たち、アプト村の人たち、ハインツ、カール、ミヒェル組合長、さらには〈冒険者組合〉そのものが、モニカの肩にかかっている。
モニカだけの問題だけではない。ハインツも忙しく駆け回っている。相談するのも気が引けた。
「モニカお姉様、気が引けているようですが、ここはハインツさんに相談すべきだと思います」
「そ、そうね」
頭が真っ白になったモニカは、言われるままにコルの言葉を受け入れる。
その日はショックのあまり、一日中寝込んだ。
【2】
次の日の昼ごろ。
モニカが寝室で休んでいると、扉からノックの音が聞こえた。
「お姉様、ハインツさんを呼んできました」
「モニカ。入っていいか?」
モニカは体を起こし、しばらくためらってから言葉を返す。
「ど、どうぞ」
扉がガチャリと音を立てて開いた。
コルとハインツは、心配そうな顔をしていた。二人はベッドの横に椅子を持ってきて座る。
「話は聞いた」
「ハインツさん……」
「モニカはよくやってくれている。だから休んでくれていい」
「ですけど……」
「みんなの事か? 気にするな。みんな各々適当にやるさ。それより、モニカの方が心配だ」
横からコルが首を差し挟んできた。
「昔からですけど、モニカお姉様は生真面目すぎるのです。もっと肩の荷を下ろして、テキトーに構えていればいいのです」
それはエリーも言っていた。他の皆にも何度も言われていたことだ。しかし、そうですかと言って改められるものでもない。
「でも」
「そうだな。順序が逆になってしまったが、結婚しよう。できるだけ早くだ」
「ハインツさ……」
「モニカは気をもむ必要はない。俺が全て準備しよう。アプト村の村長に頼めば、快く〈婚姻の儀〉をやってくれるはずだ。前例もいくつかあるしな」
「あ……」
モニカは、固まった。
自然と目から涙を溢れてきた。あれこれと悩んでいたことに道筋が立ったような気がして、心が落ち着いていく。実際の状況は、何も変わっていないのに。
顔がぐしゃぐしゃになりそうだったので、顔を伏せてシーツで隠した。
「お、おい……やっぱりダメ……か?」
ハインツの動揺する声が聞こえてきた。
モニカは本当に嬉しかった。だが、どうしても恥ずかしい。少しだけ意地悪したくなり、完全にそっぽを向けてみた。
「大丈夫です。モニカお姉様は喜んでいます。照れているだけです」
「そうか……なら良かった。モニカに否定されたらどうしようかと思っていたよ」
コルが、口を挟んできた。
これはひどい。情緒が全くない。だが〈読心術〉をもつコルがハインツの側につけば、モニカには勝ち目はない。
恥ずかしさをごまかすためにも、ちょっと甘えてみる。シーツの隙間から、片目でチラチラとハインツの方をうかがう。
「一週間後に」
「え?」
「〈婚姻の儀〉は一週間後に」
「いや……それはちょっと……早すぎるんじゃ……」
「そ、そんな……!」
ヨヨヨと泣き崩れてみた。
「いや、その」
「だって、ハインツさん。言いましたよね? 早い方がいいって」
「わ、分かった……」
ハインツは少し口が引きつっていた。本来の〈婚姻の儀〉は、準備に最低でも一ヶ月はかかる。
モニカは、パァっと笑顔を作り、弾むように言った。
「やった、とても嬉しいです! それにハインツさんが、全てやってくれるんですよね」
「あ、ああ……」
ハインツが腰を浮かせて、青ざめている。
その様子を見て、モニカは胸がチクリと痛んだ。かなり無茶を言ってしまった。コルに目を向けると、ニコニコしているばかりで、口を挟もうとはしない。
コルも意外に腹黒い。
モニカは、今さら前言撤回できないので、演技を続けることにする。
「〈婚姻の儀〉は是非、豪華にしてくださいますか?」
「あ、ああ……」
「お金も、全部ハインツさんが出してくださいますか?」
「ぁ、ぁぁ……」
「ああ、なんて素敵なんでしょう。期待して、お待ちしております!」
自分の胸を抱きしめ、やや上目遣いでお願いしてみる。効果はあったらしく、ハインツの目が泳ぎだした。
「そ、そうだな……じゃあ、今からでも準備をするから……失礼するよ……」
そのまま、ハインツは立ち上がって、部屋を出て行ってしまった。唐突の行動だったが、流石にそれを引き止めるほどの、勇気と悪意は持てなかった。
少し調子に乗りすぎたかも。ごめんなさい。
【3】
数日後、屋敷にカール=クプファーがやってきた。
モニカは客間で応対する。
「カールさん、今日もお疲れ様です」
カールは、隠し持ってきた書類を〈侍女〉ブリギッテに手渡す。目の下にクマがあり、白髪も数本ほど増えている。客間のソファに座り、話しかけてきた。
「モニカ嬢、聞いたぞ。ハインツ坊と結婚するんだってな」
モニカも反対側のソファに座る。顔を赤らめながらも、コクンとうなずいた。
「なんとなく、そういう事になりました」
「そうか、あの朴念仁がなあ……。だが、あまりいじめないでやってくれ」
「ははは……」
モニカは乾いた笑いで返した。結局あの後、ハインツに頭を下げて謝った。一週間は流石に無理なので、二週間にし、モニカも手伝う事になった。
「結局、エリノール嬢の思い通りになったのか」
カールは無精ひげをさすりながら、つぶやくように言った。
予想外の言葉に、モニカは目を見開いた。
「……何ですって?」
「あ、いや、知らなかったのか」
「どういうことですか」
カールは慌てたように言葉を濁した。モニカが黙って顔を見つめていると、渋々と語り始めた。
「いやな……。ハインツ坊への伝言に、お前さんの事をよろしく頼むって書いてあったらしい」
「え……」
モニカは言葉を失った。
確かにモニカへの伝言にも、ハインツを頼るようにと書いてあった。当時はあまり深く考えてなかったが、今にして思えば、彼なしにはここまで来れなかっただろう。
「エリー……」
既に、エリーからの連絡が来なくなって久しい。あの大爆発から逃げられただろうか。実際に会った時は、敵対の態度を取っていたが、裏で色々助けてくれていたのだ。
「信じているからね」
モニカは、できる限り小さな声でつぶやく。
カールはその様子を見て、努めて明るい声で話題を切り替えた。
「今日は、モニカ嬢に合わせたい人がいるんだ」
「え、どこにいますか?」
モニカは辺りを見回した。誰もいないはずだが、たまに魔法で姿を隠して来る人もいる。そう思って、見えない誰かに呼びかけた。
「いや違う。多忙な人でな。今日は予定調整しに来た」
「どんな方なんですか?」
「それは、ここでもちょっと言えん」
モニカは首をひねった。
客間は、既に防諜処理がなされている。だから話をしても問題ないはずだ。
「いや、本当に奥の手なんだ。だから無理なんだ」
要領を得ない。
身分も明かせない人がモニカに会いたいという。危険な香りを感じるが、目の前のカールは、モニカがこの町に来た時からの顔見知りだ。信用してもいいだろう。
「分かりました。その予定はいつなんですか?」
「この日だな」
カールは懐から筆記用具を取り出し、紙に書いて見せた。随分な念のいれようだ。
そこに書かれた内容は〈婚姻の儀〉の二日前だった。
「その日はちょっと……」
モニカは言葉を濁す。
カールは無言で、さらに日にちを書き加えた。今度は三日後だった。〈婚姻の儀〉が終わってもまだやる事はある。が、初めに提示された日よりはマシだ。
「他にはありませんか?」
「いや、できれば緊急で頼みたい」
「……わかりました」
モニカは折れた。カールの緊張ぶりを見れば、とても重要なことに思えたから。




