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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【2章】
55/106

【58】24歳モニカ、竜退治をする(6)

【34】


 冒険者組合北支部〈副長〉フェルディナントは悔しがった。


 ヴィクトール邸を爆破すると決めて数刻。既に日は登りかけている。

 火薬は用意できた。導火線も用意できた。〈反魔法(アンチマジック)〉の処理もしてもらった。特攻志願者の選定も済ませた。


 時間だけが、なかった。


 今や、木の根と血管が、屋敷を覆わんばかりに広がっていた。所々に瘤や実がなっている。時折、中で何かが動く。


「フェルディナント副長……」


 冒険者組合北支部の役員が声をかけてきた。

 言いたいことはわかる。よくわかる。


「ダメだ」

「ですが……」

「ダメなものはダメだ」


 ここを放棄しては〈生物災害バイオハザード〉はもっと広がる。なんとしてもここで食い止めなければいけない。

 もはや、人の命がどうこうと言ってられる場合ではなくなってきた。


「メルヒオール公、〈反魔法(アンチマジック)〉は人にはかけられませんか?」

「自殺願望を叶えるには、まだ時期が速いなあ」


 メルヒオールはしたり顔で答えた。つまり、人にはかけられない魔法ということらしい。

 その時、監視を指示していた部下が、テントに飛び込んできた。


「副長! 援軍が来ました!」

「援軍?」

「ええ、数十人程度の白い鎧を来た隊です。白銀の騎士団と名乗っています。代表者に会いたいと言っています」

「うん? 何だ、それは? ……まあ、とにかく会ってみようか」


 フェルディナントは、首をひねりながらも、テントを出て行った。部下の案内に従って歩いて行くと、確かに真っ白な鎧を着た集団がいた。

 全員が兜を被っていて、顔が口の部分しか見えない。その中で、一人だけ、兜を被っていない者がいる。

 やや背の低い短髪の女だった。


「どちら様ですか?」


 フェルディナントは、代表者らしい女に尋ねた。女は軽く会釈し、凛とした声で答えた。


「お初にお目にかかります。わたくし達は、白銀の騎士団と申します。冒険者組合北支部の皆さんを助けようと思い、駆けつけました」


 確かに、今は乗るか反るかの分かれ目だ。非常に良いタイミングだ。フェルディナントは問いかけてみた。


「初めて聞く名ですが、どこの所属ですか?」


 女は人差し指を口に当てて、くすくす笑った。


「フェルディナントさん、今はそれどころではないはずです。今の状態を詳しく、お聞かせ願えないでしょうか?」


 何か釈然としない物を感じた。が、特に意固地になる場面でもない。フェルディナントは今の状況を説明した。

 一言ごとに、女は首を縦に振る。そして一通り話を終えると、口を開いた。


「それなら、何とかなりそうです。わたくし達に任せて頂けないでしょうか?」


 フェルディナントは驚いた。

 この煮詰まった状況を、何とかしてもらえるのなら、こんなに有難いことはない。


「わかりました。それでは、案内します」


 フェルディナントは、白銀の騎士団を、作戦本部に迎え入れた。


【35】


 日が登る。


「ふぁあああ……」


 ハンナは、大きな口で欠伸した。

 テントからモソモソと這い出し、朝の支度を始める。眠い。

 昨日の夜はエリーがはしゃぎ過ぎて、結局、床に就いたのが夜更けすぎだ。ハンナは途中で寝てしまった。目がしぱしぱする。

 なお、当の本人は、未だグッスリと寝ている。エリーはいつも、朝起きるのが遅い。


「全く、朝のあたしの身にもなってよね……」


 ぶつくさ言いながら、朝の身支度を終えると、赤髪のイザベラが、向こうからやって来た。


「おはよー」

「ハンナ、おはよう。随分と遅かったわね」


 チクリと皮肉を言われたが、言い返す事もできない。ハンナは、モヤモヤとしたものを感じた。


「まあ、いいわ。もう少ししたら、出発するから」

「えーと、何だっけ?」


 イザベラは、大きな溜め息をついて首を振った。仕方ないとばかりに、嫌そうに言った。


「昨日、言ったと思うけど、ご主人様の魔法の手伝いをするのよ」

「あー、そうだった。そうだった」

「そうだったー、じゃないの。フローラ達はもう準備できてるわ。早く支度しなさい」

「はーい」


 ハンナは慌てて、テントの中に戻った。


「支度しながらでいいわ、聞きなさい」


 外から、イザベラの声が聞こえる。ハンナはテントの中で着替えはじめた。


「昨日、ハンナ達が頑張ってくれたおかげで、より敵地に近い位置で魔法陣を敷く事ができた。礼を言うわ」


 イザベラが礼を言うなんて、珍しい。何か良い事があったのだろうか。

 ハンナは上半身裸になって、白布で汚れを拭き取り始めた。


「損害は大きかったけど、元々、敵の数はこちらの約三倍。許容範囲内に収まったわ」


 ハンナは少し納得した。元々、戦力で劣っているのに、無理して正面でぶつかり合ったのは、魔法陣を完成させる為の時間稼ぎだったらしい。


「今日は、この魔法陣を発動させるの。予定通りにいけば、敵を全滅させる事ができるらしいわ」


 ハンナは体の拭き取りを終えて、新しい服に袖を通しはじめた。


「だから、全戦力を魔法陣周辺に展開して、発動まで耐えれば、こちらの勝ち。分かった?」


 ハンナは戦用の服に着替え終えた。そして、テントから出てくる。


「分かった」

「じゃあ、行きましょうか」


 ハンナは、首を縦に振る。そして、イザベラと共に魔法陣に向かった。


【36】


 モニカは、空を飛んでいた。


 改めて、今の戦況を空から俯瞰する。

 フルスベルグ側の戦力は、街の西壁の外側に広く展開している。昨日と比べると、1割程度減ったような印象を受けた。

 対して、敵側の戦力は、西の山脈の入り口に集中するように配置している。こちらは4割程度、減っていた。

 昨日の主戦場となったのは、二つの戦力の中央にある街道。空からははっきりと見えないが、恐らく、回収し切れていない死体や、装備が散乱していると思われる。

 そこまで眺めたモニカは〈風の中位精霊(エアリアル)〉に命令して、ゆっくりと地上に降りた。

 地上には、ハインツ、他に護衛が数人いた。残りの怪我人やコルは、ブローチの中で英気を養っている。


「どうだった?」

「敵は、山脈の入り口に陣取っています。戦力はかなり減っているみたいです」


 ハインツたちはふむと頷き、しばらく思案にふけった。


「ハインツさん、どうしましょう」

「やはり小山を降りて、下の部隊と合流しよう。竜に専念しよう」


 モニカたちは、小山を降り始めた。数人が列となって、小道を下る。

 モニカはふと、歩みを止めて空を見上げた。

 本当に、竜を追い詰めていいのかどうか。


「どうした?」


 ハインツが振り向き、モニカに問う。


「いえ、何でもないです」

「……エリーの事か?」


 図星を指されたモニカは、言葉を詰まらせた。

 速すぎて、遠すぎて、竜をまともに見られなかったが、あの中にエリーが居たはずなのだ。


「ええ、何としても仲直りしたい……」

「どうだろうな。ただ、その前に彼女がやらかした事に対して、何らかの結末をつけなければならない」

「彼女は……エリーはそんな人じゃないはずです。多分、憑依した子の影響を受けたのじゃないかと」

「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。ただ、どんな事情があろうと、街の人々の生活とルールがある限り、それを受け流す訳にはいかない」

「そう、ですよね……」


 モニカは、歩き出した。


【37】


 完全に日が登った。

 ヴィクトール邸の屋敷はもはや、巨木に埋れた。屋根の上には実が多数転がり、捻くれた根が敷地内に縦横無尽に駆け巡っている。所々、石畳を押し上げ、割れた部分もある。

 割れた実や瘤からは、ヒトもどきが産まれ、敷地内から逃げ出して、襲おうとしている。


「それでは、こちらが包囲網を敷きますので、中はお願いします」


 フェルディナントは、白の鎧を着た女に言った。


「お任せください。冒険者の皆さんは、周りに被害が及ばないようにして頂けるよう、お願いします」

「もちろん」


 フェルディナントは、部下たちに指示を飛ばす。屋敷周囲に一定感覚で並び、中から逃げ出そうとする魔物を排除するように命令した。


「それでは、行って参ります」


 数十人もの白銀の騎士団が、屋敷の中に入っていった。


「果たして、どうなるか見ものだ」


 背後でメルヒオールが、余裕ある態度で呟いていた。彼のこの余裕さはなんだろうか。


「メルヒオール公、何を考えておられますか?」

「今日、全てが終わるそうだぞ。面白いじゃないか」


 何が何やらさっぱり分からない。

 フェルディナントは困惑した。しかし、彼の発言には不穏なモノが隠されているような気がする。


「この街を、終わらせるにはいきません!」


 思わず、叫んでいた。

 それでも、メルヒオールの態度は崩れなかった。


「……俺も、その意見には同意する」

「ならば、どうして焦らないのですか?」


 不敬な質問だとはわかっていたが、思わず口から出てしまっていた。初めて、メルヒオールは眉をひそめた。


「ふむ、不敬については、問わないでおこう。では、逆に質問する。焦れば、何か物事が好転するのかね?」

「それは……」


 フェルディナントは言い返す事ができなかった。


「まあ、俺とて魔法が効かない、というのは腹立たしいものだ。しかし、初めて見る魔物を目の前にすると、苛立ちより、興味が先に立つのだ。……これで、君の疑問が氷解したかね」

「……申し訳ありませんでした」


 フェルディナントは素直に謝った。


「まあ、面白そうな奴らが来たのだ。今は、お手並み拝見すればいいじゃないか」


 メルヒオールの視線は、白銀の騎士団が入っていった玄関に、向いていた。


【38】


 マテウスは、魔法陣の中央に立っている。


 その周囲では〈精霊の子(エルフ)〉であるハンナ、イザベラ、フローラ、ゲルタが、主人の一手一足を見守りながら、侍っていた。


「最終確認をする。ハンナは北、イザベラは南、フローラは東、ゲルタは西に立て」


 ハンナたちは、言われるままに魔法陣の端に立つ。魔法陣に組み込まれている円の上に入ると、周囲の魔法回路が淡い光を放ち始めた。


「入ったか?」


 ハンナが、他の三人に目を向けると、それぞれが、円の中に入っていた。

 マテウスは続ける。


「よし、それから魔法の抵抗を止めろ。魔法回路に身を委ねるんだ」


 ハンナは言われた通り、魔法陣の流れに身を委ねた。すると何かが、体の中を通り過ぎていくのを感じた。


「なに、これ……」


 とても変な感覚になった。しかし、どこかで感じたことのあるような感覚。


「よし、繋がったな。試験をするから、そのままの状態でいろ」


 マテウスは、魔法の詠唱の準備に入る。魔方陣が、より一層輝き出した。


「〈風の精霊(シルフェ)〉よ、風球を作れ」


 すると、ハンナの周囲に変化が起きる。風が魔法の影響を受けて、球になった。そして、体内の魔力が使われたことを感じた。

 つまり、この魔法陣によって、ハンナに強制的に魔法を使わせる事ができるらしい。

 他の三人も同じような体験をしたようだ。変な顔をしている。


「準備はできた。後は、敵が来るのを待つだけだ」


 マテウスは、敵軍がいる方に目を向けた。


【39】


「敵が怪しい動きをしています」


 伝令の報告が、作戦室に響いた。

 冒険者組合西支部の〈組合長(ギルドマスター)〉ルドルフ=ブリュン=フルスベルグはうめいた。

 昨日は、兵数の差を利用して、敵の軍を囲い込む包囲戦を展開した。

 しかし、後もう少しで殲滅と言うところで、逃げられてしまった。前から報告のあった〈精霊の子(エルフ)〉たちが、大暴れしたのもある。


「報告しろ」

「敵は、昨日の段階で、巨大な魔法陣を描いていたようです。今日は、その周囲には戦力を固めています」

「なるほど。奥の手か」


 数の差があるのに、敵が愚直に突撃してくるのには、疑問に思っていた。せいぜい竜騎兵が撹乱しにきていたぐらいか。しかし、数が少なかったのと〈攻城弓(バリスタ)〉隊のおかげもあって、被害は最小限で済んだ。


「どうしましょうか」


 ルドルフは、地図上に配置された駒を見ながら言う。


「魔法を使われる前に叩くぞ。敵は半分は倒した。既に戦力差は5倍以上だ。騎馬隊を先行させて、早いうちに潰せば、終わりだ」


 作戦室の部下たちは頷いた。

 それから、地図を前にして、情報と作戦を煮詰めていく。そして、今日の作戦がまとまった。その内容を、伝令が各部隊に伝えていく。


【40】


「来たか」


 魔法陣の中央にいるマテウスは、目を開けた。遠方から、煙が見える。微かに地響きも感じる。

 初手は騎馬隊らしい。急速に近づいてくる。馬に乗っているのは、前衛だけではないようだ。魔法妨害を目的とした魔術師も多数いるのだろう。


「守備隊は、展開しろ! 竜騎隊は、全周囲を回りながら、奇襲に対応しろ!」


 マテウスの声が、周囲に広がった。伝令役も同じように声を張り上げ、情報が伝播していく。

 次々と竜たちが飛び立つのが見えた。ハンナは、自然と目を追ってしまう。

 もちろんその中には、白き〈翼竜〉シロもいる。竜たちの背中に乗っているのは、ハンナ直属の部下18名。

 さらに、魔法陣の周囲には、およそ千人の人間が展開していた。彼らは、周囲の村から徴収した兵士、奴隷戦士、思想を共にする冒険者、様々な方法でかき集められた仲間だ。

 彼らは、敵味方の衝突に対応すべく、急いで陣を張りはじめた。そこに、敵の騎馬隊が来襲する。

 ついに戦闘が始まった。


 矢が飛び交い始める。

 盾で矢を防ぐ。

 運の悪い人間から、脱落していく。

 馬が肉薄していく。

 徐々に飛び交う矢の数が減っていく。


 そして、激突。


 扇状に広がった肉壁に、馬の群れが突き刺さった。

 馬の足が叩き斬られる。落馬した敵に仲間が殺到する。敵の馬上槍に貫かれる。剣で、敵の頭を叩き割る。馬に蹴られる。吹き飛ばされる。魔法で敵を焼く。水で動きを鈍くされる。

 その後は混戦と化していった。


「今から、魔法の詠唱を始める。お前たち4人は、それまで全力で防護しろ!」


 マテウスが叫んだ。

 ハンナは〈風の上位精霊〉の召喚を始めた。

 さらに、イザベラは〈火の上位精霊〉を、フローラは〈水の上位精霊〉、ゲルタは〈地の上位精霊〉の召喚を始めた。

 魔法陣の周囲は、四色の強烈な光で満たされていく。ゆらゆらと光が揺れ、幻想的な景色が出現した。


 ついにマテウスは、呪文の詠唱を開始した。


「全ての精霊の起源たる〈魔力の精霊(マナ)〉よ。我が声に耳を傾けたまえ。永きに渡る休息から目を覚ましたまえ」


 ハンナは〈風の上位精霊〉に全力で守るように指示した。思いつく限りの保護魔法を具現化していく。

 まず、魔法陣の上空周囲に、台風が出現した。

 竜たちは、風に乗って、飛行速度が増していく。そして、仲間の人間は全員、風の壁に守られる。台風の外周では、敵の馬や人間が上空に巻き上がり、吹き飛ばされていく。敵の風の魔法は打ち消され、仲間の風の魔法は増幅された。


「〈魔力の精霊〉は、全ての精霊の栄養源である。ゆえに、力が奪われ、精霊の自我、魔法は失われた。今ここに、彼の分身たる四大精霊の〈風の精霊〉〈火の精霊〉〈水の精霊〉〈地の精霊〉の一部を還元する」


 イザベラは〈火の上位精霊〉に暴れまわるように指示を飛ばした。仲間の体温が上昇して、力がみなぎっていく。敵が火の魔法を使えば、暴走するように仕向けた。また〈火球〉を大量に作り、台風の風に載せて、遥か遠くの敵に投げつけた。運悪く当たった敵は、骨も残さず焼き尽くされた。


「精霊たちよ、過去に遡れ。思い出せ。〈創世ジェネシス〉を。遥か昔〈魔力の精霊〉だけがあった。〈魔力の精霊〉は、己の身をちぎり、こねくり回し、新たな精霊を作った」


 フローラとゲルタは主人たちの方針で、遠隔魔法の操作に慣れていない。

 そこで、フローラは〈水の上位精霊〉にお願いし、水の魔法が発生する気配があれば、相殺するようにお願いした。

 ゲルタも同様に〈地の上位精霊〉に頼み込み、魔法の発生を抑えるだけにとどめた。


「我は命令する。再び、ここで〈再創世リジェネシス〉を行え。この地に存在する精霊たちを還元する」


 敵の主力部隊が到着した。

 地上戦は、やがて一方的なものとなっていく。次々に仲間がやられていく。竜も〈攻城弓〉の矢で、撃ち落とされていった。


「最後に、魔法陣上にいる〈精霊のエルフ〉を全て生贄に捧げる。体内に宿る魔力を吸い付くせ」


 ハンナとエリーは、耳を疑った。

 マテウスは、ハンナたちを生贄に捧げると宣言した。そして、本当に体内の魔力が、危険な速度で失われていく。

 他の三人を見る。イザベラは覚悟していたようだ。なんの抵抗もせずに、魔法陣に身を委ねている。フローラとゲルタは、諦めている顔をしている。

 彼女たちは、元々、主人と奴隷という立場なのだ。主人が死ねと言われたら、死ぬのが当たり前だ。

 ハンナも当然、そのはずだった。

 そのはずであったが。


「いや……いや……死にたくない……もっと愛したい……愛されたい……」


 イザベラの言っていたことは当たっていた。自分は変わってしまっていた。いつの間にか、己の身分を忘れ、マテウスを男女対等の関係として扱っていた。

 それは間違いなく、エリーの影響だった。


「逃げなきゃ……逃げなきゃ……」


 ハンナは、一歩前に踏み出した。しかし、何かの力で遮られた。足がもつれて、転んでしまった。


「ハンナ、逃げるのか」


 地の底から響くような、低い声が背後から聞こえた。

 怖い。怖い。

 初めて、マテウスを怖いと思ってしまった。


「奴隷番号0008番、奴隷の首輪よ。主、マテウス=アーベラインの名において、装備者に苦痛を与えよ」


 ハンナの体が飛び跳ねた。声にならない声で絶叫する。目がぐるんと上を向く。のたうちまわる。


 痛い! 痛い! 死ぬ!


 ハンナが、苦痛に意識を手放しそうになる。その瞬間、頭が勝手に切り替わった。

 エリーが表の人格に出てくる。

 そして、激痛の中、ゆらりと立ち上がる。


「マーテウス……!」


 エリーは、力の入らない体を、無理やり立たせた。

 急速に失われつつある体内の魔力を駆使して、魔法陣に抵抗する。ゆっくりと一歩、一歩前に進む。


「ハンナ様!」


 そこに竜が一匹、飛び込んできた。ハンナの部下〈鹿男〉のユリアンだった。

 竜の爪がマテウスに襲いかかる。マテウスは身をかがめた。直撃はしなかった。が、体のバランスを崩し、魔法操作が中断された。途端に魔法の流れが不安定になる。

 マテウスは、視線をハンナからユリアンに移す。


「あいつか! 奴隷番号0243番……くそ! 無理か!」


 マテウスは焦った。

 奴隷の所有者の権利を、マテウスからハンナへと切り替えていた為に、首輪で苦痛を与えることができない。


「フローラ!」


 マテウスは、フローラの名を呼ぶ。

 フローラは、魔力を吸い付くされて、もはや意識が半分ない。それでも、不自然に口と手が動く。


「水……の上位……精霊よ……マテウス様……に力……を与え……て下さい……」


 再び、ユリアンが襲いかかってきた。

 竜とマテウスが交差する瞬間、マテウスが叫ぶ。


「〈水の上位精霊〉よ! あの竜と人間の水を強制的に抜き取れ!」


 四人の〈精霊の子(エルフ)〉からかき集めた魔力に、マテウスの魔力が加算される。合算した魔力は、〈生命の精霊〉による保護を貫通

した。

 ユリアンと竜は、一瞬にして体内から水が失われた。


 即死した。


 カラカラになった死体の残骸は、空中でバラバラに千切れる。乾いた肉片が辺りに降り注いだ。


「マーテウス……今度こそ……!」


 エリーが怨念じみた声を出しながら、そこまで来ている。手には〈巨神の短剣(ティタンダガー)〉が握られていた。

 マテウスは、エリーの迫力に気圧され、一歩下がった。それでも、死の言葉を紡ぐ。


「くっ、奴隷の首輪よ。奴隷番号0008番の心臓を止めろ!」


 マテウスの言葉に、エリーの体が反応する。心臓の動きが止まった。急速に意識が遠のいていく。


「ぐっ、がっ!」


 エリーは、あと一歩のところで、前のめりに倒れた。浅い一呼吸を最後に、エリーの呼吸が完全に止まった。

 マテウスは、荒い息をつく。

 そして、エリーのそばに歩み寄った。


「くそ、こんなところで!」


 マテウスは、苛立たしげに地団太を踏んだ。そして、優しくハンナの死体を抱き上げる。

 〈再創世(リジェネシス)〉の魔法は、安定を失い、今にも崩壊しそうだ。4種の精霊の色と、〈魔力の精霊〉の色が混ざり合い、激しい明滅を繰り返している。


「〈風の上位精霊〉よ! 彼女を魔法陣の定位置に運べ!」


 ハンナの死体が、マテウスの手から離れた。

 風に乗って、ハンナの体が運ばれる。そして、魔法陣の円の中にゆっくりと置かれた。

 それから、マテウスは、不安定化した魔力の安定に、労力を費やした。徐々に魔法の光が落ち着いていく。


「〈魔力の精霊〉よ! 全ての魔力を一点に集め、新しい精霊を創世せよ!」


 周りの純粋化した魔力が、一点に集まっていく。全ての色が混ざり、白色に輝きだす。


「ギャオウ!」


 再び、竜が乱入してきた。今度は、背中に誰も載せていない。白い鱗を輝かせた〈翼竜(リンドヴルム)〉が、マテウスの死角から飛び込んできた。

 マテウスは、完全に不意を突かれた、とっさに両手で防御を固める。が、襲っては来なかった。

 マテウスのそばを通り過ぎ、ハンナの上に覆いかぶさるように、地面に着地した。


「くっ、ハンナが目的か! ゲルタ! 魔力を増幅させろ!」


 もはや、完全に人形と化したゲルタは、首を不自然な方向に傾けながら、口が動いた。


「地の上位精霊……マテウス様の……魔法を増幅……」


 魔力の増幅を感じ取ったマテウスは、口早に魔法を唱えた。


「〈地の上位精霊〉よ! あの白い竜を石化させ、砕け!」


 だが、一歩遅かった。

 白い〈翼竜〉は、ハンナの体を口を咥え、既に、魔法陣の外に出ていた。即死魔法をかけるには、距離が離れすぎた。

 そのまま〈翼竜〉は南の空に向かって、飛び去っていく。


「なんてことだ!」


 ハンナの体を、奪われてしまった。

 死体であれば、こちらで操作できる以上は、なんとかなる。だが、連れ去られた場合は、話が違ってくる。〈再創世(リジェネシス)〉が完成できない。

 すると、恋人の魂を再生させる事もできない。しかも、恋人の肉体は今、目の前で連れ去られてしまった。


「リーダーを打ち取れ!」

「魔法陣を破壊しろ!」


 遠くから罵声が聞こえてくる。

 味方の守備隊は、もうほとんど倒されたようだ。剣戟の音が次第に小さくなっていくのが感じる。


 マテウスは一寸の猶予の後、決意した。

 そして、魔法陣の中央に立ち、狂気じみた落ち着いた声で、精霊に命令する。


「〈魔力の精霊〉よ。我が命も捧げる。思う存分、精霊を作れ……そして、暴走しろ」


 魔力の光が、一点に収束していく。その様子を見て、マテウスは満足そうな顔を浮かべながら、意識を失った。


【41】


 モニカは叫んだ。


「ハインツさん、何か変です!」


 モニカたち〈攻城弓(バリスタ)〉部隊は、魔法陣の上空に飛び交う竜を、撃ち落としていた。幸い、魔法の射程外だったので、大きな被害は出ていない。


「どうした?」

「説明がうまくできないのですけど、魔力が異常な挙動を示しているんです!」

「危険なのか?」

「分からないけど、危険だと思います!」


 ハインツはモニカの必死さに、何かを感じ取った。急いで指示を飛ばす。


「退避するぞ! 〈攻城弓バリスタ〉を折り畳んで、ブローチの中に逃げるぞ!」


 その声にモニカは、ブローチを取り出して、魔力を込めた。黒い穴が出現する。


「間に合いません! 人だけでも!」


 ハインツは、モニカを見て頷き、さらに指示を加える。


「〈攻城弓(バリスタ)〉はもういい! 急いで穴の中に入れ!」


 次々と〈攻城弓〉が打ち捨てられていく。近い人から、穴の中に駆け込んでいった。

 モニカは、避難の状況を見ながら、魔法陣の方向も警戒する。

 今にも、魔法陣上の光点は爆発しそうだ。


「モニカ!」


 全員が穴の中に入り、残るはハインツとモニカだけになった。ハインツは、モニカに向かって手を差し伸べる。


「ハインツさん!」


 モニカは、ハインツの手を取って、穴の中に飛び込んだ。


「閉めます!」


 その時、光点が爆発する様子が、穴から見えた。それでもモニカは、無心でブローチを操作する。

 爆風がモニカたちに到達する、ぎりぎりの所で、〈転移門(ワープポータル)〉が閉まった。


「きゃ!」


 閉じることには成功した。だが、魔力の逆流が起き、モニカの体に衝撃を受けた。悲鳴をあげた。

 そして〈転移門〉を構成する魔法回路が、激しく明滅している。


「大丈夫か!」


 今まで見たことがない挙動に、ハインツも慌てている。モニカは、先ほどの逆流現象を思い出す。

 恐らく、出現位置を固定する為に転写した魔法陣から、魔力の逆流が起きている、と推理した。


「ハインツさん、魔法陣を破壊して下さい! そうしないと、この空間ごと破壊されるかもしれません!」


 ハインツは目を見開いた。そして、魔法陣の睨みつける。

 モニカの言う通り、背中から弓を取り出して、多数の矢をつがえた。そして、明滅する魔法陣に向かって、何発もの矢を同時に撃ち込んだ。やがて、魔法陣の明滅が止まった。


「これで、いいはずです……」


 モニカは全身の力を抜いて、その場に崩れ落ちた。コルが慌てて駆け寄って来た。

 と言っても、肉体的、精神的な問題でなく、魔力的な問題なので、手が出しようがない。コルはモニカの体を抱きしめて、肩を貸した。


「モニカお姉様、少し休みましょう」


【42】


 ヴィクトール邸の外。


 副組合長フェルディナントは、西の空に閃光を見た。

 その直後、何か透明な円状のモノが空を駆け巡る。上空の雲が吹き飛び、霧散して消滅した。

 そして、もはや音ですらない爆音のような衝撃が耳をつんざいた。

 テントの屋根が風に飛ばされた。木がざわめきと共に葉を大量に飛ばされていく。石畳がめくれ上がる。割れた石が空を舞う。

 彼はとっさに目と耳を塞ぎ、地面に伏せた。


 そして、地震が起きた。


 地面がグラグラと揺れる。浮き足立って、まともに立つ事ができない。

 フェルディナントは、何が起こったのか分からなかった。風が収まったのを確認して、西の空を見上げる。


「何だ……あれは……」


 彼は辛うじて、それだけをつぶやく事ができた。

 キノコの形をした雲だった。

 真っ黒な雲が、地面から湧き上がっている。こうしている今も、キノコ雲は空に向かって、成長している。

 彼は、思考が完全に停止した。ただ、唖然としたまま、西のキノコ雲を見つめ続けるばかりだった。


【43】


 ヴィクトール邸内部。


 もはや、屋敷の内部は、生き物の様になっていた。ピンク色の壁が、肉壁のように収縮と弛緩を繰り返している。そこかしこに消化液の水たまりができている。


「これ以上は無理ですね……」


 白銀の騎士団が二階に登ると、もはや、足の踏み場もなかった。消化液のプールになっている。


「それでは、魔法をお願いします」


 白銀の鎧を着た先頭の女は、背後にいる仲間に向かって命令した。そのうちの一人が進み出て、魔法の詠唱を始めた。


「〈風の中位精霊(エアリアル)〉よ。汝の真の姿は空気なり。空気を固定せよ」


 魔法とは、精霊の姿を想像することで行使できる。ゆえに精霊の本質、真の姿を知れば知るほど、新しい魔法へと応用できる。風の精霊の真の姿は、質量のある空気である事を、この時代の人間は知らない。

 先頭の女は、出来上がった空気の階段を、踏みしめた。そして、体重をかける。魔法が安定している事を確認して、両足を乗せた。


 その時、大きな地震が起きた。


 屋敷が、グラグラと揺れる。消化液のプールにさざ波ができた。

 白銀の騎士団の面々は、浮き足立った。その中でただ一人、先頭の女だけは、動揺しなかった。振り向いて、平然と言い切った。


「落ち着いて下さい。今の地震は〈再創世(リジェネシス)〉でしょう。今頃、掃除がキレイさっぱり終わっているはずです」


 女の淡々とした物言いに、騎士団は落ち着いた。その様子を確認した女は、前方に向けて指さす。


「それでは、行きましょうか」


 騎士団は、空中を歩き出した。目的地に向かって、無言の行進が続く。鳴り響くのは、騎士団のブーツが、空気の床を踏みしめる音のみ。


 間もなく、目的の部屋の前にたどり着いた。部屋の扉は、鈍器で大きくぶち破られた跡がある。


「まあ、乱暴ですね。もう少しキレイに穴を開けてもらえますか?」


 先ほどとは別の騎士が、歩み出た。そして、腰に身に付けた〈巨神の長剣(ティタンロングソード)〉を鞘に納め、構える。


 三閃。


 扉は壁ごと、三角の形に斬られた。穴からは、縦横無尽に張り巡らされた太い血管のようなものが望める。その中央には、赤い肉で包まれた核のようなものが鎮座していた。


「ここからは、わたくしとクレメンスだけで行きます。よろしいでしょうか」


 女は何もない空間に向かって話しかけた。すると、その空間から魔術師風の男が現れた。その顔は、仮面を被っている。


「姫。良い判断ですな。恐らく、血管に刺激を与えると、飲み込まれます」

「クレメンス、どうもありがとう。それでは行きましょう」


 姫と呼ばれた女は、三角形の穴をまたいで部屋の中に入った。

 その後ろを〈仮面の魔術師〉がついていく。


「クレメンス、催眠覚醒のキーワードは何ですか?」


 姫は、血管を跨ぎ、押しのけながら、慎重に奥へと進んでいく。


「『アデルは、父に認められた』です」

「分かりました。……アデルさんは、お父様と確執があったのですね」

「その通りです。ですから、彼女が父に認められるように、私が力を授けました」

「まあ、素敵です。きっと、彼女は喜んだのでしょう」

「もちろんですとも。お陰で彼女は、自分の父親を打ち倒すことできました」

「素晴らしいですね。人の望みを叶えることができるなんて、何と素晴らしいことでしょう」

「はい、姫の望みのままに」


 二人は、ついに部屋の中心にたどり着いた。

 肉の壁の中に、わずかに人影が見える。


「『アデルさん、貴女は父親に認められましたよ』」


 姫は、そっと中のモノに呼びかけた。返事はない。何の変化もないように見える。

 しかし、少しずつ中の人影が動き出す。


「クレメンス、そろそろ〈格納庫(アイテムボックス)〉の準備をお願いします」

「御意」


 〈仮面の魔術師〉クレメンスは、懐からブローチを取り出して、魔力を注入した。何もない空間に黒い穴が出現した。


「アデルさん、そろそろ起きる時間ですよ」


 核が割れる。中から羊水が溢れ出す。

 そして赤緑色の髪をした〈精霊の子(エルフ)〉が床に倒れ落ちた。


「生まれ変わった気分は、どうでしょうか?」

「う、ああ、あ……」


 アデルだったモノは、どこも見ていない目で呻くばかりだった。

 姫は、彼女を抱き上げて〈格納庫(アイテムボックス)〉にしまった。そして〈仮面の魔術師〉クレメンスが、再び魔力を注入すると、黒い穴は閉じた。


「さて、この屋敷はどうしましょうか」


 〈仮面の魔術師〉クレメンスは、部屋を跡にしながら、姫に問いかけた。


「やはり、燃やしてしまいましょうか」

「そうですね。妥当だと思います」


 突然、周りの血管が燃え始めた。


「クレメンス。ところで、まだ片付いていない者がいたと記憶していますが」

「そちらの方も抜かりはありません。ちょうど今頃、罠が発動しているはずです」


 姫は、三角形の穴を跨いだ。クレメンスも後に続く。そして廊下で待っていた、白銀の騎士団と合流する。

 姫は、振り向いてクレメンスに尋ねた。


「しかし、どうしてこんな面倒な手順を踏んだのですか?」

「姫。ヒトとは問題が発生すれば、必ず原因を求めたがる生き物です。生贄には、ちょうどよいと思いますが」


 クレメンスの言葉に、姫は大きく頷いた。


「なるほど、勉強になります」


【44】


 〈冒険者組合東支部長〉ミヒェル=エフラー=フルスベルグは、中央区の冒険者組合本部に詰めていた。

 しかし、今はミヒェル含め、その場の役員全員が地面に伏せっていた。


「今のは、何だったんだ……」


 ミヒェルは膝を叩きながら、立ち上がった。

 この地方に、地震が起きる事は珍しい。

 地震の影響で、机や棚に置かれたものが全て、地面に落ち、床に散らばっていた。


「ミヒェル伯はいるか!」


 部屋の外から怒鳴り声が、聞こえる。そして、扉を叩き破られた。

 扉の外から、多数の兵士を連れて、三人の男が姿を現した。


「トリスタン伯?」


 先頭に立つのは〈国属法務官ロイヤルローオフィサー〉トリスタン=フルスベルグだった。手には、書状を持っている。

 そして、彼は書状を読み上げた。


「ミヒェル=エフラー=フルスベルグ。貴方をアーデルハイト=フルスベルグ嬢殺害、及び、ヴィクトール=フルスベルグ侯爵殺害、及び今事件の首謀者の容疑で、連行する」

第二部、終了

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