【105】
【3】
モニカは、ヴァスマイヤ村の屋敷に戻った。
屋敷の玄関には、多数の負傷者がいた。誰も彼も王宮で見たことのある者たちばかりだった。
その中に残りのモニカの直属の兵士と侍女がいた。彼らは服に血を染め、焦燥とした状態だった。
「スコナ! トリーネ!」
無事だったのか、と驚いたと同時に、懐かしさがこみ上げてきた。別れてから一年以上が経ってしまったのだから。
時間では短いが、随分と遠くに来てしまった、気がする。
「姫さま、ただ今、帰ってきました」
「お前たち、よく無事で戻ってきました。私の見通しが少々甘かったようです」
「姫さまのせいではありません。私たちは一人も欠けることなく、役目を果たして参りました」
モニカが彼女や兵士たちに課した役目は、偽の王女を護衛するというものだった。当時は軽く考えていたが、思ったより深刻な事態になってしまった。
一度は覚悟したものの、一人も欠けることなく戻ってきた部下たちに、感謝の気持ちが溢れてきた。涙を隠すように、残りの兵一人一人にも労をねぎらって回る。
「よくやってくれました。ひとまずはここで休んでいてください」
「はい、ありがとうございます」
一通りの労いが済んだモニカは、リュミエラに伴って、他の部屋へと向かった。心配事が消えたお陰か、身が軽く感じる。足元が軽い。
背後からリュミエラか話しかけてきた。
「姫様に会っていただきたい人が何人かいます」
「どなたでしょうか」
「まずは、アルヴィス様のお弟子様たちと、その使い魔クロです」
「わかりました。案内してください」
モニカは廊下を歩きながら、かつての魔術師の塔のことを思い出していた。師匠のアルヴィスは、常にあの塔から出ずに、弟子を指導していた。その使い魔のクロはアルヴィスの周りの世話や雑用をこなしていた。かなりおっちょこちょいだったが、人懐っこい猫だった。モニカが脱出する際、クロはモニカに変身し、身代わりとして城に残った。
「こちらです」
モニカは、扉を開けて部屋の中に入った。
【4】
「ニャーニャーニャー!」
「あーうるさい、黙れ」
まず耳に入ってきたのが猫の鳴き声だった。黒猫が毛布に包まれ、顔だけ出して激しく鳴いていた。
周りでは、やはり疲れた顔をした魔術師の卵たちが体を休めている。
「あ、姫様ニャー! ウーニャー! お久しぶりニャー!」
その声で周りの雰囲気が変わった。彼らからしてみれば、モニカは先輩に当たる。モニカに視線が集まり、緊張の糸が張り詰めたのを感じた。
「皆さん、お疲れでしょうから、気を張り詰めなくて結構です。我が屋敷を魔術師の塔と思って、体を休めて下さい」
言葉が効いたのか、フッと緊張が和らいだのを感じる。それぞれの視線がバラバラに離れていった。
モニカとリュミエラは、黒猫の前で膝をつく。
「クロ、お久しぶりです」
「ニャー! 姫様も何よりニャ」
「あれからどうなったのか教えて頂けますか?」
「もちろんニャ!」
やたらテンションの高いクロの話をまとめるとこうだ。
クロは偽モニカとして、モニカの部下達と共に、魔術師の塔に籠城した。しかし持久戦では限界がある為、ある期間を過ぎてから、真夜中に撃って出たのだという。そして、城の防衛兵士達、さらには貴族の私兵達と戦闘になりながらも、城外へ逃げ出そうとした。その際には、何人かの魔術師の弟子が死に、アルヴィスともはぐれたらしい。
ただ、クロは周りの応援もあって、なんとか城の外に脱出することに成功したという。そして、そのまま城下町に潜入することになった。そこで、他の王家の人間達と合流することができた。
しかし直ぐに王宮からの追撃を受け、王家の人間達と共に王都から脱出。そこでまた何人かと、はぐれたらしい。そして、あちこちの町や村に潜伏したり逃げていたところを、モニカの兵士が見つけて合流できたということらしい。
「そうでしたか。大変苦労をかけましたね」
「何、気にすることないニャ!」
クロは毛布に包まれながら、もぞもぞと体を動かした。照れているのか、目をくるくる動かして落ち着きがない。
「ニャー、アルヴィス様ならきっと無事ニャ、取り戻しに行くニャー!」
「ええ、取り返しに行きましょう」
クロは元気良く、鳴き声をあげた。
モニカはなんとなくクロの頭を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らし、気持ち良さそうにしていた、が。
「クロ?」
何か違和感を覚える。変だ。
モニカは気になって、クロの毛布を剥ぎ取ってみた。
「クロ!」
猫の体中には、包帯が巻かれていた。そして、右前足がなかった。
モニカは驚いて、撫でていた手を離してしまった。そういえば、普段はやかましいクロが毛布に包まってジッとしているのは変だったと、今更ながらに思い至った。
「ニャア……ちょっと失敗しただけにニャ」
「……クロ、すいませんでした」
モニカは、そっと毛布を元に戻し、欠損したクロの前足を隠してあげた。
クロが身代わりになっていなかったら、今ここで右腕を失っていたのはモニカ自身だったのかもしれない。本当にすまないことをした。
「ニャ、ニャ、気にすることないニャ! 義足を作ってくれることにニャってるニャ!」
「そうニャンで……そうなんですか?」
「ええ、僕が作ってますよ」
背後から少年の声がした。
モニカが振り返ってみると、見覚えのある少年が立っていた。声変わりが完成するかしないかぐらいの年齢。
「モニカ様、お久しぶりです。クレメンス=アーレルスマイヤです」
「クレメンス君?」
たった一年であるが、随分と雰囲気が変わっている。記憶にある少年と、目の前の少年はかなり違って感じられた。思春期の少年は成長が速い。
彼は、王家に嫁いだフィアンマ王女の実弟だ。魔法の才能を見出され、宮廷魔術師の弟子として王宮に勤めていた。
「ご無事で何よりです」
「クレメンス君も無事で良かった」
そういえば魔術師の塔では、姉のフィアンマについてかなり取り乱していた。今はかなり落ち着いているようだが、彼女と出会えたのだろうか。
「フィアンマ王女は見つかりましたか?」
「お姉ちゃんは……死にました」
しまった。
モニカはとても後悔して、慌てて謝った。しかし、少年は無言で首を横に振る。
「あ、ご、ごめんなさい……」
「いえ、いいのです。一度は会えましたから」
クレメンスは、悲壮感のある顔でつぶやくように言った。この一年で彼をここまで変えてしまったのは、姉の死を見たからか。
「姉は……フィアンマ姉は、最後に……言ってました。王家の復興を……目指して欲しいと。何年、経ってもいい、いつかもう一度、皆で笑える世の中が来たらいいな……と」
モニカは言葉を詰まらせた。そして、頭をフル回転させて慰める言葉を探す。
「それは……素晴らしいお姉さんでしたね。私も何度かお話したことはありますが、大変優しい方でした」
「はい、ありがとうございます。ですが僕は大丈夫です。姉の遺志を継いで、モニカ様、王家の方々を守るつもりです」
そう言いながらクレメンス少年は、平手に拳を合わせ、配下の礼をとった。つまりこれから部下として動くと言っている。
モニカは驚いたが、フィアンマ王女の遺志もある以上、無下にすることはできなかった。
「分かりました。クレメンス=アーレルスマイヤ。貴方を私の所属する魔術師として承認します。よろしいですか?」
「はい」
モニカは、クレメンス少年の頭を軽く触った。これは簡易の承認を示す儀式である。村娘シュティラを侍女とする際にも行った儀式だ。
それから暗い雰囲気を払拭すべく、努めて明るい声で命令した。
「では、初任務です。クロの義足を引き続き作って下さい」
「はい」
クレメンスは軽く笑った。それから畏まってその場を離れる。モニカは立ち上がると、後を追うように侍女リュミエラも立ち上がった。
「ニャー、素晴らしいニャ……感激ニャ……胸が熱くなるニャ!」
背後では、クロが他人事のように感動していた。さっきまでの真面目な雰囲気が一気に台無しだ。
なんとなくモニカは、クロに軽くデコピンしておいた。
「あいニャ!」
【5】
引き続き、廊下で侍女リュミエラから案内を受ける。
「次はどなたでしょうか」
「はい、次はエマニュエル様です」
「エマニュエル、エマニュエル……ああ、あの人ですか」
モニカはかなり苦労して記憶の片隅から引っ張り出した。そして、暗い気持ちになった。
エマニュエルは王家の一員ではある。が、あまり褒められた性格の男ではなかった。
まず一言で言えばデブだ。いつも何かを食べたがる。そして怒りっぽい。口では勇ましい事を言うが、率先して前に出ようとしない。かと言って、構わないでいると不機嫌になる。
それゆえに、国を統べる者として不適格とみなされ、遠くの村に幽閉されていたはずだ。王都では存在自体が抹消されていた為、モニカですら思い出すのに時間がかかった。これなら反乱軍には存在すら知らなかったのかもしれない。
運が良いというか、なんというか。
「こちらです」
リュミエラは扉を開けた。
部屋を覗くと、樽のような体躯のエマニュエルがソファに踏ん反り返っていた。
モニカは心を沈め、笑顔で挨拶をした。
「エマニュエルさん。どうも、お久しぶりです」
「やあやあ、モニカちゃん。待ちくたびれたよ。ここには飯がなくてつまんなくてね」
「そうですか。それでは後で食べ物を用意させましょう」
「うん、頼むよ。それでモニカちゃん、今度、王都奪還を目指すって本当かい?」
エマニュエルはフゴフゴと鼻息を荒くして、ソファに座り直す。
「ええ、本当です。その為に生き残りをかき集めて準備中です」
「そうか、ついに反撃に出るんだな! ざまぁ! 王家をバカにしやがって! 貴族どもを皆殺しにしてやる!」
エマニュエルは突然、顔を真っ赤にして声を荒げた。ツバが飛んでくるのが、一瞬見えた。
モニカは言葉に詰まる。そこまで復讐を考えている訳でもなく、ただ王権を奪還できれば、それでいい。
脳裏にクヴィラが思い浮かんだ。男の子はどうしてこうも皆、攻撃的なんだろう。
「準備には、もう少し時間がかかります。それまで、この屋敷でくつろいで下さい」
「モニカちゃん、期待してるお! 準備出来たら、僕にも何人か兵を寄越してよね」
「え、ええ……」
「やったあ!」
モニカは頷いた。彼に兵を預けるのは不安でしょうがないが、拒否する適切な理由も思いつかない。
そのエマニュエルはというと、兵を率いることができると言うことで、とても嬉しそうに両手を叩いている。
「それはそうと、お腹空いたなあ。早く飯を用意してよ」
「リュミエラ」
「はい」
モニカは、リュミエラに彼の食事を用意するように指示した。食事を用意するだけで黙ってくれるのなら安い。
「今すぐ用意させますので」
「よろしく頼むよ」
後はリュミエラに任せ、モニカはその部屋を立ち去った。