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モニカは人を呼んだ。するとルローやタンコといった情報交換の為に来ている村人達、それと近くの部屋にいた部下達が何人か集まってきた。
たった今あった事を説明すると、仲間達はやや苦笑いした。モニカは笑い事ではありません、と一喝する。
「今はどうですか?」
リュミエラの言葉にはっとして、シュティラの様子を見ると、いつの間にか意識を失っていた。軽く揺さぶってみるが反応すらない。額に手を乗せてみると、相変わらず微熱だ。
「ご主人様、これはただ事ではなさそうです」
「ええ、私もそう思います」
意識をなくすような病気とまでなると、命の危険すら考えられる。早急に何か対策を考えなければならない。
「薬師の人をもう一度呼んだ方が?」
「そうして下さい。ですが原因が分からないと仰ってたので、他の方法も考えた方が良いかと」
「仰せのままに」
モニカは一度、全員を部屋の外に出した。本人を前にして相談すると何かの悪影響があるかもしれないから。その上で、リュミエラは食事の準備に戻らせ、近衛の一人を薬師への使いへと遣った。
そして、改めて皆と相談する。
「彼女の為に、何かできる事はありますでしょうか」
顔ぶれを見ると、ルロー、タンコ、さらには戻ってきた者のうち怪我の軽い近衛兵、それと、やはり戻ってきた侍女、スコナとトリーネが一堂に集まっている。
「怪我をしている者は無理をしなくて結構ですよ」
「いえ、ご主人様を手伝わせてください」
そこまで言われては、無碍に否定する事はできない。モニカは軽くため息をついて、話を進めた。
「げ、原因を探る為に、あ、あのダンジョンをもう一度……」
これはタンコの弁だ。
さて、それはどうだろう。いくら〈転移門〉があるとはいえ、原因を探るのに時間がかかるような気もする。それに負の情念が溢れ出している以上、危険を伴う。シュティラの二の舞になりうる人も出てくるかもしれない。それに近いうちに王都に向かう予定であり、戦力は割けられない。
「やはり彼女は残していくしかないか」
ルローは呟く。
決して多くはないが、ヴァスマイヤ村とフルスベルグ村から義勇兵を募ることになっている。万が一、奪還に失敗しても責任を取らされないように、村全体として応援しないという形だ。最悪、モニカに誑かされたと言ってもらうようお願いした。
その義勇兵にシュティラが入ってはいるが、この状態では無理だろう。
「そうですね。計画は止められません……多少、日にちをずらすことぐらいはできますが」
全員が口を閉ざし、沈黙が皆の間を満たした。どうしようもない、そんな感情が肌に張り付いている感じだった。
そんな中、侍女スコナがおずおずと口を開いた。モニカの侍女3人の中で一番背の低い彼女は、自信なさそうな様子だった。
「王都にいる〈生命の精霊〉に詳しい人を探すというのはいかがですか?」
「詳しい人……いましたか?」
近衛兵たちの顔を見渡す。期待できるような顔は見られなかった。〈生命の精霊〉は日陰の研究であって、あまり活発ではない。大抵は薬草で治せるし、何より他の精霊と違って、扱いが難しい。
モニカも思い当たる人はいなかった。
「あの、クロちゃんから聞いたことがあるのですが」
もう一人の侍女トリーネが手を上げた。トリーネの方はスコナとは逆に、とても背が高い。二人は仲が良いので凸凹コンビと呼ばれていた。
「アルヴィス様から、回復魔法を受けた人がいるそうです」
「ふぁ?」
モニカは変な声を上げてしまった。コホンと咳払いをして気を取り直し、トリーネに向き直った。
「お師匠が?」
「はい」
モニカが魔法を教わっていた頃のアルヴィスは、そんな事は一度も言わなかった。しかしそれがあり得るかと聞かれれば、ないとも言えない凄みを感じる人ではあった。
「ですが、アルヴィス師匠は行方不明だと……」
「はい。ですがアルヴィス様はあくまで行方不明であって、死亡を確認した訳ではありません」
「なるほど。では、戦いの最中に師匠を探し出し、来て頂くと?」
「その通りです」
まるで雲を掴むような話だ。仮定に仮定を重ねたような話に頼っていいのだろうか。
アルヴィスが生きているかもしれない。回復魔法を知っているかもしれない。シュティラを回復させることができるのかもしれない。かもしれない。かもしれない。かもしれない。
しかし、それを否定した所で他に良い案は浮かぶわけでもない。他に適当な人物も思い浮かばない。良い案が思い浮かぶまで、ダメ元で話を進めておいても構わないはずだ。
「都合の良い話ですが……やってみる価値はありそうです」
「はい」
「やはり、クロから直接話を聞きたいですね。呼んできて貰えますか?」
「は、直ちに」
スコナとトリーネは急いでクロを呼びに行った。
モニカはその後ろ姿を見ながら、思いにふける。アルヴィスの使い魔クロならば。一番近くにずっといた黒猫ならば。もっと詳しい話が聞けるはずだ。
間も無くして、二人は黒猫を抱きかかえて戻ってきた。侍女の腕の中でクロはニャーニャーやかましくて、無駄に元気そうだった。
「クロ、お呼びしてしまってすいません」
「ニャニャニャ、姫様、何か用かニャ! むしろ呼んでもらって嬉しいニャ。さっきまで退屈で退屈でしょうがなかったニャ! 丁度、弟子に猫じゃらしを作ってもらってた所だったニャ!」
「猫じゃらし……ですか?」
退屈だったらしい。外にいけば、雑草は一杯生えてるから、直ぐに作れそうだ。
と思ったところで、モニカは思考が逸れかけたのに気がついた。頭をぶんぶんと振って無理やり元に戻す。クロの調子に引きずられないようにしなくては。
大きく深呼吸してから尋ねた。
「じゃなくて! クロに質問があります。師匠は、アルヴィス師匠は本当に〈生命の精霊〉を扱えたのですか?」
「ニャ? 〈生命の精霊〉かニャ? ニャー……」
クロは言葉を濁して思案顔になった。それから、何かを思いついたかのように目をクリクリとさせた。
「使えたかどうか分からないけど、主が興味があったのは本当ニャ」
「回復魔法を使ったという話でしたが?」
「ニャ、そうだっけニャ?」
クロは、とぼけた顔で首を傾げた。
猫だからというわけではないが、この使い魔はやや忘れっぽいところがある。どうして、こう重要な部分を忘れるんだろうか。
モニカは肩をがっくり落とすと、その様子を見たクロは急に慌て出した。
「ニャ! ニャ! そうだニャそうだニャ! 思い出したニャ! 王子様と〈生命の精霊〉について話しあったことがあったはずニャ」
「……王子?」
モニカは気を取り直して、クロの言葉に耳を傾けた。
王の子供と言えば何人かいるが、一般的に王子とだけ言えば王の嫡男、つまり王位継承第一位を指す。モニカの義兄、シャリオット王子がそれに当たる。
「シャリオット王子と?」
「そうニャ」
「どんな話だったか覚えてますか?」
「んーと……〈生命の精霊〉について、研究を進めるという話だったような気がするニャ」
「それはいつの頃ですか?」
「大分前だった気がするニャ」
クロの事だから少し怪しいが、大分前の話なら研究が大分進んでいる可能性は高い。シュティラを助ける手がかりがわずかにでも入ったのは嬉しい。
その時、クロは少し声を潜めた。
「でも……王子様は主と口論していたっぽいニャ」
口論……? どういうことだろう。
モニカの気持ちに暗雲が立ち込める。二人とも良く知っている人物なだけに、少し想像がつかない。
「何か問題があったのですか?」
「うーん、よく分からないニャ」
「せめて何を言ってたのかだけでも」
「ごめんニャさい。分からないニャア」
「そうですか……」
クロにこれ以上、聞いても情報は引き出せそうにない。とにかく、アルヴィスに会えれば何とかなりそうというわずかな希望だけが後に残った。