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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【3章】
64/106

【67】25歳モニカ、動き出す(7)

 【1】


 朝。

 モニカは、ベッドの中で天井の模様を眺めていた。隣には、ハインツが横になっている。

 みんなが起きてくるまで、まだ少しの時間があるだろう。

 モニカは、口を開いた。


「あの、聞いてもらえますか?」


 返事はない。しかし、それを肯定と受け取って話を続ける。


「私にとっては、初めてでした」


 ハインツは身じろいで、体を半転させた。投げ捨てられた血のついたシーツに目を向けている。


「それは、すまなかった」


 モニカは、顔が熱くなった。そっちの話ではない。第一、誘ったのはこっちだ。


「ち、違います! そりゃ、そっちもそうですけど……じゃなくて、そうじゃありません!」


 モニカは、混乱して自分でも訳のわからないことを言った。ハインツは、何だかよくわからないという顔をした。


「私は、初めてこの手で人を殺しました」


 ハインツは黙って聞いている。


「意外と思われるかもしれません。ですが、そうなんです。今まで、いくつか魔物を殺した事はありますが、あくまで防衛の為でした。しかもほとんどが遠くからで、血肉の臭いを感じたことはありませんでした」


 一度、モニカは言葉を切った。


「……続けてくれ」

「はい」


 モニカは続けた。


「夢を見ました。私が殺した女性が襲いかかってくる夢です。非常に生々しい夢でした。私は急に怖くなりました」


 ハインツは少し時間が経ってから、ポツリと言った。


「それが理由か?」

「それだけではありません」

「ふむ?」

「皆に捨てられる夢も見ました。私が体調を崩して倒れても、皆がどんどん先に行ってしまって……私が……必死に声を出しているのに……ひっく……誰も…………気づかなくて……ひっく……一人きりになって…………」


 モニカの目から、自然と涙がポロポロとこぼれでた。シーツで目をこすっても、後からどんどん溢れてくる。さらに鼻水まで出てきた。鼻をズズーとすする。顔がぐちゃぐちゃになる。

 ハインツは、ただ黙っている。


「だが、夢だった」

「ひっく……はい」


 しばらく、モニカのすすり泣く声だけが部屋を満たした。

 再び、ポツリポツリと話し始める。


「あの……わ、私、小さい頃、大人しい子だったんです。母親から、手間がかからない子、と言われたのを、覚えています」

「母親か……」


 ハインツは何かを考えているようだった。


「でも、私はある日、母に、す、捨てられたんです。私が小さい頃は、母とあちこち放浪していました。ですが、アーレルスマイヤ村にたどり着いた時、私の母はいなくなってしまったんです」

「じゃあ、君は……」

「はい、私は本当はアーレルスマイヤ族の人間ではありません」

「そうか……」


 だから、かつてエリーがハインツに対して言い放った言葉は、ある意味正しいことだった。ハインツと違って、モニカは故郷を持たない。モニカは、本来は根無し草であり、本当の起源は分かっていない。


「ですから、私は……誰かに捨てられるのが怖かったんです……」


 ハインツはモニカの髪を撫でた。モニカはしばらく顔を背け、そのままでいた。顔を見られるのが恥ずかしい。


「その、なんだ。俺には、モニカの気持ちは完全には理解できないが……」


 ハインツは目を泳がして、一生懸命言葉を探しているようだった。


「俺は仲間を見捨てるような事はしない。絶対に、だ」

「ハインツさん……」


 ハインツがモニカの手を強く握る。泣き腫らした顔を見られる。恥ずかしさで耐えられそうにない。話題を変えなくては。


「あ、あの、も、もう、皆が起きてくる頃です。そろそろ服を着ませんか」

「む、そうだな」


 ようやく、手を離してくれた。ハインツはそのままベッドから降りて、服を着はじめた。モニカも衣装棚から新しい服を取り出して、身だしなみをする。


「なあ、モニカ。思ったんだが」

「はい?」

「モニカの母親は、本当にモニカを捨てたのかな?」


 モニカの手が止まる。


「本当の所はわかりません。ただ、子供を連れたままの放浪生活に疲れていたのは確かです」

「ん、それが信じがたい。やはり、母親は子供に対して無限の愛を持っていると思うんだ。俺の母さんを見てるとそう思う」

「ハインツさんのお母様ですか?」

「うむ、まあ、少々行きすぎた所もあるんだが……」


 ブツブツと文句を言いながら、困ったような顔をしている。


「今度、俺の母さんに会ってくれないか? 是非、モニカを紹介したいんだ。ついでに他の用件も片付けたい」

「はい、構いませんけど……」

「そうか、良かった」


 ハインツは完全には服を着替え終えた。モニカももうすぐ、着替え終える。


「あ」

「ん? どうした」

「〈身分証明板〉……」


 モニカは首にぶら下げた〈身分証明板〉を手に持って、じっと見つめる。


「この〈身分証明板〉は、母親が用意してくれた物だそうなんです。私が村を出る時に、村長から渡されました」

「へえ、少し見せてもらえないか?」

「はい、どうぞ」


 モニカは髪をかきあげて〈身分証明板〉を首から外した。ハインツはそれを受け取る。


「随分と古いな」

「そうみたいですね」

「ん……」

「どうかしましたか?」

「いや……これは……」


 モニカは人差し指を咥えて、首を傾げた。


「よく見ると、ここに紋章が印字されている」

「え」


 そう言いながら、ハインツは紋章を見せてきた。二人は肩を並べて〈身分証明板〉を覗き込んだ。


「あ、本当ですね。どうして今まで気づかなかったのだろう……」

「この紋章を調べれば、モニカの起源が分かるぞ。どうする?」


 モニカにしてみれば、やらなければならない事が沢山ある。自分の起源探しは後回しでもいいような気がした。もっと事態が落ち着いてから、ゆっくりと探せばいい。


「はい、でも私は大丈夫ですから」

「そうか」


 モニカは、最後にブローチを衣服に縫い付け、着替え終わった。


「ハインツさん、先に食堂に行ってて下さい。後から行きますから」

「そ、そう、いや、そうだな。では先に行っている」


 ハインツは、部屋の鍵を開けて出て行った。

 モニカは、その様子を最後まで見届けた後、ため息をつく。


「さて、どうやって誤魔化そうかしらね……」


 視線の先には、血のシミがついたシーツがあった。


【2】


 食堂にたどり着くと、コルが居た。


「モニカお姉様、おはようございます」

「コルちゃん、おはよー」


 コルが、皿をテーブルの上に並べていた。

 ひい、ふう、みい……全てで8枚の皿が並んでいる。

 モニカ、コル、ハインツ、共に戦った〈剣使い〉と〈光の精霊使い〉の男性二人と〈植物の精霊使い〉の女性一人。後は〈侍女〉のブリギッテとカトリンだろう。


「急に、大所帯になったねえ」

「はい、でもモニカお姉様、嬉しそうです」

「うん」


 コルにはある程度、心を見通す力があるので、隠しきれない。後で、何が起こったかを話す必要があるだろう。

 その時、後ろから〈光の精霊使い〉の男と〈植物の精霊使い〉の女が、話し合いながら入ってきた。


「あいたー……昨日は飲み過ぎたわー」

「全く、無茶し過ぎです」


 モニカは振り向いて挨拶をする。


「おはようございますー」

「嬢ちゃん、おはようー」

「モニカさん、おはようございます」


 挨拶を終えると、すぐ後ろからハインツと〈剣使い〉が入ってきた。


「おはようございますー」

「ん、ああ、お早う」


 〈剣使い〉の男が、モニカの顔を見るなり近づいてきた。


「この屋敷の主人は君だったな。事後で申し訳ないが、少し庭を借りているぞ」

「ええ、結構ですけど、何を?」

「いや、朝は、剣の素振りをする習慣があるんだ」

「ああ、それなら全然構いませんよ」


 モニカは笑顔で返した。

 その時、通路からドタドタと足音が聞こえてきた。


「あー! ご主人様ー、どいてーどいてー!」


 後ろからブリギッテが、侍女服のスソを持ちあげながら、駆け込んできた。ハインツと〈剣使い〉は振り返り、壁際に寄る。


「はーい、すいませーんんんー! 寝坊しましたあああー!」


 ブリギッテは残響音を残して、そのまま食堂を通り過ぎた。そして隣接する調理場に駆け込んで行く。


「ブリギッテ……」


 モニカは顔を引きつらせた。

 寝坊、遅刻。しかもお客と主人に「どけ」と命令。

 減給一割引き、いや、二割引きが妥当だろうか。


「すいませんでした」


 モニカは、ハインツと〈剣使い〉に謝罪する。


「あ、いや。問題ない」


 〈剣使い〉は、苦笑した。


「朝ご飯の準備が出来ました」


 コルの声が聞こえた。


【3】


 食事後、そのまま今後の方針について話し合うことになった。


「コル、モニカの為にも、調査のまとめをもう一度頼む」

「はい」


 ハインツに促されて、コルが口を開いた。


「結論から言えば〈白銀の騎士団〉は〈不死の洞窟〉に細工をして、魔物を解き放とうとしていました。事前情報としては魔法陣は見当たらないとの事でしたが、どうもかなり高度な隠蔽魔術が使われていたらしく、現時点では見る事が出来ます」

「つまり〈白銀の騎士団〉とやらは〈不死の洞窟〉について、細かい仕組みを知っている事になる」


 ハインツは口を挟む。


「はい、その通りです。となると、彼らの上司である〈仮面の魔術師〉クレメンスが、あの洞窟の主である可能性が高いということになります」

「ちょっ、ちょっと待って、コルちゃん。魔物が地上に出てきたら大変な事になるじゃない!」


 〈不死生物(アンデッド)〉には、傷をつけた相手を仲間にするという特技がある。モニカ達は、事前に〈耐不死化薬アンチアンデッドポーション〉を飲んだから良いものの、何の対策もしていない地上に溢れ出たら、あっという間に被害が広がってしまう。


「その点は大丈夫です。私が復帰してからすぐに、アプト村の仲間と合流して、封印を施しました。漏れ出てしまった魔物は、皆が討伐してくれています」

「最悪は避けられたということね」

「はい」

「それと〈白銀の騎士団〉の目的ですが、彼らの発言などから考えて、魔物をフルスベルグに襲わせ、それを迎え撃つ予定だったと思われます」

「なんてこと……!」

「つまり、自身の人気を得るための、自作自演だったわけだ。ヘドが出るな」


 〈剣使い〉が、腕を組みながら忌々しそうにしている。


「そして、最後に〈白銀の騎士団〉の正体ですが、この国の人間ではありませんでした」

「何ですって!」


 モニカは驚きの余り、立ち上がった。


「落ち着いてくれ」


 ハインツの声に促されて、モニカは再び席についた。


「モニカお姉様が倒した女騎士の、死体を調べてわかった事なんですが……」


 コルの表情が少し硬くなった。しかし、声の変化はない。モニカは、声と表情の解離に違和感を覚えた。

 コルは再び、言葉を続ける。


「彼女は、私の故郷の村の人間でした」

「え」


 モニカは、呆然とした。確か、コルは東の国の人間で、故郷は滅ぼされたと聞いた。その過程で奴隷商人に売られ、加工され、この国に密輸入された所を助けられたという話だった。


「私自身は、殆ど記憶がないのですが、レベッカ師匠が教えてくれました。だから分かったのです」

「どうやって、分かったの?」

「それは……奴隷の焼き印です」


 失言だった。余計な事を聞いてしまった。

 ただ、一緒に風呂に入った時に、コルの肌に焼き跡があった記憶はない。


「ごめんなさい……」

「いえ、モニカお姉様。頭をあげてください。私には記憶がないですし、師匠が綺麗に消して頂いたそうですし、気にしていません」


 気まずい雰囲気になってしまった。誰も口を開こうとしない。

 そんな中、ハインツはその雰囲気を破る。


「つまり、あのクレメンスは、この国では認められていない奴隷商人と付き合いがあるんだ。しかも、隣国人の拉致に関わっている。うまくつつけば、権威を失墜させる事ができるかもしれない」

「ハインツさん……」

「俺は、今日カールのおっちゃんに、この事を連絡するつもりだ。モニカはどうする?」


 ハインツの視線には「ついでに、ハインツの親の家にも寄るぞ」という言葉が含まれていた。

 モニカは、返答した。


「そうですね、私もついていきます」


【4】


 二人は〈冒険者組合〉の施設についた。

 中に入ると、カールがいつもと数年前から変わらない様子で、手を挙げて挨拶した。


「よう、お二人さん」

「おっちゃんも生きてて何よりです」

「ま、な」


 カールは首をすくめて、散らばった書類と格闘している。部屋の中は随分と荒れ果てているようだった。


「何があったんですか?」

「別にたいしたことはない。例の騎士どもが、押しかけてきただけだ」

「何?」

「騎士団サマが、反乱分子をお探し中だってよ。冒険者リストをどっさりと持って行ったよ。なあハインツ坊、反乱分子ってのは、お前の事だろう」


 ハインツは、絶句していた。


「お前は書類上は死んだことになっているんでな。知らんぷりしたら、この通りよ」

「そうか、すまない。迷惑をかけた……」

「いいってことさ。俺も、あいつらが気に食わない。一見、偽善者ぶっているが、イマイチ信用できない」


 ハインツは、その言葉に気を取り直した。そして、〈白銀の騎士団〉について、分かったことを報告していく。


「やっぱり。なるほどな。胡散臭いと思っていたんだ」


 カールは、汚い物を見るかのように、髭をさすりながら地面を睨みつけた。それからふと思い立ったように、ハインツの顔を見た。


「あ、そうだ。ハインツ坊に朗報があるぞ。死亡したので特進扱いで、冒険者クラスBに昇進だ、おめでとう」

「おっちゃん、それは嫌味ですか」


 ハインツは苦笑いした。

 今さら、冒険者クラスの権利を使用することはできない。ハインツが表に出た段階で、今度は反乱分子として、フルスベルグが敵に回る。

 実質、ハインツの冒険者としての身分は消滅した。


「ま、半分冗談だ」


 カールは鼻で笑った。


「それで、ミヒェル〈組合長(ギルドマスター)〉はどうなりましたか?」


 カールの顔が急に厳しいものへと変わっていく。


「良くないな。どうも、ミヒェル組合長が他貴族に向けて書いた手紙が、何処かで盗まれていたらしい。中身をすり替えられて、さも反乱を指揮したかのような手紙がいくつか出されている」

「何だって……!」

「こっちは、それが盗まれた物だと主張してはいるが、どうにも説得力が得られない」

「筆跡はどうなんです」

「それが、今の論点だ。ミヒェル組合長の筆跡と認められてしまった物もあれば、疑問視されている物もある。この辺は敵失に助けられているな」

「筆跡を真似る事ができるんですか?」

「膨大な資料があればできるらしい。だから、遥か昔から相当量の手紙が盗まれていたと推理しているわけだ」

「そうなのか……」


 ハインツは酷く悔しそうにしていた。子供の頃から付き合いがあるわけだから、当然といえば、当然なのかもしれない。


「ハインツ坊、早く頼むぞ」


 カールは両腕を、ハインツの肩に置いた。


「分かりました。おっちゃんこそ、お願いします」

「おう」

「それとモニカ、〈身分証明板〉をおっちゃんに見せてやってくれ」


 ハインツがモニカに視線を向けた。


「なんだなんだ?」

「おっちゃんに、調べて欲しい紋章があるんです」


 ハインツはモニカの紋章について簡単に説明した。モニカも言われるがままに、紋章を見せる。


「ふむ、分かった。調べてみよう」


 紋章を書き写したカールは、大事そうに懐にしまった。


「ところで、モニカ嬢、何かあったか?」

「え? 特に何も……」

「いや、急に綺麗になった気がしてな」

「な、なななな」


 モニカは、酷く慌てた。


「気のせいでしょう」


 何故か、ハインツが代わりに答えた。モニカはもう、何がなんだかわからない。


「まあいい。二人とも、とにかく死ぬなよ」

「は、はい」

「わかりました」


【5】


「モニカ。これから俺の実家に向かうんだが……」


 道路で、ハインツは酷く言いにくそうにしている。


「えっと、何か?」

「俺の母親に、モニカを恋人として紹介していいのか、確認しておきたいと思ってな」

「ええ、是非お願いします」

「そ、そうか、安心した」


 ハインツは、ホッとした様子だった。

 間もなく、二人は小さな商店街にたどり着く。


「前にもどこかで言ったと思うが、俺の両親は衣服屋を商っていてな」

「はい」

「頼めば、どんな服でも作ってくれるんだ」

「わあ、それは楽しみですね」

「それと、俺の母親は、少し変なんだ。少しだけ覚悟してくれると助かる」

「は、はい……」


 モニカは少したじろいだ。しかし、ここまで来たら逃げられない。覚悟を決めて後をついていく。


「と、ここだ」


 ハインツは、商店街の一角にあるお店の中に入って行く。お店の名前は、ドレイアー衣服店だった。


「いらっしゃーい、って、ハインツちゃん!」


 お店の中から、ハインツに似た女性が出てきた。間違いなくハインツの母親だと思われる。涙をポロポロこぼしている。


「母さん、ただいま」

「ハインツちゃん! ハインツちゃん!」


 ハインツの母親は、ひたすら名前を連呼して、ハインツに抱きついていた。モニカは、既に考える事を放棄して、その様子を眺めていた。

 ああ、こういうのなんて言うんだろう。溺愛?


「母さん、そろそろ離れて欲しい。話があるんだ」

「ハインツちゃん! んーっま!」


 最後にキツく抱きしめた後、ようやく離れた。

 恐らく50歳は超えている女性の、このテンションは少しきつい。モニカはハインツに視線を送る。

 ハインツは何かを諦めたような顔をしていた。なんとなく、彼が冒険者を目指した理由がわかったような気がする。


「恋人を紹介したいんだ。こちら、モニカ=アーレルスマイヤ」

「よろしくお願いします」


 モニカは、ハインツの母親にむけて挨拶をした。

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