【14】20歳モニカ、騎乗訓練を受ける☆
【1】
モニカ達は揃って冒険者組合の昇級試験に合格。とうとうランクEに昇級した。
階級が上がったことで依頼の種類は確かに大幅に解禁されたのである……。
「じゃあ、早速ランクEの依頼、見てみようー!」
と喜ぶエリーに促されたモニカ。同じく喜びを抑えきれず、はやる手でランクEの依頼リストを覗き込んでみた。
すると。
「……〈要求技能〉って何さッ!」
三人が頭を寄せて見たリストには、どの依頼にも軒並み、要求技能の欄があった。つまり、特定の技能を習得していないと新しい依頼を受けさせてもらえない、ということだった。
モニカは喜びの反動もあって、ガックリと肩を落とし、落胆してしまった。
「折角、新しい依頼に挑戦できると思ったのに……。」
ランクEの依頼は報酬も増える分、難易度も、条件も、色々追加される。ゆえに現時点でモニカ達が受けられる依頼はほぼなかった。
仕方ないのでモニカ達は、取り敢えず〈ランクF〉の仕事を熟しながら、まずは〈技能〉を磨く、という方針で行くことになった。
そこで、いつも受付にいる『組合のおっちゃん』に詳細について聞いてみる。
「おっちゃん、何かお勧めの〈技能〉ないー?」
「そうだなあ……。初めてなら〈騎乗〉がお勧めだな。」
モニカの相談を受けて、『おっちゃん』は無精髭を抜きながらボヤいた。やる気がないわけでなく、元々こういう態度の人である。それでも相談には真摯に受け答えしてくれるのだ。もうすぐ40歳で、実力もそれなりにある、らしい。
「馬……ですか?」
モニカは目を丸くして思わず問い返した。〈騎乗〉と言うと、馬、驢馬、駱駝などがあるが、この周辺では馬が主流である。特に冒険者の間では。
「そうだ。冒険者は街の外に出る以上、機動力はどの依頼でも重要になる。例え、要求されてない依頼でも期間の短縮に繋がって余裕ができるぞ。」
「ですが、馬の世話には、とても時間が……。」
モニカは、馬を何度か見たり触れたことはある。まだ村に居た頃、旅人や商人の馬を村民が世話をしているのを見たのだ。村は通行の要衝でもなかったので滅多に見られるものでもなかったが。
それでも馬の世話は面倒そうだったのは印象に残っていた。
『おっちゃん』はニヤリとした。
「馬の世話をしてくれる商会があるんだ。お金は嵩むけどな。」
なるほど、この街は何でもあるらしい。
確かに面倒な部分は人に任せれば、馬を利用しながらも冒険者生活に専念できるのだろう。
モニカは、お金の計算をした。
世話をしてくれるということは維持費がかかるということ。しかし、馬がなければ儲けの大きい新しい依頼を受けられない。これも必要経費として考える他ないのか。
モニカは結論づけた。
「分かりました。では、〈騎乗〉技能を身につけたいのですが、どうすれば良いのでしょう。」
予想通りの返答だったのか、『おっちゃん』の顔は満足気だ。
「騎乗技能を教えてくれる商会がある。冒険者組合と契約してる商会が二つあるから、好きな方を選びな。」
そう言って彼はこちらに二枚の紙を手渡してきた。それぞれの紙には、それぞれの商会について良いところが煽り文句で書きたてられている。
モニカは何だか前にもこんなことあったような気がした。そう、確かあの時は、エリーが「テキトーでいいよー。」と言っていた。
そうだ、思い出した。装飾品を売る店を選ぶ時の事だ。モニカがすごい悩んでいたのとは対照的にエリーはヘラヘラしていた。モニカはその時のエリーの様子を思い出してクスリと微苦笑してしまった。
そして、二枚の紙をよく読んだ上で……テキトーに選んだ。
【2】
エリーとコルを連れたモニカは、指定の時間に、紹介された商会に向かうことになった。驚いたことに、街の外にあった。
ただっ広い牧場の中にポツネンと立つ建物の前に、商人は居た。
「モニカ=アーレルスマイヤさんですね。念の為ですが、自己紹介と身分証明をお願いします。」
三人は自己紹介と同時に〈身分証明の金属板〉を提示した。
この商会は多数の馬を所有、飼育、繁殖、売買、貸出することで生計を立てているという。
当たり前の話だが、乗る人がいなければ馬が売れないので、騎乗訓練の講習も行っているということだ。訓練で使用した馬は、本人が希望すれば、そのまま購入できるとのこと。
今回の講習では、馬の購入代金も含めて一人当たり金貨4枚、3人分で先払いの合計12枚という途方もない出費となった。
意外にもコルの財産が多く、金貨6枚はコルの財布から賄うわれた。
治癒師見習いの給料も良く、住処もレベッカさんの家に住み込んでいたので、使う場面がなかったからのようだ。
「コルちゃん、ゴメンね……。」
「いえ、私の財産は、お姉様の財産です。気にせず使ってください。」
「うっ、心が痛む……。」
モニカとエリーの財産から捻出できたのは二人合わせて金貨3枚。宿泊金を始め、食費、装備などの出費で大きかったと考えられる。
「結構、道具を乱暴に使ってたしなあ。しょうがないよね?」
「すっとぼけてるところ悪いけど、エリーの酒代の出費、相当だったわよ?」
「にししししし、何のことかなあ?」
「誤魔化すなッ!」
それでも足りなかった分は例の財宝に手を付けることになった。
初めは、普通の冒険者と同じように借金で工面しようとした。ところが今回はエリーが財宝を売る事で対処することを主張。
「あのダンジョンは、もう行くことが出来ないのだからもっと奥の手にしようよ。」
「奥の手は今使うべきだよ。これ以上のタイミングはないよー!」
「奥の手って何でしょうか……。」
結局、大きな〈王冠〉を一つ売り払って、残りの資金に充てることになった。ちなみにコルはその時、目にした財宝に目を回していた。
そのようにして苦労して集めた金貨12枚は、接客室の三人の目の前で、モニカの手から商人の手に渡った。同時に、モニカの金属板に領収証明の印を刻んでもらった。
「はい、お金は確かに頂きました。それでは、私たちが責任持って、皆様に騎乗技能を授けます。」
商人は、受け取ったお金を慎重に数え終わると、秘書に金庫にしまうように指示した。秘書が部屋を出るまで、全員の視線がが秘書の持つ金貨に釘付けだった。
「技能認定と言っても、特に試験はありません。次に説明する4つの項目がでければ、〈身分証明の金属板〉に認定印を載せましょう。」
1.馬の世話ができること。
2.馬関連の道具が扱えること。
3.馬に乗り降りできること。
4.馬に乗って走れること。
「なんだか、結構適当ですね。」
モニカは、不安げな声をあげた。
「戦闘技能はともかく、馬の操縦は直ぐに実践で慣れてしまいますし。依頼主も馬の操縦の上手さを重要視する人はあまり居ません。大抵の人は集中講習20日間もあれば、認定印はもらえています。一応、ここは〈乗馬組合〉所属ですので、認定印は王立の冒険者組合でも通用します。」
「……そ、そうですか。」
『一応』ってなんだ。モニカは急に心配になってきた。しかし〈冒険者組合〉の紹介である以上は問題ないはず……。
そんなモニカの不安を感じ取ったのか、商人は滑らかな言葉で会話を続ける。身振り手振りが激しい。商人とはこういうものかもしれないけど。
「というのも、乗馬組合は規模は大きくないからです。あくまで冒険者に対する技能認定の為の組合なのでほとんど形だけの幽霊組合なんです。」
形だけの組合というのも珍しい。モニカは素直に驚いた。
「ということで、冒険者の為の、というより冒険者組合の傘下の組合みたいなものですね。内部の人間もほぼ、冒険者と馬を扱う商人だけで構成されています。」
冒険者と商人しかいない組合という点に疑問を覚えた。なので質問してみる。
「私たちの村にも、馬を世話する人は居ましたけど……。」
「その人たちは組合と一切、関係ありませんね。馬の世話は既に殆どの村や街で独自にやってますし。形だけの組合である理由のもう一つがそれです。」
「ははあ。」
モニカは頷く。
「結局、馬好きの冒険者たちがやってるような団体なので、組合員になってくれる人は少なくて……。さらに商人の中でも、馬関係は人気はなく、仲間が少ないのです。馬は生き物ですから、扱いが難しくて意外に地味で臭く、皆さん敬遠して参入してきてくれません。馬はとても可愛いのに……。全く、利用者は多いのに、皆さんは馬の扱いがひどく困ります。例えば、この前なんか……」
そろそろ、お前の話なげーよ、事情なんか知らねーよ、愚痴は興味ねーよと言いたくなったがモニカはぐっと我慢した。
ふと横を見ると、エリーが目を開けたまま寝ていた。というのも寝息が聴こえてくるから。き、器用な……。
コルの方はというと、起きてはいるようだが、目が何も見てなかった。試しに顔の前で手を振ってみたのだが、無反応だった。
モニカは頑張って心の耳を塞いだ。どうやらこの商人は、話し出すと止まらない人のようだ。半刻ほど我慢した。
「そういうことで、厩舎を案内しましょう。」
やっと話が終わったか……。
全員が席を立って、ようやく厩舎へと足を運んだ。厩舎では、飼育員たちが忙しく動き回っていた。
「気に入った馬を選んでください。相性がありますからね。」
商人はそう言われたモニカは厩舎の馬をじっくりと見て回った。
耳の大きい馬、毛並みがいい馬、食いしん坊な馬、スラリとした馬。栗毛の馬、黒毛の馬……様々な馬がいる。
どれにしようかとあれこれ悩んでいると、後ろからエリーとコルの声が聞こえてきた。
「この馬、可愛いですー。」
「あたしはこっちの元気な子がいいなあー。」
「わかりました。ではこの馬たちを外へ出しますので少々お待ちを。」
あいつら、選ぶのはやいなッ!
慌てたモニカは結局、目がツブラで賢そうな顔つきをした馬を選んだ。
それぞれが気に入った馬を選び出すと、飼育員は選んだ馬に用具をつけて外へ連れ出してくれた。
説明は飼育員がしてくれるようだ。先程の商人は後ろに下がり、じっと見守っていた。
「ではまず、馬への近づき方から。馬は臆病な生き物です。これから近づくよと宣言してから近づかなければなりません。」
そこで飼育員は一息ついた。一旦、馬から離れる。
「顔の正面からローローローと呼びかけながらゆっくり近づきます。背後からというのはもっての他です。下手すると蹴り殺されます。ローローローローロー……。」
そう言いながら馬にゆっくり近づいて実演してくれた。
それを見た三人は、真似をして「ローロー」と言いながら、ゆっくりと各々の馬に近づいていく。声色はともかく顔は真剣そのものだ。
無事に全員馬にたどり着くことが出来た。
「皆さん、なかなか相性の良い馬を選びましたね。始めての人でここまで警戒心抱かないのはなかなかありません。」
飼育員が褒めてくれた。悪い気はしないが、そこで素直に感情に出るような子供でもなかった。
と思ったら、コルは顔をパッと明るくさせて「えへへ」と言ってた。すいません、一人子供が居ました。
「では次です。馬の乗り方ですが、左手で手綱と鬣を、右手で鞍を掴んでください。……はい、そうです。そしてそのまま腕の力で飛び上がってください。馬に乗れたら、そのまま静かに跨っていてください。」
掴んでみた。馬の鬣はゴワゴワしてしっかりしていた。軽く引っ張ってみる。びくともしない。
飛び上がってみる。む、これは腕の力を相当使う……。それでもモニカは鞍の上に跨ることができた。
この動作にはコルが苦しんだ。腕の力と身長が足りないのだ。馬の横でぴょんぴょん飛び跳ねていた。結局、一番早くできたエリーがコルを抱き上げて乗せた。
「エリーお姉様ァ……。すいません……。」
コルは自分でできかったばかりか、エリーの手を煩わせたことを気にして、馬上でシュンとしていた。
すると、その横からエリーが物凄い勢いで励まし始めた。
「コルっち!」
「はい!」
コルが飛び上がった。
「はいのケツにお姉様とつけろッ!」
「はい! お姉様!」
「コルっち!悔しいかッ!」
「はい! お姉様!」
「よろしい、ならば修行だ!」
「はい! お姉様!」
「帰ったら、腕立て伏せ1000回だッ!」
「はい! お姉様!」
「その粋たるや、良しッ!」
「はい! お姉様!
「その言葉、忘れるなよッ!」
「はい!お姉様!」
小気味よい受け答えが続く。モニカはその様子を胡乱げなジト目で見守ることしかできなかった。
……どこで付き合う相手を間違えたんだろうか。
……最初から?……はあ、そうですか。
そんなモニカの疑問に、脳内のモニカ2号が他人事のようにツッコミをいれていた。
「コホン、次に腰でしっかり鞍に座ってください。鐙は体重かけるのでなくバランス取るのに使います。」
飼育員は軽く咳払いをして、モニカを生温かい目で見ながら説明を続けた。
やめて、その生温かい目マジやめて。
モニカは「自分だけは正常です」と声をあげて叫びたくなったが、やはりぐっと我慢した。
「鐙は微調整して、自分の足にあった高さに変えてください。今日は私たちがやりましょう。鐙を踏む位置は一番足幅が広いところです。」
飼育員たちがモニカたちの鐙を調節してくれた。そのまま馬の上でバランスを取ろうとしまが、意外に難しかった。
例えば、モニカが右にずれたとすると、馬が左にバランスを取る。それを鐙で調整する。普段は体全体でバランスを取るのだが今は足でバランスを取らなければならない。ぐらぐらする。
そんな作業にモニカが苦戦した。
一番早くできたのはエリー。コルの側に馬を寄せて、手助けをしている。
てかエリー、既に馬を歩かせてすらいるんですが……。訓練いらないんじゃ……?
「では、手綱を両手でしっかり持って、ハミに一定の力がかかるようにお腹の前で両手を固定してください。」
言われた通りにする。ここまでくれば『騎乗できた』ということなんだろう。エリーとコルも様になっていた。多分、モニカも格好はついてるのだろう。少し嬉しくなって、思わずモニカは口元が緩んでしまった。
「はい、それが〈騎座〉の基本形です。次は降りる練習をしましょう。」
モニカは、はたと気がついてしまった。登るのは構わないが、降りるのが怖い。視線の高さが、身長の二倍になっているからだ。思わず下を見るのを拒否してしまう。
「まずは、『今から降りますよ』という合図をします。首筋を優しく愛撫してください。」
そんなモニカの様子に気がせずに飼育員が説明を続けた。おずおずと馬の首筋を撫でてみる。ブルブブルと馬が鳴いた。気持ち良さそうだ。
「まず、左手で手綱を手繰って、鬣を同時に掴み、左手は鞍を掴んでください。右足をまたぎ返し、両手で全体重を支えた後、飛び降ります。最後に手綱を馬の首を跨いで前に持ってきてあげてください。はい、以上で終了です。」
長い。それに口で言われてもわからん。降りるの怖いし。
と思っていたらエリーが何事もなかったかのように馬から降りていた。そのまま、コルの相手をする。
なんてこったいッ。今の説明でわかったのかよッ。これは助けを求めなければッ!
「ちょっとエリー。速いよー。教えなさいよー。」
そんなモニカの救助要請に、エリーは軽く笑った。モニカが動きが取れずに助けを求めるなど、珍しかったのだろう。
「モニカっち、悪いけど、コルっちが先ね。」
「モニカお姉様、すいません……。」
コルの申し訳ない顔を見たら、反論するわけにも行かず、ただじっと高所からの視点に、カチコチと固まったまま耐えるしかなかった。
コルを降ろしたエリーがモニカに近づいてきた。エリーがモニカの足を掴んで、誘導する。
やっと降りることができたと胸を撫で下ろしたモニカ。精神的に相当疲れたなあ、と思っていると。
「これを何度も繰り返してください。」
心が折れた。
この日は結局、馬の乗り降りの訓練だけで終わってしまった。日が暮れて訓練が終わる頃には、モニカは手がプルプル震えてしまっていた。
宿に帰ったら、もはやスプーンを持ち上げることさえできなくなっていた。
エリーとコルは、部屋の中で本当に腕立て伏せをしていた。流石に1000回ではなかったようだが。
あいつら、無駄に元気だな……。
【3】
次の日から激しい訓練が始まった。
早朝。
モニカ達は既に厩舎の中にいた。飼育員の指導の元、馬たちに餌を与えていた。
「馬は基本的に草を食べますが圧倒的に量が足りません。主食は藁や干し草になります。路上では草を食べさせればいいですが、できるなら藁や干し草を馬車に積んで行ってあげてください。」
実際にモニカ達が、手のひらに藁を持って馬たちの口元に運んでみる。馬たちは一心不乱にモッシャモッシャと食べる。
モニカは食事中の馬のつぶらな瞳を見ていると、段々と愛着が湧いてきた。
夜。
「馬は路上では、立ったまま寝ます。しかし、村や町につけば、藁のベッドで寝かしてあげてください。藁は毎晩馬のおしっこで濡れてしまいますので、朝になったら干してください。そこから食事用の餌を取り出して、そして干し草と、足りない分の新しい藁を補充します。もっとも、これは村での作業になりますが。世話のできる人がいなければ自分たちでやる必要があります。」
言葉だけではわからないので、実際に飼育員の指示のもとに藁の取り替えをして、馬の寝床を確保してあげた。
「気持ちよさそう。」
コルがうっとりしながら呟いた。
「お金のない冒険者が、たまに馬小屋で寝てますよ?」
「ええッ?」
飼育員の発言に全員が驚きの声を上げた。
昼。
「馬は綺麗好きですので、ブラシで洗ってあげてください。その後で、藁で拭きながらマッサージしてあげてください。特に馬の蹄の部分は丁寧に洗ってあげてください。」
ゴシゴシと馬の体をこすった。
モニカはふとコルの方を見る。コルの顔に濡れた藁がピタっと張り付いていた。
「コルちゃん、顔に藁がついてる。」
モニカが指摘すると、コルは慌てたように顔を服の袖でゴシゴシとこする。
「お姉様、取れましたか?」
張り付いていた藁が2つに増え、さらに泥で余計に汚れていた。
「おおおッ、コルちゃん、私が拭いてあげる。」
モニカの慌てる様子とコルの汚れた顔を交互に見比べていたエリーが、ゲラゲラと腹を抱えて笑い始めた。それにモニカが怒る。
「エリーッ!てんめえッ!」
手に持っていた水の入った木桶をエリーに投げつけた。それを躱すエリー。辺りが水浸しになった。
「お姉様……。」
撒き散らされた水に巻き込まれて、コルがビショビショに濡れていた。
「ああッ、コルちゃん!」
慌てて駆け寄るモニカ。
「モニカっちッ、代わりの服持ってくるよッ!」
顔の色を変えたエリーは、急いで荷物を取りにいった。
早朝。
「餌が用意できなければ、草刈りをして干し、干し草を作り、餌を作る必要があります。今回はここに干した草がありますので、藁とかき混ぜる作業をしてください。」
これはひたすら重労働だった。鋤のようなもので藁と干し草をかき混ぜるのだが、下手な農作業よりきつかった。
農作業の経験がないコルが途中で倒れた。エリーが今、看病し行っている。
「気になりますか?」
ソワソワしている様子のモニカに飼育員が話しかけてきた。
「いえ……。」
実際気になる。
「この作業はこの辺でいいと思います。昼から騎乗訓練もありますから、朝は休んでください。後は私がやりますので。」
「あ、ありがとうございます。」
20日かけて、朝から晩までこの調子の重労働が続いた。
朝は馬の餌。昼は馬の操縦。夜は馬の寝床の世話をする。
馬、馬、馬、と、一日中馬づくしの生活に、日付けの最後の方になると、モニカの意識もだいぶ虚ろになっていた。
あれ……これ、私たちがお金払ってるんだっけ……。
なんでお金払ってるんだろう……。
そしてとうとう、最終日を迎えた。
「失礼な話で申し訳ありませんが、女性である皆さんがここまでやるとは思いませんでした。」
認定印を刻みにきた商人が言った。失礼な話だが、顔に尊敬の眼差しが見えるのでそこまで不愉快な感じではない。
「では、認定印を出しましょう。皆さん〈身分証明の金属板〉を出してください。」
三人の金属板を受け取った商人は魔力を注ぎ込んだ。金属板は淡い光を放つ。
「はい、結構です。」
これで、馬が必要な依頼を遂行することができる!
「ところで、皆さんの乗っていた馬に名前をつけますか?」
「というと?」
モニカは首を傾げた。
「私どもも、馬に名前をつけていますが、皆さんが新しく名前をつければ、愛着が湧くし、自分の所有物という実感がわくと思います。」
「前の名前じゃ駄目なんですか?」
「できればやめて欲しいですね。これから私どもは皆さんの馬を預かるという形になりますが、私どもにとって自分たちの所有物でないという証にもなりますので。」
そう言われて、モニカは、腕を組んで指を口に咥えて悩んだ。そうすぐに決められるものでもない。保留することにしておく。
そう考えていたら、コルが横から口を出してきた。
「あ、あの……。たまに来て馬の世話をしていいですか?」
「勿論ですとも。」
満面の笑みで商人は即答した。この人は本当に馬が好きなのだろう。一度、馬に向かって長々と語っている様子を見たことがある。馬も迷惑してたかもしれないが、あの目は真剣だった。
そんな彼は、仲間が増えるのは嬉しいらしい。
「それなら、コルネリア嬢にも乗馬組合に入ってもらいたいのですが……。」
商人はチラリとモニカの方を見た。
「組合の兼業はできるんですか?」
その視線を受けてモニカは質問してみた。
「それは大丈夫です。幽霊組合ですし形だけですので。緊急招集といったものはありません。」
「それなら大丈夫だと思います。」
コルには治癒師になるという夢がある。馬に興味持ったのはいいが、夢に差し支えると困る。
「それなら、私たちが〈定期依頼〉でコルネリア嬢を雇いましょう。人手はいくらでも欲しいですし、何より同好の志ですからね。」
不穏な発言が聞こえた気もしたが、モニカに口を挟めなかった。
「わかりました。私、お手伝いしにきます!」
張り切ってコルが答えた。
「喜んで!」
【4】
朝から晩まで続いた〈騎乗〉訓練がようやく終了した。ついに馬に騎乗できるようになったのだ。
朝起きたモニカは身支度をしながら、コルに起こすついでに挨拶をしてみた。エリーは起きるのが遅いので、既に諦めてる。
「コルちゃん、おはよ。」
「……」
「コルちゃん?」
いつものように起き上がってこない。それでも、しばらくしてからノソノソと起き上がってきたコルの声が変だった。
「おばようござびばす。」
コルは、騎乗訓練の無理がたたったのか、熱が出て倒れてしまった。慌てて、コルには聞こえないように廊下でエリーと相談する。
「あー、やり過ぎたか。」
「エリーの特訓が悪かったんじゃないの?」
「どうだろう。だからと言ってやらないわけにもいかなかったし。」
「コルちゃんは目上の人からは逆らえない性格なの、自重しないとッ。」
「だから悪かったって言ってるだろー。……とにかく、しばらく依頼は中止だなー。」
「……ええ、そうね。でも、一人にするのも心配よ?」
「交代で看病すればいいんじゃないかな。」
話し合いの結果、エリーとモニカが依頼の合間に日替わりでコルの看病をすることになった。さらに〈冒険者組合〉に足を延ばして連絡。コルの依頼を中止して先方に連絡してくれることになった。
「コルちゃん。」
「わだじなんかのだめに……ずびばぜん。」
「いいのよ、謝らなくても。コルちゃんのためだもの。」
「はい、ずびばぜん。」
モニカは苦笑してしまった。鼻水で口周りがべちゃべちゃになっているコルを見て、ちり紙を渡してやる。
「あ、ずびばぜん。」
コルはちり紙をチーンと音を立てて鼻をかんだ。
モニカの村では病気になった時は、〈生命の精霊〉が顔から肌から、排泄物から悪いものや毒を出してくれている、という話があり、毒は出来るだけ速やかに取り去って燃やすのがよいと言い伝えられている。そして、それは概ね正しい。したがって、モニカは鼻水に包まれたちり紙を直ぐに火をつけて燃やした。
「馬の世話の話、休むって連絡しておいたよ。」
「すいません……。」
コルの謝り癖を何度も訂正するのも悪いだろうと思い、モニカは別の話に切り替えた。
「こういうのもなんだけど、〈生命の精霊〉でどうにかならないの?」
「あ、はい、それは先程、精霊に伺って見ました。どうやら今の私の場合は、精霊に渡す魔力が異常に減ってしまって、普通に維持するのも大変な状態らしいのです。それで精霊にどう頼んだところで精霊自体も疲弊しているというこたなので無理なんです。前回のダンジョンのような急速に減った場合は急速に回復しますが、今回のような長期間の疲弊によるモノはやはり長時間の休息でないと無理なようなんです。」
「それなら、前回の〈魔力回復薬〉は……。」
「それなりに、というか、今回の方が有効だと思います。」
その言葉を聞いて、自分の〈腰嚢〉から、自作の薬が入った試験管の形をした小瓶を取り出した。
モニカは〈魔力回復薬〉と〈体力回復薬〉、それと〈睡眠薬〉取り出して急いでコルに飲ませた。
「ありがとうござびます。」
モニカはさらにコルを元気付けようと言葉を続けた。
「ねえコルちゃん、治ったら、三人で馬で遠出しようよ。ね?」
「はい……。嬉しいで…す。お姉様。楽しみにして……ま……」
コルは目を閉じて、寝息を立て始めた。
結局、コルが回復するまで5日間かかった。
【5】
コルの体力が復活してからさらに3日後。季節は冬の厳しい空気からようやく春の息吹が感じられる頃になった。
冬服を止め、軽い服装になったモニカは珍しくエリーとコルを連れて〈冒険者組合〉に足を運んでいた。
「三人枠で、比較的安全、馬が必要な依頼ねえ……。今は無いなあ。」
『組合のおっちゃん』が無精髭を撫でながらぼやいた。この人はそんなに髭が好きなのか。モニカはひげをぶちぶち引き抜きたい気分になった。
馬を使った斥候や運搬、郵便だと二人枠が多い。一人だと問題に巻き込まれると詰みになるので二人だ。かといって余計に給料は払いたくないので三人という枠は少ない。
「なら、あたしが抜けるよー。」
「エリー……。」
「お金が溜まって余裕ができたらさ、依頼抜きで遊びに行けばいいじゃん。」
馬購入代金で生活費がギリギリのモニカ達は依頼を受けないという選択肢はなく、仕方なくエリーが抜けることになった。
「おっちゃん、代わりに一人で出来る依頼を頼むよー。」
「一人枠は……ないこともないが、二人枠の一つが埋まってフリー待ちの依頼がいくつかあるな。」
「じゃあ、それでいいよ。」
「わかった。」
冒険者の数は、必ず依頼人数と一致する数が揃うわけでもないので、全く関係ない冒険者たちを一つの依頼に組み込むことがある。同業者と一緒に仕事をする分、面白い話を聞ける。ただ、モニカにとっては身内の方が気心が知れている分、楽だ。
「エリー。悪いけど……。」
「気にしなくていいよー。二人で楽しんでおいでよー。」
話がついたと見たのかおっちゃんがリストを開いて見せてきた。
「これが、条件に会うリストだな。」
モニカとコルは、顔を擦り合わせてじっとリストを見つめた。
「この依頼はどうかな。」
「私にはわからないのでモニカお姉様が決めてください。」
「あ、うん……。」
その中で、馬で一日のエンケという村に郵便配達の依頼を受けることになった。往復で二日。最初の依頼としては丁度良い。
本来なら正規の配達人による定期便が出ているのだが、たまたまその人が風邪でダウンした為の臨時要員なのだそうだ。
「じゃあ、受理しておくぞ。」
「はい。」
次の日。
モニカとコルネリアが海沿いの街道を馬で駆け抜けている。
「あー、素晴らしい海の景色ねー。」
チラチラと海の方を見ながらコルに話しかけた。モニカは山奥の村出身だ。街道を駆けていて、始めて海が見えた時には衝撃を受けたものだ。
「クチュン。」
「コルちゃん?大丈夫?」
その時、可愛らしいクシャミがコルの方から聞こえてきた。思わず振り返ってしまった。前の風邪がぶり返してきたのだろうか。海風で少し肌寒いのかもしれない。
「平気です。少し鼻がムズムズしただけです、モニカお姉様。」
「ならいいけど。春の風邪はしつこいから。」
「大丈夫です。本当に風邪なら、もう今の私は直ぐに治せますので。心配していただきありがとうございます。」
頭を撫でてあげたい気持ちになったが、生憎モニカは馬を操作できるようになって間もない。片手を手綱から離すことさえ難しい。コルの方はというと意外にも手綱捌きが体の大きさの割に様になっていた。モニカより上手くなってるかもしれない。若いっていいよね。
ただ、コルのことで、一つ気になることがあった。
最近、コルがモニカの事を「お姉様」と呼ぶようになったことだ。
折角だし、エリーもいないこのタイミングで、このなんと気はなしにコルに訂正してみた。
「私のことはモニカって呼んでくれてもいいのよ?」
「いえ、そういうわけには。」
「どうして?」
「そ、そ、それは……あの。」
どもりまくったコル。
嫌な予感がするので、詳しく聞いてみた。
「それは、貸本屋でエリーお姉様が買ってきてくださった小説本から……。」
どうやら、エリーが買ってきた少女小説の影響かららしい。モニカも、エリーから借りて読んだことがある。正直言って面白かった。
その小説の内容は「ある女子学園で先輩と後輩がお互いに義姉妹の儀を結んで学園生活を送る」というものだ。その中で確かに「ごぎげんよう」だの「お姉様」だの言っていた気がする。
そう言えば、あの本について三人で大盛り上がりしていたのは覚えているが……。
「最近、私もエリーのこと、とやかく言えなくなってきたわね……。」
気がつかない内に自分も、ガールズラブの世界に足を踏み入れてしまったのだろうか。
元凶は間違いなくエリーだ。取り敢えず、頭の中のエリーに三回殴っておいた。
コルの顔を何故かまともに見れなくなったモニカはしばらく俯いてた。その様子をコルが勘違いしたのか。
「お姉様、私は嬉しいのです。本当に、モニカお姉様と姉妹になれたのですから。」
「いやッ、それッ、違うからッ。小説の中の話!」
「ええ……。」
いかん、コルが目を丸くして泣きそうな顔をしてる。もはや、既に手遅れだったかもしれない。てか、小説の内容を真に受けるなよ。
仕方なくモニカは必死に嘘をついた。
「いや、確かにッ、あの小説は実際にあったことだけどッ、えーとッ、そうッ、あの学園はッ、もう、遥かな昔になくなってしまったの!」
「そうなんですか……。」
コルはモニカの嘘を疑いもせずにシュンとした。やばい、心が痛い。
思えば、もっと早くから気がつくべきだった。近頃、だんだんコルの行動が過激化していたことに。コルとエリーの異常な程の仲の良さに。
「あの、コルちゃん……。他にもエリーから何か教えてもらわなかった?」
「えっ……。えっと。」
コルの目が泳いでいる。
「すいません。本人にはあまり言うなって言われたので。」
……『本人』……だと?
コルは自分が馬脚を現していることに気がついていないらしい。トドメを刺す。
「へーえ、エリーが私のことについて何か言ってたんだー。」
「あッ……えッ……ああ!」
やだ、コル可愛い……じゃなかった。
ようやく気づいたらしいコルに勝ち誇ったようにモニカは尋問する。
「さあ、白状するのだ。コルっちよ。」
モニカは思わず、エリーの口真似をしていた。まずいぞ、思ったより自分も影響を受けているようだ。
「う……エリーお姉様、ごめんなさい。」
ちょっと涙目気味のコルが訥々と語り始めた。
曰く
後ろから抱きつくとモニカは凄く真っ赤になって喜ぶ。
モニカには毎朝おはようのチューをする習慣がある。
モニカはお姉様と呼ぶと慌てるぐらい喜ぶ。
嫌よ嫌よも好きのうちだからモニカはが嫌がっても押してけ。
実はモニカはロリコンだ。
……。
「エェェェェーリィイイイイイィィィィー!」
絶叫した。
脳内エリーをメタメタに叩き潰してノックダウンさせた。殴った回数? 知るか。
「モニカお姉様……!」
何故かコルは感激している。嫌がる素振りが本当は嬉しいとか言ってたから勘違いしてるのだろう。いやいや、まさか。コルはそこまで天然なわけ……。そういえば天然だった。エリーはそこまで考えて色々教えていたのか。
……
……クソッタレッ、嵌められたッ!
ここでコルを拒絶するのも難しい。最近になってようやく明るくなって、よく懐いてくれている。確かにエリーの工作も一定の効果があったのかもしれない。
しかも、下手に拒絶したり、何かマズイことやるとまた発狂するかもしれないので、手を突っ込むのも危ない。
くそッ、このまま認めるしかないのかッ……!
いや、諦めるのは早いッ!
考えろッ、考えるんだッ、モニカッ!
今ッ、ここでッ、自分はロリコンでないとッ!
婉曲的に傷つけないようにコルに言う方法はッ!
……。
……ム・リ☆
「な、なんでもないのよ。わ、私も、コルちゃんと、い、一緒になれて、う、嬉しいなって。」
……辛うじて……辛うじてそれだけを言うことができた。
これでも最近、精神力がついた方なのだが、顔がヒクヒクするのを完全に抑えきれなかった。
クソッ、クソッ、クソッ、エリーのやつッ、後で覚えてやがれッ!
「嬉しいですッ、モニカお姉様!」
馬に乗っていなければ、コルは今にでも飛びついてきそうな勢いで嬉しそうな顔をした。
「は……い。私……もです。」
怒りを通り過ぎて色々と悟ってしまったモニカは何故か丁寧語だった。その顔は、死んだ鯖の目のようだった。
【6】
モニカの心が復活を遂げるまで、相当時間がかかった。しばらく二人の会話が途切れていた。
夕暮れとなり、辺りは赤色の彩りに包まれた頃。
ようやく復活したモニカはそろそろ明かりが欲しいと〈光の精霊〉を召喚した。
「わあ、綺麗です……。」
馬の前方と周囲に漂わせた3つの光球は道を照らしている。馬は怯えるかと思ったが、全く動じなかった。賢い馬だ。
やがてコルが、ウットリとした声色でモニカに話しかけてきた。
「私、思ってたんですけど……。」
「なあに。」
「お姉様たちと今度一緒に海水浴を楽しみたいです。エリーお姉様も一緒に。」
どうやら、コルはエリーが来られなかったことを気にしていたらしい。モニカは後半部分は出来るだけ聞かなかったことにして、引きつった顔をコルを見せないように海の方を見ながら答えた。
「う、うん、楽しみたいよね。でも、海水浴するには、ちょっと早いんじゃないかなあ。もう少し夏にならないと。」
「では、夏になったら。」
「え、ええ。」
「あ、あと、ところでお姉様。」
「ん?」
「本当にこちらの道で良かったのでしょうか?」
グサッ。
不意打ちだった。その言葉にモニカの体がピシッと固まる。そして肩を落とす。
どうも、さっきからおかしいと思っていた。夕方になったのにまだ目的地につかない。一日野宿するというなら、わけはない。移動が遅すぎたというのならまだいい。
そうではなくて、さっきから、与えられた地図と今現在の周囲の地形が一致しないように見えるのだ。
一言で言うと。
迷った。
「……多分。現実から目を逸らしてたのがいけなかったのね……。」
「……ご、こめんなさい。よくわかりませんが、モニカお姉様、私が余計なことを言ってしまったのでしょうか。」
「コルちゃんは何も悪くないのよ。私が方向音痴だからいけないの。」
「は、はい……すいません……。」
モニカが馬の上で頭を悩ませている。その横でコルがモニカの顔をオロオロとしている。
こういった地形調査や地図はすべてエリー任せだったことに今頃気がついた。モニカ自身は地図の見方もあやふやだ。
いや、ここでそんなことをいっても仕方がない。どうにかしなくては。
「お、お姉様、私たちはどうすれば良いのでしょう?」
モニカの焦りがコルにも伝染したようだ。そのコルの動揺がますますモニカを追い詰める。
自分の行動がコルにも影響を与えるのだ。失敗は許され……いや既に一回失敗しているが、ここは踏ん張れば取り戻すことができる。
まずは、できることから。
取り敢えず、渡された地図をもう一度見る。
渡された地図は詳細な地図ではなく、分かれ道の地点だけが書いてある程度の大雑把なものだった。
組合業務員に書いてもらったものだ。道もそんなに複雑なものでもなかったのでこんな地図で充分なのだろう。普通の状態だったら。
仮に道を間違えていたとしたら、この道は地図に書いてない場合がある。つまり戻らなければならない。
もしそうではなく、ここは地図上にある道で、ただ馬の速度を落としすぎて遅れた場合は、この道を進めば良い。
進むべきか、戻るべきか。
モニカは何かヒントにならないかとコルに尋ねてみた。
「コルちゃん、今まで私たちってどの位の速さだった?」
「えっと……。うっ。ご、ごめんなさい、わ、わかりません。えぐっ。わ、私、お姉様についていくことだけしか、うっうっ、か、考えてなかった……。うぐっ。だ、駄目な、娘なんです。えぐっ。ひーん……。」
コルは涙を零して泣いていた。手の甲で涙を拭っている。どうやら詰問口調になってしまったらしい。だが、モニカが地図持っているのだから、コルには責任はない。コルが責任を感じる必要も全くなどない。
コルがモニカに無条件で依存しているのと、自己否定しているのは引っかかるが、今はそれを指摘できる場面ではない。
「コルちゃんは何にも悪くないのよ。今は何も考えなくていいの。」
モニカは自分の馬を、コルの馬に平行に寄せてできるだけ近づいた。手綱を離すのは怖かったが、頑張って片手だけ離してみる。……大丈夫だ。
そのまま、片手でコルの頭を撫でてやり、その後、コルの顔を隠している手をどかし、そっと涙を拭いてあげた。
「ほら、村に着いたら美味しいクッキー全部食べちゃおうよ。ね?」
「うん……。」
ビンダーナーゲルの美味しいクッキーは効いたらしい。取り敢えずは泣き止んだ。
話は最初に戻った。
進むべきか戻るべきか。
……進むことにした。
理由は、例の話のせいで馬の速さが大分遅くなった気がしたというモニカの勘だ。
もう一つは、仮に間違えたとしても、戻るのと進むのとでは、精神的なダメージが少ないと感じたからだ。
さらに地図が間違っているとの違和感は地図を見ているうちになくなったのもある。
少ない情報でモニカは決断した。
「ほら、きっとゆっくりしすぎたのよ。前に進めば着くよ。」
「ぐすっ、はい……。」
暫く進む。
辺りは完全に暗くなって、海は真っ暗で何も見えない。暗闇の中からザザーと聞こえる音は、昼間の優しい海の様子からは似ても似つかないほど恐ろしさを感じる。
「モニカお姉様、お尻が痛くなってきました……。」
先行きが見えない歩行は精神的に疲れる。ましてや、間違ってるかもしれないという疑念が取れなければ尚更だ。
それでも〈光の精霊〉を頼りに自分の信じる道を突き進むと。
街道のそばに火の光が見えてきた。
「やった、人だ!」
明かりの見えるところまで歩みを進めてみると、一台の馬車と一組の男女が火のそばで暖を取っていたのが見えた。
二人の気配と明かりに驚いたのか、男が立ち上がって、誰何した。
「驚かせてすいません。」
馬の上から頭を下げる。
「君らは?」
男はまだ警戒をとかない。
「私はモニカ。こちらはコル。郵便配達の最中なんですが、道に迷ってしまいまして……。」
「道に迷ったってこの辺は迷うような地形でもないが……。」
男は訝しげに首を捻った。
「ええ、そうですよね。あはは……。」
モニカは誤魔化し笑いをした。
男が胡散臭げに目を細める。やがて、その目を伏せて言った。
「ま、いい。道に迷ったってどこに行く予定だったんだ?」
「エンケという村です。」
「エンケか……。」
「そうですそうです。」
道を教えてくれそうだと思い、モニカは嬉しくなった。
「銀貨1枚。」
一瞬モニカは何と言われたのかわからなかった。
「え?」
「俺は商人だからな、情報も金でやり取りするものだ。」
なんと、がめつい商人であることか。金がすべてといわんばかりだ。モニカには、この男はあまり良い人間という印象はもてなかった。
だが、そのがめつさ故に、嘘はつかない……と思う。
今の状態で銀貨一枚は厳しいが、先程の選択と比べれば比較にならないほど楽な選択だ。
銀貨一枚を〈対価〉に
男を信じるか、信じないか?
信じよう。
「分かりました。」
モニカは騎乗したまま、財布から銀貨一枚を取り出して、投げた。商人は銀貨を空中で掴み取り、財布にしまいこんだ。
「エンケなら、お前たちからすれば、ここを少し戻って、最初の分かれ道を山側に向かえばいい。運が良かったな。道を間違えて直ぐに俺たちに会って。今から走れば今日中に着くぞ。」
モニカはホッとした。歩みが遅くなったミスと、道を間違えたミスを両方犯していたのか……。
しかし、目的地に着く見通しが立ったのだ。この情報は銀貨一枚の価値がある。
少々気が緩んだ。この商人と少し話がしたくなった。
「ありがとうございます。えっと、貴方はどちらに行商される予定ですか?」
「……フルスベルクに向かう予定だ。」
「そうなんですかー。私たちはそこから来たんですよ。」
「ほう、フルスベルク民か。フルスベルグってのはどんなところなんだ。」
この質問をするということはこの商人はフルスベルグに初めて向かう、ということだ。つまり、行商路を開拓している商人であるとモニカは予想した。
それならば、この商人に価値のある情報を提供できるに違いない。
モニカはすかさず切り替えした。
「銀貨一枚。」
男は一瞬キョトンとした。それから頭に手を当てて腹の底から大笑いした。
「はははははははっ!」
モニカもその様子を見て、胸がすくような気持ちになれた。正直、今の状態で取られた銀貨一枚は大きい。取り返すべきなのだ。
「なるほど、なるほど。そうだな、確かにその通りだ。ふははは……。これは失敗したな。では、一枚渡そう。」
今度は商人から銀貨を投げて、モニカはそれを掴み取った。それから頭の中で情報を整理して話すことを決めた。ガイドブックがある以上、それ以上の情報を提供しなければならない。
「……当たり前ですが、ガイドブックは読みましたよね。」
「何だそれは。初耳だが……?」
……え、じゃあ、エリーの持っていたガイドブックは?
モニカは目が点になり、何かゾクッとするものを感じた。
情報を売買するような商人がガイドブックを知らないはずはない。では、エリーの持っていた本は……。気になったが、この場ではどうしようもない。相手に悟られないように、気を取り直して情報を渡す。
「えっ……と、それなら何でもないです。フルスベルグが観光が盛んで色々な人が来てます。」
街について色々なことを説明した。
「夜中に門を通る時は要求される金は実は兵士のチップなんです。昼に入れば人頭税は要求されないんですよ。確か、馬車税は取られます。」
知っている限りの情報を伝えた。
一通り話し終えた後、商人の男は沈黙し、やがてポツリポツリと喋り始めた。
「銀貨1枚という割には沢山の情報をもらっちまったな。」
「いえ、これはこちらの気持ちですから。」
何か、吹っ切れたような顔付きで、商人の男は言った。
「そうか……。ならば、黙ってようかと思っていたが、お礼に金貨1枚分くらいになるかもしれない情報を教えよう。」
「金貨1枚?」
「なる、かもしれない、だ。正直な所、この情報をどう分析したら良いのかわからない。」
モニカは嫌な感じがムクムクとこみ上げてきた。商人は、火を見ながら、やがて重い口を開いた。
「いやね、この周辺の村を回ってね、フルスベルクという街はよそ者に冷たいという話をよく聞くんだよ。」
モニカは憤慨した。つい怒鳴りこむような口調になる。
「誰がそんなことを。」
「観光が盛んなんだろ?」
「ええ、あちこちの村から出稼ぎに沢山の人が来ますし、王国との交流は盛んです。宿はいつも沢山の人が泊まってます。」
「違和感ないか?」
「ええ、何か変ですね。」
「前の村では、自分のところの息子がフルスベルグに出稼ぎに行ったら、死んで帰ってきたってな。」
「それは……部外者は色々な制限が課されますし、その制限を外すには、冒険者になって危険な仕事を熟さないといけませんし……。」
「そうだ。街で元からいる人間、他所から来た人間、どちらが美味しい汁を吸える仕事につけるかは誰にでもわかる。一部の例外はあるが、出稼ぎはそう言った危険を前提にしないと生きていけない。」
モニカは静かに頷く。自分にも心当たりがある事だ。だからどんな仕事にも嫌がらずにやった。
「が、その婆さんは、ヒステリックに言ってたよ。息子を殺したあの街を許さないってね。」
何がなんだか、訳がわからない。
とりあえず、モニカは思ったことを口にした。
「それは完全な八つ当たりじゃないでしょうか。」
「その通りだ。だが、そんな話がこの辺の村のそこかしこで見られたんだ。」
ぞっとする話だ。街のお膝元の村々で、街に対する〈憎悪〉が高まっているという。
「俺は完全に部外者だしな。そういう話も聞こえてくるんだろう。だが、もしそれが、フルスベルグの関係者だったら話はどうだ。」
「絶対、話してくれないでしょうね。」
「ひょっとしたら、街の中枢部の人間も把握してない話かもしれないな。」
何だか話が大きくなってきた。
「これは私たちごときが手に終える話じゃないかもしれない……。」
「お姉様……。」
「気味が悪い話だからな、逆に気になって、ついでにフルスベルグに行ってみようと思ったんだ。」
そんな男の軽い言葉に、モニカは息をつまらせながらも答えた。
「き、貴重な情報ありがとうございます……。」
モニカはさっきまでの今日中に村につけるかどうか、なんて悩みは完全に吹き飛んでしまった。
男はそんな顔のモニカを見て、薄く笑った。
「……君たちとは、良い商売ができそうだ。俺の勘がそう言っている。」
商人は焚き火に枝を投げ込んだ。立ち上がって、モニカ達の正面に立つ。
「俺の名前を言っておこう。ディオヘネス=ファジャ。ここから遥か西方から来た。」
ディオヘネスという発音はこの辺では聞いた事がない。本当に別の国からやってきたのだろう。正式に自己紹介されたのだから、モニカ達も正式に自己紹介をする。
「それでは、改めて。馬の上から申し訳ありません。私はモニカ=アーレルスマイヤ、こっちの子は……コルネリア=アーレルスマイヤ。」
「姉妹か。」
「……そうです。」
モニカは一瞬悩んだ末に言った。本当なら、コルを傷つけるのだから即答した方が良いのだが、今のモニカにはこれが精一杯だった。
もう、野宿をしないのなら、そろそろ時間の限界に近い。馬を反転させて、元来た道を戻ろうとする。
「行くのか。」
「はい、ディオヘネスさん。ありがとうございました。」
「そうか、じゃあな。」
焚き火から背を向け、暗い夜道を光の精霊を頼りに歩き始めた。
「じゃあな、〈良い航海を〉。」
背後からそんな声が聞こえた。言っている意味がわから無いが、別れの言葉なのだろう。モニカとコルはその場を立ち去った。