【71】エリーのお料理教室(2)
【7】
二週間以上が過ぎた。
今日も、白竜エリーは穴ぐらで寝ている。心地よいまどろみの中、ふと何かを思い出した。
『ねえー、シロ、あれから何日過ぎたっけ』
『さあ』
エリーにはどうも、ここ数日間の記憶がない。
話し相手の少年たちが来なくなってしまい、刺激がなくなったせいだろうか。日にちを数える必要がなくなり、急速に時間感覚が薄れていった。
『あたし達、何を待っていたような気がするんだけど』
『そうだっけ?』
シロは、どうでもよさそうな思念を返してきた。
そう返されると、エリーもそのように思えてきた。数日で忘れるぐらいだから、重要ではなかったのだろう。
『何だったっけな』
エリーはアクビした。
穴の中で身じろいで、凝り固まった筋肉をほぐす。体のあちこちからぴしぴしとひび割れる音がする。
『まあいいか。そろそろ、ここにも飽きたなあ』
白竜エリーの身を脅かす魔物はいない為、ここの環境は退屈そのものだ。もう少し、歯応えのある獲物が欲しい。なんなら、ニンゲンでもいい。
『ママ、引っ越し?』
『うん、それもいいよね』
エリーは、再びアクビをした。
どうにもこうにも眠い。思考がまとまらない。スッキリするのは、獲物を前にする時ぐらいだ。
『でも、面倒くさい。明日にしようか?』
『いつでも』
エリーは、空を見上げた。
最近、ことある事に空を見上げるようになった。何か大事な事を思い出せそうな気がするからだ。しかし結局、何も思い浮かばず、もどかしい気持ちになるだけだった。
明日こそは何かを思いだせる事を期待して、エリーは眠りについた。
【8】
それから何日目か経った日の夜。
結局、引っ越しはしなかった。今日も穴の中で寝ている。
白竜エリーは、火と鉄とニンゲンの臭いで目覚めた。
空を見上げると、雲一つない良い天気だ。太陽の位置からしてお昼頃だろう。
鉄の臭いを嗅ぐのは相当に久しぶりだ。エリーはシロに尋ねてみた。
すると、緊張のある思念が帰ってきた。敵意のある何かが、近づいてくるそうだ。
『ふーん、面白そう』
エリーはほら穴から出て、見晴らしの良い所から眼下を見下ろした。確かに、火と鉄を身につけたニンゲンどもの群れが山を登っている。
『やっぱりあたし達を狙っているんだよね』
『多分』
エリーの思考が冷えていった。敵は何者だろう。あの敵を殺すにはどうすればいいか。一つの目的に対して、必要な考えだけが、思い浮かぶ。
『これは狩りじゃない、久しぶりの戦いだ。折角だから迎え撃つよ?』
『ママに、任せる』
同意を得たエリーは、まず敵を観察しようと思い立った。しかしここからではよくわからない。
こういう場合は精霊を使うのだ、と脳裏に浮かんだ。本能で、精霊と波長を合わせた。
『〈光の中位精霊〉よ、光を収束させて、遠景を拡大しろ』
目の前の景色が歪む。
点々にしか見えない生き物の様子が拡大されていく。やがて手に持っている物まで判別できるようになった。
数は百人前後。鉄を帯びた兵士の中に、ちらほら非戦闘員が混ざっている。見知った顔はいなかった。
白竜エリーは鼻で笑った。
装備が貧弱すぎる。
『あたしを殺したいなら、もっと強力なものじゃないとね。例えば〈攻……』
何故か分からないが、急に言葉が詰まった。頭がズキンズキンと痛む。
痛みをごまかそうと、全力で頭を近くの大岩に叩きつけた。岩の表面が砕け散り、カケラがパラパラと落ちていく。
『ママ?』
『何でもない』
エリーは気を取り直して、観察を続けた。
敵の兵士は、よく統制が取れていた。いつだったか、国境の向こうに居た兵士たちと似ている。恐らく、国境を乗り越えて来たのだろう。
ニンゲンどものイザコザには興味ないが、襲って来るというのなら話は別だ。全滅させてやる。
『〈光の中位精霊〉よ、用は済んだ。立ち去れ」
精霊を還したエリーは、胸をときめかせながら、今か今かと待ち構える。
【9】
武装した一団が、ついに目と鼻の先にやって来た。
弧の形にやや遠巻きに展開している後衛と、近くに塊となっている前衛に分かれていた。
エリーには、おかしくておかしくて、笑いを抑えるので精一杯だった。ニンゲンは頭が良いはずじゃなかったか。巨大な魔物と戦う場合は、あんなに塊になってはいけない。まとめてやられてしまう。
今からでも〈火の嵐〉を投げ込みたい衝動に駆られた。
そのうちに、敵の一団の一人が進み出てきた。この一団の長なのだろう。
「そこの竜!」
「なんだい?」
「度々、地元の村を襲っていたそうだな!」
エリーは、状況を把握するのに時間がかかった。地元の村には、友だちがいる。そんなことをする訳がない。
しかし、最近は記憶が曖昧だ。ひょっとすると、そんなこともあったのかもしれない。
「そうなの?」
「とぼけるな!」
「いやあ、本当にわからないなあ」
団長らしき男は、イライラと足を踏み鳴らした。
「子供たちをかどかわし、村に危機に陥れているそうだな!」
「あー」
やっと、話が理解できた。少年たちに魔法を教えた件の解釈がねじりにねじれ、村に敵意ありと見なされたのだろう。
「ふん、やっと認めたか!」
「それで、君たちは?」
「我らは、村々を魔物から開放しにきた義勇軍だ。正義は我らにあり! 邪悪な竜め、成敗してくれよう!」
あまりに口ばかり達者な男の様子に、エリーは笑いがこぼれた。
男は一歩後ずさった。そしてそのまま一団の中に戻って行く。うまく恐怖を隠したようだ。
『さて、どうしようか』
エリーの知性がかなり戻ってきた。今なら、冷静な判断ができる。
改めて団体を見渡すと、村人たちが混じっている。ここで全滅させてもいいが、村人を殺すと、後が面倒な事に気がついた。かといって攻撃対象を、選り分けるのも難しい。
これを他国の兵士が狙ってやったとすれば、大した政治力だ。
「弓兵、ってぇー!」
対策を考える間もなく、敵が戦闘開始した。
弧の形に展開していた一団から、縄のついた矢が飛んできた。矢先には返しがついている。
エリーの頭上を超え、翼や足に絡みついていく。
「よし、引っ張れ!」
縄が引っ張られて、返しが体に食い込んだ。エリーは身動きが取れなくなった。
「前衛、突撃!」
敵の前衛が雄叫びをあげて、襲って来た。敵の武器は槍だ。よく訓練されている。
『シロ、体の操縦は任せた。』
『えっ』
エリーは、動揺するシロに、突然操縦権を押し付けた。そして〈四重詠唱〉を開始する。
『我が体内に宿る〈火の中位精霊〉よ! あの縄を焼き切れ!』
体から数本の〈火の鞭〉が、ゆらりと現出した。そして大きくしなり、縄を片っ端から焼き切った。シロに自由に動けるようになった。
敵の兵士に、動揺が走る。
『この山に住む〈地の中位精霊〉よ! 我が立つ大地を盛り上げ、〈石柱〉を形成しろ!』
シロの足元の大地が、大きな音と地割れと共に盛り上がった。敵兵士は、地形の変化に対応しきれず、何人かひっくり返った。
「矢を撃てえぇぇぇッ!」
声に余裕のない敵の号令が響く。怯えの声色が混じる。
『空を自由に泳ぐ〈風の中位精霊〉よ! 我が周囲に、矢を弾く風の盾を作れ!』
今度は普通の矢が飛んできた。しかし突風が吹き荒れ、有らぬ方へ跳ね返された。
『地下深く流るる〈水の中位精霊〉よ! 地下深くから水を引き上げ、川を作れ!』
先ほど作った地割れの隙間から、水が吹き出し、噴水となった。その流れが、敵の前衛の頭上から降り注ぐ。辺りに小さな虹ができる。鎧ごと流すほどの水流はなかったが、身動きが封じることはできた。
しばらく待ってみるが、敵の動きがなくなった。打つ手がなくなったようだ。
なんて貧弱な。
「さて団長さん、どうするの?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
エリーは余りの弱さに殺す気すら失せてしまった。〈石柱〉の上から、できる限り威圧をかけて、逃げ出すように仕向ける。
団長の男は、歯を食いしばって悔しそうな顔をしていた。
そうするうちに、敵の一人が水圧に耐えきれず、川下に流されていった。
「あたしは、あの村をどうこうするつもりないけど」
「き、聞き入れるな! 相手は魔法を使う邪悪な竜だぞ!」
初めから話し合いをするつもりはないようだ。ただ、その焦りようから、何か裏があるような気もする。
「この中に、村の人間がいるだろう。あたしは、君たちの独自の生活を高く評価している。こんな外部の人間の言葉に、どうして耳を貸すんだ」
「や、やめろ! 退却だ! 退却!」
退却の号令が出た。
敵は、身動きの取れない前衛を見捨てて、背中を見せ、山を下り始めた。
エリーは興ざめた。そして、全ての精霊に元に戻すように命令する。
膝まで水没していた敵の前衛は、動けるようになった。
「君らはどうするの?」
彼らは、戦闘意欲を失っていた。まさか団長が逃げ出すとは思っていなかっただろう。どうして良いか分からず、ほとんどの人間が呆然としていた。
エリーは段々とイライラしてきた。訓練はしているかもしれないが、想定外の事が起きると思考停止に陥るのは、新人の兵隊でしかない。
これでは、戦闘を楽しむことすらできない。
「邪魔だ! さっさと山を降りないと喰っちまうぞ!」
エリーは口を大きく開けて、歯をガチガチと鳴らした。
途端に恐慌状態になった兵士達は、飛び上がって逃げ出し、山を降りて行った。
エリーはその様子を寂しそうに見つめた。
『一体、何が起きているのかなあ』
今までの事が、かなり思い出せてきた。
エリク、ロイという少年、ターニャという少女のこと。
彼女達は、約束の日は過ぎているのに、来なかった。ということは、自分の意思では来れない状況にあると考えるべきだろう。村に忍び込んで様子を調べたいが、この体では目立ってしまうし、隠密行動ができるような体調でもない。
八方塞がりだ。
しかしこのまま、人と関わりを持たずに生活を続けると、心がどんどん野生の竜化していく。何らかの手を打たないと危険だ。
『シロ、どうすればいいんだろうね?』
『眠い』
シロは心底、どうでも良さそうに答えた。
【10】
それから数日が過ぎた。
白竜エリーは結局、何もしなかった。何かをしなければ、と思うのだが、やる気が起きない。
再び、思考が退化していく。
『あー、そろそろお腹空いたなあ』
『ママ、餌』
『じゃあ、何を食べに行こうかー』
エリーは、獲物を何をするかで悩み始めた。熊は食べたし、鹿も食べた。イノシシもかなり食い飽きた。
ニンゲンは、まだ食べたことはない。そろそろ、いってみてもいいんじゃないだろうか。
『ママ、待って』
シロがエリーに警戒を促した。
今日は、エリーが居る位置が風下らしい。懐かしい臭いが鼻をくすぐった。
『これは……誰だっけ』
人数は一人。かなり急いで、こちらに向かっている。
エリーに用があるのだろう。食事に出かけている余裕はなさそうだ。
『仕方ない、待とうか』
エリーはほら穴の中で、じっと待つ。
しばらくすると、少年の姿が現れた。
「エリー! エリー! 助けて!」
エリーは目の前が広がった。
そうだった。自分はエリー。エリノール=アーレルスマイヤ。
消滅しかけていた自我が再生し、思考がクリアなものとなっていく。
「エリクっち?」
「そうだよ! エリー、助けて!」
エリーは、エリクと随分と会っていないような気がした。
「やあ、お久しぶり」
「お久しぶりだけど、それどころじゃないんだ。助けて!」
「わかったから、落ち着いて。初めから話をしてくれないかな」
「う、うん。わかった、少し長くなるけど説明するよ」
エリクは、今までの事を話し始めた。
【11】
エリクとロイが、ターニャに魔法を披露した日の翌日。
ターニャは、エリーに頼まれたことを忠実にやろうとした。つまり村長の家に行き、それとなく村の掟を破った時の対応を聞こうとしたのだ。
ところが、ちょうどその時に、外国の義勇兵隊長という人物が、村長の家に来ていた。
義勇兵隊長と名乗る人物は、最近、国境沿いに人を襲う生き物、つまり魔物が増えているという話をしていた。だから何度もこの国に治安改善要求してきたそうだ。しかし一向に良くなる様子がないので、魔物退治をしながら、各村を開放して。北上していく予定なのだという。
その話の過程で、最近この近くに出没する、白い〈翼竜〉についての話が出た。ターニャは、丁度その話に驚いた。
その義勇兵隊長は、白竜について色々な想像を語っていた。その白竜は、人間にとっての敵であり、邪悪な存在だと力説していた。
ターニャは、その言葉に感化され、村人たちに秘密にすることと引き換えに、エリーの住み家や、ロイたちの事を全て話してしまったそうだ。そして義勇兵隊長は、たいそう興奮し、村人を連れて出陣しに行ってしまった。
ところが二、三日してから、その義勇兵隊長は帰ってきた。彼はひどく憤慨しており、色んなモノに当たる癇癪持ちだった。
その矛先はターニャに向かう。
罵詈雑言が彼女に傷つけた。さらに、秘密にするはずだったエリクとロイの魔法の件を、村長に話してしまった。
村長は激しく怒り、エリクとロイを納屋に監禁してしまった。
それだけでなく、外の人間に力を借りた事に、不満を持つ者たちが、義勇兵たちを排斥すべきという動きが出てきた。
その動きに反発した義勇兵たちが、村人たちを攻撃し始めた。そして、村の中でついに殺し合いが始まったのだという。
その混乱の中、ターニャが泣きながら納屋の鍵を開けにきてくれたそうだ。そして、一連の話をした後、逃がそうとした。
しかし、エリクはこのまま納屋の中に閉じこもっていた方が安全だろうと、二人を納屋に隠した。そして一人でエリーに助けを求めに来たのだという。
【12】
「エリー! 助けて! このままじゃ、みんな殺されちゃう!」
エリーは口には出さなかったが、とても後悔していた。話を聞けば、今回の件は、エリーがかなり深く関わっている。
もはや、この辺が限界だろう。色々な面で。
「分かった。あたしがなんとかしよう」
エリーは、エリクに向かって前足を差し出した。
「あたしの〈腕輪〉を受け取ってくれ」
唐突な行為にエリクは、エリーの腕輪と顔を交互に見た。
「まさか、エリー、死ぬつもりじゃ?」
エリーは鼻で笑う。
「まさか。あたしは絶対に死なない。絶対にだ。そして、エリクっちに謝らなけばならない。ゴメンな」
「そんな! エリーは悪くないよ! 悪いのはあの異邦人なんだ!」
違う。
「ゴメン。ほんっとうにゴメン。すまなかった。だから、村を助けたいなら、その〈腕輪〉を受け取ってくれ」
エリクは、エリーの言葉にようやく納得した。エリーの指から〈腕輪〉を抜き取り、自分の腕輪に嵌める。
「エリー、そんなに、謝らないでよ! エリーは悪い奴じゃないよ!」
違う。違う。チガウ。チガウ。チガウチガウ。チガウチガウチガウ。チガウチガウチガウチガウチガウ。そうじゃない。
これほど、悪い奴は他にはいない。
「エリクっち、本当に悪かった。すまなかった。だから、急いで村に向かう。あたしの背中に乗れるかい?」
「もちろんだとも!」
エリクは、白竜エリーの首に飛び乗った。
「しっかり、しがみついてくれよ」
「分かってる!」
エリーは、エリクが背中にしがみついていることを確認し、穴の外に出て、翼を広げた。あえて、思念ではなく、口上で魔法を詠唱する。
「〈風の中位精霊〉よ! 我が翼に再び風を! そして、背中の少年に、風の保護を!」
周囲につむじ風が吹き、やがて暴風となって渦をまいた。土が舞い上がる。小石が舞い上がる。風の音が辺りに響く。
やがて、エリーは空に浮き上がっていく。そして、大きく羽ばたき、南の空へと飛び立っていった。
「エリー! すごーい!」
エリクが眼下の景色を見ながら、無邪気にはしゃいでいる。
エリーは彼に何も言えなかった。
エリーの〈腕輪〉が効果を発揮するのは、二つの条件がある。一つはエリーが宿っている肉体が死ぬこと。二つは、エリーが死んだ際に〈腕輪〉の近くに誰かがいることである。
誰もいなかった場合は、誰かに触れられるまで待つことになる。
この〈腕輪〉には、エリーが今までに体験した記憶や思考回路が含まれている。そして装備している間は、常に情報が更新されている。だから、一時的であれば、誰かに預けても大きな間違いは起きない。
「エリクっち、本当にごめんなさい」
エリーのつぶやきは、風の音で打ち消され、エリクの耳には届かなかった。




