【67】25歳モニカ、動き出す(7)
【1】
朝。
モニカは、ベッドの中で天井の模様を眺めていた。隣には、ハインツが横になっている。
みんなが起きてくるまで、まだ少しの時間があるだろう。
モニカは、口を開いた。
「あの、聞いてもらえますか?」
返事はない。しかし、それを肯定と受け取って話を続ける。
「私にとっては、初めてでした」
ハインツは身じろいで、体を半転させた。投げ捨てられた血のついたシーツに目を向けている。
「それは、すまなかった」
モニカは、顔が熱くなった。そっちの話ではない。第一、誘ったのはこっちだ。
「ち、違います! そりゃ、そっちもそうですけど……じゃなくて、そうじゃありません!」
モニカは、混乱して自分でも訳のわからないことを言った。ハインツは、何だかよくわからないという顔をした。
「私は、初めてこの手で人を殺しました」
ハインツは黙って聞いている。
「意外と思われるかもしれません。ですが、そうなんです。今まで、いくつか魔物を殺した事はありますが、あくまで防衛の為でした。しかもほとんどが遠くからで、血肉の臭いを感じたことはありませんでした」
一度、モニカは言葉を切った。
「……続けてくれ」
「はい」
モニカは続けた。
「夢を見ました。私が殺した女性が襲いかかってくる夢です。非常に生々しい夢でした。私は急に怖くなりました」
ハインツは少し時間が経ってから、ポツリと言った。
「それが理由か?」
「それだけではありません」
「ふむ?」
「皆に捨てられる夢も見ました。私が体調を崩して倒れても、皆がどんどん先に行ってしまって……私が……必死に声を出しているのに……ひっく……誰も…………気づかなくて……ひっく……一人きりになって…………」
モニカの目から、自然と涙がポロポロとこぼれでた。シーツで目をこすっても、後からどんどん溢れてくる。さらに鼻水まで出てきた。鼻をズズーとすする。顔がぐちゃぐちゃになる。
ハインツは、ただ黙っている。
「だが、夢だった」
「ひっく……はい」
しばらく、モニカのすすり泣く声だけが部屋を満たした。
再び、ポツリポツリと話し始める。
「あの……わ、私、小さい頃、大人しい子だったんです。母親から、手間がかからない子、と言われたのを、覚えています」
「母親か……」
ハインツは何かを考えているようだった。
「でも、私はある日、母に、す、捨てられたんです。私が小さい頃は、母とあちこち放浪していました。ですが、アーレルスマイヤ村にたどり着いた時、私の母はいなくなってしまったんです」
「じゃあ、君は……」
「はい、私は本当はアーレルスマイヤ族の人間ではありません」
「そうか……」
だから、かつてエリーがハインツに対して言い放った言葉は、ある意味正しいことだった。ハインツと違って、モニカは故郷を持たない。モニカは、本来は根無し草であり、本当の起源は分かっていない。
「ですから、私は……誰かに捨てられるのが怖かったんです……」
ハインツはモニカの髪を撫でた。モニカはしばらく顔を背け、そのままでいた。顔を見られるのが恥ずかしい。
「その、なんだ。俺には、モニカの気持ちは完全には理解できないが……」
ハインツは目を泳がして、一生懸命言葉を探しているようだった。
「俺は仲間を見捨てるような事はしない。絶対に、だ」
「ハインツさん……」
ハインツがモニカの手を強く握る。泣き腫らした顔を見られる。恥ずかしさで耐えられそうにない。話題を変えなくては。
「あ、あの、も、もう、皆が起きてくる頃です。そろそろ服を着ませんか」
「む、そうだな」
ようやく、手を離してくれた。ハインツはそのままベッドから降りて、服を着はじめた。モニカも衣装棚から新しい服を取り出して、身だしなみをする。
「なあ、モニカ。思ったんだが」
「はい?」
「モニカの母親は、本当にモニカを捨てたのかな?」
モニカの手が止まる。
「本当の所はわかりません。ただ、子供を連れたままの放浪生活に疲れていたのは確かです」
「ん、それが信じがたい。やはり、母親は子供に対して無限の愛を持っていると思うんだ。俺の母さんを見てるとそう思う」
「ハインツさんのお母様ですか?」
「うむ、まあ、少々行きすぎた所もあるんだが……」
ブツブツと文句を言いながら、困ったような顔をしている。
「今度、俺の母さんに会ってくれないか? 是非、モニカを紹介したいんだ。ついでに他の用件も片付けたい」
「はい、構いませんけど……」
「そうか、良かった」
ハインツは完全には服を着替え終えた。モニカももうすぐ、着替え終える。
「あ」
「ん? どうした」
「〈身分証明板〉……」
モニカは首にぶら下げた〈身分証明板〉を手に持って、じっと見つめる。
「この〈身分証明板〉は、母親が用意してくれた物だそうなんです。私が村を出る時に、村長から渡されました」
「へえ、少し見せてもらえないか?」
「はい、どうぞ」
モニカは髪をかきあげて〈身分証明板〉を首から外した。ハインツはそれを受け取る。
「随分と古いな」
「そうみたいですね」
「ん……」
「どうかしましたか?」
「いや……これは……」
モニカは人差し指を咥えて、首を傾げた。
「よく見ると、ここに紋章が印字されている」
「え」
そう言いながら、ハインツは紋章を見せてきた。二人は肩を並べて〈身分証明板〉を覗き込んだ。
「あ、本当ですね。どうして今まで気づかなかったのだろう……」
「この紋章を調べれば、モニカの起源が分かるぞ。どうする?」
モニカにしてみれば、やらなければならない事が沢山ある。自分の起源探しは後回しでもいいような気がした。もっと事態が落ち着いてから、ゆっくりと探せばいい。
「はい、でも私は大丈夫ですから」
「そうか」
モニカは、最後にブローチを衣服に縫い付け、着替え終わった。
「ハインツさん、先に食堂に行ってて下さい。後から行きますから」
「そ、そう、いや、そうだな。では先に行っている」
ハインツは、部屋の鍵を開けて出て行った。
モニカは、その様子を最後まで見届けた後、ため息をつく。
「さて、どうやって誤魔化そうかしらね……」
視線の先には、血のシミがついたシーツがあった。
【2】
食堂にたどり着くと、コルが居た。
「モニカお姉様、おはようございます」
「コルちゃん、おはよー」
コルが、皿をテーブルの上に並べていた。
ひい、ふう、みい……全てで8枚の皿が並んでいる。
モニカ、コル、ハインツ、共に戦った〈剣使い〉と〈光の精霊使い〉の男性二人と〈植物の精霊使い〉の女性一人。後は〈侍女〉のブリギッテとカトリンだろう。
「急に、大所帯になったねえ」
「はい、でもモニカお姉様、嬉しそうです」
「うん」
コルにはある程度、心を見通す力があるので、隠しきれない。後で、何が起こったかを話す必要があるだろう。
その時、後ろから〈光の精霊使い〉の男と〈植物の精霊使い〉の女が、話し合いながら入ってきた。
「あいたー……昨日は飲み過ぎたわー」
「全く、無茶し過ぎです」
モニカは振り向いて挨拶をする。
「おはようございますー」
「嬢ちゃん、おはようー」
「モニカさん、おはようございます」
挨拶を終えると、すぐ後ろからハインツと〈剣使い〉が入ってきた。
「おはようございますー」
「ん、ああ、お早う」
〈剣使い〉の男が、モニカの顔を見るなり近づいてきた。
「この屋敷の主人は君だったな。事後で申し訳ないが、少し庭を借りているぞ」
「ええ、結構ですけど、何を?」
「いや、朝は、剣の素振りをする習慣があるんだ」
「ああ、それなら全然構いませんよ」
モニカは笑顔で返した。
その時、通路からドタドタと足音が聞こえてきた。
「あー! ご主人様ー、どいてーどいてー!」
後ろからブリギッテが、侍女服のスソを持ちあげながら、駆け込んできた。ハインツと〈剣使い〉は振り返り、壁際に寄る。
「はーい、すいませーんんんー! 寝坊しましたあああー!」
ブリギッテは残響音を残して、そのまま食堂を通り過ぎた。そして隣接する調理場に駆け込んで行く。
「ブリギッテ……」
モニカは顔を引きつらせた。
寝坊、遅刻。しかもお客と主人に「どけ」と命令。
減給一割引き、いや、二割引きが妥当だろうか。
「すいませんでした」
モニカは、ハインツと〈剣使い〉に謝罪する。
「あ、いや。問題ない」
〈剣使い〉は、苦笑した。
「朝ご飯の準備が出来ました」
コルの声が聞こえた。
【3】
食事後、そのまま今後の方針について話し合うことになった。
「コル、モニカの為にも、調査のまとめをもう一度頼む」
「はい」
ハインツに促されて、コルが口を開いた。
「結論から言えば〈白銀の騎士団〉は〈不死の洞窟〉に細工をして、魔物を解き放とうとしていました。事前情報としては魔法陣は見当たらないとの事でしたが、どうもかなり高度な隠蔽魔術が使われていたらしく、現時点では見る事が出来ます」
「つまり〈白銀の騎士団〉とやらは〈不死の洞窟〉について、細かい仕組みを知っている事になる」
ハインツは口を挟む。
「はい、その通りです。となると、彼らの上司である〈仮面の魔術師〉クレメンスが、あの洞窟の主である可能性が高いということになります」
「ちょっ、ちょっと待って、コルちゃん。魔物が地上に出てきたら大変な事になるじゃない!」
〈不死生物〉には、傷をつけた相手を仲間にするという特技がある。モニカ達は、事前に〈耐不死化薬〉を飲んだから良いものの、何の対策もしていない地上に溢れ出たら、あっという間に被害が広がってしまう。
「その点は大丈夫です。私が復帰してからすぐに、アプト村の仲間と合流して、封印を施しました。漏れ出てしまった魔物は、皆が討伐してくれています」
「最悪は避けられたということね」
「はい」
「それと〈白銀の騎士団〉の目的ですが、彼らの発言などから考えて、魔物をフルスベルグに襲わせ、それを迎え撃つ予定だったと思われます」
「なんてこと……!」
「つまり、自身の人気を得るための、自作自演だったわけだ。ヘドが出るな」
〈剣使い〉が、腕を組みながら忌々しそうにしている。
「そして、最後に〈白銀の騎士団〉の正体ですが、この国の人間ではありませんでした」
「何ですって!」
モニカは驚きの余り、立ち上がった。
「落ち着いてくれ」
ハインツの声に促されて、モニカは再び席についた。
「モニカお姉様が倒した女騎士の、死体を調べてわかった事なんですが……」
コルの表情が少し硬くなった。しかし、声の変化はない。モニカは、声と表情の解離に違和感を覚えた。
コルは再び、言葉を続ける。
「彼女は、私の故郷の村の人間でした」
「え」
モニカは、呆然とした。確か、コルは東の国の人間で、故郷は滅ぼされたと聞いた。その過程で奴隷商人に売られ、加工され、この国に密輸入された所を助けられたという話だった。
「私自身は、殆ど記憶がないのですが、レベッカ師匠が教えてくれました。だから分かったのです」
「どうやって、分かったの?」
「それは……奴隷の焼き印です」
失言だった。余計な事を聞いてしまった。
ただ、一緒に風呂に入った時に、コルの肌に焼き跡があった記憶はない。
「ごめんなさい……」
「いえ、モニカお姉様。頭をあげてください。私には記憶がないですし、師匠が綺麗に消して頂いたそうですし、気にしていません」
気まずい雰囲気になってしまった。誰も口を開こうとしない。
そんな中、ハインツはその雰囲気を破る。
「つまり、あのクレメンスは、この国では認められていない奴隷商人と付き合いがあるんだ。しかも、隣国人の拉致に関わっている。うまくつつけば、権威を失墜させる事ができるかもしれない」
「ハインツさん……」
「俺は、今日カールのおっちゃんに、この事を連絡するつもりだ。モニカはどうする?」
ハインツの視線には「ついでに、ハインツの親の家にも寄るぞ」という言葉が含まれていた。
モニカは、返答した。
「そうですね、私もついていきます」
【4】
二人は〈冒険者組合〉の施設についた。
中に入ると、カールがいつもと数年前から変わらない様子で、手を挙げて挨拶した。
「よう、お二人さん」
「おっちゃんも生きてて何よりです」
「ま、な」
カールは首をすくめて、散らばった書類と格闘している。部屋の中は随分と荒れ果てているようだった。
「何があったんですか?」
「別にたいしたことはない。例の騎士どもが、押しかけてきただけだ」
「何?」
「騎士団サマが、反乱分子をお探し中だってよ。冒険者リストをどっさりと持って行ったよ。なあハインツ坊、反乱分子ってのは、お前の事だろう」
ハインツは、絶句していた。
「お前は書類上は死んだことになっているんでな。知らんぷりしたら、この通りよ」
「そうか、すまない。迷惑をかけた……」
「いいってことさ。俺も、あいつらが気に食わない。一見、偽善者ぶっているが、イマイチ信用できない」
ハインツは、その言葉に気を取り直した。そして、〈白銀の騎士団〉について、分かったことを報告していく。
「やっぱり。なるほどな。胡散臭いと思っていたんだ」
カールは、汚い物を見るかのように、髭をさすりながら地面を睨みつけた。それからふと思い立ったように、ハインツの顔を見た。
「あ、そうだ。ハインツ坊に朗報があるぞ。死亡したので特進扱いで、冒険者クラスBに昇進だ、おめでとう」
「おっちゃん、それは嫌味ですか」
ハインツは苦笑いした。
今さら、冒険者クラスの権利を使用することはできない。ハインツが表に出た段階で、今度は反乱分子として、フルスベルグが敵に回る。
実質、ハインツの冒険者としての身分は消滅した。
「ま、半分冗談だ」
カールは鼻で笑った。
「それで、ミヒェル〈組合長〉はどうなりましたか?」
カールの顔が急に厳しいものへと変わっていく。
「良くないな。どうも、ミヒェル組合長が他貴族に向けて書いた手紙が、何処かで盗まれていたらしい。中身をすり替えられて、さも反乱を指揮したかのような手紙がいくつか出されている」
「何だって……!」
「こっちは、それが盗まれた物だと主張してはいるが、どうにも説得力が得られない」
「筆跡はどうなんです」
「それが、今の論点だ。ミヒェル組合長の筆跡と認められてしまった物もあれば、疑問視されている物もある。この辺は敵失に助けられているな」
「筆跡を真似る事ができるんですか?」
「膨大な資料があればできるらしい。だから、遥か昔から相当量の手紙が盗まれていたと推理しているわけだ」
「そうなのか……」
ハインツは酷く悔しそうにしていた。子供の頃から付き合いがあるわけだから、当然といえば、当然なのかもしれない。
「ハインツ坊、早く頼むぞ」
カールは両腕を、ハインツの肩に置いた。
「分かりました。おっちゃんこそ、お願いします」
「おう」
「それとモニカ、〈身分証明板〉をおっちゃんに見せてやってくれ」
ハインツがモニカに視線を向けた。
「なんだなんだ?」
「おっちゃんに、調べて欲しい紋章があるんです」
ハインツはモニカの紋章について簡単に説明した。モニカも言われるがままに、紋章を見せる。
「ふむ、分かった。調べてみよう」
紋章を書き写したカールは、大事そうに懐にしまった。
「ところで、モニカ嬢、何かあったか?」
「え? 特に何も……」
「いや、急に綺麗になった気がしてな」
「な、なななな」
モニカは、酷く慌てた。
「気のせいでしょう」
何故か、ハインツが代わりに答えた。モニカはもう、何がなんだかわからない。
「まあいい。二人とも、とにかく死ぬなよ」
「は、はい」
「わかりました」
【5】
「モニカ。これから俺の実家に向かうんだが……」
道路で、ハインツは酷く言いにくそうにしている。
「えっと、何か?」
「俺の母親に、モニカを恋人として紹介していいのか、確認しておきたいと思ってな」
「ええ、是非お願いします」
「そ、そうか、安心した」
ハインツは、ホッとした様子だった。
間もなく、二人は小さな商店街にたどり着く。
「前にもどこかで言ったと思うが、俺の両親は衣服屋を商っていてな」
「はい」
「頼めば、どんな服でも作ってくれるんだ」
「わあ、それは楽しみですね」
「それと、俺の母親は、少し変なんだ。少しだけ覚悟してくれると助かる」
「は、はい……」
モニカは少したじろいだ。しかし、ここまで来たら逃げられない。覚悟を決めて後をついていく。
「と、ここだ」
ハインツは、商店街の一角にあるお店の中に入って行く。お店の名前は、ドレイアー衣服店だった。
「いらっしゃーい、って、ハインツちゃん!」
お店の中から、ハインツに似た女性が出てきた。間違いなくハインツの母親だと思われる。涙をポロポロこぼしている。
「母さん、ただいま」
「ハインツちゃん! ハインツちゃん!」
ハインツの母親は、ひたすら名前を連呼して、ハインツに抱きついていた。モニカは、既に考える事を放棄して、その様子を眺めていた。
ああ、こういうのなんて言うんだろう。溺愛?
「母さん、そろそろ離れて欲しい。話があるんだ」
「ハインツちゃん! んーっま!」
最後にキツく抱きしめた後、ようやく離れた。
恐らく50歳は超えている女性の、このテンションは少しきつい。モニカはハインツに視線を送る。
ハインツは何かを諦めたような顔をしていた。なんとなく、彼が冒険者を目指した理由がわかったような気がする。
「恋人を紹介したいんだ。こちら、モニカ=アーレルスマイヤ」
「よろしくお願いします」
モニカは、ハインツの母親にむけて挨拶をした。




