第94章:さよなら
【SIDE:篠原唯羽】
元雪に危険が迫る、私は森を駆けていた。
「元雪は……どこにいるの?」
お兄ちゃんに無理を言って呪術で感情を封じ込めた。
『呪術は万能な力ではない。これは呪いだ、キミに災いを招く。それでもいいのかい?』
私は選んだ、元雪を救うために。
これで椿姫の力を弱める事ができるはずだって、彼は言っていた。
「世界の色が消えていく、ってお兄ちゃんは言っていたけども……」
その通りだった。
私の見ている世界に色が失われていくような感覚。
喜怒哀楽、感情が徐々に消えていくのを自分でも感じている。
椿姫は私の負の感情に影響を受けている。
それならば、感情そのものを封じ込めてしまえば力を失うはず。
私だって本当は感情を失うことは怖い。
その恐怖と息苦しさに耐えて、彼のもとへと走る。
「……元雪を助けなくちゃ」
すべては私のせいだもん。
彼を守るために私の事はどうなっても良い。
元雪が私のせいで死ぬのは嫌だ。
嫌だ、絶対に嫌だもの。
「どこ?どこなのよ、元雪っ!」
私の叫びが森に響き渡る。
その時だった、ご神木の方から何かが燃えているような煙が見える。
「燃えてる……?まさか、あそこに元雪がいるの?」
なぜか古い社が燃え始めていた。
立ち上がる煙と焦げた匂い。
彼はきっとあの中にいる。
私は炎に囲まれている社の中に飛び込んだ。
「――元雪ッ!!」
熱風に驚いてしまうくらいに、社の中も熱い炎で焼けている。
その中に倒れ込んでいる元雪の姿があった。
「元雪!?ねぇ、元雪っ!」
彼の身体を揺らすとまだ意識はある。
「……ゆい、は……ちゃん……?」
「そうだよ、唯羽だよ!大丈夫?」
「……あっ……いたい……」
怪我はない様子だけども彼は自力で動けないのか、苦しみもがく。
炎のまわりが早く、いつ崩れてもおかしくない。
私は彼を背負って、外へと出ようとする。
だけど、私達を阻むのは椿姫だった。
真っ赤に燃え盛る炎の中から私達を睨みつける。
「……元雪は返してもらう。貴方には渡さない、傷つけさせたりしない」
『愚かな事を。自らを犠牲にしてその子を守るか、唯羽』
「当たり前だよ。元雪は私にとって大切な男の子だもん」
椿姫も力を失っているように見えた。
お兄ちゃんの呪術の効果は出ているみたい。
『影綱様の魂を受け継ぐ子を許さぬ。私は許したりはしない』
「貴方の事なんて知らない。私は、前世なんて関係ないっ」
『お前はそれでもいいのか?好きな男と結ばれぬ運命を望むのか』
「ヒメちゃんの事は好きだから。私は、それでも……いい……」
本当は嫌だ。
ヒメちゃん相手でも元雪は奪われたくない。
悔しさもあるけれど、今はそれを表現できない。
これが感情を失っていく、と言う事なのかもしれない。
「運命なんて関係ない。私は……元雪を好きだから、守りたいだけ」
私の言葉に椿姫は何も言葉を返すことがなかった。
充満する煙、爆ぜる炎、もう逃げる時間はわずかしかない。
「行こう、元雪」
私たちが炎の中から脱出すると、椿姫は追いかけてはこなかった。
燃え盛る社に人が気付いているに違いない。
逃げるように私は元雪を引きずりながら、森を抜けていく。
「ねぇ、元雪。私ね、元雪が好きなんだよ。大好きなの」
眠っているのか、意識がない彼に私は言葉をかけ続ける。
消えてしまう感情。
その前に私は想いを伝えておきたかった。
「ちょっとの間だったけども、私は元雪と一緒に遊んで楽しかったの」
子供の私は精一杯の言葉で想いを放つ。
私たちに別れが近づいているのを私は感じていた。
彼はもう私には近づいちゃいけない。
この場所も避けた方がいいに決まっている。
「……もっと、一緒に遊びたかったな。元雪ともっと一緒にいて、仲良くなって、今よりも、もっと好きになりたかったよ」
神社の外までもう少し、別れが近づく。
そして、私の心が失われる時間も残りわずかだと言うこと。
好きって気持ちと、別れが寂しいって気持ちがまだ残っていて良かった。
「ひとつだけお願いしても良い?私の事、忘れないでほしいな。私と一緒にいた時間、楽しかった思い出を忘れないで」
それは無理な願いだと分かってはいても。
「いつか、また会えたら……好きって言ってもいい?」
私にまだその気持ちが残っていれば、だけど。
「……また、会いたいな。これで終わりにしたくないよ」
私は再会を願わずにはいられなかった。
鳥居を抜けると、消防車のサイレンの音が聞こえる。
「ご神木の古い社が燃えているらしい。すぐに消火しないと森全体に広がるぞ」
慌てた様子の多くの人が森の方へと向かっていく。
燃えた社の方は彼らが何とかしてくれるはずだ。
騒ぎにまぎれるようにして私たちは逃げ続ける。
私と元雪はひっそりと静まる裏門の方へと出た。
「……元雪、起きて。もう大丈夫だよ」
私は元雪の肩を揺らすと彼はようやく目を見開いた。
だけど、彼は無表情のままだ。
ゆっくりと立ち上がるとこちらを気にすることなく歩き始める。
「さよなら、元雪。私のせいで怖い思いをさせてごめんね」
私はこれが別れだと思い、彼の後ろ姿に言葉をかける。
その言葉は彼の耳に届かなくても、想いは届くと信じて。
「……さよなら」
彼の後姿が見えなくなる頃には私も感情を消失していた。
寂しいと思うのに、寂しいと思えない事は本当に辛い事だ。
もしも、私がヒメちゃんに嫉妬しなければ、椿姫を呼び起こす事がなければ。
私はその、もしもを考えられずにいられない。
後悔、ただ、その一言に尽きる。
椿姫の呪いと炎の記憶。
私達を苦しめている椿姫の怨念。
彼女の“呪い”はまだ終わっていない。
だけども、“運命”の方は自分たち次第で変えていけるんだ――。




