【46】23歳モニカ、盗賊狩りをする(5)
【18】
モニカは、魔法陣の確認をしていた。
複雑過ぎて、全ては理解出来ないが、細工をされているか否かの識別ぐらいはできる。
もうすぐ全ての確認が終わるという所で、後ろからコルの声がした。
「モニカお姉様、アデルさんが見つかりました。一度、屋敷に戻ってきて下さい」
「ん……」
一瞬だけ、ためらった。
まだ全ての構造を、確認しきれていない。
しかし、今まで見た範囲では、細工されている様子は全くなかった。
まあ、大丈夫だろう。
モニカは立ち上がり、コルに話しかけた。
「大丈夫。行きましょう」
二人は横に並んで、通路を歩く。
モニカとコルの光球が、周りを乱舞する。数が多すぎて、眩しいくらい。
「モニカお姉様、顔が嬉しそうです」
「そ、そうかな?」
モニカには、顔に力を入れている自覚がない。手で顔をぺたぺたと触ってみた。わかるはずもない。
「私も嬉しいです。モニカお姉様には、幸せになって欲しいのです」
モニカの胸が跳ねた。
まるで、全てを見通しているかのような言葉だ。モニカの心の揺れに反応して、周囲に浮かぶ光球の揺れが激しくなった。
「コルちゃんは、どこまで知ってるの?」
「知りません。ですが、なんとなく分かるんです」
よく考えれば、別に隠す相手でもない。
モニカは口を開いた。
「ハインツさんにさっき、告白されたの」
コルは何も言わない。ただ、穏やかな顔をしている。
「まだ、ちょっとよくわからないけど、嬉しい、のかな?」
「私には、そう見えます」
「やっぱり、告白の返事はいるのかな、どうかな?」
あの時はびっくりしすぎて、ええ、と言うだけで精一杯だった。もっと、何かを言うべきだったのだろうか。
「大事な事は、口に出して、はっきりと正確に言った方がいいと思います」
「や、やっぱり、そうよね」
自分の本音を伝えるというのは、とても勇気のいることだ。返事をするのが怖い。
「なんて言ったら、いいかな?」
「モニカお姉様の思った事を、素直に言えばいいと思います」
「そうよね」
なんて言ったらいいだろう。嬉しかったです、でいいんだろうか。いやいや、そんな味気ない言葉じゃなくて、もっと気の利いた言葉を言いたい。
「モニカお姉様、もうすぐ着きます」
「え、あ、ああ、もう?」
「はい」
モニカとコルは〈転移門〉をくぐった。
【19】
屋敷に戻ると、既に日が上っていた。外が薄明るい。コルに誘導されるまま、客間に向かう。
客間には、全員が揃っていた。入るなり、視線が集まった。ハインツが声をかけてくる。
「無事だったか?」
「特に問題は無かったです」
「そうか、良かった。それで、アデルは無事に保護した」
「彼女は今どこに?」
「モニカには悪いと思ったが、勝手ながら、侍女に寝室を一つ用意してもらった。その部屋で休ませている」
「いえ、大丈夫です。それより、ブリギッテが迷惑かけませんでしたか?」
「いや、彼女たちはよくやってくれたよ」
ハインツは、平然と答える。
この屋敷に住んでいる侍女は、問題児のブリギッテと、新人が一人。人手が足りなけば呼び出す事もあるが、基本的に家政業をしてもらっている。
「それで、アデルの実家には、連絡を取ってもらった。今日中に迎えが来ると思う。ただ、彼女は軟禁状態になるだろう……」
ハインツは、組んだ自分の手の甲に目を落としながら、言った。それから顔を上げる。
何かあったのだろうか。
「今回の様々なミスは、強行で疲れが溜まったからだろうと考えている。だから、これからは全員で共に行動し、夜はキチンと休みを取る事にした。モニカはそれでいいか?」
「ええ。ですが、時間は大丈夫なんですか?」
「問題ない。もうすぐ目的地に着く」
実際のところ、モニカも疲れが溜まっていた。むしろ、歓迎したい。
「今日の所は、休みとする。我々を一日泊めさせてもらえないだろうか」
「ええ、喜んで」
モニカは笑顔で返した。
【20】
今後の予定も決まったので、一度解散した。
ただ、屋敷からは出ないようにと言われた。万が一〈冒険者組合〉の関係者に会えば、都市に居る理由を説明しなければならなくなるからだ。
解散して直ぐに、ハインツは「もう一度アデルと話に行く」と言って、階段を登って行った。
モニカは、ハインツを見送りながら、しばらくぼうっとしていた。しかし突然、ボニーとロスに向き直って頭を下げた。
「ボニーさんとロスさん、ごめんなさい」
「……何がだ?」
突然、謝られても、話がよくわからない。
「ボニーさんには、馬を守ってもらったし、ロスさんには危ない所を助けてもらいました。私がブローチを落とすなんて失敗をしなければ……」
なんだ、そんな事か。
くだらなすぎて、笑いがこみ上げてきた。モニカは予想外の反応だったらしく、戸惑っているようだ。
「謝る必要はないと、言わなかったか?」
「ええ、確かに。ですが……」
ロスの方を見ると、ツボに入ったらしく、まだ喉をひくつかせている。役に立ちそうもない。
仕方ないので、性に合わないながらも、モニカに語りかけた。
「あのな、謝ることは確かに美徳だ。場合によっては必要だろう。だが、人は誰でも失敗はするもの。そして失敗は挽回できる。いちいち、誰の失敗かと追求するよりは、速やかに立て直す方が重要だ。少なくとも、冒険者の〈依頼〉の間は必要ない。成功か失敗かは、最後に決まる。そして、その役割は、対外的な事も含めて、全てハインツが背負うから、お前さんが気を止む必要はない」
「ボニーさん……」
モニカは言葉を失っていた。本当に柄にもない事をした。やはり、自分も疲れているのだろう。
「それより、早く、我らの寝室を用意してもらいたい」
モニカはハッとして、慌てて部屋を飛び出して行った。コルも後ろをついて出て行った。
開け放しの扉を見ていると、ロスがようやく笑いから復活して、話しかけてきた。
「ボニー、珍しいじゃない」
「何、お前ほどじゃないさ」
ニヤニヤしていた彼女は、サッと顔色を変えた。
「まさか……聞いていたの……?」
「あんなに喚かれたら、おちおち眠れやしないだろ」
「ちょっと、ボニー! 忘れなさいよ!」
ロスが襲いかかってきたので、逃げるついでに、扉を閉めにいく。
「心配せんでも、誰にも喋らんさ。ただ、お前も、意外に苦労人なんだな」
「何よ、慰めてくれるの?」
「まあ、そうだな」
やっと、殴りかかってくるのを止めてくれた。ロスの振り上げた拳が、下がった。
「好きになっていい?」
「それは断る」
即答した。
【21】
次の日から、ハインツの馬車で行動することになった。
街道を進むに連れて、荒れ果て始めたことが気になった。しかし、魔物には会わなかった。話に聞いていた通り、二日ほどで、目的地であるアプト駅に到着した。
「なんだ、これは」
ハインツが呟いた通り、村全体が寂れている様子。前情報によれば、何十人単位の護衛がついているはずなのだが。
「とにかく、情報を集めてみよう。全員で共に行動するぞ」
馬車から全員降りて、まずは厩舎に向かった。ハインツは、事務所の扉を開け、ひょいと覗く。
「誰かいますか?」
中には、元気のない老人が居た。暖炉の気配はしたので、誰かいるのは分かっていたが、反応は鈍い。
「馬を預けたいのですが」
歳の割りに鋭い視線で睨みつけられた。ハインツは武器をモニカに預け、老人に近寄った。
「すいません、馬を預けたいのですが」
「あんたたちはどこから来なすった?」
「フルスベルグからです」
「そうかい」
聞いた割に、無関心な返答。体全体から無気力感を感じる。
ハインツは困惑した。
「何があったんですか? 街道も荒れてて通りにくかったです」
「本当に知らんのかね?」
その老人の言葉に、ハインツは警戒した。嫌な予感がする。なんとなく、身分は隠す事にした。
「ご老人、何がありましたか? 私たちに何か助けられる事はありますか?」
沈黙。
複雑な顔をするが、何を考えているか読めない。やっと、ゆっくり口を開いた。
「ワシには判断できん。馬は預かってやろう」
「ありがとうございます」
ハインツは少し多めに銀貨を渡した。予め、銀行で下ろしてきた貨幣だ。
銀行長バルドゥル=フルスベルグが、都市外の銀行機能を止めている。金属板は使えないと判断した。
「まずは、村長の所に向かってくれ。一際大きい、赤い屋根がそうだ。直ぐにわかるだろう」
「はい、ありがとうございます」
ハインツ達は、厩舎を後にした。
軽く見渡せば、赤い屋根はすぐに見つかった。一行は歩き出す。
「いいの?」
ロスが口を出してきた。馬を預けることへの心配だろう。馬車が使えなくなったら、逃げられなくなる。普通なら。
「仕方がない。信用されるには、まずこちらから信用しなくてはならない」
村長の家らしき建物にたどり着いた。
扉を軽く叩く。
しばらく待つ。
何も起きない。
「……あの、そこにある鈴を、引っ張るんじゃないでしょうか」
ハインツは振り返って、モニカを見た。
モニカが指差した先には、確かに鈴がついた紐がついている。
「家が広くて人が少ない田舎では、叩くだけでは聞こえない事があります。ですので、紐の先は家の中まで伸びていて、どこでも来客が分かるようになっているんです」
「……そうなのか」
家が密集しているフルスベルグでは、必要のない仕組みなのだろう。初めて聞いた。
改めて、ハインツは紐を引っ張る。チリンチリンと鈴が鳴る。建物の中で人の動く気配がした。
扉がガチャリと開く。隙間から、壮年の女性が顔を出した。
「……どちら様?」
「旅の者ですが、厩舎の人から、こちらに来るようにと言われまして」
彼女は、ジロジロと一行を見る。そして、胡散臭そうな顔をしながら、答えた。
「村長に会いに来た?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
壮年女性は、何かを考えてから言った。
「手に持っている物を、全て預からせてもらうなら」
ハインツは驚いた。流石に承服できない。
全てということは、貴重品もだろうか。
「それなら、仲間に荷物を預けて、外に待機してもらっても?」
「なら、一人だ」
彼女は、威圧的に指示してきた。どうにも警戒が強すぎる。
「それなら先に、宿を取りに行ってもいいですか?」
「ダメ。どちらにしても無理」
ハインツは、ますます困惑した。
この村は〈駅〉だ。宿はたくさんあるはずなのだ。
あれこれ悩んでいると、後ろからボニーが口を出してきた。
「我らの事なら心配するな。ハインツ、一人で行ってこい」
頷くしかなかった。
釈然としないまま、全ての武器と荷物を仲間に預ける。そして、村長宅に入っていく。
【22】
ハインツは、女性に連れられて、家の中を入る。そして、客間と思われる空間に誘導されると、壮年の女性は立ち止まり、振り向いた。
部屋には、ハインツと女性以外、誰もいない。
「村長はどこに?」
「私が、村長代理のイルメラ=アプトだ。それで私たちの村に、何しに来た」
色々と驚いた。村長代理という言葉もさることながら、目の前の女性が、今の村の責任者なのだ。
しかも、言葉の端々にトゲがある。
「東北に食料があると聞いて、やってきたのですが」
「諦めて、帰んな」
言葉の意味が分からない。状況が掴めない上に、何らかの誤解があるようだ。
「食料を買う事は出来ないんですか?」
「余所者には売らない。あそこで買えるのは、昔から世話になっている商人と組合だけ」
話が見えてきた。
村々が独自の自衛として、信用できる相手としか付き合わない、という事なのだろう。
「つまり、この村も?」
「そうだ。知っている商人しか泊めない」
成る程、合点がいった。
状況が掴めてきたので、話の本題に入っても良さそうだ。
「この近くに、盗賊がいると聞きましたが」
その途端、彼女は顔を歪めた。
あまり触れられたくない話題だったのだろう。目つきが鋭くなった。
「アンタら、食料を買い付けに来たんじゃないのか?」
「それもありますが、本筋の目的は盗賊退治です」
「……アンタら、何者だ?」
「いえね、盗賊をどうにかしてくれと商人に頼まれまして」
「その商人の名は?」
「そこまでは。複数の商人からだったと記憶してます。退治してくれれば、食べ物を幾らでも仕入れてくれると」
盗賊の正体が読めてきた。ここに泊まっていたはずの冒険者達がいないということは、村人達に追い出されたか、盗賊達に殺されたか、もしくは盗賊そのものだったか、だ。
だから、ギリギリ嘘ではない言葉で繋げる。
「アンタらは、冒険者か?」
「頼まれたのは、盗賊退治だけです」
ハインツはもう一度、同じ言葉を繰り返した。村には手を出さない事を強調する。
「……村から出ていけ」
村長代理は、低く抑えた言葉で威圧してきた。苦労を重ねてきたのか、なかなか迫力がある。
しかし、村の協力なしでは盗賊退治は難しい。ハインツは食い下がった。
「どうしても、ですか?」
「どうしても、だ」
取り付くシマもない。ギリギリの妥協点を探す。ハインツは素早く口を開いた。
「馬車は預かっておいてもらえますか?」
つまり、自分たちの足を預けることで、ここから去るつもりはないと強調すると同時に、財産を保険にしてくれという意味だ。
また、こちら側としても、馬の怪我の心配をしなくて良いという利益はある。
「それぐらいなら、いいだろう」
これ以上は、ごねても心象が悪くなると判断して、会話を打ち切った。
ハインツは促されるままに、村長宅から出た。
【23】
ハインツは、家の外で待っていた仲間たちと合流した。
そのまま村の外へ移動しながら、先ほどの村長代理との会話について、話した。
「これから、村の外で野宿をする事になる。村人に怪しまれないように、ブローチの利用は最小限にする」
ロスは指を鳴らしながら、質問を投げかけてきた。
「盗賊についての情報は?」
「すまない、とても聞ける状況じゃなかった。厩舎の老人に聞くしかあるまい」
「しょうがないわね」
彼女は、軽い溜め息を吐く。
これでは、盗賊退治の前に、村の信用を得るという作業を必要だ。でなければ、盗賊の詳細な情報が得られない。
ハインツも、溜め息をつきたいのをぐっと堪え、先頭を歩く。経験上〈党首〉が迷いを見せると、碌な事にならない。
何事もなく、厩舎にたどり着いた。
最初にあった老人に、村長との会話を簡単に説明する。
「ご老体。という事で、馬を預かってもらえないだろうか」
「そうか。イルメラがそう言うなら、預かろう」
「感謝する」
ハインツは頭を下げた。この老人は信用できそうだ。
「ところで、盗賊の実態について、何かご存知ではないですか?」
何気ない様子で聞いてみた。
途端に、老人の態度が変わる。あまり思い出したくない事柄なのだろう。顔のシワが増えた。
「……数ヶ月前に、フルスベルグから護衛団がやってきた。確かに魔物は増えていたから、もちろん受け入れた」
それでも、老人は淡々と語り出した。
「最初は、金払いも良く、魔物も追い払ってくれた。だが、とうとうお金が尽きてきたのか、段々とツケが増えてきた。ある日、若者が、意を決して借金返済の催促をした。次の瞬間、斬り殺された」
バカな。
あってはならない事が、起きていた。
「それからというものは、村に対して略奪を繰り返した。略奪する物や女がなくなると、今度は行き交う商人を襲い出した。あっという間に村は寂れた」
老人が心を精一杯殺しているのが、ありありと分かる。
「その……すいませんでした」
「何、気にする事はない。ワシの息子夫婦と、孫娘の仇を取ってくれるなら、手伝おう」
目に暗い炎が見える。吹けば飛ぶような老人の体に、わずかに恐怖を感じた。気圧されかけたが、後ろの仲間の存在を思い出し、耐えた。
「どうして、そこまで信用してもらえたんですか」
「お前さんが、初めにこの厩舎にやって来た時に、武器を外して入ってきただろう。あの強盗団は、常に武器を携帯しておった。礼儀のなってない奴らと思ってはいたが、今にして思えば、ワシらを虫けらのように見ていたのだな」
暖炉の火が、パチンと弾けた。
音につられて暖炉に目をやると、部屋の片隅にマキが積まれていた。冬を越えるには、数が足りないような気がした。
「それに、お前さんは、いいとこの坊ちゃんという感じがしてな。悪い奴に見えなかった」
「ぷっ」
後ろで誰かが吹き出した。多分、ロスだろう。失礼な。
ハインツは憮然としながらも、老人に質問した。
「その盗賊団の名は分かりますか?」
老人は少し首をひねった。記憶の片隅から、該当する名前を引き出そうとしている。
「……確か、代表の名を、フェニックスだったか、フェリクスだったか……」
バカな。
心当たりがある。
「特徴を教えてください」
「うーん、背は高く、目は細め。髪はオールバックの金髪。槍を背負っておったな」
間違いない、フェリクスだ。
よく知っている。
彼とは、共に組んだことすらある。東支部に所属する、冒険者クラスCの男だ。槍の達人で、能力評価で〈槍使い〉のランクAを得ていたはずだ。
ただし、やや戦闘狂で、性格が合わなかったので、話はあまりしていない。
「そ……うですか、ありがとうございました」
「役に立ちそうかね」
「はい、とても参考になりました」
話が終わったので、厩舎を後にする。
一人ずつ、事務所の扉をくぐり、出て行く。
「あの、おじいさん。少し、手を貸していただけますか?」
立ち去り際に、コルが老人に声をかけた。
ハインツは足を止めて振り返る。
「どうしたんだ?」
「いえ、少し……」
彼女は珍しく、言葉を濁した。
特に急ぐことでもないので、彼女の思うがままにさせてみる。老人は、特に怪しむ事なく手を出した。
コルはその手を握り、魔法を唱え始めた。
「〈生命の精霊〉よ。彼の体調を整えよ」
淡い光がコルと老人の体を包んだ。そして、老人の体に吸い込まれて消えた。
「おじいさん、元気を出してください。きっと、どこかにおじいさんを必要とする人が居るはずです。その人たちの為に生きて下さい」
「お嬢ちゃん……」
多少、肩が軽くなったのか、表情から固さが取れたようだ。
「孫娘が、お嬢ちゃんと同じぐらいの歳だった……」
「辛いのは分かります。私も家族を亡くしました。でも、私を必要としてくれる人の為に、私は生きています」
コルは笑顔で、老人の手を優しく握った。
ハインツは、何とも言いようがない寒気が走った。
彼女は、操られていたとは言え、家族を自分の手で殺めているのだ。どうして、そんなに笑顔でいられるのか。
「ハインツさん、行きましょう」
気がつけば、コルは先に行っていた。
老人の方を見れば、先ほどの暗い感情は鳴りを潜め、代わりに、活力がみなぎっているように見えた。
「あ、ああ」
ハインツは外に出ると、仲間たちが待っていた。
「コル、君は……いや、何でもない」
コルは、今も笑顔だ。
ハインツの言葉に特に反応することもなく、モニカの胸元に飛び込んで行った。
【24】
ガンガン。
豪邸が建ち並ぶフルスベルグの高級住宅地区に、ドアノッカーを叩く音が鳴り響く。しばらくして扉が開き、中から〈侍女〉が顔を出した。
「ヴィクトール侯爵のお宅でしょうか」
玄関に、壮年の男が立っていた。
侍女は黙って、扉を閉めようとした。
既に怪しい魔法具を売る商人の噂は広まっている。主からも、訪問販売の類は相手にするなと、きつく言われている。
「お待ちください。侯爵は娘のアーデルハイト嬢の事で、頭を痛めているそうですね?」
侍女は気味が悪くなってきた。急いで扉を閉めようとした。
閉まらない。
足元を見れば、男が足を差し込んでいる。
「申し遅れました。ミヒェル伯爵の使いの者です。我が主は、アーデルハイト嬢について心を痛められておられます。つきましては、少し彼女とお話させて頂けないでしょうか」
そう言って、男は、封のされた親書を取り出した。
その封と親書は本物のように見える。侍女には判断がつきかねた。
「少し、お待ち下さい」
侍女は奥に引っ込んだ。やがて、玄関に執事が現れた。
「何用だ」
「アーデルハイト嬢の気持ちを和らげる話をお持ちしました」
「必要ない」
ぶっきらぼうに、執事は言い放った。
「しかし、ミヒェル伯爵の親書を預かっています」
「ならば、私からお嬢様に手渡そう」
「いえ、直接、手渡すように言われています」
「見せてみろ」
男は、執事に封書を手渡した。
執事はジロジロと手紙を見る。特に封蝋の部分を丹念に見たが、不審な点はない。本物のようだ。
「良かろう。お嬢様の部屋に案内するが、用が済んだら直ぐに帰れ」
「勿論です」
男は、従業員たちに監視されながら、廊下を歩いて行く。やがて、アーデルハイトが引き篭っている部屋の前にたどり着いた。
執事が扉をコツコツと叩く。
「アーデルハイト嬢様、お客様です」
分かってはいるが、返事がない。
彼女が戻ってきた時には、魂の抜け殻のようになっていた。ひたすら意味の分からない独り言を呟いているだけで、周りの声に全く反応しなかった。
つまり、廃人だった。
「入っていいかな?」
男が催促してくる。執事は、少し考えて答えた。
「私も同席する」
「それは難しい。一人でないと、彼女と話が出来ない」
執事は舌打ちしかけた。
実際、誰が話しかけても話が成立しないのだ。ならば、やれるものならやってみろという気持ちになった。
「では、入らせてもらいますね」
「……好きにしろ」
男は、アーデルハイトの部屋に入った。
部屋の中は、沢山の可愛らしい人形が置かれていた。他には、衣服、絵画、生花、その他諸々。彼女を慰めようとして、失敗した物たちが所狭しと並べられていた。
「ふっ」
男の口から、苦笑が漏れた。
そして、ミヒェルの封蝋のついた手紙を取り出して、軽く上に放り投げる。
燃えた。
男は、軽く鼻で笑う。そして〈無声詠唱〉を始めた。
〈風の精霊〉で、手紙の灰を散らした。
〈植物の精霊〉で、部屋の扉に根が張り、扉を開ける事ができなくなった。
〈音の精霊〉で、部屋の音が外に漏れなくなった。
〈光の中位精霊〉で、部屋を覗けなくなった。
〈水の精霊〉で、顔の皮膚の下に入れておいた水を抜いた。顔の形が元に戻る。
準備を終えた男は、ベッドの中で横になっているアーデルハイトに話しかけた。
「少女よ、周りを思い通りにできる力が欲しくないか?」




