【17】21歳モニカ、〈巨神の剣〉を得る(3)☆
【20】
ヘルムート=デマンティウスは、宿に入るとたまらず深い息を吐いた。
一番気を使う瞬間を乗り越えたのだから、気が抜けてしまったとしても誰も文句は言うまい。その疲れを見抜かれたのか、隣にいたモニカが心配そうに礼儀正しく尋ねてきた。
「大丈夫ですか?」
〈統率者〉は疲れを見せてはならない。見せればたちまち部下に不安が伝播してしまうからだ。ヘルムートが弱みを見せていいのはナターリエだけ。祖母のイルムヒルデから受け継いた微笑みでモニカに返事を返す。
「心配ありませんよ。」
一瞬、モニカがたじろいだ。ヘルムートは微笑みが失敗したのかと少し反省した。後で鏡の前で練習しなくては。
「それでこの6日間は、私達は何をすればいいのでしょうか。」
「モニカさん達には予定はありません。先程、皆さんにも言いましたが村の観光などどうでしょうか?」
「村の観光……ですか?」
「ええ、試掘位置は村からそう遠くありませんので、護衛は必要無いのです。」
「そう……ですか。」
モニカは少し残念そうな顔を見せた。その顔に心当たりがないわけではない。仕事中毒なのかもしれない。言葉を選んで返事を返す。
「ああ、でもたまに試掘作業を見て頂けると助かります。やはり周囲に危険があると困りますから。」
「わかりました。」
それから、たった今思い出したかのようなわざととぼけた様子で言葉を続ける。
「そういえばこの村にも〈冒険者組合〉の出張所があったはずです。ひょっとしたら何か仕事が舞い込んでいるかもしれませんね。」
ヘルムートがそう言い終えた所で丁度、女部屋の前に辿り着いた。
「ではここで。ターリ、後でこっちに来てくれ。話がある。」
「……承知。」
ヘルムートが男部屋に入ると、調査員たち全員の視線が集まってきた。御者には既に馬の世話を指示してあるので、ここにはいない。
「試掘許可は取れました。まもなく作業を開始することになりますが、その前に皆で昼食を取りましょう。私はターリを待ちますので皆さんは先に食堂に向かってください。」
調査員たちは快哉の声をあげてゾロゾロと食堂に向かった。一人残されたヘルムートはベッドに横になってナターリエを待つ。
「ヘル。」
「ターリか。」
顔を上げたヘルムートには疲れが現れていた。
関係者には部分的にしか伝えていない事だが、この村が巨神の原料を採掘するようになるということは軍事的に重要な意味を持つようになるという意味だ。即ち、この村はそう遠くない未来に戦火に包まれる。果たしてこの仕事を続けて良いのだろうか。
この悩みを祖母に打ち明けた時、祖母は「ああ、やはりあの人の孫ね。」と遠い目をして呟いていた。
イルムヒルデの夫、ヴォルフラム=デマンティウス。ランクAの冒険者。〈黒き狼〉を率いて数々の危機を乗り越えた伝説の英雄。最後には仲間を庇って死ぬ。
それのどこがこんな臆病な僕と同じというのだ!
「ヘル。」
気がつくとナターリエがヘルムートに覆いかぶさっていた。ナターリエの顔と今にも鼻がくっつきそうだ。こぼれ落ちたぼさぼさの赤髪の毛が顔を擽った。
「ち、近いぞ……。」
「スキンシップ……。」
「だ、誰がそんなことを……!」
その言葉には反応せず、ナターリエが拙い言葉で意思を紡ぐ。
「ヘル、泣かないで。ヘルの、仕事、好き。」
「ターリ……。」
そっとナターリエを抱きしめて頭を撫でた。もちろん涙は出ていない。ひとしきり頭を撫でると気が済んだのか、ヘルムートは普段通りの声で言った。
「じゃあ、食事に行こうか。」
【21】
二人が食堂に着くと、調査員、御者、護衛たちがそれぞれの席ごとに食事をしていた。ヘルムートとナターリエが調査員の空いている席に着くと、今後のことについて話しかけてきた。
「班長、場所は決まってるんですか?」
「ああ、大体な。ターリが知っているから聞いてくれ。」
その言葉にナターリエが驚きの反応を示した。
「え、私。地図、持ってない。」
「何だって、街に忘れてきたのか!」
ヘルムートが驚いて声を荒げた。
「あ、違う。部屋に、置いてきた。」
「何だ……。びっくりした……。それなら、食事が済んでから部屋で説明すればいいだろう。」
一騒動あったものの昼食は無事に終わり、ヘルムート達一行は、男部屋で会議を開くことになった。机の上にはこの地区周辺の地図が開かれていた。ナターリエが地図を指さしながら説明をしていく。
「ここ、村。ここ、石、発見された、場所。発見された、場所と、周辺、8ヶ所、鑿井。」
要約すると、石が発見された場所を中心に、中央とその周辺を含めて9カ所に深い細い穴を掘削するとのこと。
ヘルムートは御者に向かって尋ねた。
「馬車の修理はもういいのかい?」
「まあ、一往復するぐらいなら。」
御者は首をすくめて答えた。ヘルムートはふむと頷いてから指示を出す。
「それなら、今日中に機材と物資を掘削地点に配置してしまおう。6日後には護衛を送り届けなければならないからな。」
「わかった。」
会議の話が一通り終わると、ヘルムートは立ち上がって宣言する。
「じゃあ、始めようか。」
【22】
ヘルムート、ナターリエ、調査員たちは馬車に乗り込み、半刻もしないうちに調査地点に到着した。馬車に積み込んでいた機材を積み下ろして、工作機材を組み立てていく。
まず人の身長の5倍程度の『ヤグラ』を建て、その横に多角形の『踏み車』を配置する。さらに踏み車の上方に数本スギをたばねた『ハネギ』を設ける。そこに『ヒネ』を連結させ、『鑿』をかけつるした『杵』を吊るす。
「やっと完成だ。」
指示を飛ばしてついに完成させたヘルムートは、腰を下ろしてつい独り言をぼやいた。既に太陽も沈みかけ、辺りは夕焼けの光に照らされている。
この機材によって4~5人の力で相当深くまで掘ることができる。一つの穴を掘りきるまで二月かかる。村の人間を雇用するのですべての工程が三月で終わる計算だ。
「凄い設備ですね……。」
ふと後ろを見れば、モニカ達が見に来ていた。モニカの後ろには一つ頭が飛び抜けているエリーが立っていて、その横では愛くるしいコルネリアがモニカの服を掴んでいた。
「フルスベルグには温泉が豊富なのは知ってるでしょう。」
「ええ。」
「その温泉を掘る為に、研究、開発、発展してきた技術なのですよ。今は併合されてしまいましたが〈温泉組合〉さまさまです。」
そんな会話にコルネリアが口を挟んできた。
「ここも温泉出るのですか?」
「はは、コル嬢。ここでは温泉は出ません。せいぜい井戸でしょうか。」
「残念です……。」
そこにナターリエがやってきてヘルムートに囁いた。
「ヘル。時間。」
「ああ、そうだな。おーい、皆、今日は終わりだー!」
それぞれの仕事を熟していた調査員たちは「うーす。」と返事を上げて馬車の周りに戻ってきた。
「それじゃ、戻りましょうか。」
その言葉に驚いたモニカがヘルムートに尋ねた。
「え、このままでいいんですか?」
「村長に許可取ってありますからね、手を出す村民はいないでしょう。」
馬車に乗りこんだヘルムート達と、馬で来ていたモニカ達は一緒になって暗くなった道を通って宿に戻っていった。遅くなった夕食を取り、調査員たちと共にベッドで寝た。
【23】
それから5日間はほぼ同じ作業に追われた。
ただし2日目からは、村長経由で村民の雇用を募集した。丁度今は農閑期であったのが幸いしたか結構な人数が揃った。おかげでだいぶ作業が捗った。応急処置だった馬車は御者が村の人間に急ぎの修理依頼をだした。
2日目、3日目ぐらいまではモニカたちが来て機械に対する質問をしていた。その度にヘルムートが対応した。一度、調査員に組み立てさせているのだ。ヘルムートがいなくてもある程度の作業は続けることができる。
4日目、5日目はとうとうモニカたちも来なくなった。飽きたらしい。
6日目。
作業が軌道に乗り、予定通りヘルムートは報告の為に街へと戻る日になった。
「では、ターリと調査員は引き続き続けるようにしてください。お金は十分もたせているはずです。間違いありませんね。」
「うーす。」
「……承知。」
「御者と護衛の方々は僕と一緒に帰ることになります。よろしいですか?」
「はい。」
そしてルチル村を出発した。軽くなった馬車とモニカ達が乗ってきた馬で元来た道を戻ることになる。
【24】
出発して1日目は、馬上のモニカ達はルチル村での話で盛り上がっていた。
「温泉がないのが残念でした……。」
「コルっちの言う通り、やっぱり温泉がないのはなー。フルスベルグが一番だなー。」
「いやいや、エリー。高山だからこそ冬でしか取れないような果物が今頃でも食べられるのがいいと思うの。」
「冬に食べられるはずのオレンジがあったねー。でも街でも冷蔵できるから食べられなくもないでしょー。」
「新鮮なのがいいんじゃない。」
「でもでも、宿の施設が街と遜色ないサービスなのは素晴らしいと思います……。」
「いいんだけどねー。隣国の言葉喋る人が居て少し居づらかったなー。」
「エリーが居づらいとか冗談でしょ?」
「まあ、ここだけの話……殺気というか偵察している様子の外国人が居たよ。」
「それは物騒だね……。境界の村ってのは結構怖いところかもしれない。」
「あ、モニカお姉さま、結局〈冒険者組合〉の出張所どうだったのでしょうか?」
「んー、いくつか受けてみたけどー。冒険者ランクF級の依頼しかなかったなー。」
「まあ、村ですししょうがないかもしれません……。」
「そうそう、結局、矢はしょうがないとして弓も調達できなかったしなー。」
「あの矢は強力だけど、私には怖くてエリーには使って欲しくない。」
「そうだね、落馬した時にヒヤッとした。矢を放つ前に爆発したら死んじゃうし。これからは普通の矢で我慢することにしよう。」
「うん、そうして。私もエリーの矢に何か効果が与えられないか考えてみる。」
【25】
2日目。問題の渓谷に差し掛かる。
「そろそろ渓谷なんだけど……。」
心配になったモニカが馬車内のヘルムートに話しかけた。
「ヘルさん、そろそろ〈鳥妖女〉が出現するかもしれません。気をつけてください。」
そんな警告に、ヘルムートは自信満々の顔で応じた。
「大丈夫です。こんな事もあろうかと、生きた兎を何匹か村で購入しておきました。」
「生きた兎で何をするんです……。」
「来る時に色々あったでしょう。『渓谷の周りには鳥すらいなかった』『馬が死んだら追いかけて来なくなった。』と。つまり生贄を捧げれば無傷で切り抜けられるということです。」
「なんだって……。」
モニカは第3の攻略法に目を見開いた。
「勿論全ての魔物に通用するわけでもないでしょうけど、ここの渓谷を縄張りにしている〈鳥妖女〉にとって食料が足りなくなっているかもしれません。食べ物を置いていけばそっちに気を取られる可能性は高いのだと思います。しばらくすれば食料を求めて他の場所に縄張りを移してこの渓谷は安全になるかもですね。これからルチル村から商人を往復させることを考えたら嬉しい誤算です。」
結論から言うと、ヘルムートの作戦は成功した。
エリーが〈鳥妖女〉の出現を確認して全力で突撃。エリーの壊した弓と矢は村で補充できなかったので攻撃はできない。石を避けるので精一杯だ。
石の雨を掻い潜って渓谷をある程度進んだ所でヘルムートが急いで購入した兎を馬車から全て放流した。そのまま渓谷を下って行くと、間もなく〈鳥妖女〉が襲ってこなくなった。
「計算通り。」
ヘルムートがニヤリと笑った。モニカには真似はできないが、この人はこの人で優秀な人間であることを再確認した。
その後は何事も起こらず、無事にフルスベルグの南門に辿り着くことができた。その場でヘルムートに馬を返却、別れることになった。
「皆さんのおかげで無事に仕事を終えることが出来ました。有難うございます。」
「いえ、こちらこそ。」
「〈巨神の剣〉はおそらく3ヶ月後になると思います。完成した暁には〈冒険者組合〉経由でご連絡します。その時にまた会いましょう。」
モニカはヘルムートの差し出した手を固く握り、握手した。
「お願いします。」
【26】
ヘルムートの護衛の〈依頼〉から一週間後。
エリーは〈三日月の魔法光〉に足を運んでいた。イル先生の店だ。エリーはイル先生から〈指名依頼〉の単体指定を受けて店に呼ばれていた。しかし、その〈依頼〉は余りにも簡単すぎた。つまり、これは依頼ではない。呼び出しだ。
「イル先生。わざわざ〈依頼〉に偽装して呼び出すなんてどうしたんですー?」
いつものように窓の傍に佇むイル先生。その顔にはいつもの微笑みを浮かべていた。
「あら、ごめんなさい。どうしてもモニカちゃんとコルちゃんには秘密にしておきたくて。」
「イル先生からそう言われると何だか怖いですねー。」
エリーは警戒する。思わず後ろの扉に目を向けてしまう。
「エリーちゃん、初めて会った時のこと覚えてる?」
「何でしたっけ。」
当時のことを正確に覚えているが、エリーはとぼけたふりをする。
「エリーちゃんの腕輪を鑑定するという話でしたよ。」
「そんなこともありましたねー。……で、何故、今なんです。」
その質問には正面から答えずにイル先生は言葉を続ける。
「モニカちゃんがエリーちゃんの腕輪について何も言わないのは今の生活が壊れるのを恐れているからでしょう。コルちゃんに至ってはどんなものかすらわかってない。」
「……。」
一見全く関係ない話にエリーは沈黙した。
「でもね、今の生活が壊れる時がきっと来る。早くて来年。遅くて3年後。だから今なの。」
「……。」
長い沈黙の後、エリーは応えた。
「……いつから?」
「最初から。」
イル先生……いや、イルムヒルデ=デマンティウスは先ほどとは打って変わって冷たい声で淡々と続ける。〈冒険者ランクB〉の鋭い視線がエリーに突き刺さる。
「エリーちゃん、私は貴女の味方よ?」
「……。」
イルムヒルデの言葉は素直に信じるわけにはいかなかった。何故なら、会ってからずっと何かを隠していたのだから。
「エリーちゃん、これを見てくれる?」
そう言って取り出したのは、子供と同じぐらいの大きさの木でできた人形。若干不気味ではあるが、何の変哲のないモノに見える。落ち着いた様子で鑑定用の手袋を取り外した。いつもイルムヒルデはあの手袋をつけていた。〈魔法具〉に不用意に触れると作動してしまう可能性があるからだ。
「……これは何です?」
「Doppelgänger。エリーちゃんならご存知だと思うけど。」
イルムヒルデは正確に古い言葉で発音した。
今風の発音で言うならば、ドッペルゲンガー。魔力を流し込むことで自分と同じ存在を擬似的に創りだす。欠点は魔力を定期的に流し込み続けないと存在を維持できないということだ。不老不死とは程遠い。
「それが何か?」
「この〈魔法具〉はね、エリーちゃんの腕輪の魔法回路と作り方がそっくりなの。多分、同じ作者。エリーちゃん、貴女がつくったんでしょ?」
エリーは鼻で笑った。
「イル先生、冗談がきついですよ。あたしどころかあたしより詳しいモニカっちだって〈魔法具〉作れませんよ。」
手袋をはずした手でそっと木彫りの人形に手を触れる。その手に反応してたちまち小さなイルムヒルデに変身する。
「エリーちゃん。貴女、冒険者ランクEの昇級試験で魔法の知識を披露したでしょう。」
「そんなこともありましたっけ?」
イルムヒルデのドッペルゲンガーが自我を得て「あれ、私がもう一人いる」とわめきだした。
「ありましたのよ。私は試験報告書を読める立場でもあるのよ。えぇと、ハインツくんだっけ。彼は素晴らしいわね。」
ドッペルゲンガーがエリーを見て「あら、えりーちゃんじゃないの、おほほほ。」と不気味な微笑みで笑っていた。
「それだけじゃない。三週間ほど前、私の孫にも、魔法の助言をしたでしょう。」
エリーは沈黙した。正直、あれはやりすぎたと今では反省している。
「もう一度言うわ。エリーちゃん。私はあなたの味方よ?」
翻ったドッペルゲンガーが今度は本体の方に「私の偽物め、殺してやる!」と急に怒りに戦慄かせて、本体に襲いかかろうとした。
その瞬間に何も無いところから火が出現。それが渦巻きのように回転しながら、赤い炎が黄色い炎に、やがて白い炎になって、最後に青白い炎となってドッペルゲンガーに着火、炭化してドッペルゲンガーは消えさった。
そんなドッペルゲンガーの最後を見ながら、カラカラに乾いた口で応えた。
「……どっちのですか?」
「どっちもよ。」
イルムヒルデは即答した。
エリーはそのイルムヒルデの言葉の意味を考えた。背中に緊張の汗が流れるのを感じる。大きな溜め息と共に結論に至った。
「わかりました。イル先生に助けを乞いましょう。」
イルムヒルデはホッとしたようだった。
「良かった。エリーちゃんならそう言ってくれると思ったわ。」
「イル先生はモニカっちによくしてくれてますからね。信頼しましょう。」
「では、私がどう思ったのかエリーちゃんにお答えしましょう。」
「お願いします、イル先生。」
エリーは諦めたような顔で教えを乞うた。
「一番初めに疑問に思ったのは、その腕輪そのもの。あそこまで複雑な魔法回路を作れるのはそうはいないの。」
「『あたし以外にも作れるヤツはいるんじゃないの?』」
エリーは妙なデジャヴュを覚えた。前にいつかどこかで重要な場面でこの問答をしたような……。
「『そうかもしれないわね。でも貴女の作ったものだったの。』」
イルムヒルデの応答にも違和感がある。
「……意味がわかりませんが。」
「長らく鑑定業やっているとね、誰が何を作ったか大体のモノはわかるの。魔法回路を作るに当たっての癖でね。特に高等な〈魔法具〉であればあるほど癖はよく出てくるのよ。貴女の腕輪の作者は凡そ300年前に出現し、130年前で消えている。」
「〈魔法具〉が作られた年代までわかるんですか。」
「ええ。それもね、今でこそ邪法と忌み嫌われているような〈魔法具〉ばかりだったの。さっきのドッペルゲンガーのような。」
「……。」
「さっきのドッペルゲンガーに『自分の正確や知識を魔法具に移す』回路があったの。どこかで見たなーと思ったら、貴女の腕輪の回路に癖も含めて瓜二つだったの。」
エリーは何も言わない。その様子に満足したのかイルムヒルデは話を続ける。
「魔法具の知識を装備者に移す。装備者の知識を魔法具に移す。その魔法具の作者は天才的な付与魔術師。最低でも160年、成人することまでを考えれば180年は生きていた。では、ここで問題。その魔法具の正体は何でしょう?」
イルムヒルデは指を立てておちゃらけた様子でエリーに問いかけてきた。
「この問題はエリーちゃんの方でもこの答えは出せるかしら?」
エリーは乾ききった唇をパリパリと音を立てさせながらも答えることができた。
「装備者に魔術師そのものを憑依させるための〈魔法具〉……。」
イルムヒルデは満足そうにエリーに向かって微笑んだ。
「正解。恐らく不老不死を望んだのでしょうね……。でも失敗した。」
「で、でも、これを身につけていても、あたしはあたしだっていう自覚があります!」
「ホントウニ……?」
イルムヒルデのその声は聞こえたがエリーには初めは意味が理解できなかった。しばらくしてようやく理解した。
「本当です。あたしはエリーです!エリノール=アーレルスマイヤです!」
エリーは自我の喪失の危険を感じた。自分が誰だかわからなくなってきた。
「エリーちゃん、もう一度言うわ。私は貴女たちの味方よ? その上で言います。それ以上の自問自答は止めなさい。」
「はい……。」
エリーは震えていた。自分の身に何かとんでもないことが起きているんじゃないかと。しかし腕輪を外す気になれなかった。腕輪を外そうとすると大きな喪失感を感じてしまうのだ。まるで自分の半分がいなくなってしまうかのような……。
「実は貴女の中の魔術師さんの名前はいくら歴史の文献を漁っても出て来なかったの。天才的な〈魔法具〉を作っておきながら。だから、貴女の中の魔術師さんの自我が目覚めることは恐らく永久的に来ない。」
「それはどういう意味でしょうか。」
「最初に言ったわよね。〈身分証明の金属板〉は特定の鍵やキーワードが無いと、情報が引き出せないって。」
「ええ。」
「ほぼ間違いなく、魔術師の自我を呼び出すキーワードはその魔術師の名前でしょうね。」
「素直に考えればそうなりますね……。」
「ここでエリーちゃんに残念なお話をしなければならないの。」
「な、何でしょう……。」
「ここでエリーちゃんが死んだとする。その腕輪は次の持ち主に渡る。さてその次の持ち主の自我はどうなるのでしょう?」
「ま……さ……か……。」
「正解はエリーちゃんの自我とぶつかるの。何故なら、既にエリーちゃんの本名がその腕輪に入ってるから。その後のことはどうなるかわからないけど、勝てばその人の体はエリーちゃんのもの。負ければその人が死ぬまで貴女はその人の人生を見続けるの。喜怒哀楽を共有しながら。」
「……。」
「つまり、もうエリーちゃんは死ねないの。腕輪を壊さない限り。」
「……いやああああああああああああああああああああああ!」
エリーは絶叫した。地面に蹲って嗚咽の声を上げている。
「いや……いや……皆と一緒に居たい……モニカっちと……コルっちと……。腕輪……壊せば……でも……やだ……それもいやだ……。」
イルムヒルデはその錯乱している様子を黙って見ていた。残酷なようだがエリーには乗り越えてもらわなければ話が進まない。
「う……う……おぇえええ……。」
エリーの顔は吐いた胃液と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。やがて嗚咽の声が小さくなった頃にイルムヒルデは話した。
「エリーちゃん……落ち着いた……?」
「いえ……でも、はい……。」
「エリーちゃんが辛いのはよくわかる。でもねあることができれば、エリーちゃんが無事に一生を全うできる可能性があるの。」
「うっ……うっ……それは……?」
「その魔術師の願いを叶えること。つまり、その魔術師の一生を終えてあげること。」
「名もなき魔術師の一生を終える……。」
「そう、その為にまず私の話を聞きなさい。エリーちゃん。」
「は……はい。」
「話を元に戻すわね。次にエリーちゃんの中の人について疑った理由はダンジョンだったの。」
「えーと……会ってすぐに見に行ったダンジョンですか?」
「行ったはずだけどなかった。そうだったわよね?」
「そうですけど……。」
「ダンジョンの作り方についてご存知?」
「いえ……いや、知ってます。〈地の精霊〉に大地を掘ってもらう方法。あ、後もう一つ。〈時空の精霊〉にもう一つの空間を作って貰う方法です。」
イルムヒルデは溜め息をついた。
「じゃあ、あの時微かに感じた魔力の色は時空の精霊だったのね……。」
「あの時というと、ダンジョン見に行った時ですか?」
「そう。でも、よく〈時空の精霊〉なんて存在を知っててさらに契約できたよね……。中の人。今でも本当に存在するのかすら懐疑的なのに……。」
「いえ、当時あたしのせいで、いくつかの魔法が存在を抹消され……ああああああ……あああ……。」
突然、エリーが呻き出した。
「エリー、考えるのを止めなさい。」
「あああ………」
イルムヒルデはエリーが落ち着くのを待った。やがてエリーは落ち着きを取り戻した。
「イル先生、すいません。」
「いいえ、今の会話で大きな一歩を得ることができたわ。エリーちゃんに負担をかけただけの一歩が。そして名前が歴史が消去された理由も検討がついたわ。」
「というと……?」
「恐らく、優秀すぎたんでしょうね……。いくつかの魔法が周りに災厄をもたらした。その為、悪の魔術師として、使った魔法ごと歴史から抹消されたんだと思うの。」
「……。」
「兎に角、エリーちゃんが無事に一生を終えるために、その魔術師の足跡を辿らなければならないの。」
「はい……。」
「それだけわかってくれれば、今日のところは帰っていいわ。このことはモニカちゃんにもコルちゃんにも話さないからね。」
「わかりました。」
「じゃあ、元気でね。」
「はい。」
そう言ってエリーは〈三日月の魔法光〉を後にした。
その後残されたイルムヒルデは既に暗くなって月光を浴びながらポツリと呟いた。
「私の命も後、どのくらい残されているのかしら……。」
宿に戻ったエリーはその夜、悲しい夢を見た。誰かに裏切られる悲しい夢。