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名もなき魔術師の一生  作者: きゅえる
【2章】
41/106

【44】23歳モニカ、盗賊狩りをする(3)

【11】


 四日目の夜。

 一行に、強行軍の疲れが見え始めた。

 モニカは、木箱に突っ伏してウトウトとしている。〈行灯(ランプ)〉の淡い光が、彼女の後ろ姿を寂しく照らしていた。


「モニカちゃん」


 ロスが、そっと声をかける。

 彼女の赤い〈外套(マント)〉が、火の光で一層赤く見える。


「ん、んん……」


 モニカは力無く起き上がった。髪の毛はボサボサで、若干寝癖がついている。焦点の合っていない瞳孔を、ロスに向けた。


「あ……ロスヴィータさん……」


 ようやく焦点を合わせたモニカは、慌てて起き上がる。が、まだフラフラと足元が覚束ない。


「ロスでいいわよ。疲れているところ申し訳ないけど、二人きりで話があるの。どこか人のいない所はないかしら?」

「え……それなら、奥に……」


 頭の働かないモニカは、言われるままに返事をする。そのまま、歩き出そうとした。


「あ。少し待ってて」


 ロスは、モニカの行動を手で制止する。

 そして、壁際で毛布をかけて寝ているボニーの元へ向かった。

 毛布からはみ出ている彼の足を見下ろす。ジト目で「毛布の意味、あるのかしら」と呟きながら、足で地面に文字を書き綴った。


『すぐ戻る』


 書き終えると、外套を翻してモニカの元へ戻った。


「さあ、案内して」

「はい」


 モニカは行灯を手に取った。ロスを連れて、洞窟の奥へと向かう。そして、曲がり角を曲がった所で立ち止まった。

 まだ、少し寝ぼけているようだ。


「あ、ボニファティウスさん、寝てましたから、あそこでも良かったんじゃ」

「私はいいけど、貴方が問題だと思うの」

「?」


 モニカは、首を傾げた。

 無理もない。まだ、出会ってから数日も経っていない。ロスとモニカの間の共通の話題などないに等しい。

 ロスも、ハインツの事がなければ、こんな事をしない。


「まどろっこしいことは、なしよ、モニカちゃん。貴女、ハインツの事をどう思っているの?」


 モニカは、一瞬の間の後、少し動揺した。やはり、何か思う所があったのだろう。


「どうって……?」

「じゃあ、聞くわね。どうしてこんな貴重な魔法具を、ハインツに使わせてるの?」

「それは……」


 モニカは言葉を濁して、目を逸らす。ロスは思わず、眉間にシワが寄った。


 この娘は、ハインツより面倒だ。

 ハインツは、自分の本音にすら気がつかない、バカで、アホで、鈍感で、えーと、ニブチンで、バカで、アホだ。

 そのくせ、周りの女性には気があるかのような行為をする。

 彼の振る舞いに振り回された女性は数知れず。あーいうのは、女性の敵だと思う。

 一度、絞め殺すべき。


 ……。

 えーと、そうじゃなかった。

 ハインツじゃない。そうそう、モニカだ。

 このモニカという娘は、本音を知っている上で、何かを隠している。


「質問を変えるね。貴女、ハインツとどんなお付き合いしてきたの?」

「お付き合い? と言っても、家に篭ってると、気分が落ち込むからって、たまに、町に連れて行ってくれるだけで……」


 モニカは意外にも、素直に答えた。やはり、恋愛に関する自覚はあったようだ。

 もしもハインツが、こういう行為をしておきながら、本気じゃなかったら、絶対殺す。間違い無く殺す。

 じゃなかった。


 既に、彼の言質は取ってある。

 今はモニカだ。


「貴女はその時、どう思ったの」

「私は平気なんですけど、彼に悪いと思って、付き合いで……」


 しかし、ロスの目から見ても、今の彼女は、はっきり無理をしていると分かる。


 表情がなさすぎる。


 つまり、この娘は自分がしっかりしなければならないと思って、感情を殺しているのだ。

 精神の限界は、もうすぐそこまで来ているのが知れない。

 こんな状態では、ハインツの好意も余計なお節介としか映らないのだろう。


 根は深い。

 搦め手でいく。


「あの、アーデルハイトとかいう、小娘が彼の胸に飛び込んで行った時はどう思ったの?」

「それは……」


 モニカは複雑な顔になった。

 効果はありそうだ。

 さらに追い詰めよう。


「ハインツが、彼女の肩を掴んだ時は?」


 とにかく、本音だ。

 取っ掛かりに本音が欲しい。

 モニカは人差し指を咥えて、考え始めた。


「私は、凄くムカッてしたわ」

「えっ……」


 モニカは、目を丸くした。

 失敗した。

 自分の本音を漏らしてしまった。

 気恥ずかしさを誤魔化すためにも、言葉を続ける。


「そう。本当は、私もハインツの事が好きなの。でも、モニカちゃんになら、譲ってもいいと思っているの。もう一度聞くわね。モニカちゃんはハインツの事、どう思っているの?」

「ロスさんが……?」


 ハインツが聞いたら、人を物扱いするなと怒るかもしれない。

 でもダメ。

 絶対、許さない。

 この娘はいい子だ。

 不幸になっちゃいけない。

 ハインツには釘を刺しておかないと。


 モニカは少し考えた後、恐る恐る答えた。


「胸がチクッて痛みました」


 ついに突破口を見つけた。

 自然と、顔に笑みを浮かべる。


「それはね、モニカちゃん。貴方が、あの小娘に嫉妬した証拠なのよ。正常な人間なら、誰にでも持っているものなの」

「嫉妬……」


 凄く、胸がゾクゾクする。

 嫉妬すら知らない小娘に、嫉妬という感情を教える。

 ああ、やはり、この娘は良い子だ。

 私みたいに捻くれてはいけない。

 どうか真っ直ぐ、育ってくれますように。


「つまり、貴女は、ハインツの事が好きなのよ」

「……」


 モニカは、戸惑っている。何と言ってよいのかわからない様子だ。


「でね、そのハインツが貴女のことを、なんとかしてあげたいって」

「ハインツさんが……?」

「妬いちゃうわね。ハインツは、貴女の事が好きなの。その為に、政略結婚の相手すら投げ捨てたのよ。もっと言えば、自分の出世の道を『貴女の為に』投げ捨てたの。そして苦難の道を選んだ。」


 やはり、妬ましい。

 妬ましい。

 自分も女として愛されたい。

 平常を保っていたはずなのに『貴女の為に』の部分の声がひっくり返ってしまった。

 そして、自分でも分かるぐらい、段々と口調が早くなり、キツイものになっていく。


「さっき、『彼に悪いと思って、付き合いで』と言ったわね。違うわね。全然、彼に悪いと思ってない。彼は本気なのよ。なのに、貴女は逃げている。卑怯よ。」

「ロス、さん?」


 モニカはロスの変化を敏感に感じ取り、戸惑い始めた。

 だが、止まらない。


「貴女は、自分一人の力で何でもできると思っている! 思い上がりも甚だしい! 先日の〈食人鬼〉の件もそう! 貴女は〈食人鬼〉を一匹やっと倒せる程度の能力のくせして! ハインツに、敵の数を調整されていたのに気がつかなかったの! 本当は貴女の所に、二匹行くはずだったのよ! なのに、ハインツは、自分の敵を引きつけたまま、貴女へ向かった〈食人鬼〉を一匹だけ倒したのよ! 彼は! 完全に貴女の実力を把握して! その上で! 貴女を信用している!」


 言いたいことはまだあったが、息が続かない。ロスは息を切らせて、膝に手をついた。

 息を整えて、顔をあげると、モニカは、完全に止まっていた。情報が思考を塗りつぶしたかのようだ。

 ロスも、やや落ち着いた。


「貴女は所詮、20かそこらの小娘よ。確かに、当時の私より、ずっと強いわ。それは認める。でも、どんなに頑張っても一人では、限界はあるの。だから、もっと、人に甘えなさい。男に甘えなさい。その代わり、人を愛しなさい。尊敬しなさい。そして、辛かったら……助けを求めていいのよ。泣いていいのよ。この街は、助け合いの精神が根付いている良い所よ。誰も貴女を責めはしないわ。貴女が、ここに居るということは、それだけ尊敬される事をやってきているのだから」


 ロスは、最後まで言いたいことを言い切った。もう、言う事はない。

 モニカは顔を俯いた。

 ロスはその姿を無言で見下ろす。

 かなり長い間、ずっとそうしていたぢろうか。

 初めは、微かな啜り泣きだった。


「ぐす……あれ……私……涙が……おかしいな……」


 徐々に泣き声が大きくなっていく。


「あれ……あれれ……なんで?……止まらないよ……」


 涙が止まらない。

 モニカはついに両手で目を何度も拭う。

 止まらない。

 しゃくり声も混じり始めた。


「ひく、えぐっ、が、がはっ、おえっ」


 涙が止まらない。

 鼻水が止まらない。

 感情も止まらない。


「ふえ、ふあ、あ、ああああああぁぁ!」


 啜り泣きはついに大きな泣き声となって、洞窟に響き渡った。

 ロスは、モニカの顔をそっと抱きしめる。彼女はそれを拒絶しない。むしろ、顔を胸に押し付けてくる。

 やはり、相当溜め込んでいたようだ。

 淡い光の中、モニカの泣き声だけが聞こえる。ロスはじっと我慢した。

 やがて、モニカは顔を離す。目を真っ赤に腫らしていた。


「ありがとうございました。やはり、ハインツさんとロスさんには全てを話そうと思います」

「ボニーもいるわよ」

「そうでした」


 モニカは手の甲を口に当てクスクスと笑う。そして、とうとう、直面している全ての問題と秘密を語り出した。


「は?」


 目が点になった。

 色々と驚くことばかりだったが、中でも反応したのは、彼女の幼馴染であるエリーが生きているという点だ。


「ちょっと待った。待った……」


 ハインツがモニカに心を決めた瞬間は、『モニカが幼馴染のエリーの遺体を見ても泣かなかった』のを見た時だ、と言っていた。

 エリーが生きているなら、話は変わってくる。


 ロスは自然と笑みが零れる。


 この話を知った瞬間のハインツの顔が見たい。どうしても見たい。

 バカみたいに口をポカンと開けるのだろうか。それとも、騙されたと喚くのだろうか。

 そんなことを言ったら鉄拳だ。今から楽しみでしょうがない。


「モニカちゃん、その話をハインツに切り出すタイミングは、私に指定させて?」

「いいですけど。ロスさん、顔がニヤニヤしすぎです。」


 そう言われても、捻じ曲がった感情は治らない。ロスは手で口を隠した。


 二人して〈転移門(ワープポータル)〉の前に戻る途中、急にロスが立ち止まった。


「あ、モニカちゃん。ちょっと下着にシワが寄ったみたい。気持ち悪いから先行ってて」

「はい、でもいつ出撃が来るか分かりませんので早く来てくださいね」

「もちろんよ?」


 モニカは先に歩き出した。ロスは、一人残される。

 モニカが居なくなったのを確認すると、一気に年老いたような顔になった。後頭部を壁に当てて寄りかかり、ずりずりと崩れ落ち、うなだれた。

 赤い外套の裏に身につけた8本のサーベルが、ガチャガチャと鳴る。


「やはり、体と心が一緒の性でないと。不幸にしかならないわね……」


 そこには、先ほどの内容とは真逆の、諦めと孤独があった。


【12】


 7日目の深夜。先ほど〈射手座の月(サジタリウス)〉に入った。

 初冬の深夜に相応しい寒さが、肌を刺す。


 しかも、今夜はひどく曇っていた。

 ひとかけらの星光すら見えない。いつもより濃い漆黒の闇が広がっている。モニカが召喚した光球だけが、街道の行く先を照らす。


 聞こえるのは、規則正しい蹄の音と、風の音だけ。

 誰も口を開かない。

 口から零れるのは白煙のみ。その白煙も、後ろに流れては消えてゆく。


 先頭を飛んでいるのはロス。

 彼女は馬を使わない。〈飛翔〉の風魔法で地表スレスレを飛ぶ。

 その直ぐ後ろを、モニカの黒毛馬がついて行く。最後尾はボニーだ。


 突然、ロスが手を広げた。親指を地面に向ける仕草をする。止まれの合図。

 モニカはその意図を受け取って、手綱を両手で引っ張る。馬は徐々に速度を落とし、やがて止まった。

 同時に、風の音も小さくなっていき、ロスは地面に足をつけた。


「ブラックアイ、お疲れ様」


 モニカは自分の馬を労った。

 馬は、ブルルルと鼻を鳴らしながら、首を振って応える。

 後ろから、ボニーの馬が歩いて来た。モニカの隣に並ぶ。


「私、ちょっとミスったみたい」


 ロスは、闇に目を凝らしながら、戦闘の構えに入る。ボニーは、急いで馬から飛び降りた。


 ようやくモニカにも、状況が理解できた。八方から獣のような唸り声が聞こえてくる。

 恐らく〈人狼(ヴァラヴォルフ)〉だ。モニカの知識によれば、彼らは夜行性の魔物。二足歩行をする狼で、動きは素早く、その爪は強力な武器となる。しかし、真の危険は他にある。


 彼らは病気を移す。

 その牙で噛まれ、放置すると『狂狼病』にかかる。そうなると、気が狂ってしまう。水を極度に恐れ、また、あたかも狼のように無差別に周囲に噛み付こうとするのだという。


 コルの〈状態保護(ステータスガード)〉が必須だが、今ここにはいない。モニカの〈腰嚢(サイドパック)〉にも、そんな特殊な病気に対応できる薬は、ない。


「辛うじて不意打ちは防げたけど、馬を仕舞う余裕はなさそう、ね!」


 ロスが、サーベルを抜いて、暗闇に飛び込んだ。モニカの背後では、既にボニーが大剣を構え、敵を牽制している。


「速くしろ! 馬を殺されたいか!」


 ボニーが珍しく叫ぶ。

 モニカはその言葉に、思考を中断された。慌てて、胸のブローチに触れる。


 だがその時、突然、ブラックアイがいななきながら飛び上がった。

 手綱から手を離していたモニカは、背中から落馬してしまう。

 

「ぐ、かはっ、がは!」


 背中を打った痛みで息が出来ない。

 それでも、顔だけ上を向けると、ブラックアイが襲いかかってきた〈人狼〉を蹴り飛ばしていた。

 ようやく息が整ったモニカは、再びブローチに手をかける。


 ない。


 ない。


 ブローチがない。


 モニカは、一気に青ざめた。

 ブローチがないと、助けを呼べない。

 血相を変えて、周囲の地面を見渡す。


 ない。


 ない。


 やはり無い。


 背後から、斬撃音。

 振り向けば、ボニーが敵を真っ二つにしていた。


「どうした! 速くしろ!」


 ボニーの背中から、焦りを感じ取れる。モニカは、裏返った声で悲鳴を上げた。


「ごめんなさいッ! 落としてしまいましたッ!」


 ボニーは無言で剣を振るう。

 一閃。二閃。三閃目で、ようやく口を開いた。


「謝るな! 時間は稼ぐ! 何がなんでも見つけ出せ!」


 ボニーの動きが変わった。

 今までは、自分の馬を守るように動いていた。今は左右に走りながら、大剣を振り回している。

 その分、隙が大きくなり、敵に懐近くまで潜られる事が増えた。


 モニカは頭を振る。

 見とれている場合では無い。探す事に集中しなくては。

 〈光球〉を踊らせる。


 見つからない。


 視野を広げる。


 見つからない。


 頭を回転させろ。

 落馬する時のブローチの感触はどうか。

 ブローチは転がる形状だったか。

 どの方向に落ちそうだったか。


 頭の中で、ブローチの動きを追跡した。

 思った方向に目を向ける。


 ない。


 ない。


 !


 あった!


 思ったより、遠くに飛んでいた。

 〈人狼(ヴァラヴォルフ)〉が、その前で、今にも襲いかかろうとしている。

 つまり、ブローチを手に入れるには、一人でアレを倒さなければならない。

 モニカは大きく息を吸った。吐いた。


「レベッカさん、ごめんなさい。約束を破ります」


 小さな声で懺悔を呟いた後、邪魔な荷物を全て置いた。そして、魔法の詠唱を始める。


「〈火の精霊(サラマンデル)〉、〈地の精霊(ノーム)〉よッ! 我が体内に宿れッ!」


 火球と土球が、胸から飛び出す。そして、飲み込んだ。

 体内に宿る〈生命の精霊(セフィロト)〉が弱まっていくのを感じる。代わりに、体が硬くなり、燃えるような活力が湧き出てくるのを感じた。

 モニカは、敵に向かって走り出す。


「チェエアアアアアッ!」


 無意識に気合いの声が漏れてしまった。

 声を出すのは、良くないことだったような気がする。いや、どうでもいい。

 敵に向かって、拳を突き出した。


 しかし当たらない。


 敵の爪が反撃してきた。

 突き出したモニカの右手を切り刻む。服は破れる。しかし、肌には傷がつかない。

 そのまま、左拳で殴る。当たらない。

 右。当たらない。

 では、回し蹴り。当たらない。


 敵の爪が胸を斜めに切り裂いた。服の裂け目から〈鎖の服(チェインドレス)〉が鈍い光を放つ。


 敵が更に近づいてきた。

 鼻つらに、右拳を繰り出す。当たらない。


 肩を掴まれた。

 敵が大きな口を開け、モニカの左肩に噛み付いた。ベキベキと〈鎖の服(チェインドレス)〉が噛み砕かれる。さらに〈|地の精霊〉で守られているはずの肌に、牙がめり込む。肩からプツリと血が吹き出した。

 モニカは、笑いがこみ上げてきた。理由はわからない。

 右手で、噛み付いている敵の下顎に手をかける。左手で上顎に手をかける。口をこじ開けていく。肌から牙が抜けた。


 更に力を込める。


 ついに顎が外れる音がした。


 更に力を込めていく。


 肉がメキメキと裂ける感触がした。

 敵はくぐもった悲鳴をあげた。


 モニカは、面白いと思った。

 もっと、もっと。もっと!


 そのまま、敵を押し倒した。

 もっと、口を開け!


 モニカは、さらに顎を捻り始めた。

 あはは、面白いぞ!


 敵は、のたうち回る。

 そうだ、もっとのたうち回れ!


【13】


 気がつけば〈人狼(ヴァラヴォルフ)〉はピクリとも動かなくなっていた。口だった穴から、泡を噴いている。

 モニカは、急速に興味を失った。


 起き上がって、辺りを見回す。

 面白そうなのが一杯いる。特に、こちらを喰いたそうにしている狼が。

 モニカは、ワクワクと胸を踊らせた。足を踏み出す。


 何かを踏んだ。

 ブローチだ。


 ……何か、重要な事を忘れているような気がする。


「あッ!」


 そうだ。

 ブローチを手に入れたら、魔法解除だ。

 早速、体内の精霊に命令をする。


「帰れ!」


 体内に巣食う三種類のうち、二種類が消えたのを感じた。その途端、頭が急に冴えてきた。考える余裕が出来る。


 次の瞬間、青ざめた。


 まず、一人で飛び出してしまっていること。そして〈狂戦士化(ベルセルク)〉の影響で体が非常にだるいこと。さらに、さっき噛まれたことだ。

 死が、そこまで迫っている。

 恐怖で、身を竦んでしまう。


 一番近い位置にいた〈人狼〉が、にじりにじりと近寄ってくる。間合いを測っているようだ。

 モニカは敵を睨みながら、ゆっくりとブローチを拾い上げる。


 次の瞬間、襲いかかってきた。

 敵は強い、速い。手の打ちようがない。


「た、たす……!」


 喉がかすれて、大きな声が出せない。

 自分に向かってくる牙と爪が、やけにゆっくりだ。襲ってくるであろう痛みに歯を食いしばった。


 赤い布が降ってきた。


 その手に光るサーベルが、狼の頭から喉まで刺し貫いた。そのまま地面にまで突き刺さる。

 姿勢を崩した狼とロスは、勢い余ってモニカの腹に直撃する。

 モニカは、尻餅をついて倒れた。目の前に一瞬、星が見えた。


「大丈夫なの?!」


 ロスの叫び声に、我に返る。

 彼女は既に立ち上がっていた。そして、モニカの上に覆いかぶさった狼の死体から、サーベルを引き抜きながら、蹴り飛ばす。

 左手に硬く握っていたブローチは無事だった。

 

「あ、ロス……さん……」


 彼女は、さっとモニカの様子を見る。そして、左肩と左手に、目を一瞬だけ向けた。そして、周囲の〈人狼〉に威圧をかける。


「ここでいいから、早く開きなさい」

「は、はい」


 モニカはブローチに魔力を込める。

 音もなく、モニカの目の前に穴が出現した。


「うん……?」


 よく考えれば、この穴、反対側は黒い物質で覆われていたはず。どの位の強度かわからないが、盾になり得るのでは。

 そんな事を考えているうちに、ハインツとコルが飛び出してきた。一息遅れて、アーデルハイトも出てきた。


「ロス、これはどうなっている」

「私のミスよ。あっちでボニーが、一人で馬と荷物を守っているわ。早く助けに行ってあげて。それと、モニカが〈人狼〉に噛まれた。」


 ハインツはその報告を聞いて、考える事なく、即座に指示を飛ばした。


「モニカは、ブローチをコルに渡して、穴の中に入れ。アデルも穴の中だ。コルは俺が援護するから、馬とボニーを回収しにいけ」


 その言葉に、アーデルハイトが目を丸くした。憤り、抗議の声を上げる。


「そんな! あたしも、戦いた」

「黙れ」


 初めて聞く、ハインツの低い声。

 アーデルハイトは怯え、一歩下がった。


「言ったはずだ。俺の言う事は聞かないなら追い返すと。今すぐ、帰れ」


 アーデルハイトは一瞬、キョトンとした。それから、足がガクガクと震え、よろめく。


「そんな……ねえ、冗談でしょ……」


 アーデルハイトはハインツの腕にしがみつこうとする。しかし、振り払らわれた。

 ハインツは無言で矢を取り出す。それから〈複合弓(コンポジットボウ)〉につがえ、いきなり放つ。そして直ぐに次の矢を取り出す。異常な速さの〈速射(クイックドロー)〉だ。


 モニカはその雰囲気に耐えかねて、無言でブローチをコルに手渡した。その時、手と手が触れる。コルは驚いたような顔をした。それから辛そうな顔になる。


「あの、提案があります」


 ハインツは無言だ。

 既に8本の矢を放っていた。9本目の矢を取り出す。


「モニカお姉様が重症です。看病が必要です。アデルさんにやらせてあげて下さい。」


 ハインツの手が一瞬だけ止まる。そして10本目を放った。


「そのようにしろ」


 モニカはアーデルハイトを見上げる。アーデルハイトは戸惑っていた。手を差し出してみるが、動こうとはしない。


「速くしろ!」


 叫びながら、14本目を射った。弦がビイィンと響く。

 その声に弾かれるように、アーデルハイトが動き出した。

 まず、モニカの手を取った。しかし、そこで動きが止まる。どうしたら良いのかわからないらしい。


「手を引っ張って、起こしていただけますか」


 助言する。彼女は渋々と言った表情でモニカを起こした。


「次は肩を貸して下さい」


 助言はしてみたものの、動きがぎこちない。モニカから肩に寄りかかった。


「ではお願いします」


 ゆっくりと歩き出した。そして、穴に向かっていく。その時、確かにアーデルハイトの呟きを聞いた。

 どうして、あたしがこんな下賤な奴と一緒にいなければならないの、と。

 モニカは、一瞬戸惑ったが、聞かなかった事にした。


「コル、二人が入ったら、穴を閉じろ。穴が閉じたら、ロスはボニーの援護。」

「はい」


 モニカは、背中で二人の声を聞く。

 そして、完全に穴の中に足を踏み入れた時、背後で〈転移門(ワープポータル)〉は閉じられた。

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