【44】23歳モニカ、盗賊狩りをする(3)
【11】
四日目の夜。
一行に、強行軍の疲れが見え始めた。
モニカは、木箱に突っ伏してウトウトとしている。〈行灯〉の淡い光が、彼女の後ろ姿を寂しく照らしていた。
「モニカちゃん」
ロスが、そっと声をかける。
彼女の赤い〈外套〉が、火の光で一層赤く見える。
「ん、んん……」
モニカは力無く起き上がった。髪の毛はボサボサで、若干寝癖がついている。焦点の合っていない瞳孔を、ロスに向けた。
「あ……ロスヴィータさん……」
ようやく焦点を合わせたモニカは、慌てて起き上がる。が、まだフラフラと足元が覚束ない。
「ロスでいいわよ。疲れているところ申し訳ないけど、二人きりで話があるの。どこか人のいない所はないかしら?」
「え……それなら、奥に……」
頭の働かないモニカは、言われるままに返事をする。そのまま、歩き出そうとした。
「あ。少し待ってて」
ロスは、モニカの行動を手で制止する。
そして、壁際で毛布をかけて寝ているボニーの元へ向かった。
毛布からはみ出ている彼の足を見下ろす。ジト目で「毛布の意味、あるのかしら」と呟きながら、足で地面に文字を書き綴った。
『すぐ戻る』
書き終えると、外套を翻してモニカの元へ戻った。
「さあ、案内して」
「はい」
モニカは行灯を手に取った。ロスを連れて、洞窟の奥へと向かう。そして、曲がり角を曲がった所で立ち止まった。
まだ、少し寝ぼけているようだ。
「あ、ボニファティウスさん、寝てましたから、あそこでも良かったんじゃ」
「私はいいけど、貴方が問題だと思うの」
「?」
モニカは、首を傾げた。
無理もない。まだ、出会ってから数日も経っていない。ロスとモニカの間の共通の話題などないに等しい。
ロスも、ハインツの事がなければ、こんな事をしない。
「まどろっこしいことは、なしよ、モニカちゃん。貴女、ハインツの事をどう思っているの?」
モニカは、一瞬の間の後、少し動揺した。やはり、何か思う所があったのだろう。
「どうって……?」
「じゃあ、聞くわね。どうしてこんな貴重な魔法具を、ハインツに使わせてるの?」
「それは……」
モニカは言葉を濁して、目を逸らす。ロスは思わず、眉間にシワが寄った。
この娘は、ハインツより面倒だ。
ハインツは、自分の本音にすら気がつかない、バカで、アホで、鈍感で、えーと、ニブチンで、バカで、アホだ。
そのくせ、周りの女性には気があるかのような行為をする。
彼の振る舞いに振り回された女性は数知れず。あーいうのは、女性の敵だと思う。
一度、絞め殺すべき。
……。
えーと、そうじゃなかった。
ハインツじゃない。そうそう、モニカだ。
このモニカという娘は、本音を知っている上で、何かを隠している。
「質問を変えるね。貴女、ハインツとどんなお付き合いしてきたの?」
「お付き合い? と言っても、家に篭ってると、気分が落ち込むからって、たまに、町に連れて行ってくれるだけで……」
モニカは意外にも、素直に答えた。やはり、恋愛に関する自覚はあったようだ。
もしもハインツが、こういう行為をしておきながら、本気じゃなかったら、絶対殺す。間違い無く殺す。
じゃなかった。
既に、彼の言質は取ってある。
今はモニカだ。
「貴女はその時、どう思ったの」
「私は平気なんですけど、彼に悪いと思って、付き合いで……」
しかし、ロスの目から見ても、今の彼女は、はっきり無理をしていると分かる。
表情がなさすぎる。
つまり、この娘は自分がしっかりしなければならないと思って、感情を殺しているのだ。
精神の限界は、もうすぐそこまで来ているのが知れない。
こんな状態では、ハインツの好意も余計なお節介としか映らないのだろう。
根は深い。
搦め手でいく。
「あの、アーデルハイトとかいう、小娘が彼の胸に飛び込んで行った時はどう思ったの?」
「それは……」
モニカは複雑な顔になった。
効果はありそうだ。
さらに追い詰めよう。
「ハインツが、彼女の肩を掴んだ時は?」
とにかく、本音だ。
取っ掛かりに本音が欲しい。
モニカは人差し指を咥えて、考え始めた。
「私は、凄くムカッてしたわ」
「えっ……」
モニカは、目を丸くした。
失敗した。
自分の本音を漏らしてしまった。
気恥ずかしさを誤魔化すためにも、言葉を続ける。
「そう。本当は、私もハインツの事が好きなの。でも、モニカちゃんになら、譲ってもいいと思っているの。もう一度聞くわね。モニカちゃんはハインツの事、どう思っているの?」
「ロスさんが……?」
ハインツが聞いたら、人を物扱いするなと怒るかもしれない。
でもダメ。
絶対、許さない。
この娘はいい子だ。
不幸になっちゃいけない。
ハインツには釘を刺しておかないと。
モニカは少し考えた後、恐る恐る答えた。
「胸がチクッて痛みました」
ついに突破口を見つけた。
自然と、顔に笑みを浮かべる。
「それはね、モニカちゃん。貴方が、あの小娘に嫉妬した証拠なのよ。正常な人間なら、誰にでも持っているものなの」
「嫉妬……」
凄く、胸がゾクゾクする。
嫉妬すら知らない小娘に、嫉妬という感情を教える。
ああ、やはり、この娘は良い子だ。
私みたいに捻くれてはいけない。
どうか真っ直ぐ、育ってくれますように。
「つまり、貴女は、ハインツの事が好きなのよ」
「……」
モニカは、戸惑っている。何と言ってよいのかわからない様子だ。
「でね、そのハインツが貴女のことを、なんとかしてあげたいって」
「ハインツさんが……?」
「妬いちゃうわね。ハインツは、貴女の事が好きなの。その為に、政略結婚の相手すら投げ捨てたのよ。もっと言えば、自分の出世の道を『貴女の為に』投げ捨てたの。そして苦難の道を選んだ。」
やはり、妬ましい。
妬ましい。
自分も女として愛されたい。
平常を保っていたはずなのに『貴女の為に』の部分の声がひっくり返ってしまった。
そして、自分でも分かるぐらい、段々と口調が早くなり、キツイものになっていく。
「さっき、『彼に悪いと思って、付き合いで』と言ったわね。違うわね。全然、彼に悪いと思ってない。彼は本気なのよ。なのに、貴女は逃げている。卑怯よ。」
「ロス、さん?」
モニカはロスの変化を敏感に感じ取り、戸惑い始めた。
だが、止まらない。
「貴女は、自分一人の力で何でもできると思っている! 思い上がりも甚だしい! 先日の〈食人鬼〉の件もそう! 貴女は〈食人鬼〉を一匹やっと倒せる程度の能力のくせして! ハインツに、敵の数を調整されていたのに気がつかなかったの! 本当は貴女の所に、二匹行くはずだったのよ! なのに、ハインツは、自分の敵を引きつけたまま、貴女へ向かった〈食人鬼〉を一匹だけ倒したのよ! 彼は! 完全に貴女の実力を把握して! その上で! 貴女を信用している!」
言いたいことはまだあったが、息が続かない。ロスは息を切らせて、膝に手をついた。
息を整えて、顔をあげると、モニカは、完全に止まっていた。情報が思考を塗りつぶしたかのようだ。
ロスも、やや落ち着いた。
「貴女は所詮、20かそこらの小娘よ。確かに、当時の私より、ずっと強いわ。それは認める。でも、どんなに頑張っても一人では、限界はあるの。だから、もっと、人に甘えなさい。男に甘えなさい。その代わり、人を愛しなさい。尊敬しなさい。そして、辛かったら……助けを求めていいのよ。泣いていいのよ。この街は、助け合いの精神が根付いている良い所よ。誰も貴女を責めはしないわ。貴女が、ここに居るということは、それだけ尊敬される事をやってきているのだから」
ロスは、最後まで言いたいことを言い切った。もう、言う事はない。
モニカは顔を俯いた。
ロスはその姿を無言で見下ろす。
かなり長い間、ずっとそうしていたぢろうか。
初めは、微かな啜り泣きだった。
「ぐす……あれ……私……涙が……おかしいな……」
徐々に泣き声が大きくなっていく。
「あれ……あれれ……なんで?……止まらないよ……」
涙が止まらない。
モニカはついに両手で目を何度も拭う。
止まらない。
しゃくり声も混じり始めた。
「ひく、えぐっ、が、がはっ、おえっ」
涙が止まらない。
鼻水が止まらない。
感情も止まらない。
「ふえ、ふあ、あ、ああああああぁぁ!」
啜り泣きはついに大きな泣き声となって、洞窟に響き渡った。
ロスは、モニカの顔をそっと抱きしめる。彼女はそれを拒絶しない。むしろ、顔を胸に押し付けてくる。
やはり、相当溜め込んでいたようだ。
淡い光の中、モニカの泣き声だけが聞こえる。ロスはじっと我慢した。
やがて、モニカは顔を離す。目を真っ赤に腫らしていた。
「ありがとうございました。やはり、ハインツさんとロスさんには全てを話そうと思います」
「ボニーもいるわよ」
「そうでした」
モニカは手の甲を口に当てクスクスと笑う。そして、とうとう、直面している全ての問題と秘密を語り出した。
「は?」
目が点になった。
色々と驚くことばかりだったが、中でも反応したのは、彼女の幼馴染であるエリーが生きているという点だ。
「ちょっと待った。待った……」
ハインツがモニカに心を決めた瞬間は、『モニカが幼馴染のエリーの遺体を見ても泣かなかった』のを見た時だ、と言っていた。
エリーが生きているなら、話は変わってくる。
ロスは自然と笑みが零れる。
この話を知った瞬間のハインツの顔が見たい。どうしても見たい。
バカみたいに口をポカンと開けるのだろうか。それとも、騙されたと喚くのだろうか。
そんなことを言ったら鉄拳だ。今から楽しみでしょうがない。
「モニカちゃん、その話をハインツに切り出すタイミングは、私に指定させて?」
「いいですけど。ロスさん、顔がニヤニヤしすぎです。」
そう言われても、捻じ曲がった感情は治らない。ロスは手で口を隠した。
二人して〈転移門〉の前に戻る途中、急にロスが立ち止まった。
「あ、モニカちゃん。ちょっと下着にシワが寄ったみたい。気持ち悪いから先行ってて」
「はい、でもいつ出撃が来るか分かりませんので早く来てくださいね」
「もちろんよ?」
モニカは先に歩き出した。ロスは、一人残される。
モニカが居なくなったのを確認すると、一気に年老いたような顔になった。後頭部を壁に当てて寄りかかり、ずりずりと崩れ落ち、うなだれた。
赤い外套の裏に身につけた8本のサーベルが、ガチャガチャと鳴る。
「やはり、体と心が一緒の性でないと。不幸にしかならないわね……」
そこには、先ほどの内容とは真逆の、諦めと孤独があった。
【12】
7日目の深夜。先ほど〈射手座の月〉に入った。
初冬の深夜に相応しい寒さが、肌を刺す。
しかも、今夜はひどく曇っていた。
ひとかけらの星光すら見えない。いつもより濃い漆黒の闇が広がっている。モニカが召喚した光球だけが、街道の行く先を照らす。
聞こえるのは、規則正しい蹄の音と、風の音だけ。
誰も口を開かない。
口から零れるのは白煙のみ。その白煙も、後ろに流れては消えてゆく。
先頭を飛んでいるのはロス。
彼女は馬を使わない。〈飛翔〉の風魔法で地表スレスレを飛ぶ。
その直ぐ後ろを、モニカの黒毛馬がついて行く。最後尾はボニーだ。
突然、ロスが手を広げた。親指を地面に向ける仕草をする。止まれの合図。
モニカはその意図を受け取って、手綱を両手で引っ張る。馬は徐々に速度を落とし、やがて止まった。
同時に、風の音も小さくなっていき、ロスは地面に足をつけた。
「ブラックアイ、お疲れ様」
モニカは自分の馬を労った。
馬は、ブルルルと鼻を鳴らしながら、首を振って応える。
後ろから、ボニーの馬が歩いて来た。モニカの隣に並ぶ。
「私、ちょっとミスったみたい」
ロスは、闇に目を凝らしながら、戦闘の構えに入る。ボニーは、急いで馬から飛び降りた。
ようやくモニカにも、状況が理解できた。八方から獣のような唸り声が聞こえてくる。
恐らく〈人狼〉だ。モニカの知識によれば、彼らは夜行性の魔物。二足歩行をする狼で、動きは素早く、その爪は強力な武器となる。しかし、真の危険は他にある。
彼らは病気を移す。
その牙で噛まれ、放置すると『狂狼病』にかかる。そうなると、気が狂ってしまう。水を極度に恐れ、また、あたかも狼のように無差別に周囲に噛み付こうとするのだという。
コルの〈状態保護〉が必須だが、今ここにはいない。モニカの〈腰嚢〉にも、そんな特殊な病気に対応できる薬は、ない。
「辛うじて不意打ちは防げたけど、馬を仕舞う余裕はなさそう、ね!」
ロスが、サーベルを抜いて、暗闇に飛び込んだ。モニカの背後では、既にボニーが大剣を構え、敵を牽制している。
「速くしろ! 馬を殺されたいか!」
ボニーが珍しく叫ぶ。
モニカはその言葉に、思考を中断された。慌てて、胸のブローチに触れる。
だがその時、突然、ブラックアイがいななきながら飛び上がった。
手綱から手を離していたモニカは、背中から落馬してしまう。
「ぐ、かはっ、がは!」
背中を打った痛みで息が出来ない。
それでも、顔だけ上を向けると、ブラックアイが襲いかかってきた〈人狼〉を蹴り飛ばしていた。
ようやく息が整ったモニカは、再びブローチに手をかける。
ない。
ない。
ブローチがない。
モニカは、一気に青ざめた。
ブローチがないと、助けを呼べない。
血相を変えて、周囲の地面を見渡す。
ない。
ない。
やはり無い。
背後から、斬撃音。
振り向けば、ボニーが敵を真っ二つにしていた。
「どうした! 速くしろ!」
ボニーの背中から、焦りを感じ取れる。モニカは、裏返った声で悲鳴を上げた。
「ごめんなさいッ! 落としてしまいましたッ!」
ボニーは無言で剣を振るう。
一閃。二閃。三閃目で、ようやく口を開いた。
「謝るな! 時間は稼ぐ! 何がなんでも見つけ出せ!」
ボニーの動きが変わった。
今までは、自分の馬を守るように動いていた。今は左右に走りながら、大剣を振り回している。
その分、隙が大きくなり、敵に懐近くまで潜られる事が増えた。
モニカは頭を振る。
見とれている場合では無い。探す事に集中しなくては。
〈光球〉を踊らせる。
見つからない。
視野を広げる。
見つからない。
頭を回転させろ。
落馬する時のブローチの感触はどうか。
ブローチは転がる形状だったか。
どの方向に落ちそうだったか。
頭の中で、ブローチの動きを追跡した。
思った方向に目を向ける。
ない。
ない。
!
あった!
思ったより、遠くに飛んでいた。
〈人狼〉が、その前で、今にも襲いかかろうとしている。
つまり、ブローチを手に入れるには、一人でアレを倒さなければならない。
モニカは大きく息を吸った。吐いた。
「レベッカさん、ごめんなさい。約束を破ります」
小さな声で懺悔を呟いた後、邪魔な荷物を全て置いた。そして、魔法の詠唱を始める。
「〈火の精霊〉、〈地の精霊〉よッ! 我が体内に宿れッ!」
火球と土球が、胸から飛び出す。そして、飲み込んだ。
体内に宿る〈生命の精霊〉が弱まっていくのを感じる。代わりに、体が硬くなり、燃えるような活力が湧き出てくるのを感じた。
モニカは、敵に向かって走り出す。
「チェエアアアアアッ!」
無意識に気合いの声が漏れてしまった。
声を出すのは、良くないことだったような気がする。いや、どうでもいい。
敵に向かって、拳を突き出した。
しかし当たらない。
敵の爪が反撃してきた。
突き出したモニカの右手を切り刻む。服は破れる。しかし、肌には傷がつかない。
そのまま、左拳で殴る。当たらない。
右。当たらない。
では、回し蹴り。当たらない。
敵の爪が胸を斜めに切り裂いた。服の裂け目から〈鎖の服〉が鈍い光を放つ。
敵が更に近づいてきた。
鼻つらに、右拳を繰り出す。当たらない。
肩を掴まれた。
敵が大きな口を開け、モニカの左肩に噛み付いた。ベキベキと〈鎖の服〉が噛み砕かれる。さらに〈|地の精霊〉で守られているはずの肌に、牙がめり込む。肩からプツリと血が吹き出した。
モニカは、笑いがこみ上げてきた。理由はわからない。
右手で、噛み付いている敵の下顎に手をかける。左手で上顎に手をかける。口をこじ開けていく。肌から牙が抜けた。
更に力を込める。
ついに顎が外れる音がした。
更に力を込めていく。
肉がメキメキと裂ける感触がした。
敵はくぐもった悲鳴をあげた。
モニカは、面白いと思った。
もっと、もっと。もっと!
そのまま、敵を押し倒した。
もっと、口を開け!
モニカは、さらに顎を捻り始めた。
あはは、面白いぞ!
敵は、のたうち回る。
そうだ、もっとのたうち回れ!
【13】
気がつけば〈人狼〉はピクリとも動かなくなっていた。口だった穴から、泡を噴いている。
モニカは、急速に興味を失った。
起き上がって、辺りを見回す。
面白そうなのが一杯いる。特に、こちらを喰いたそうにしている狼が。
モニカは、ワクワクと胸を踊らせた。足を踏み出す。
何かを踏んだ。
ブローチだ。
……何か、重要な事を忘れているような気がする。
「あッ!」
そうだ。
ブローチを手に入れたら、魔法解除だ。
早速、体内の精霊に命令をする。
「帰れ!」
体内に巣食う三種類のうち、二種類が消えたのを感じた。その途端、頭が急に冴えてきた。考える余裕が出来る。
次の瞬間、青ざめた。
まず、一人で飛び出してしまっていること。そして〈狂戦士化〉の影響で体が非常にだるいこと。さらに、さっき噛まれたことだ。
死が、そこまで迫っている。
恐怖で、身を竦んでしまう。
一番近い位置にいた〈人狼〉が、にじりにじりと近寄ってくる。間合いを測っているようだ。
モニカは敵を睨みながら、ゆっくりとブローチを拾い上げる。
次の瞬間、襲いかかってきた。
敵は強い、速い。手の打ちようがない。
「た、たす……!」
喉がかすれて、大きな声が出せない。
自分に向かってくる牙と爪が、やけにゆっくりだ。襲ってくるであろう痛みに歯を食いしばった。
赤い布が降ってきた。
その手に光るサーベルが、狼の頭から喉まで刺し貫いた。そのまま地面にまで突き刺さる。
姿勢を崩した狼とロスは、勢い余ってモニカの腹に直撃する。
モニカは、尻餅をついて倒れた。目の前に一瞬、星が見えた。
「大丈夫なの?!」
ロスの叫び声に、我に返る。
彼女は既に立ち上がっていた。そして、モニカの上に覆いかぶさった狼の死体から、サーベルを引き抜きながら、蹴り飛ばす。
左手に硬く握っていたブローチは無事だった。
「あ、ロス……さん……」
彼女は、さっとモニカの様子を見る。そして、左肩と左手に、目を一瞬だけ向けた。そして、周囲の〈人狼〉に威圧をかける。
「ここでいいから、早く開きなさい」
「は、はい」
モニカはブローチに魔力を込める。
音もなく、モニカの目の前に穴が出現した。
「うん……?」
よく考えれば、この穴、反対側は黒い物質で覆われていたはず。どの位の強度かわからないが、盾になり得るのでは。
そんな事を考えているうちに、ハインツとコルが飛び出してきた。一息遅れて、アーデルハイトも出てきた。
「ロス、これはどうなっている」
「私のミスよ。あっちでボニーが、一人で馬と荷物を守っているわ。早く助けに行ってあげて。それと、モニカが〈人狼〉に噛まれた。」
ハインツはその報告を聞いて、考える事なく、即座に指示を飛ばした。
「モニカは、ブローチをコルに渡して、穴の中に入れ。アデルも穴の中だ。コルは俺が援護するから、馬とボニーを回収しにいけ」
その言葉に、アーデルハイトが目を丸くした。憤り、抗議の声を上げる。
「そんな! あたしも、戦いた」
「黙れ」
初めて聞く、ハインツの低い声。
アーデルハイトは怯え、一歩下がった。
「言ったはずだ。俺の言う事は聞かないなら追い返すと。今すぐ、帰れ」
アーデルハイトは一瞬、キョトンとした。それから、足がガクガクと震え、よろめく。
「そんな……ねえ、冗談でしょ……」
アーデルハイトはハインツの腕にしがみつこうとする。しかし、振り払らわれた。
ハインツは無言で矢を取り出す。それから〈複合弓〉につがえ、いきなり放つ。そして直ぐに次の矢を取り出す。異常な速さの〈速射〉だ。
モニカはその雰囲気に耐えかねて、無言でブローチをコルに手渡した。その時、手と手が触れる。コルは驚いたような顔をした。それから辛そうな顔になる。
「あの、提案があります」
ハインツは無言だ。
既に8本の矢を放っていた。9本目の矢を取り出す。
「モニカお姉様が重症です。看病が必要です。アデルさんにやらせてあげて下さい。」
ハインツの手が一瞬だけ止まる。そして10本目を放った。
「そのようにしろ」
モニカはアーデルハイトを見上げる。アーデルハイトは戸惑っていた。手を差し出してみるが、動こうとはしない。
「速くしろ!」
叫びながら、14本目を射った。弦がビイィンと響く。
その声に弾かれるように、アーデルハイトが動き出した。
まず、モニカの手を取った。しかし、そこで動きが止まる。どうしたら良いのかわからないらしい。
「手を引っ張って、起こしていただけますか」
助言する。彼女は渋々と言った表情でモニカを起こした。
「次は肩を貸して下さい」
助言はしてみたものの、動きがぎこちない。モニカから肩に寄りかかった。
「ではお願いします」
ゆっくりと歩き出した。そして、穴に向かっていく。その時、確かにアーデルハイトの呟きを聞いた。
どうして、あたしがこんな下賤な奴と一緒にいなければならないの、と。
モニカは、一瞬戸惑ったが、聞かなかった事にした。
「コル、二人が入ったら、穴を閉じろ。穴が閉じたら、ロスはボニーの援護。」
「はい」
モニカは、背中で二人の声を聞く。
そして、完全に穴の中に足を踏み入れた時、背後で〈転移門〉は閉じられた。




