【65】25歳モニカ、動き出す(5)
【21】
8階層に降りた。
水の気配は鳴りを潜め、なんとも言えないジメジメした腐臭が漂う。モニカは、念の為に〈風の精霊〉を召喚し、空気を清浄しながら探索を続ける。
しばらく無言で歩き続けると、仲間の女性が声をあげた。
「なんか蒸し暑くないですか?」
モニカも同じ事を思っていた。皮膚にうっすらと汗が浮かび、べっとりと服にこびりつく。
「私もそう思います」
「ん、それは多分、地熱のせいだと思う」
ハインツは、岩肌に手を当てていた。モニカも真似をして触ってみる。
岩肌が妙に熱く感じる。確かにこれが原因のようだ。
「どうする?」
「あ、いえ、耐えられないほどではないです」
「私もです」
「そうか」
再び、ハインツは歩き始める。が、すぐに立ち止まった。
「早速、来るぞ!」
ハインツの警告が飛ぶ。
【22】
モニカは、最初はそれを影かと思った。
〈光の中位精霊〉の光が急速に狭まって行くかのような錯覚。
それが虫の大群とわかった時、即座に〈火の精霊〉に命令した。
「火を!」
火球を15個召喚、さらに〈腰嚢〉から油瓶を取り出して、油を撒く。火が鞭のように、燃え広がる。
「援護します!」
仲間の女性が〈植物の精霊〉を召喚、周囲に木々を生やした。そして、急速に枯れていく。
モニカは、火球を操作して、枯れ枝に火をつけた。虫との間に巨大な〈火の壁〉が完成する。
虫たちは本能に従って、火の中に飛び込んでいく。その死骸が地面に落ち、どんどんと積み上がっていった。
「火力が足りません!」
「〈火の精霊〉よ!」
モニカは、さらに魔力を消費させて、火力を上げていく。〈火の壁〉はさらに分厚く変化していった。
「嬢ちゃん、そうじゃない! それでは防ぎきれない!」
〈光の中位精霊〉を使っていた男が、突然叫んだ。
モニカは驚き、振り向いた。その感情が火の動きに伝播した。
「やはり知らないのか。いいか、広げるんじゃない。縮めるんだ。〈光の精霊〉よ。光球を出せ」
男は、光る地図とは別に、新しい光球を出した。そして、モニカの目の前に漂わせる。
「よく、見てろよ」
男は、手を握る仕草を見せた。光球に変化が起きる。光球がみるみるうちに圧縮され、点となった。代わりに明るさが強くなった。モニカは、目を細めた。
「〈魔力圧縮〉という技能だ。嬢ちゃんならできるだろう」
モニカが呆気に取られているうちに、光球は敵に向かって投げ込まれた。〈火の壁〉の向こうで、強烈な光が瞬いた。
男の〈閃光〉の威力も、今までとは桁違いだった。
「わかりました、やってみます」
新しいことを、本番でやるのは初めてだ。だが、やらないと虫に襲われる。それだけは嫌だ。
モニカは想像する。火を濃縮する。ドロドロに溶けていくイメージ。
「〈火の精霊〉よ……。より集え! より熱くなれ!」
〈火の壁〉が揺らめいた。黄色い炎が、赤くなり、やがて白く変化した。
「そう、それでいい」
「色が変わった?」
モニカは、初めて見る火の色に、目を奪われた。
「そうなんだ。火は熱さによって色が変わる」
「そういえば、どこかで読んだような……」
「はは、嬢ちゃんは独学で学んだのだったか。本で読むのと、実際目にするのとでは違うだろう」
「はい」
モニカは素直に感心した。魔法は学べば学ぶほど、新しい発見がある。これほど楽しいことはない。
「他の精霊にも、同じことができるぞ。〈水の精霊〉に使えば〈水鉄砲〉に、〈風の精霊〉に使えば〈炸裂球〉てな具合にな」
「あ……!」
思い返せば、色々な人が使っていた。
〈水鉄砲〉はマルティナが、〈炸裂球〉はエリーが使っていた。そういう仕掛けだったのか。
「そろそろコンガリ焼けた頃合いだな。どうだ?」
モニカは火の壁を観察した。虫は〈不死生物〉にも関わらず、火の中に飛び込んだ瞬間に跡形も残さず燃え尽きている。
これは凄い。
モニカは必死に操作した。まだ生きている虫に向かって〈火の壁〉を押し付けていく。面白いように消し炭と化した。
ついには、ほとんど燃やし尽くしてしまった。
「あ、言い忘れたが〈魔法圧縮〉は、急速に魔力を消費していくからな。気をつけろよ」
「え?」
モニカは急にだるさを感じ始めた。これには身に覚えがある。
魔力欠乏症だ。
魔力を使い過ぎて〈生命の精霊〉に渡す分すら、足りなくなってきたのだ。
「そ、それを早く言ってくださいよ!」
「いや、ゴメンなー」
男は茶目っ気たっぷりに、顔の前で両手を合わせて、謝罪の意を表した。
この人はどこかが抜けている感じだ。怒る気にもなれない。
「モニカお姉様、私が補充します」
コルが、背後からそっとモニカの腕に触れた。魔力の光が、コルから流れ込んで来る。急速にだるさが収まっていった。
「コルちゃん、ありがとう」
先ほどから黙って見ていた、ハインツと剣使いの男が、先頭に立ちはだかった。
「モニカ、もう休んでくれていいぞ。残りは任せてくれ」
「そうだ、後は俺たちがやる」
「あ、はい。ではお願いします」
モニカは、邪魔にならないように〈火の壁〉を解除した。火の手は収まっていく。
魔力の消費が収まり、一息ついた。
「よし、行くぞ」
残りわずかとなった虫は、二人の男の足によって、徹底的に踏み潰された。
【23】
虫を燃やしたり、潰したりしながら、探索を続けると、ついに下へ降りる階段を発見した。
階段を前にして、モニカ達は簡単に打ち合わせをする。
「9階層目は、俺も未体験だ。ヘマをするかもしれん。その時は頼むぞ」
「ハインツさん、ここって全部で何階層なんですか?」
「さあ……ただ文献によれば、10階層で終わりだそうだが。他に何か秘密があるかもしれん」
「隠し階段とかか?」
「あり得るな。10階層目に行けたら注意を払ってみよう」
「大丈夫、行けますよ」
モニカ達は階段を降り、9階層目にたどり着いた。
【24】
9階層は、さらに暑く感じた。しかし、湿気が減った為に8階層より不快な感じはしない。
「暑い……」
「水の気配がなくなったのが幸いだ……」
「ふう、ふう」
皆は、口々に不平を言った。モニカも暑さには慣れていない。暑さで体力を奪われるのを感じる。
仲間の女性が、モニカの肩をトントンと叩く。
「モニカさん、風で涼しくできますか?」
「え、ああ、やってみます」
フルスベルグは比較的、寒い地方だ。なので、風で涼しくするという発想は、今まであまりなかった。
モニカは〈風の精霊〉に命令して、純粋な風を送るようにした。
「お、涼しいな」
男が、嬉しそうにつぶやいた。
初めてにしては思ったより上手くいったようで、モニカも嬉しく感じた。
女性は、言葉を続ける。
「モニカさん。失礼かもしれませんが〈火の精霊〉の属性についてご存知ですか?」
「あ、はい。〈浄化〉とか〈熱さ〉とかですか?」
「ええ、それ以外にも〈上昇〉という属性もあります」
モニカには初耳だった。人差し指を咥えて、首を傾げる。
「うーん、よく分かりません」
「そうですね。例えば……火をよく観察してみて下さい。火は上方に向かって昇っていくでしょう」
「はい」
「それと同じで、このような場所では下の方は冷たく、上の方は熱く感じるんです」
モニカは、下の方と上の方に交互に手を伸ばしてみた。確かに下の方が涼しく感じる。
「ですから、下から上に向けて風を送るようにすると、より涼しく感じます。魔力の節約にもなります。やってみて下さい」
「分かりました」
女性に言われた通り、下から上に向けて、そよ風を送ってみた。確かに、先ほどより快適さが違った。その分、強さを弱くして、魔力の節約ができそうだった。
「これはいいな」
「嬢ちゃんと一緒なら、快適な冒険ができそうだ。今度、余裕があれば、俺といっ」
「ナンパですか?」
女性の冷たい言葉が突き刺さった。
「今はそれどころではないだろう。戯言はその辺にしておいてくれ」
ハインツが、ムスッとした感じで割り込んできた。女性たちは彼の心の機微に気づき、クスクスと笑った。
「ああ、そういう状況ではなかったな。すまなかった」
男は勘違いしているようだ。訂正する気もないので、そのままにさせておく。
「ハインツさん、それでどうでしょうか?」
「ああ、ひとまずは魔物の気配も、罠の気配もない」
「楽ができそうですね」
「そうだな……」
その時、異変が起きた。
左右の壁から火が発生し、ハインツの体が炎に包まれた。すぐさまに床に転がって、火を消そうとしている。
「ハインツさん!」
モニカは叫んだ。コルが横から飛び出して〈トネリコの杖〉を構えた。
「ハインツさん! 息を止めて下さい! それと今から火の耐性を高めます!」
コルは杖を振った。魔法の光がハインツに向かう。
「〈水の精霊〉よ! 私の求めに応じて姿を現せ。そして、彼の火を消化して!」
モニカの胸から飛び出した水球は、全てハインツの体に命中する。火は音を立てて、速やかに消火された。
「グホッ、ガハッ」
ハインツは、髪の毛から水を滴らせながら、うつ伏せで咳き込んだ。
「大丈夫か!」
仲間たちが駆け寄った。
「大丈夫だとも……なるほどな」
焦げた髪の毛をかきむしりながら、ハインツは立ち上がった。コルがさらに近寄って、回復魔法をかけている。
「ゴホッ……コル、ありがとう」
「どう致しまして」
「それとモニカ、ちょっと左右の壁を調べてくれ」
「はい」
モニカは言われた通り、左右の壁を調べはじめた。言いたい事が直ぐに分かった。
「魔法陣……!」
うまく隠蔽されているが、魔法陣が描かれていた。恐らく人が通った時に、火炎を放つように設計されている。再起動には、まだ少し時間がかかるようだ。
「魔法の罠という所だろう。いよいよ本格的になってきたな」
ハインツはタンを吐き捨てた。その横で〈光の精霊〉使いの男が、何かを考えている。
「ん……流石に、魔法の罠を見抜くのは無理か」
「ああ、無理だな」
「そうか。ならば、俺がすぐ後ろに立とう。魔法の罠なら見つけられる」
「よし、それで行こう。頼んだぞ」
「了解」
男は親指を立てた。
【25】
それからの探索の合間に、何度か魔法の罠や物理的な罠を見つけ、破壊した。まだ、魔物には遭遇していない。
「当然といえば、当然か」
「ん?」
「いやな、魔物がいないと思ってな」
ハインツは首をすくめた。その後ろに立つ仲間の男は、相槌を打つ。
「そういえば、そうだな」
「何故かと思ってた」
「ふむ?」
「魔物がいれば、罠に引っかかってしまう」
「それで『当然』なのか」
「そうだ。多分、棲み分けさせているんだろう」
「その推理は当たっている気がするな」
結局、9階層には罠しかなかった。一通り、探索し尽くした結果、10階層に向かう階段が見つかった。
7つほど。
ハインツと男は立ち止まった。二人で考えながら、相談している。
「どうなっているんだ」
「さあ、全て本物かもしれないし、罠かもしれんな」
「光を投げ込めるか?」
「んー、やってみるが、期待するなよ」
男は〈光の精霊〉に命令して光球を作った。そして、目の前の階段に向かって投げつける。
しかし、その途中で急に破裂した。
「くっ!」
モニカ達は予想にしなかった閃光に、目を細めた。
思わずモニカは、質問した。
「どうなったんですか?」
「〈魔力の精霊〉を知っているか?」
「ええと、全ての精霊の起源となっている……」
「そうだ。〈魔力の精霊〉は他の精霊の栄養源みたいな役割をしている。だから、こいつを使役すると〈無魔法区域〉なんてものができる」
「ということは……」
「そうだ。10階層は魔法が使えない可能性が高い。この魔法を相殺しない限りな」
ハインツは苛立たしげに言った。
「ここの主は、随分とイヤらしい性格をしている!」
「さて、どうするよ」
ハインツの意見には、同意する。
魔術師がいないと攻略できない9階層の次に、今度は魔術師を無力化する10階層を作るとは。嫌がらせにも程がある。
「仕方がない。一つずつ階段を降りていくしかないだろう」
「分かっていると思うが〈光の精霊〉は使えないぞ。〈提灯〉が必要だ」
「私、取ってきます!」
モニカは、慌ててブローチを操作し、〈転移門〉を開いた。
【26】
10階層目。
先ほどとはうって変わり、薄暗い〈提灯〉の光が行く手を照らす。
「随分と単純な構造をしているようだ」
ハインツが周囲の気配を探っている。
「そうなんですか?」
「大きい部屋が一つだけある」
「では、そこに?」
「勿論向かうが、ただ……誰か人がいる。灯りを消す。お互いに手を繋げ。ここから先、足音を立てるなよ」
モニカは、息を飲んだ。
そして、仲間同士で手を繋いだのを確認した後、ハインツは灯りを消した。辺りは真っ暗闇になる。
壁に背中を寄せ、右手にコルの温もりを感じながら、何も見えない中を歩きはじめた。
一歩、一歩、確実に足を踏み出す。
随分と長い時間が経ったように感じた時、向こうから光がこぼれてきた。モニカ達は、部屋の入り口の横の壁に張り付いた。
複数の人の話し声がする。
モニカは耳を傾ける。
「できたか?」
「ああ」
「よし、これで全部だな」
「……そうだな」
「どうした?」
「いや。しかし、ここまでやる必要があるのかね?」
「揺るぎない人気を得るには、敵が必要なのですよ」
「やり過ぎな気もするが」
「いざとなったら、処分すればいいだろう」
「ん、そうだな」
「どうした、さっきから。今更、怖気づいたか?」
「ん、いいや、何でもない」
それっきり、三人の声は聞こえなくなった。
モニカは不思議に思った。どうも会話が急に途絶えたようだ。変だ。
その時。
「壁から離れろ!」
ハインツが叫んだ。
モニカは訳も分からず、壁から飛びのいた。
次の瞬間、石が砕ける音がした。壁に亀裂が走り、そこから明かりが漏れる。
敵はモニカ達の存在に気がつき、それで壁ごと切り刻んだらしい。
「なんてこと!」
その時、モニカの右手を握る力が、急速に弱まっていった。モニカは振り向く。
零れた光でコルの姿が見える。
コルは背中がバッサリと斬られている。白い服がジワジワと黒く染まっている。彼女は、
ウンという間すらなく、ぐったりして膝が崩れ落ちた。
つまり、コルは逃げ遅れた。
「コルちゃん!」
モニカの悲痛な叫びが、辺りをこだました。
コルは〈治癒士〉だ。本人の意識さえあれば、自分の傷でさえ回復させる事ができる。
しかし、ここでは。
魔法が使えない。
使えないと回復できない。
回復できないと助からない。
コルは死んでしまう。
助からない。助からない。助からない。死んでしまう。死んでしまう。死んでしまう。助からない。使えない。死んでしまう。死んでしまう。使えない。死んでしまう。死んでしまう。助からない。助からない。助からない。使えない。死んでしまう。使えない。死んでしまう。
「あああああああッ!」
モニカは、咆哮した。狂乱した。思考が滅茶苦茶になった。同じ言葉が、頭の中をグルグル回る。動きが止まる。手が震える。心臓の鼓動が速くなる。冷や汗が出る。
「嬢ちゃん!」
突然、頬を殴られた。
その声と痛みで、モニカは我に返った。
「諦めるな!」
その声で、周りの様子が見えてきた。
敵の姿が見える。白い鎧を着ている二人の男と一人の女だった。その姿に見覚えがある。〈白銀の騎士団〉だ。
既にハインツと、仲間の剣使いが、敵と相対している。
「彼女は俺が背負う! 俺たちは邪魔なんだ。あの二人に任せるんだ!」
「ですけど」
「急げ!」
モニカは、ハインツの方をちらりと見た。形勢は3対2。こちらが不利だ。ここで離れたら二度と会えないような気がする。
一方のコルは、意識があるのか分からない。一刻も争う自体だ。早く9階層に戻らなくては死んでしまう。
コルとハインツ、どっちが大事か?
そんなことは決められない。
歯の根が合わない。ガチガチと歯が鳴る。もう、大事な人たちを失いたくない。
「仲間を信用しろ!」
その言葉に飛びついた。モニカの腑にストンと落ちる。
ハインツは強い。だから、人数差を跳ね返せる。絶対、負けない。大丈夫。
「ハインツさん、ごめんなさい!」
わずかな不安を押しのけ、ハインツに背を向た。そして、仲間たちと共に、来た道を走っていく。




