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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【3章】
66/106

【69】25歳モニカ、動き出す(9)

 【9】


 モニカは困惑した。


「〈天の精霊(ウラヌス)〉なんて聞いた事がありません」

「それは当然です」


 ヘルムートは、地図を丸めて片付けた。代わりに、びっしりと文字が書かれた書類を差し出してきた。


「これは〈魔術師組合〉からの報告書です。この前の大爆発の過程で、新しい精霊が発見されたそうです。その内の一つが、この〈天の精霊〉です」


 モニカは、書類を受け取って軽く目を通した。

 そこには、〈天の精霊〉以外にも〈油の精霊〉や〈氷の精霊〉なるモノが記述されていた。詳しい〈属性〉は不明のようだ。文書の最後には、今後も調査を続けるべきである、という文言で締められていた。


「そこに書いてある通り、私たちに要請が来まして。〈鉱石学〉の観点からも、精霊について調査しているのです」


 ヘルムートは、かつて〈巨神石(ティタン)〉という鉱石の加工方法を見出したことがある。

 〈巨神石〉は〈風の精霊(シルフェ)〉の保護を受けており、鋼鉄より硬く、錆びないという性質がある。言い換えれば加工がとても難しいのだという。


「では、これも?」

「はい、そうです。〈天王石ウラン〉に関しては、ガラスに混ぜ込んだら、面白い現象が起きましてね」


 ヘルムートは窓際に近寄り、カーテンを閉める。すると花瓶が、暗闇の中で緑色に輝き出した。


「すっごい、キレイ……」

「このように、ガラス自体が光を発しているようです」


 モニカは驚き、花瓶に手を持ってみた。ひんやりとしたガラスの表面が、指を押し返してくる。


「それで、お忙しい所申し訳ありませんが、モニカさんにも手伝って欲しいのです」

「何を手伝えばいいのでしょう」


 飽きるまで花瓶を眺め回した。満足したので、机の上に返す。


「〈天の精霊(ウラヌス)〉と契約してもらえませんか。モニカさんは、そういうのが得意と聞いています」

「ぶっ」


 モニカは吹いた。

 新しい精霊と契約を成立させるには、時間がかかる。早くて半年、遅くて二年。簡単な話ではない。


「何故ですか?」

「いや、深い意味はありませんよ。未知の物が目の前にあったら、探究したいじゃないですか」


 ヘルムートの目が輝いている。

 モニカには、その気持ちは理解できた。成り行きで冒険者にはなったが、やはり新しい物に遭遇する事は楽しい。

 しかし、この〈依頼(クエスト)〉にはもっと相応しい人間がいるはずだ。何気なく、その疑問を口にした。


「どうして、私なのですか? 〈魔術師組合〉は何と言っていますか?」


 ヘルムートは、少し暗い顔をした。

 モニカは首を傾げる。

 そんなに変な質問をしただろうか。


「流石はモニカさんですね。鋭いです。私が言っていいのかどうかわかりませんが、実は〈魔術師組合〉は今、混乱の極みだそうです」

「え、どうしてですか?」


 話が変な方向に飛んでしまい、モニカは目を丸くした。


「新しい精霊について研究するな、という命令が突然、中央から来たそうなんです。命令に逆らうと、研究費を半分ぐらい削られてしまうので、反抗できないようです」

「それは……」


 モニカには心当たりがある。〈縫製組合〉の件と同じだ。ハインツの方に目を向けると、同じように目を合わせてきた。

 この事をヘルムートと説明しようかと迷ったが、やめておいた。話した所で、いたずらに彼を危険に晒すだけだ。


「その事で〈魔術師組合〉が二つに割れそうなんです。組合と言っても、一枚岩ではないですからね」


 どうも〈縫製組合〉と違って、よくない状況らしい。魔法は殺傷目的にも使える分、下手すると内紛に発展するかもしれない。


「え、じゃあ、どうして?」

「実は、それでも研究を続けようとしている一派からの要請なんです。ですから、何がなんでもこの新しい鉱石の利用法を見つけ、資金源にしなければなりません」


 思ったより、責任が重い〈依頼(クエスト)〉になりそうだ。


「ヘルムートさんの所は、大丈夫なんですか?」

「今のところは大丈夫です。組織があまり大きくないので、見逃されているだけかも知れませんが」


 モニカは、人差し指を咥えながら黙考する。

 新しい精霊や鉱石に興味がないと言えば、嘘になる。

 しかし、モニカ自身には、クレメンスに反抗する理由がない。ミヒェル組合長の件があるが、乗り気なのはむしろハインツである。接点の薄いモニカには、強い動機はない。そして向こうも、モニカに敵対する強い動機は、ないはずだ。

 ハインツの方にチラと目を向けた。ただ事態の様子を見守っているようだ。


「ん、どうした?」

「いえ、何でもないです」


 再び、思考に戻る。

 敵は、冒険者クラスAであり、200年生きる魔術師であり、伝説の王女様だ。余りにも強大な力を持っている。

 今すぐ投降すれば、新しい世界に溶け込めるかもしれない。〈不死の洞窟〉での出来事は、言ってしまえば自己防衛だ。向こうが一方的にコルを斬らなければ、女を殺す必要もなかった。

 だがもしも〈天の精霊(ウラヌス)〉と契約し、表沙汰になったとしよう。明確に敵意を持たれる可能性が高い。

 保身の事だけを考えれば、ここは否定するのが正解だ。


 いや、違う。

 何を考えている。


 自分の事だけを考えてればいい時期は、とうに過ぎた。

 コルやハインツ、それにヘルムート、さらにはハインツの元に集まった元冒険者たち。彼らの気持ちを踏みにじる訳にはいかない。

 さらには、不老不死という名の時間の牢獄に捕まり、迷子になってしまったエリー。彼女には帰る場所が必要だ。

 そして、クレメンス達のやってきた事。やろうとしている事。

 権力を握る為に、人の命を弄んでいる。仲違いさせようとしている。到底、許せるはずもない。笑顔の裏で、おぞましい悪意を感じる。


「分かりました、やらせて下さい」

「本当ですか!」


 ヘルムートは笑顔になった。


「それで契約が成功した場合、何をすればいいのでしょう」

「そうですね、定期的に来て頂き、開発を手伝ってもらえれば結構です」

「分かりました」


 モニカは、ハインツの方を振り返った。


「ああ、組合長を助けるには、まだ時間がかかる。気にしなくていい」

「はい、すいません」


 話を聞くだけのつもりが、新しい〈依頼(クエスト)〉を受注してしまった。この身は一つしかないのに、やるべき事はどんどん積み上がっていく。できる事から一つずつ潰していくしかない。

 モニカはそう心に決め、ヘルムート夫妻にお礼と別れの挨拶を告げる。


【1】


 モニカの一日は、屋敷から始まる。

 早朝は顔を洗ってから、庭に出て、魔法の訓練を行う。最近の訓練内容は〈沈黙詠唱(サイレントキャスト)〉と〈天の精霊〉の契約だ。

 〈沈黙詠唱〉は、口上を述べる事なく、思念だけで魔法を行使する技術だ。それには、思考を整流することが重要だという。

 精霊と思念だけのやり取り自体はできる。しかし、それは漠然としたイメージのやり取りであって、はっきりとした形を示すことが難しい。

 モニカは色々試してはいるが、今だ成功はしていない。

 〈天の精霊〉との契約は、糸口すらつかめない。

 精霊との契約は、相手の姿を捉えることから始まる。そのやり方は色々あるが、実物を見るのが一番手っ取り早い。例えば〈火の精霊〉ならば、ロウソクの火を見つめていれば良い。

 しかし〈天の精霊〉と一口に言われても、よくわからない。空を見上げても、そこには〈風の精霊(シルフェ)〉がいるだけだ。しかし〈風の精霊〉と違う存在であるのは〈属性〉の色を見ればはっきりしている。色合いからすれば、むしろ〈地の精霊(ノーム)〉の兄弟分の精霊と考えられる。

 つまり、天に存在する〈地の精霊〉?

 まるで分からない。


「ご主人様、おはようございます」


 振り向けば、屋敷の〈侍女(メイド)〉カトリンが立っている。

 そうだった。今日は、カトリンに魔法を教える日だ。


「ああ、ごめんなさい」


 モニカは瞑想を止め、自分の修行を終わらせた。そして、カトリンに魔法の基礎を教え始めた。


【2】


 早朝の修行を終え、屋敷の建物の中に戻った。


「はわー……おはようございますー」


 コルとブリギッテは朝食の準備をしていた。ブリギッテは欠伸を繰り返しながら、目をこすっていた。いつもの事なので、気にしない。

 間もなく準備が終わり、全員が食卓につく。


「コルちゃん、アプト村の様子はどう?」

「順調です。冒険者の皆さんが手伝ってくれますので、村が見間違えるぐらいキレイになりました」

「今月の麦は?」

「準備できています」

「良かった。じゃあ、後は取りに来てもらうだけね」

「はい」


 モニカ達は月に一回、アプト村の食料をフルスベルグに運んでいる。

 まず、穀倉地帯の村々から集めた麦や野菜を、アプト村の倉庫に一度貯める。その過程の護衛は、ハインツの仲間達が行う。それからコルが〈転移門(ワープポータル)〉を開け、モニカの屋敷に運び込む。

 そこからは〈冒険者組合〉のクサーヴァと、西から来た商人のディオに引き取ってもらう。〈身分証明板〉を使った信用取引は、銀行を介してバレる可能性があるので、使わない。

 〈冒険者組合〉の倉庫に一度納めた食料は、貯蓄物資の放出と偽って、市場に流す。

 結果、食料の流れに逆行して、金がアプト村に集まっていく。


「あ、そうそう。前から話していた冒険者さんですが、ついに結婚しました」

「ええ?」


 モニカは手を止めて、素っ頓狂な声を上げた。

 コルは最近、アプト村に滞在する時間が多い。元々、モニカ達は公式には死んでいるはずの存在なので、あまり街中を出歩けないという理由もある。

 だから、こうして村のニュースを持って来て、朝食の時間に披露してくれる。


「えっと、村長さんの家で〈契りの儀式〉を行ってました」

「へえー!」


 話題の冒険者は、少し前から宿の看板娘と、良い雰囲気になっていた。

 元々、娯楽の少ない村だ。村中の人々が密かに注目していた。知らないのは、本人たちだけだったりする。


「よっしゃあ! ついに来たぁあああー!」


 ブリギッテが、一番はしゃいでいた。椅子から飛び上がり、スプーンを握りしめる。まるで自分の事のように喜んでいた。


「それで〈族名〉はどうなったんですか?」


 カトリンが、コルに尋ねた。


「冒険者さんは、完全に村に溶け込む事に決めたみたいです。〈同化の儀〉も行って、アプトの〈族名〉に改名していました」

「素敵ですね」


 カトリンはスープを口に運んでから、微笑んだ。

 〈契りの儀式〉とは〈婚姻の儀〉だけでなく、いくつかの儀式を含めた総称だ。今回は〈同化の儀〉も同時に行われた。村人の一員となる事を村長の前で宣言し、村人全員に認めてもらう、というものである。

 ただし、必須というわけでもない。コルの例のように、金づくで認めさせることも可能だ。ただ、この儀式を行えば、今後の人間関係が良好になるのは間違いない。


「コルちゃん、他には?」


 モニカは、果物の皮を剥きながら質問した。自分の行動が大きく関わっている分、街の発展を聞くのはとても楽しい。


「んー、またいくつか新しい家が立ちましたね。それと、ついに堀が完成しました」


 堀、塀などの防衛用の施設については、ハインツが村長に頼まれて作っている。順調に建設が進んでいるようだ。

 代わりに、ミヒェルの無罪を晴らす為の調査が進んでいない。とは言っても、次の調査場所はアーレルスマイヤ村。

 だが、踏ん切りがつかない。

 目的地に〈転移門〉の魔法陣を設置するのは、モニカにしかできないのだが……。


「モニカお姉様」


 気がつけば、コルが心配そうな顔をしていた。


「ん、大丈夫よ」


 心理を見抜かれていると知りつつ、言い訳をした。コルは追求してこなかった。

 それからは他愛ない話を交えながら、朝食を楽しんだ。


【3】


 昼になると、開けたままにしてある〈転移門〉から、食料が運ばれて来た。


「こんにちは、ハインツさん」

「やあ、いつもの場所でいいかな」

「はい」


 カートを引いているのはハインツだった。そのまま、外の倉庫にまで運んでいく。


「あの」

「ん?」

「いえ、すいません。私、早く〈転移門〉を設置しなければならないのに」


 モニカが謝ろうとしているのは、アーレルスマイヤ村に転移門を設置する話の事だ。

 ハインツは足を止め、振り向いた。


「ま、そうだな」


 モニカは、まさか同意されるとは思わずに動揺した。と同時に、慰められたがっている事に気がついた。軽い自己嫌悪を覚えた。


「だがな。俺は、モニカが責任感の強い女だということは知っている。その上で無理だというなら、それだけ強い抵抗がある、ということだろう。ならば、他の手がかりを探すしかない」

「ハインツさん……」


 ハインツは再び、カートを引き出した。


「あの!」


 再び足を止め、振り向く。


「今夜、お願いできますか?」


 しばらく、沈黙して考え事をしている風だったが、意を決したように言った。


「構わない。が、それは逃げだ。時間はある、とは言ったが、逃げるのなら時間はいくらあっても足りない」


 モニカは、言い返せなかった。力が抜けていく。

 その様子に気がついたハインツは、慰めるように声をかける。


「大丈夫だ。俺たちがついている。必要なのは、一歩踏み出す勇気と意思だ。それさえあれば、いくらでも手伝うさ」

「……はい……」


 悲しいやら、嬉しいやらで目頭が熱くなった。


「とにかく、荷物を置いてくるからな。少し待ってろ」


 ハインツは外へと出て行った。モニカはその後ろ姿を見つめていた。

 間もなく戻ってきたハインツと話し合いをする。結局、アーレルスマイヤ村のかなり手前に〈転移門〉を設置し、モニカ抜きで村を探索するということに決まった。


【4】


 夕方。

 カトリンとブリギッテは、夕食の準備に大忙しだ。

 そんな中、玄関から呼び鈴がなった。手が離せない二人に代わって、モニカは応対しに向かった。


「ちーぃっす、って珍しンなぁー」

「……こんばん」


 ディオとクサーヴァだった。表には、回収用の荷馬車が停められていた。

 アプト村から輸送してきた食料を、回収しに来たのだ。


「あ、いつものように、庭の倉庫に置いてありますので」

「あぃょーぅ、んじゃあ、邪魔すンぜ?」


 モニカは二人を先導し、そのまま庭に向かう道に向かう。そのまま倉庫を開け、荷馬車に物資の積まれた箱を運び出す手伝いをする。

 荷物が半分くらいなくなった所で、モニカは何気なくディオに質問した。


「……ディオさんにとって、故郷って何ですか?」

「んーん、突然だぁな?」


 ディオは手を止めて首を回した。そして、近くの箱に腰を降ろした。


「そうだぁな。古き思い出ってとこか。帰る気はさらさらねぇな」


 モニカも近くの箱に座った。


「では、もし帰らなければならないとなったら、どうしますか?」

「んー、よくわかんねぇけどよぅ、帰ればいいんじゃねぇ?」


 あっけらかんとした物言いに、モニカは苦笑した。


「一度、帰ったことはあんぜ? ただ、その時はな、凄くちっぽけだったなぁ」

「え、それはどういうことですか」


 ディオは首回りをポリポリと書きながら答えた。


「いやぁ、ガキの頃ってよぉ。体ちっこいから、何でもでかく見えるじゃねぇか。だからよぉ、故郷って言えばなんかでかいイメージがあったんだけどよぉ」


 そこで一度、言葉を切り、肩をすくめた。


「帰って来てみれば、イメージと全然違ったんだぁよ。凄くちっぽけでよぉ。世界を旅して来たからってのもあるかもしれんがなぁ」

「ちっぽけ……」

「ああ、ガキの頃には怖かった、近所のクソジジイもな、ヨボヨボで今にも死にそうだったんだぁよ。何だぁコレ、と思ったよ」


 モニカは、何か心に引っかかる物を感じた。ひょっとしたら、必要以上に怯えているのかもしれない。


「ディオさん、ありがとうございます」

「よくわかんねぇけどよぅ、良かったなぁ」


 モニカは、何時の間にかディオの背後に、人影がいるのに気がついた。


「……サボるな」

「いて!」


 クサーヴァが、ディオの脳天にチョップをかました。ディオは頭をさすりながら振り向いた。


「クサの旦那ぁ、しょうがねぇじゃねぇか。話がしたいって言うからよぉ」

「すいません、引き止めてしまいました」

「完全に日が沈む前に、出発したかった……」


 気がつけば、既に日が暮れている。

 あまり目立ちたくないが為の時間帯なのだが、完全に真っ暗になると、今度は作業が滞る。


「あ、すいません。明かりをつけますね」

「レアで……」


 クサーヴァが言ったのは、焼肉の焼き方だ。つまり暗めにして欲しいという比喩だ。兵站部に所属する人間らしい言い回しだ。

 モニカは苦笑しながら、魔法の詠唱を始めた。


「〈光の精霊(イルリヒト)〉よ、明かりをつけろ。ただし暗めに」


 やや、光量が抑えられた光球が3つ飛び出した。それぞれがクサーヴァ、ディオ、モニカにつき、光源となった。

 モニカ達は急いで、荷物の積み替えをした。そしてすぐに、ディオ達は挨拶もそこそこに走り去って行った。

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