【10】20歳モニカ、昇級試験を受ける(3)
【1】
エリーを先頭に、中衛にモニカとコル、殿にハインツと隊列を組んでいた四人一行は無事に3階層を通過する事が出来た。
4階層に辿り着くと3階層より人の手が加わった様相を呈しているのに気がつく。3階層までは岩の地肌を荒く削ったかのような天然に近い乱暴な作りだったのにに対し、4階層からは精密に土を削って測ったような構造になっていた。
これに一番興味を示したのはモニカだ。
「これは……?」
「よくわからんが、ここから先はこんなモンだ。」
「しかし何故……?」
「知らん。だが推測はできる。」
ハインツの推測によるとダンジョン主は3階層にあった湖から出入りしているのではないかとのこと。だから4階層目から手入れしていると。
あり得そうな話にモニカは納得した。1階層は階段ですらなかったのだ。たまたま自然にできた洞窟の下にダンジョンを作ったのかもしれない。
その会話を最後に、一行の間には重苦しい沈黙の帳が下りていた。
ただ黙々とコルの〈携行灯〉に照らされたダンジョンを歩く。分かれ道でエリーが思い出したかのように壁に黒鉛で印をつける。響く音はといえば、四人の足音とカートの車輪の音だけ。
モニカの疲労が原因だった。
今までの会話はモニカとエリーのやり取りを起点に、コルとハインツが口を挟む形で成立していた。しかし今はモニカの疲労により起点の会話が成立しない。全体の会話が始まらなくなってしまった。
光源も〈光の精霊〉ではなくコルの〈携行灯〉のみ。モニカの〈携行灯〉は原型を留めないぐらいに破壊された為、捨ててしまった。
モニカの疲労は複数の要因が挙げられる。
一つ目。〈火の精霊〉の長時間召喚による魔力の枯渇。
二つ目。〈状態保護〉の副作用。
三つ目。3階層の戦闘で部屋の中央に陣取ってしまった作戦ミスによる重責。
四つ目。コルに重度の火傷を追わせてしまったリーダーとしての負い目。
会話がない中、魔力枯渇と責任感によって削り取られたそんなモニカの精神を支えたのは、イルの昔話だった。それは約半年前に聞いた話。
確か、仲間を死なせてしまった旦那の後悔をイル先生が励ましたんだっけ……。
その場で思いついた作戦が最善の作戦だ、とイル先生は言ってた……。
そういえば、惚気話の中の一節だったな……。
あは、あはは……。
イル先生の旦那さんは幸せだったんだろうな……。
モニカの頭の中でイルの惚気話がぐるぐると回り、苦痛に顰めていた顔がいつの間にか危なげ感じの笑顔になっていた。その顔を見かねたコルが口を開いた。
「お姉ちゃん……。私は平気だよ。」
コルは人の顔が伺うことができる娘らしい。だが顔と手に包帯が巻かれた顔が痛々しい。見るたびにモニカの心に突き刺さる。コルの火傷の治療は既に〈生命の精霊〉にお願いされている。少し時間はかかるが火傷跡を残さずに速やかに治してくれるはずだ。それでも気が晴れなかった。
「コルちゃん、ゴメンね。」
「ううん、嬉しいの。私、やっと役に立ったんだって。」
先ほどの戦闘を思い出す。ハインツのように部屋の入り口で待ち構えて攻撃していれば、時間はかかったかもしれないが安全に……いややめよう。
イル先生の教えの通り、その場で思いついた作戦が最善の作戦だ。
ハインツの方を振り向く。
試験官ハインツ。冒険者ランクC。この任務の最重要目的である輸送物資の護衛。恐らく戦闘技能は高い。助けを求めれば全ての重荷から開放される。
いやこれは試験だ。任務放棄は試験失格と同義の可能性がある。ここまで来たらやり遂げたい。
「淑女モニカ、そんなにチラチラ俺の顔を見なくても、後ろは俺が守る。心配するな。」
ハインツが苦笑していた。
どうやら何度も後ろを振り返っていたらしい。貴族に使う敬礼用の定冠詞を名前につけて呼ばれた。不安になっていたのを見抜かれているようだ。これじゃあ、まるでお姫様扱いだ。……恥ずかしい。
しかも、さらに元気づけるように励ましてくれた。
「5階層に到達すれば試験終了だ。試験終了すれば残りは全て俺がやる。道案内も戦闘も何もかもだ。後もう少しだ。頑張れ。」
「……はい。」
「モニカっち……。」
「私は大丈夫よ。」
ハインツだけではない。エリーも心配そうな顔で問いかけてくる。大丈夫と答えるしかない。何だかんだ色々と考えてくれているようでこんなことも言ってきた。
「モニカっちの〈魔法薬〉まだ余ってたら飲んじゃえば?」
「〈魔力回復薬〉のことならもう意味がないの。」
〈魔力回復薬〉はモニカがイルから学んだものの一つ。魔力の回復を早めるという効果を持つ。当然3階層での戦闘終了後に直ぐに飲んだ。しかしこの手の〈魔法薬〉二杯分飲んでも効果は二倍にるわけではない。よって4階層に辿り着いて多少の魔法は使えるが、今でもまだ本調子とは言えない。
「〈魔力結晶〉なら可能なんだけどね。」
魔力を直接回復できる〈魔力結晶〉というものが存在する。だが非常に高価かつ品物そのものが品薄。実際に今回の〈依頼〉で用意できる訳がない。
使えば状況が一気に改善され命を救うことも可能となる〈魔力結晶〉は上級冒険者で人気が高く多用される。しかしダンジョンで発掘されるぐらいしか供給路がなく下級冒険者には入手する術はないだろう。
一方、エリーの方も一行の先頭を歩きながら悩んでいた。
モニカの事が全く別の意味で心配だった。何度も後ろを振り返ってモニカの様子を伺う。この後、どうすればいいのか。
モニカと顔を合わせる度にモニカは「大丈夫、大丈夫」と視線で返してくる。彼女の考える意味では全く心配はしていない。長年の経験から知っている。彼女は強い。
コルも悩んでいた。
自分の火傷でモニカお姉ちゃんが傷ついているのを知っている。しかし自分が役に立った勲章でもあるこの火傷が嬉しかった。
顔の火傷自体はそんなに気にしていない。絶対に綺麗に治してあげると〈生命の精霊〉が保証してくれている。
だから伝えたかった。全く気にする事はないと。だがどう伝えてもお姉ちゃんの心に届かなかった。沈黙するしかない。どうしたらお姉ちゃんにこの喜びを伝えられるか。
コルは悩み続けた。
【2】
急にハインツの身が硬くなって身構えた。警告を口にする。
「静かに。……これは……?」
急に緊張の空気が張り詰めた。
気配を探ってるらしきハインツの次の言葉を全員が待つ。
ハインツの〈索敵能力〉は耳、さらに手の触覚が基本だ。
今の彼の耳には、生き物が動く気配が聞こえている。それを感知すると、さらに詳しく調べる為に壁に手を当てて振動を探る。ハインツの飛び抜けた五感がそれを可能としている。
彼の耳と手には、何か大きな生き物が尻尾と腹を引きずりながら四つの足でのしのしと歩いているのが感じられた。足音の響きで体の大きさ、重さも推測出来る。ハインツの記憶の中で該当するのは〈巨大鰐〉。しかしここは不浄の属性が強いから間違いなくアンデッド化した〈不死巨大鰐〉とみていいだろう。
これは手こずるだろうと内心舌打ちをした。〈巨大鰐〉は図体でかく鈍いと思われがちだが、実はかなりの瞬発力がある。
中級〈細剣使い〉の〈細剣〉の突きに匹敵するスピードで〈突撃〉をし、場合によっては噛み切ってくる。なおかつその威力は図体にふさわしく強力で、構えてないと吹き飛ばされる程。
しかもその皮は分厚く硬く生半可な攻撃では傷もつけられない。火が弱点なのは変わらないが、頑丈な分だけ火をつけても長時間動き回りその間は逆にこちらが危険になる。あまり賢い選択肢とは言えない。火をつけるとしたら切り刻むか動けなくしてからだ。
ただハインツからしてみれば最も逆にチャンスとも言えた。もはやモニカは危険だ。今までよくやってきたがそろそろ限界だろう。彼女の能力は十分見た。そろそろ口を出す時期が来たようだ。彼女に気付かれない程度に誘導しよう。
その前に影に隠れていた前衛のエリーの実力を測りたい。ハインツの観察眼からすればエリーは力を抜いているとまではいかなくても実力を隠しているという印象を受けた。いつもモニカを前に立てて自分は後ろに下がってるような。
そのように方針を定め、先頭で立ち止まっているエリーに言い放った。
「エリーはまだまだ余裕あるか?」
「あたしは平気だよー。」
「次のは恐らく〈不死巨大鰐〉一体。まあ図体のでかい鰐と思えばいい。ただ、〈不死生物〉の常識に反してこいつの皮は硬い。魔法の効果もやや薄い。」
横からモニカが口を挟んでくる。
「わ、私行けます……。」
モニカは生真面目なのはいいが、色々背負いすぎなのは傍目から見てもすぐ分かる。今回は出しゃばらせたくない。彼女の疲労の問題もある。少々キツ目なことを言わないと引っ込まないだろう。面倒な女だ。
「そうか、生半可な魔法は効かない。その魔力を使い果たした体で何の魔法を使うんだ?」
「〈火の精霊〉で燃やします。」
そら来た。初心者がやりがちなミス。〈火の精霊〉だけでは火力が足りない。
「〈不死巨大鰐〉は水の属性が強い、つまり水の保護がある。不死生物化してもそれは健在だ。水の保護によりある程度の火の属性に耐性がついている。今までの不死生物よりは火のつきが悪い。下位の〈火の精霊〉では無理だ。」
モニカは悔しそうに唇を噛む。ハインツは続ける。
「お前が今まで使ってきた火球では無理だ。仮に火がついたとしても図体でかい分信じられない程長時間襲い続けてくる。なるほど、火で牽制して近づけないようにできるかもしれん。だがそうなれば長期戦になるがいいか?前回の犬のようにはいかないぞ。あれは体が小さいから動かなくなるのが速かったんだ。魔力の尽きかけの今のお前が持久戦に耐えられるのか?ん?」
兎に角、モニカには地力が足りないと理解させないと駄目だ。ハインツが思いつく限りのあからさまな挑発をする。モニカの顔が真っ赤に染まった。
「なら、〈地の精霊〉を呼び出して、石の塊を作って押しつぶし、埋めて足止めします。」
「それも効かないだろうなあ。硬い皮があるから押しつぶせないし、力があるから埋める前に這い出てくるぞ?一瞬で通路埋めるぐらいの威力があれば話は別だがな?」
モニカを責めているハインツの物言いに耐えきれなくなったのか、普段はあまり喋らないコルが決意したかのように口を挟む。いつも掴んでいるモニカの服をなおさらいっそう強く握っている。
「あ、あの!」
思ったより大きな声が出てしまい、全員の視線がコルに集まった。顔を赤く染めてうつむきながらも話すのをやめない。
「わ、私が〈魔力譲渡〉をすれば、おねえちゃん元気がでると思うの……。そうすれば。」
「コルちゃん……。」
〈魔力譲渡〉はその名の通り、自分の魔力を相手に譲渡する魔法。
しかし今のコルの魔力は〈生命の精霊〉に命令して火傷の治療に使われている。火傷の回復が遅れるのは避けられないだろう。
さらに、この魔法は調整が難しいという。まず、自分と相手の〈生命の精霊〉が放つ圧力を天秤のように微調整をしながら均衡を保たせるのがコツと聞いている。その上で、自分が倒れない程度に魔力の放出を行わなければならない。
調整に失敗すると、魔力を与えすぎて倒れる可能性がある。
なぜ、こんなに厄介な事をしなければならないのか。
全ての生物の身体に宿る〈生命の精霊〉は〈生命維持〉を属性とする。属性というのはその精霊の望みそのものであり、その意に沿う魔法ならばお願いをするだけで、速やかに願いは叶えられる。しかしその意に反する魔法は精霊から強い抵抗に会う。
つまりコルは〈魔力譲渡〉するに当たって己の精霊を屈服、支配させなけば発動しないのである。
「コルちゃんに危険なことはやらせられないよ。」
「……でも!」
モニカの何かを悟ったかような顔に、今が勝負時だと、コルが強く押す。
「お姉ちゃんが悩むのなら、それは私の悩み。」
「お姉ちゃんが苦しむのなら、それは私の苦しみ。」
「お姉ちゃんが喜ぶのなら、それは私の喜び。
「お姉ちゃんが怒るのなら、それは私の怒り。」
「仲間は辛いことも楽しいことも共有して助け合ってこそ仲間。私はお姉ちゃんを助けたいの!」
コルもこの戦闘で何かに目覚めたようだ。最初はオドオドとしていたのだが。それが今はどうだ。この毅然とした態度。ご立派な演説だ。よく舌を噛まずに言い切った。
だが……。とハインツは冷静に考える。ただ13歳にしては妙に大人びた考えに感じた。誰かの入れ知恵か。もしくはコルの今までを思えば大人にならざるをえなかったのか……。
コルに対する評価を上方修正した。それらを考慮した上で〈魔力譲渡〉を使うのなら使わせてもいいと思った。実力を測るためだ。ただし、いざとなったら気絶したコルを背負うという役得な下心もあるのは否定しない。
「コルちゃん……。」
コルから思わぬ演説を受けたモニカは思わずエリーの方を伺った。それに対してエリーはじっとモニカを黙って見つめている。『任せるよ』という視線で返事をした。
翻ってハインツの方を見た。表情が読めない。
ハインツが心の中を悟られないように無表情を装ったからだ。ここで決断をするのはモニカであってハインツではない。そうでなければ試験にならないからだ。
最後に再びコルを見た。『私だって役に立ちたい!』という感情がメラメラと燃え上がって見える。
モニカはかなりの時間の沈黙の後、決断した。
「ふぅ。負けた。わかったわ。……じゃあ、コルちゃん。お願いしようかな。」
モニカのお願いにコルは嬉しそうに返事をする。
「うん!」
コルは一度モニカから手を離し、手を合わせ目を閉じて〈生命の精霊〉に呼びかける。
「精霊さん、嫌だろうけどごめんね。でもお願い。お姉ちゃんに私の魔力を分けてあげて……。」
しばらくすると手のひらに淡い桃色の光が輝き出す。改めてモニカの手を握ると、その手を握っているモニカの手に伝って淡い光が流れそのままモニカの体の中に消えていく。モニカは体内にある魔力が急速に満たされるのを感じる。まもなく光は消えた。
コルは崩れ落ちる。
「……コルちゃん?」
コルがぐったりして倒れそうになったためにモニカが慌てて支えた。
「だ、大丈夫。お姉ちゃん。仲間だもの。皆で目的を果たしましょう。」
そんなコルの健気な返事に対して、ハインツは冷静に言う。
「歩けるか?というより歩くだけの魔力を残しているか?」
「う、うん。」
コルネリアはなんとか立ち上がって元気な顔を見せて返事をする。どうみても空元気。だが歩けるのは本当のようだ。本人の意思も含めて、ハインツは『おぶってあげようか』という言葉を残念そうに飲み込んだ。
コルを支えていたモニカは、ハッとして慌てて自分の〈背嚢〉から〈魔力回復薬〉を取り出した。そしてそれをコルの口に当てた。
「これ飲めば少し楽になるよ。」
「うん。」
コルの喉が可愛らしくコキュコキュと鳴って、その液体を嚥下する。少し楽になったようだ。
ハインツはひとまずホッとした。しかしまだ話は終わっていない。感情を殺しながら改めてモニカに聞く。
「では魔力が戻った所で改めて聞く。どういう作戦を立てる?」
「それは……。」
既に頭の中に組み立てられるような作戦はなかった。黙った。
すると思ってもなかった所から声がした。エリーだ。
「モニカっち。地の精霊は地味だの微妙だのと人気がなかったりするけどそれは間違い。他の精霊と違って文字通り地形を変えることができるんだ。それは戦況の流れを大きくかえるほどの潜在能力を秘めてる。」
「エリー?」
モニカは珍しく饒舌なエリーに目を丸くした。エリーの顔も無表情で読めない。こんなこと今まであったっけ?
一方、ハインツも少し驚いた。魔術は教科書通りに学ぶだけでなく、いかように使いこなすかというのも重要な要素だ。それを実用的に使うには、前提として魔術の基礎を知ってなければならない。つまり目の前の娘は魔法の基礎を知っている……?
前情報として魔法は一切使えないとのことだったが。
「ほう、詳しく聞かせてもらおうか。」
「巨大鰐と戦闘になる前にあたしたちの後方の地面から足元から土を削り、あたしの前方に土を盛ってなだらかな坂になるようにして欲しい。そしてできるだけ玉砂利を表面にして滑りやすく。そうしてくれれば後はあたしが片を付ける。」
モニカはエリーの言っている意味が分からない。ハインツにはわかったようだ。
「そうか、そういうことか。」
そのハインツの言葉にモニカは頷く。
「巨大鰐というのは一般的には這いつくばっている格好になるから、当然背が低く、剣の攻撃がしづらいんだ。そして向こうはその歯でこちらの足を咬みちぎってくる。これが非常にやりにくい。そして突撃力もある。ところがこれが上り坂の場合、腹の高さこちらが攻撃しやすい高さにになるし、しかも向こうは体が前に泳ぐので前足を踏ん張らなければない状況になる。玉砂利でが相手の俊敏さや踏ん張りを奪う。敵対象に魔法効果が及ばなくても、周辺の地形そのものを変えれば有利になるということだ。」
ハインツは説明しながら、エリーはできるだけモニカを戦闘に参加させようとしたことに気がついた。確かにハインツは、モニカとコル抜きで二人で戦闘をしようと思っていたがこのような補助なら効果的だ。出番がなくなってしまった。
「まあ、あたしは山でよく狩りをしてたからってのもあるんだけどねー。坂での戦いってのもよくやったんだ。相手より高い位置にいるときは弓はかなり強い。遠くまで届くし、相手からの攻撃は届かないからね。だけど、逆に接近戦になると今度は途端に上側にいるとやりづらいんだ。高い位置から攻撃の踏み込みをしようとすると前方に流される。当たればいいけど、かわされると隙だらけ。横からやられる。従って攻めた攻撃をしずらいんだ。」
「ふむ、〈戦士〉の技能だけかと思ったら〈野伏〉の技能もあるようだな。」
「これで、試験に追加点よろしく!」
「ははは、考えておこう。ひょっとして〈索敵能力〉もあるのか?」
「うん。でもハインツさんがやってくれるというから黙ってた。楽したいから。でもどんな敵かは実際に目で見ないとわからない程度だから、間違いなくハインツさんより精度は下だよ。」
「エリー……。」
「モニカっち!仲間だろー!困ったときはお互い様だよー!」
大きく手を広げてこちらに抱きついてくる。いつもならこんなオーバーな表現は抵抗感を感じるが、今日は凄く安心感を覚えた。いつもより難易度の高いダンジョンのパーティーリーダー役なんてやらされて、精神的にも少し参ってたのもあるかもしれない。
何故か涙が出た。
「うん、エリー。もう大丈夫。」
頷いた。この大丈夫は嘘じゃない、本当の大丈夫だ。
「じゃあ、コルっち、ランタンをもって私たちがやりやすいように光を当て続けるの?できる?」
「うん、できる。任せて。」
「戦闘はエリーに任せた。私が援護する。」
「ばっちり任せてー!バリバリ行っくよー!」
モニカは大きく息を吐いた後、心を落ち着けて地面から一掴みの土を拾って〈地の精霊〉の召喚を始めた。
「地の精霊よ…。我が求めに応じよ……。」
周りの土が削られて集まり、足元に土の塊ができる。この土の塊にノームを降霊させる。そして細かい土粒が辺りに拡散した。そのまま地の精霊に命じて、自分の後方から前方に向かって土を流し、エリーに言われた通りの地形を作った。
そのままの状態で待ち構える。前と違うのはコルがモニカの服ではなく手を強く握り返しているところか。準備ができてすぐに〈不死巨大鰐〉が出現した。
「余裕があったら巨大鰐の視界を邪魔して。」
「うん。」
【3】
鰐は既にこっちに来ているようだがのそのそしている。やっぱり鈍いのか、とおもいきやびっくりするような速さでこちらに向かってきた。
モニカの足元にあった土の塊から繰り返し出される〈石礫〉を顔にぶち当てる。動じた様子もない。目くらましぐらいには期待していたが石礫をかわす気配もなく気にしてすらないようだ。勢いそのままで地をはうロケットのようにエリーに正面から襲いかかってきた。
コルがその速さに驚いてランタンを手から離してしまった。
エリーは持っている長剣を両手で持ち、やや左下に向けて構える。
精神を沈めろ。
心臓の鼓動を加速させろ。
時間を感じろ。
時の間に身を置け。
時が遅くなった。
周囲の景色が消える。
敵が急接近。
警戒しろ。
剣の射程範囲に侵入。
まだ。
まだ。
動くな。
ひきつけろ。
敵が飛び跳ねた。
素手の攻撃範囲に侵入。
右足を踏み込め。
身体を右前へ。
敵の口が開き始める。
開くな。
さらに前へ一歩進め。
左腰に擦り当てろ。
体の左半身が突き飛ばされ……
させない。
足を踏みしめろ。
体を回転。
右半身を加速。
敵の口はまだ開かない。
開くな。
剣を振り上げろ。
左足を蹴りあげろ。
体が回転させろ。
剣を振り上げろ。
敵に背を向く。
恐怖は考えるな。
敵の口が完全に開く。
遅い。
回転を剣に乗せろ。
敵の首が捻る。
こちら側を向く。
目の前には敵の脇腹。
振り下ろせ。
重さを剣にのせろ。
広背筋を収縮。
筋力を剣にのせろ。
背中で敵の口が閉じた。
遅い。
剣を叩きこめ。
振り下ろす。
地面に突き刺さる。
手に急制動がかかる。
反動で右足を蹴りあげろ。
剣を離すな。
敵の背中に飛び込め。
剣を垂直につきたてろ。
剣を離せ。
エリーは鰐の〈突撃《チャージ》〉をギリギリでかわし一撃で右脇腹を叩き割った。
しかしその勢いに乗って、鰐の背中に飛び込んでしまい、勢いを殺しきれずに轢き飛ばされた。コルとモニカの目の前でボールのように吹っ飛び、回転して地面に転がったエリーの身体は、最後にうつ伏せになって静止した。
コルの手放した〈携行灯〉が地面にぶつかって転がる音がした。火は消えず、辺りの景色がめぐるましく明滅した。火は消えてない。壊れた様子はない。
「ガホッ、ゲホッ、ガッ、グホッ! オェーッ! ガフッ!」
エリーは激しく咳き込んで嘔吐した。胃液の混じった涎が口からツツーとたれ落ちていた。受身では衝撃を吸収しきれなかった。
自分の体を調べる。
胃に衝撃が来た。胃液が逆流する。喉奥から酸っぱい味がする。
跳ね飛ばされた時に膝から落ちた。膝の関節がおかしい。膝は酷い擦り傷だ。
腕は〈腕防具〉のお陰で軽症だ。ちくしょう。今度は〈足防具〉も買うか。
服は元からひどい事になっていたが、なおひどくなった。熊毛の上衣は穴だらけだ。
肘で上半身を起こし、呼吸を整える。顔を上げてコルの姿を視認すると辛うじて言えた。
「グホッ、ハァハァ、速く火を……。」
その声に我に返ったモニカは手持ちの〈背嚢〉から取り出した油瓶と火をつけた燐石を〈不死鰐〉に投げつけた。地面に剣に縫いつけられ体がほとんどちぎれている状態で動けないのでかわせない。やがて鰐本体に点火した。〈地の精霊〉を送還し、杖を振って〈風の精霊〉を召喚。風の渦を起こし火力を強化。〈炎の柱〉で鰐を焼き尽くした。
〈火球〉では無理な敵もより強力な〈炎の柱〉なら焼くことができる。
ヨロヨロと立ち上がったエリーは警戒を解かずに短剣を取り出し構える。しばらく構えを崩さないでいたが、やがて鰐の形が崩れ落ちる頃には構えをといた。
ふぅと息をついたエリーはモニカに振り返って苦痛を堪えた笑顔で答えた。
【4】
「不死鰐を一撃必殺とは驚いたな……。」
ハインツは感嘆したように言う。
「あ……、モニカっち、後よろしく。流石に今回は疲れた。水もらえないかな。」
「それぐらいならこちらの物資を使っても構わないだろう。」
ハインツはカートの中から先ほど汲んだ水瓶を取り出し、エリーに手渡した。
水瓶を受け取ると、その場にドカってあぐらを書いて壁に寄りかかりながら座る。そのまま水瓶からガブガブと水を一杯飲み込んで胃酸を飲み込んだ。そして、バシャバシャと自分の手と膝に降りかけた。手の力をだらんと抜いて両手を腹の上に置く。大地に剣を突き刺した時の反動が腕に来て痺れているようだ。
左手が震わせながらも手袋を外す。火矢の影響か、左手の手袋が汚く焼け黒ずんでいた。やだ、エリーの為に選んだお気に入りだったのに。
〈風の精霊〉で紫色の煙を吹き飛ばした。
次は〈水の精霊〉で洗い流す。幸いにしてエリーが撒いた十分な水がある。と思っていたらこのダンジョンは地下水が豊富のようだ。〈水蒐集〉で水を集めようとしたら壁から水が染み出してきて焦った。だがその分、通路は十分に洗浄された。
再び〈地の精霊〉で地形を元に戻した。ついでに突き刺さっていた長剣を抜き取ってエリーに返した。手の痺れは抜けたようで右手で長剣を受け取った。落ち着いたようだ。
「いやあ、モニカっち助かったよ。」
「私には何がなんだかわからなかった。」
体を休めながらエリーの疑問に答える。
「あいつの目測を誤らせたんだ。下り坂にしてあったから普段よりスピードが出ていた。」
エリーは解説を続けた。
「で、あたしが右に避けたら、首を動かしてあたしを噛み切ろうとしたんだ。だけど、普段よりスピードが早かったのでタイミングが遅かった。噛み切ったのはあたしの遥か後ろの誰もいない空間だったってわけ。」
ハインツが補足した。
「それがモニカの使った魔法の効果だ。十分に活躍したな。」
モニカも褒められて悪い気がしない。嬉しかった。
「エリーもそれを計算どおりに行うのは余程の豪胆だっただが、それより今の技には名前があるのか。とても真似できそうにないが。」
「ないよー。」
モニカとコルに首をかしげた。意味が理解できなかったからだ。
「ハインツさん、今エリーは何かやったんですか?」
「カウンターだが。ただ、普通のカウンターじゃない。説明が難しいな。ちょっと俺の前に立ってみろ。」
モニカはハインツの前に立って向き合った。
「今から左肩を押すぞ。」
言われた通り左肩を押された。グラっと身体が揺れる。
「今、君の右腕は今どうなった?」
「反動で前に出ました。」
「そうだ。つまり、体の正中線を回転軸にしてお前の身体が回転したんだ。」
「回転?」
「そう。あの時エリーは敵の突撃を左腰に擦るように受け止め、その威力を体を回転させて反動で右腕に乗せかえたんだ、剣の威力にするために。」
「普通のカウンターとは違うんですか?」
「普通のカウンターは簡単だ。ちょっとモニカ、短剣貸してやるからを腰だめに構えてみろ。」
言われたとおり短剣を受け取り、刃を向ける。
「今から俺が攻撃するからな、動くなよ。」
そう言ってハインツは短剣に向かって拳を振り出した。短剣の刃は拳にズブズブと突き刺さった。
「えっ、ちょ。」
モニカはひどく狼狽した。ハインツを刺してしまった!
「慌てるな、指の間に差し込んだだけだ。」
そういって傷一つない手を広げ、無傷であることを示す。
「まあ、ちょっと違うがこれがカウンターだ。相手の攻撃の勢いを自分の刃を突き刺す力にするわけだな。他にも、攻撃のタイミングでは防御が取れないので確実に致命打を与えられるという利点もある。」
ハインツの一通りの説明にエリーが疲れた顔で照れていた。
「そこまで深く考えてなかったけど。だいたいそんなだね。」
一通りの説明が終わるとコルが目を輝かせた。
「これはエリーお姉ちゃんの超必殺技なんだね!名前をつけるべき!」
性格が変わったかのように騒ぎ出した。
「〈超究極竜超旋風〉なんてどうかしら。どんな攻撃を跳ね返すことができる。相手は死ぬ。」
エリーは一言突っ込む。
「いや、体当たりや棍棒系武器じゃないとできないから。」
モニカも一言。
「色々吹っ切れたっぽいのはいいけど、そうかコルは13歳だった。これが噂に聞く14歳病というやつか……。」
ハインツは無言だった。ただ口がにやけていた。