【69】25歳モニカ、動き出す(9)
【9】
モニカは困惑した。
「〈天の精霊〉なんて聞いた事がありません」
「それは当然です」
ヘルムートは、地図を丸めて片付けた。代わりに、びっしりと文字が書かれた書類を差し出してきた。
「これは〈魔術師組合〉からの報告書です。この前の大爆発の過程で、新しい精霊が発見されたそうです。その内の一つが、この〈天の精霊〉です」
モニカは、書類を受け取って軽く目を通した。
そこには、〈天の精霊〉以外にも〈油の精霊〉や〈氷の精霊〉なるモノが記述されていた。詳しい〈属性〉は不明のようだ。文書の最後には、今後も調査を続けるべきである、という文言で締められていた。
「そこに書いてある通り、私たちに要請が来まして。〈鉱石学〉の観点からも、精霊について調査しているのです」
ヘルムートは、かつて〈巨神石〉という鉱石の加工方法を見出したことがある。
〈巨神石〉は〈風の精霊〉の保護を受けており、鋼鉄より硬く、錆びないという性質がある。言い換えれば加工がとても難しいのだという。
「では、これも?」
「はい、そうです。〈天王石〉に関しては、ガラスに混ぜ込んだら、面白い現象が起きましてね」
ヘルムートは窓際に近寄り、カーテンを閉める。すると花瓶が、暗闇の中で緑色に輝き出した。
「すっごい、キレイ……」
「このように、ガラス自体が光を発しているようです」
モニカは驚き、花瓶に手を持ってみた。ひんやりとしたガラスの表面が、指を押し返してくる。
「それで、お忙しい所申し訳ありませんが、モニカさんにも手伝って欲しいのです」
「何を手伝えばいいのでしょう」
飽きるまで花瓶を眺め回した。満足したので、机の上に返す。
「〈天の精霊〉と契約してもらえませんか。モニカさんは、そういうのが得意と聞いています」
「ぶっ」
モニカは吹いた。
新しい精霊と契約を成立させるには、時間がかかる。早くて半年、遅くて二年。簡単な話ではない。
「何故ですか?」
「いや、深い意味はありませんよ。未知の物が目の前にあったら、探究したいじゃないですか」
ヘルムートの目が輝いている。
モニカには、その気持ちは理解できた。成り行きで冒険者にはなったが、やはり新しい物に遭遇する事は楽しい。
しかし、この〈依頼〉にはもっと相応しい人間がいるはずだ。何気なく、その疑問を口にした。
「どうして、私なのですか? 〈魔術師組合〉は何と言っていますか?」
ヘルムートは、少し暗い顔をした。
モニカは首を傾げる。
そんなに変な質問をしただろうか。
「流石はモニカさんですね。鋭いです。私が言っていいのかどうかわかりませんが、実は〈魔術師組合〉は今、混乱の極みだそうです」
「え、どうしてですか?」
話が変な方向に飛んでしまい、モニカは目を丸くした。
「新しい精霊について研究するな、という命令が突然、中央から来たそうなんです。命令に逆らうと、研究費を半分ぐらい削られてしまうので、反抗できないようです」
「それは……」
モニカには心当たりがある。〈縫製組合〉の件と同じだ。ハインツの方に目を向けると、同じように目を合わせてきた。
この事をヘルムートと説明しようかと迷ったが、やめておいた。話した所で、いたずらに彼を危険に晒すだけだ。
「その事で〈魔術師組合〉が二つに割れそうなんです。組合と言っても、一枚岩ではないですからね」
どうも〈縫製組合〉と違って、よくない状況らしい。魔法は殺傷目的にも使える分、下手すると内紛に発展するかもしれない。
「え、じゃあ、どうして?」
「実は、それでも研究を続けようとしている一派からの要請なんです。ですから、何がなんでもこの新しい鉱石の利用法を見つけ、資金源にしなければなりません」
思ったより、責任が重い〈依頼〉になりそうだ。
「ヘルムートさんの所は、大丈夫なんですか?」
「今のところは大丈夫です。組織があまり大きくないので、見逃されているだけかも知れませんが」
モニカは、人差し指を咥えながら黙考する。
新しい精霊や鉱石に興味がないと言えば、嘘になる。
しかし、モニカ自身には、クレメンスに反抗する理由がない。ミヒェル組合長の件があるが、乗り気なのはむしろハインツである。接点の薄いモニカには、強い動機はない。そして向こうも、モニカに敵対する強い動機は、ないはずだ。
ハインツの方にチラと目を向けた。ただ事態の様子を見守っているようだ。
「ん、どうした?」
「いえ、何でもないです」
再び、思考に戻る。
敵は、冒険者クラスAであり、200年生きる魔術師であり、伝説の王女様だ。余りにも強大な力を持っている。
今すぐ投降すれば、新しい世界に溶け込めるかもしれない。〈不死の洞窟〉での出来事は、言ってしまえば自己防衛だ。向こうが一方的にコルを斬らなければ、女を殺す必要もなかった。
だがもしも〈天の精霊〉と契約し、表沙汰になったとしよう。明確に敵意を持たれる可能性が高い。
保身の事だけを考えれば、ここは否定するのが正解だ。
いや、違う。
何を考えている。
自分の事だけを考えてればいい時期は、とうに過ぎた。
コルやハインツ、それにヘルムート、さらにはハインツの元に集まった元冒険者たち。彼らの気持ちを踏みにじる訳にはいかない。
さらには、不老不死という名の時間の牢獄に捕まり、迷子になってしまったエリー。彼女には帰る場所が必要だ。
そして、クレメンス達のやってきた事。やろうとしている事。
権力を握る為に、人の命を弄んでいる。仲違いさせようとしている。到底、許せるはずもない。笑顔の裏で、おぞましい悪意を感じる。
「分かりました、やらせて下さい」
「本当ですか!」
ヘルムートは笑顔になった。
「それで契約が成功した場合、何をすればいいのでしょう」
「そうですね、定期的に来て頂き、開発を手伝ってもらえれば結構です」
「分かりました」
モニカは、ハインツの方を振り返った。
「ああ、組合長を助けるには、まだ時間がかかる。気にしなくていい」
「はい、すいません」
話を聞くだけのつもりが、新しい〈依頼〉を受注してしまった。この身は一つしかないのに、やるべき事はどんどん積み上がっていく。できる事から一つずつ潰していくしかない。
モニカはそう心に決め、ヘルムート夫妻にお礼と別れの挨拶を告げる。
【1】
モニカの一日は、屋敷から始まる。
早朝は顔を洗ってから、庭に出て、魔法の訓練を行う。最近の訓練内容は〈沈黙詠唱〉と〈天の精霊〉の契約だ。
〈沈黙詠唱〉は、口上を述べる事なく、思念だけで魔法を行使する技術だ。それには、思考を整流することが重要だという。
精霊と思念だけのやり取り自体はできる。しかし、それは漠然としたイメージのやり取りであって、はっきりとした形を示すことが難しい。
モニカは色々試してはいるが、今だ成功はしていない。
〈天の精霊〉との契約は、糸口すらつかめない。
精霊との契約は、相手の姿を捉えることから始まる。そのやり方は色々あるが、実物を見るのが一番手っ取り早い。例えば〈火の精霊〉ならば、ロウソクの火を見つめていれば良い。
しかし〈天の精霊〉と一口に言われても、よくわからない。空を見上げても、そこには〈風の精霊〉がいるだけだ。しかし〈風の精霊〉と違う存在であるのは〈属性〉の色を見ればはっきりしている。色合いからすれば、むしろ〈地の精霊〉の兄弟分の精霊と考えられる。
つまり、天に存在する〈地の精霊〉?
まるで分からない。
「ご主人様、おはようございます」
振り向けば、屋敷の〈侍女〉カトリンが立っている。
そうだった。今日は、カトリンに魔法を教える日だ。
「ああ、ごめんなさい」
モニカは瞑想を止め、自分の修行を終わらせた。そして、カトリンに魔法の基礎を教え始めた。
【2】
早朝の修行を終え、屋敷の建物の中に戻った。
「はわー……おはようございますー」
コルとブリギッテは朝食の準備をしていた。ブリギッテは欠伸を繰り返しながら、目をこすっていた。いつもの事なので、気にしない。
間もなく準備が終わり、全員が食卓につく。
「コルちゃん、アプト村の様子はどう?」
「順調です。冒険者の皆さんが手伝ってくれますので、村が見間違えるぐらいキレイになりました」
「今月の麦は?」
「準備できています」
「良かった。じゃあ、後は取りに来てもらうだけね」
「はい」
モニカ達は月に一回、アプト村の食料をフルスベルグに運んでいる。
まず、穀倉地帯の村々から集めた麦や野菜を、アプト村の倉庫に一度貯める。その過程の護衛は、ハインツの仲間達が行う。それからコルが〈転移門〉を開け、モニカの屋敷に運び込む。
そこからは〈冒険者組合〉のクサーヴァと、西から来た商人のディオに引き取ってもらう。〈身分証明板〉を使った信用取引は、銀行を介してバレる可能性があるので、使わない。
〈冒険者組合〉の倉庫に一度納めた食料は、貯蓄物資の放出と偽って、市場に流す。
結果、食料の流れに逆行して、金がアプト村に集まっていく。
「あ、そうそう。前から話していた冒険者さんですが、ついに結婚しました」
「ええ?」
モニカは手を止めて、素っ頓狂な声を上げた。
コルは最近、アプト村に滞在する時間が多い。元々、モニカ達は公式には死んでいるはずの存在なので、あまり街中を出歩けないという理由もある。
だから、こうして村のニュースを持って来て、朝食の時間に披露してくれる。
「えっと、村長さんの家で〈契りの儀式〉を行ってました」
「へえー!」
話題の冒険者は、少し前から宿の看板娘と、良い雰囲気になっていた。
元々、娯楽の少ない村だ。村中の人々が密かに注目していた。知らないのは、本人たちだけだったりする。
「よっしゃあ! ついに来たぁあああー!」
ブリギッテが、一番はしゃいでいた。椅子から飛び上がり、スプーンを握りしめる。まるで自分の事のように喜んでいた。
「それで〈族名〉はどうなったんですか?」
カトリンが、コルに尋ねた。
「冒険者さんは、完全に村に溶け込む事に決めたみたいです。〈同化の儀〉も行って、アプトの〈族名〉に改名していました」
「素敵ですね」
カトリンはスープを口に運んでから、微笑んだ。
〈契りの儀式〉とは〈婚姻の儀〉だけでなく、いくつかの儀式を含めた総称だ。今回は〈同化の儀〉も同時に行われた。村人の一員となる事を村長の前で宣言し、村人全員に認めてもらう、というものである。
ただし、必須というわけでもない。コルの例のように、金づくで認めさせることも可能だ。ただ、この儀式を行えば、今後の人間関係が良好になるのは間違いない。
「コルちゃん、他には?」
モニカは、果物の皮を剥きながら質問した。自分の行動が大きく関わっている分、街の発展を聞くのはとても楽しい。
「んー、またいくつか新しい家が立ちましたね。それと、ついに堀が完成しました」
堀、塀などの防衛用の施設については、ハインツが村長に頼まれて作っている。順調に建設が進んでいるようだ。
代わりに、ミヒェルの無罪を晴らす為の調査が進んでいない。とは言っても、次の調査場所はアーレルスマイヤ村。
だが、踏ん切りがつかない。
目的地に〈転移門〉の魔法陣を設置するのは、モニカにしかできないのだが……。
「モニカお姉様」
気がつけば、コルが心配そうな顔をしていた。
「ん、大丈夫よ」
心理を見抜かれていると知りつつ、言い訳をした。コルは追求してこなかった。
それからは他愛ない話を交えながら、朝食を楽しんだ。
【3】
昼になると、開けたままにしてある〈転移門〉から、食料が運ばれて来た。
「こんにちは、ハインツさん」
「やあ、いつもの場所でいいかな」
「はい」
カートを引いているのはハインツだった。そのまま、外の倉庫にまで運んでいく。
「あの」
「ん?」
「いえ、すいません。私、早く〈転移門〉を設置しなければならないのに」
モニカが謝ろうとしているのは、アーレルスマイヤ村に転移門を設置する話の事だ。
ハインツは足を止め、振り向いた。
「ま、そうだな」
モニカは、まさか同意されるとは思わずに動揺した。と同時に、慰められたがっている事に気がついた。軽い自己嫌悪を覚えた。
「だがな。俺は、モニカが責任感の強い女だということは知っている。その上で無理だというなら、それだけ強い抵抗がある、ということだろう。ならば、他の手がかりを探すしかない」
「ハインツさん……」
ハインツは再び、カートを引き出した。
「あの!」
再び足を止め、振り向く。
「今夜、お願いできますか?」
しばらく、沈黙して考え事をしている風だったが、意を決したように言った。
「構わない。が、それは逃げだ。時間はある、とは言ったが、逃げるのなら時間はいくらあっても足りない」
モニカは、言い返せなかった。力が抜けていく。
その様子に気がついたハインツは、慰めるように声をかける。
「大丈夫だ。俺たちがついている。必要なのは、一歩踏み出す勇気と意思だ。それさえあれば、いくらでも手伝うさ」
「……はい……」
悲しいやら、嬉しいやらで目頭が熱くなった。
「とにかく、荷物を置いてくるからな。少し待ってろ」
ハインツは外へと出て行った。モニカはその後ろ姿を見つめていた。
間もなく戻ってきたハインツと話し合いをする。結局、アーレルスマイヤ村のかなり手前に〈転移門〉を設置し、モニカ抜きで村を探索するということに決まった。
【4】
夕方。
カトリンとブリギッテは、夕食の準備に大忙しだ。
そんな中、玄関から呼び鈴がなった。手が離せない二人に代わって、モニカは応対しに向かった。
「ちーぃっす、って珍しンなぁー」
「……こんばん」
ディオとクサーヴァだった。表には、回収用の荷馬車が停められていた。
アプト村から輸送してきた食料を、回収しに来たのだ。
「あ、いつものように、庭の倉庫に置いてありますので」
「あぃょーぅ、んじゃあ、邪魔すンぜ?」
モニカは二人を先導し、そのまま庭に向かう道に向かう。そのまま倉庫を開け、荷馬車に物資の積まれた箱を運び出す手伝いをする。
荷物が半分くらいなくなった所で、モニカは何気なくディオに質問した。
「……ディオさんにとって、故郷って何ですか?」
「んーん、突然だぁな?」
ディオは手を止めて首を回した。そして、近くの箱に腰を降ろした。
「そうだぁな。古き思い出ってとこか。帰る気はさらさらねぇな」
モニカも近くの箱に座った。
「では、もし帰らなければならないとなったら、どうしますか?」
「んー、よくわかんねぇけどよぅ、帰ればいいんじゃねぇ?」
あっけらかんとした物言いに、モニカは苦笑した。
「一度、帰ったことはあんぜ? ただ、その時はな、凄くちっぽけだったなぁ」
「え、それはどういうことですか」
ディオは首回りをポリポリと書きながら答えた。
「いやぁ、ガキの頃ってよぉ。体ちっこいから、何でもでかく見えるじゃねぇか。だからよぉ、故郷って言えばなんかでかいイメージがあったんだけどよぉ」
そこで一度、言葉を切り、肩をすくめた。
「帰って来てみれば、イメージと全然違ったんだぁよ。凄くちっぽけでよぉ。世界を旅して来たからってのもあるかもしれんがなぁ」
「ちっぽけ……」
「ああ、ガキの頃には怖かった、近所のクソジジイもな、ヨボヨボで今にも死にそうだったんだぁよ。何だぁコレ、と思ったよ」
モニカは、何か心に引っかかる物を感じた。ひょっとしたら、必要以上に怯えているのかもしれない。
「ディオさん、ありがとうございます」
「よくわかんねぇけどよぅ、良かったなぁ」
モニカは、何時の間にかディオの背後に、人影がいるのに気がついた。
「……サボるな」
「いて!」
クサーヴァが、ディオの脳天にチョップをかました。ディオは頭をさすりながら振り向いた。
「クサの旦那ぁ、しょうがねぇじゃねぇか。話がしたいって言うからよぉ」
「すいません、引き止めてしまいました」
「完全に日が沈む前に、出発したかった……」
気がつけば、既に日が暮れている。
あまり目立ちたくないが為の時間帯なのだが、完全に真っ暗になると、今度は作業が滞る。
「あ、すいません。明かりをつけますね」
「レアで……」
クサーヴァが言ったのは、焼肉の焼き方だ。つまり暗めにして欲しいという比喩だ。兵站部に所属する人間らしい言い回しだ。
モニカは苦笑しながら、魔法の詠唱を始めた。
「〈光の精霊〉よ、明かりをつけろ。ただし暗めに」
やや、光量が抑えられた光球が3つ飛び出した。それぞれがクサーヴァ、ディオ、モニカにつき、光源となった。
モニカ達は急いで、荷物の積み替えをした。そしてすぐに、ディオ達は挨拶もそこそこに走り去って行った。




