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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【3章】
68/106

【71】エリーのお料理教室(2)

 【7】


 二週間以上が過ぎた。

 今日も、白竜エリーは穴ぐらで寝ている。心地よいまどろみの中、ふと何かを思い出した。


『ねえー、シロ、あれから何日過ぎたっけ』

『さあ』


 エリーにはどうも、ここ数日間の記憶がない。

 話し相手の少年たちが来なくなってしまい、刺激がなくなったせいだろうか。日にちを数える必要がなくなり、急速に時間感覚が薄れていった。


『あたし達、何を待っていたような気がするんだけど』

『そうだっけ?』


 シロは、どうでもよさそうな思念を返してきた。

 そう返されると、エリーもそのように思えてきた。数日で忘れるぐらいだから、重要ではなかったのだろう。


『何だったっけな』


 エリーはアクビした。

 穴の中で身じろいで、凝り固まった筋肉をほぐす。体のあちこちからぴしぴしとひび割れる音がする。


『まあいいか。そろそろ、ここにも飽きたなあ』


 白竜エリーの身を脅かす魔物はいない為、ここの環境は退屈そのものだ。もう少し、歯応えのある獲物が欲しい。なんなら、ニンゲンでもいい。


『ママ、引っ越し?』

『うん、それもいいよね』


 エリーは、再びアクビをした。

 どうにもこうにも眠い。思考がまとまらない。スッキリするのは、獲物を前にする時ぐらいだ。


『でも、面倒くさい。明日にしようか?』

『いつでも』


 エリーは、空を見上げた。

 最近、ことある事に空を見上げるようになった。何か大事な事を思い出せそうな気がするからだ。しかし結局、何も思い浮かばず、もどかしい気持ちになるだけだった。

 明日こそは何かを思いだせる事を期待して、エリーは眠りについた。


【8】


 それから何日目か経った日の夜。

 結局、引っ越しはしなかった。今日も穴の中で寝ている。


 白竜エリーは、火と鉄とニンゲンの臭いで目覚めた。

 空を見上げると、雲一つない良い天気だ。太陽の位置からしてお昼頃だろう。

 鉄の臭いを嗅ぐのは相当に久しぶりだ。エリーはシロに尋ねてみた。

 すると、緊張のある思念が帰ってきた。敵意のある何かが、近づいてくるそうだ。


『ふーん、面白そう』


 エリーはほら穴から出て、見晴らしの良い所から眼下を見下ろした。確かに、火と鉄を身につけたニンゲンどもの群れが山を登っている。


『やっぱりあたし達を狙っているんだよね』

『多分』


 エリーの思考が冷えていった。敵は何者だろう。あの敵を殺すにはどうすればいいか。一つの目的に対して、必要な考えだけが、思い浮かぶ。


『これは狩りじゃない、久しぶりの戦いだ。折角だから迎え撃つよ?』

『ママに、任せる』


 同意を得たエリーは、まず敵を観察しようと思い立った。しかしここからではよくわからない。

 こういう場合は精霊を使うのだ、と脳裏に浮かんだ。本能で、精霊と波長を合わせた。


『〈光の中位精霊(ウィルオウィスプ)〉よ、光を収束させて、遠景を拡大しろ』


 目の前の景色が歪む。

 点々にしか見えない生き物の様子が拡大されていく。やがて手に持っている物まで判別できるようになった。


 数は百人前後。鉄を帯びた兵士の中に、ちらほら非戦闘員が混ざっている。見知った顔はいなかった。

 白竜エリーは鼻で笑った。

 装備が貧弱すぎる。


『あたしを殺したいなら、もっと強力なものじゃないとね。例えば〈……』


 何故か分からないが、急に言葉が詰まった。頭がズキンズキンと痛む。

 痛みをごまかそうと、全力で頭を近くの大岩に叩きつけた。岩の表面が砕け散り、カケラがパラパラと落ちていく。

 

『ママ?』

『何でもない』


 エリーは気を取り直して、観察を続けた。

 敵の兵士は、よく統制が取れていた。いつだったか、国境の向こうに居た兵士たちと似ている。恐らく、国境を乗り越えて来たのだろう。

 ニンゲンどものイザコザには興味ないが、襲って来るというのなら話は別だ。全滅させてやる。


『〈光の中位精霊〉よ、用は済んだ。立ち去れ」


 精霊を還したエリーは、胸をときめかせながら、今か今かと待ち構える。


 【9】


 武装した一団が、ついに目と鼻の先にやって来た。

 弧の形にやや遠巻きに展開している後衛と、近くに塊となっている前衛に分かれていた。

 エリーには、おかしくておかしくて、笑いを抑えるので精一杯だった。ニンゲンは頭が良いはずじゃなかったか。巨大な魔物と戦う場合は、あんなに塊になってはいけない。まとめてやられてしまう。

 今からでも〈火の嵐(ファイアーストーム)〉を投げ込みたい衝動に駆られた。

 そのうちに、敵の一団の一人が進み出てきた。この一団の長なのだろう。


「そこの竜!」

「なんだい?」

「度々、地元の村を襲っていたそうだな!」


 エリーは、状況を把握するのに時間がかかった。地元の村には、友だちがいる。そんなことをする訳がない。

 しかし、最近は記憶が曖昧だ。ひょっとすると、そんなこともあったのかもしれない。


「そうなの?」

「とぼけるな!」

「いやあ、本当にわからないなあ」


 団長らしき男は、イライラと足を踏み鳴らした。


「子供たちをかどかわし、村に危機に陥れているそうだな!」

「あー」


 やっと、話が理解できた。少年たちに魔法を教えた件の解釈がねじりにねじれ、村に敵意ありと見なされたのだろう。


「ふん、やっと認めたか!」

「それで、君たちは?」

「我らは、村々を魔物から開放しにきた義勇軍だ。正義は我らにあり! 邪悪な竜め、成敗してくれよう!」


 あまりに口ばかり達者な男の様子に、エリーは笑いがこぼれた。

 男は一歩後ずさった。そしてそのまま一団の中に戻って行く。うまく恐怖を隠したようだ。


『さて、どうしようか』


 エリーの知性がかなり戻ってきた。今なら、冷静な判断ができる。

 改めて団体を見渡すと、村人たちが混じっている。ここで全滅させてもいいが、村人を殺すと、後が面倒な事に気がついた。かといって攻撃対象を、選り分けるのも難しい。

 これを他国の兵士が狙ってやったとすれば、大した政治力だ。


「弓兵、ってぇー!」


 対策を考える間もなく、敵が戦闘開始した。

 弧の形に展開していた一団から、縄のついた矢が飛んできた。矢先には返しがついている。

 エリーの頭上を超え、翼や足に絡みついていく。


「よし、引っ張れ!」


 縄が引っ張られて、返しが体に食い込んだ。エリーは身動きが取れなくなった。


「前衛、突撃!」


 敵の前衛が雄叫びをあげて、襲って来た。敵の武器は槍だ。よく訓練されている。


『シロ、体の操縦は任せた。』

『えっ』


 エリーは、動揺するシロに、突然操縦権を押し付けた。そして〈四重詠唱(クワドロプルキャスト)〉を開始する。

 

『我が体内に宿る〈火の中位精霊〉よ! あの縄を焼き切れ!』


 体から数本の〈火のファイアウィップ〉が、ゆらりと現出した。そして大きくしなり、縄を片っ端から焼き切った。シロに自由に動けるようになった。

 敵の兵士に、動揺が走る。


『この山に住む〈地の中位精霊〉よ! 我が立つ大地を盛り上げ、〈石柱(ストーンピラー)〉を形成しろ!』


 シロの足元の大地が、大きな音と地割れと共に盛り上がった。敵兵士は、地形の変化に対応しきれず、何人かひっくり返った。


「矢を撃てえぇぇぇッ!」


 声に余裕のない敵の号令が響く。怯えの声色が混じる。


『空を自由に泳ぐ〈風の中位精霊〉よ! 我が周囲に、矢を弾く風の盾を作れ!』


 今度は普通の矢が飛んできた。しかし突風が吹き荒れ、有らぬ方へ跳ね返された。


『地下深く流るる〈水の中位精霊〉よ! 地下深くから水を引き上げ、川を作れ!』


 先ほど作った地割れの隙間から、水が吹き出し、噴水となった。その流れが、敵の前衛の頭上から降り注ぐ。辺りに小さな虹ができる。鎧ごと流すほどの水流はなかったが、身動きが封じることはできた。

 しばらく待ってみるが、敵の動きがなくなった。打つ手がなくなったようだ。

 なんて貧弱な。


「さて団長さん、どうするの?」

「ぐ、ぐぬぬ……」


 エリーは余りの弱さに殺す気すら失せてしまった。〈石柱〉の上から、できる限り威圧をかけて、逃げ出すように仕向ける。

 団長の男は、歯を食いしばって悔しそうな顔をしていた。

 そうするうちに、敵の一人が水圧に耐えきれず、川下に流されていった。


「あたしは、あの村をどうこうするつもりないけど」

「き、聞き入れるな! 相手は魔法を使う邪悪な竜だぞ!」


 初めから話し合いをするつもりはないようだ。ただ、その焦りようから、何か裏があるような気もする。


「この中に、村の人間がいるだろう。あたしは、君たちの独自の生活を高く評価している。こんな外部の人間の言葉に、どうして耳を貸すんだ」

「や、やめろ! 退却だ! 退却!」


 退却の号令が出た。

 敵は、身動きの取れない前衛を見捨てて、背中を見せ、山を下り始めた。

 エリーは興ざめた。そして、全ての精霊に元に戻すように命令する。

 膝まで水没していた敵の前衛は、動けるようになった。


「君らはどうするの?」


 彼らは、戦闘意欲を失っていた。まさか団長が逃げ出すとは思っていなかっただろう。どうして良いか分からず、ほとんどの人間が呆然としていた。

 エリーは段々とイライラしてきた。訓練はしているかもしれないが、想定外の事が起きると思考停止に陥るのは、新人の兵隊でしかない。

 これでは、戦闘を楽しむことすらできない。


「邪魔だ! さっさと山を降りないと喰っちまうぞ!」


 エリーは口を大きく開けて、歯をガチガチと鳴らした。

 途端に恐慌状態になった兵士達は、飛び上がって逃げ出し、山を降りて行った。

 エリーはその様子を寂しそうに見つめた。


『一体、何が起きているのかなあ』


 今までの事が、かなり思い出せてきた。

 エリク、ロイという少年、ターニャという少女のこと。

 彼女達は、約束の日は過ぎているのに、来なかった。ということは、自分の意思では来れない状況にあると考えるべきだろう。村に忍び込んで様子を調べたいが、この体では目立ってしまうし、隠密行動ができるような体調でもない。

 八方塞がりだ。

 しかしこのまま、人と関わりを持たずに生活を続けると、心がどんどん野生の竜化していく。何らかの手を打たないと危険だ。


『シロ、どうすればいいんだろうね?』

『眠い』


 シロは心底、どうでも良さそうに答えた。


 【10】


 それから数日が過ぎた。


 白竜エリーは結局、何もしなかった。何かをしなければ、と思うのだが、やる気が起きない。

 再び、思考が退化していく。


『あー、そろそろお腹空いたなあ』

『ママ、餌』

『じゃあ、何を食べに行こうかー』


 エリーは、獲物を何をするかで悩み始めた。熊は食べたし、鹿も食べた。イノシシもかなり食い飽きた。

 ニンゲンは、まだ食べたことはない。そろそろ、いってみてもいいんじゃないだろうか。


『ママ、待って』


 シロがエリーに警戒を促した。

 今日は、エリーが居る位置が風下らしい。懐かしい臭いが鼻をくすぐった。


『これは……誰だっけ』


 人数は一人。かなり急いで、こちらに向かっている。

 エリーに用があるのだろう。食事に出かけている余裕はなさそうだ。


『仕方ない、待とうか』


 エリーはほら穴の中で、じっと待つ。

 しばらくすると、少年の姿が現れた。


「エリー! エリー! 助けて!」


 エリーは目の前が広がった。

 そうだった。自分はエリー。エリノール=アーレルスマイヤ。

 消滅しかけていた自我が再生し、思考がクリアなものとなっていく。


「エリクっち?」

「そうだよ! エリー、助けて!」


 エリーは、エリクと随分と会っていないような気がした。


「やあ、お久しぶり」

「お久しぶりだけど、それどころじゃないんだ。助けて!」

「わかったから、落ち着いて。初めから話をしてくれないかな」

「う、うん。わかった、少し長くなるけど説明するよ」


 エリクは、今までの事を話し始めた。


 【11】


 エリクとロイが、ターニャに魔法を披露した日の翌日。


 ターニャは、エリーに頼まれたことを忠実にやろうとした。つまり村長の家に行き、それとなく村の掟を破った時の対応を聞こうとしたのだ。

 ところが、ちょうどその時に、外国の義勇兵隊長という人物が、村長の家に来ていた。

 義勇兵隊長と名乗る人物は、最近、国境沿いに人を襲う生き物、つまり魔物が増えているという話をしていた。だから何度もこの国に治安改善要求してきたそうだ。しかし一向に良くなる様子がないので、魔物退治をしながら、各村を開放して。北上していく予定なのだという。

 その話の過程で、最近この近くに出没する、白い〈翼竜(リンドヴルム)〉についての話が出た。ターニャは、丁度その話に驚いた。

 その義勇兵隊長は、白竜について色々な想像を語っていた。その白竜は、人間にとっての敵であり、邪悪な存在だと力説していた。

 ターニャは、その言葉に感化され、村人たちに秘密にすることと引き換えに、エリーの住み家や、ロイたちの事を全て話してしまったそうだ。そして義勇兵隊長は、たいそう興奮し、村人を連れて出陣しに行ってしまった。

 ところが二、三日してから、その義勇兵隊長は帰ってきた。彼はひどく憤慨しており、色んなモノに当たる癇癪持ちだった。

 その矛先はターニャに向かう。

 罵詈雑言が彼女に傷つけた。さらに、秘密にするはずだったエリクとロイの魔法の件を、村長に話してしまった。

 村長は激しく怒り、エリクとロイを納屋に監禁してしまった。

 それだけでなく、外の人間に力を借りた事に、不満を持つ者たちが、義勇兵たちを排斥すべきという動きが出てきた。

 その動きに反発した義勇兵たちが、村人たちを攻撃し始めた。そして、村の中でついに殺し合いが始まったのだという。

 その混乱の中、ターニャが泣きながら納屋の鍵を開けにきてくれたそうだ。そして、一連の話をした後、逃がそうとした。

 しかし、エリクはこのまま納屋の中に閉じこもっていた方が安全だろうと、二人を納屋に隠した。そして一人でエリーに助けを求めに来たのだという。


 【12】


「エリー! 助けて! このままじゃ、みんな殺されちゃう!」


 エリーは口には出さなかったが、とても後悔していた。話を聞けば、今回の件は、エリーがかなり深く関わっている。

 もはや、この辺が限界だろう。色々な面で。


「分かった。あたしがなんとかしよう」


 エリーは、エリクに向かって前足を差し出した。


「あたしの〈腕輪〉を受け取ってくれ」


 唐突な行為にエリクは、エリーの腕輪と顔を交互に見た。


「まさか、エリー、死ぬつもりじゃ?」


 エリーは鼻で笑う。


「まさか。あたしは絶対に死なない。絶対にだ。そして、エリクっちに謝らなけばならない。ゴメンな」

「そんな! エリーは悪くないよ! 悪いのはあの異邦人なんだ!」


 違う。


「ゴメン。ほんっとうにゴメン。すまなかった。だから、村を助けたいなら、その〈腕輪〉を受け取ってくれ」


 エリクは、エリーの言葉にようやく納得した。エリーの指から〈腕輪〉を抜き取り、自分の腕輪に嵌める。


「エリー、そんなに、謝らないでよ! エリーは悪い奴じゃないよ!」


 違う。違う。チガウ。チガウ。チガウチガウ。チガウチガウチガウ。チガウチガウチガウチガウチガウ。そうじゃない。

 これほど、悪い奴は他にはいない。


「エリクっち、本当に悪かった。すまなかった。だから、急いで村に向かう。あたしの背中に乗れるかい?」

「もちろんだとも!」


 エリクは、白竜エリーの首に飛び乗った。


「しっかり、しがみついてくれよ」

「分かってる!」


 エリーは、エリクが背中にしがみついていることを確認し、穴の外に出て、翼を広げた。あえて、思念ではなく、口上で魔法を詠唱する。


「〈風の中位精霊(エアリアル)〉よ! 我が翼に再び風を! そして、背中の少年に、風の保護を!」


 周囲につむじ風が吹き、やがて暴風となって渦をまいた。土が舞い上がる。小石が舞い上がる。風の音が辺りに響く。

 やがて、エリーは空に浮き上がっていく。そして、大きく羽ばたき、南の空へと飛び立っていった。


「エリー! すごーい!」


 エリクが眼下の景色を見ながら、無邪気にはしゃいでいる。

 エリーは彼に何も言えなかった。

 エリーの〈腕輪〉が効果を発揮するのは、二つの条件がある。一つはエリーが宿っている肉体が死ぬこと。二つは、エリーが死んだ際に〈腕輪〉の近くに誰かがいることである。

誰もいなかった場合は、誰かに触れられるまで待つことになる。

 この〈腕輪〉には、エリーが今までに体験した記憶や思考回路が含まれている。そして装備している間は、常に情報が更新されている。だから、一時的であれば、誰かに預けても大きな間違いは起きない。


「エリクっち、本当にごめんなさい」


 エリーのつぶやきは、風の音で打ち消され、エリクの耳には届かなかった。

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