【106】
【6】
モニカは、村娘シュティラが収容されている一室に来た。そのベッドの側には、村から来た薬師がついている。
「お姉様……」
彼女は、やや青ざめた顔でベッドの中に伏していた。前回の洞窟探査で怪我をして以来、ずっと微熱が続いている。
「シュティラ、体調はいかがですか?」
「……あまり、良くはないです」
「それは困りましたね」
国の方針により〈四大精霊〉の知識が豊富な者は多いが、代わりに〈生命の精霊〉の研究は遅れている。モニカには、手が出しようがなかった。
体調が悪い者は、専ら〈山向こうの国〉から来た薬草の知識で治療している。モニカの知る限り、交易が推奨された理由の一つでもある。
「彼女は治りそうですか?」
モニカは薬師のお婆さんに話しかけた。彼女はヴァスマイヤ村の健康を一手に担う人で、今回はシュティラの為に来てもらった。
「何とも、言えませんの」
お婆さんは顔を皺くちゃにしかめた。あまり芳しくないようだ。モニカは歯がゆく感じた。
「こんな症状は初めて見ますでの。今は熱冷ましの薬草を煎じておりますが、効果の程はあまり出ておりませぬ」
「そうですか……」
モニカはシュティラの横に座り、額に手を当ててみた。あまり熱くはないが平熱でもない。皮膚は渇き、色はややどす黒い。確かに、こんなに微熱が長引く病気は見たことがない。
「シュティラ、何か食べたいものはありますか?」
「食欲はあまり……いえ、肉……肉が食べたいです……」
「肉、ですか?」
病に伏せっている時は、あまり脂っこいものは食べさせられない。しかし、シュティラは求めている。むむむ?
モニカは悩んで、薬師のお婆さんに相談してみた。お婆さんは、少し驚いていた。
「肉は食べさせても良いので?」
「はい。彼女は普段、ほとんど食べておりませぬ。食べても吐いてしまいますでの。もし望むのであれば、何でも食べさせた方がよろしいかと思いまする」
「分かりました。少し台所に行って何か取って来ましょう。お婆さんはここでシュティラを見ていて頂けますか?」
お婆さんは頷いた。
折角、侍女になってもらったばかりの少女だ。モニカが自分の手でご飯ぐらい用意してあげたい。シュティラを元気付けるべく、軽く微笑んだ。
「シュティラ、では何か食べ物を取って来ましょう」
「はい、お姉さま……申し訳ありません……私が不甲斐ないばかりに……」
「気にすることはありませんよ。早く体を治して、私のお手伝いをして下さいね?」
「……はい」
シュティラから涙がこぼしながら首肯した。悔し涙か。モニカは彼女の涙を拭ってあげた。
【7】
モニカが台所に向かうと、リュミエラがいた。料理を作っていて、周囲には、調理中の野菜や肉が置いてあった。
そこで、シュティラについて相談する。病人でも食べられる肉はどんなものがあるかを聞いてみた。
モニカは、あまり料理に詳しくない。しかしシュティラの為に自分で調理したいと訴えた。
「ご主人様、鳥肉はどうでしょうか」
「鳥肉?」
「はい。鳥の胸肉は脂が少なく、良く煮ればサッパリした味になりますよ」
鳥の胸肉はササミといって、元気の無い人に食べさせる肉として定番なのだそうだ。また燻製にすることによって、長時間の保存食としてそれなりによく食べられるという。
確かにモニカは食べたことがあるような気がした。というか、食べている肉が何なのか気にしたことすらなかった。
「丁度、タンコさんから頂いた鳩肉がありますので、それを使えばよろしいかと思います」
そう言って、羽を毟られた鳩を手渡された。
リュミエラの指導のもとで、モニカは慣れない手つきで鳩肉を捌く。その肉を薄く切り、鍋に入れる。コトコトとよく煮た後に調味料をかける。
小一時間かけて、ようやく鳥肉のスープが完成した。思ったよりかなり時間がかかったが、食べやすそうな病人食が出来上がった。
「ご主人様、とても美味しそうに出来上がりましたね」
「リュミエラ、ありがとう」
そのリュミエラはというと、屋敷にいる怪我人も含めた全員分の料理をなんなく作っている。台所はちょっと真似できない壮絶な展開がされていた。
「後輩が早く良くなるように私も願っています」
「そうですね。シュティラには早く治ってもらって、仕事教えないと」
【8】
モニカは器を持ってシュティラの部屋に戻ってきた。
薬師のお婆さんは既に帰っていた。外を見れば日が落ちかけている。
シュティラはというと、大人しくスヤスヤと寝息を立てていた。起こすのはどうかと迷ったが、結局彼女に声をかけた。温かいうちに食べてもらいたいと思ったから。
「お待たせしました」
「う、ううん……あ、お姉さま……」
「鳥肉のスープを作ってきました。食べられますか?」
寝ぼけた様子のシュティラは、眼をこすりながら上半身を起き上がらせた。
「はい、食べます……」
彼女は木のスプーンを使って、モソモソとスープを食べ始めた。しかし、思ったより美味しそうな顔ではなかった。
モニカは食べる様子を見ながら、そばに座って話しかける。
「美味しくないですか?」
「あ、いえ……美味しいです……けど」
末尾の言葉を濁したまま、結局喋るのを止めてしまった。
「無理して食べなくてもいいですよ?」
「いえ……食べたいのですが……どうも……」
彼女は要領を得ない様子で、ブツブツ呟いている。モニカは何を言っているのか聞き取れず、顔を近づけた。すると、ほっぺたにヒヤリとした何かが触れた。
「ひゃっ!」
モニカは驚いて悲鳴をあげた。頬を触れると、シュティラがほっぺたを舐めていたようだった。彼女の唾液でほっぺたがしっとりと濡れている。
「お姉さま……お姉さまのほっぺた……美味しい」
「な、な、な?」
「お姉さま、私はお姉さまの事が好きです……とても……好き」
シュティラの顔は赤く染まり、目が少し虚ろだった。かなり、熱に浮かされているようだった。体を起こしてモニカの肩に手を回した。顔を近づけて、そしてモニカの唇を。
……噛んだ。
「痛っ!」
モニカは彼女の腕を振り払ってしまった。鳥肉のスープが、音を立てて床に落ちた。スープと肉が散らばり、辺りを濡らす。
「シュティラ……一体、何を……?」
唇に手を当てる。幸い血は出ていないようだ。
「ふふふ、モニカお姉さまの唇、美味しい……ふふふ」
シュティラの様子がおかしい。異様な薄笑いを浮かべている。モニカは異常を察して、人を呼んだ。
「誰か!」