第93章:炎の呪い
【SIDE:柊元雪】
炎の記憶。
幼き日の俺が体験したのは椿姫の呪い。
運命を変えたあの日、俺は唯羽を探していた。
「……唯羽ちゃん?」
桜のご神木の場所に唯羽がいると、和歌に聞いていたのに彼女はそこにいなかった。
木々の葉が擦れる音。
なびく風に桜の花びらが散る。
その光景の中に、俺は思わぬ人物に遭遇する。
「――やっと、見つけた」
ゆっくりとこちらに近付いてくるのは着物姿の女性。
年齢は20歳くらいに見える長い黒髪がよく似合う美人だった。
「……え?」
彼女は俺に近付いて声をかけてきた。
和服姿の女性に俺は不思議な感じを受ける。
「貴方のお名前は?」
「俺は柊元雪だよ。お姉ちゃんは?」
「私は椿よ。元雪……良い名前ね。ねぇ、元雪君。この辺りに社があるのを知ってる?」
「知ってるよ。あっちにあるんだ。」
少し木々に隠れた先に社があるのは知っていた。
以前にも似たような事を参拝客に言われた事があったので、俺は彼女も社が見たいだけなんだと思った。
「あちら?よければ、案内してくれる?」
「うんっ。いいよ、俺が案内してあげる。ついてきて」
「ありがとう。優しい子なのね、元雪君は……」
優しく微笑む彼女は俺の手を取る。
ひんやりとした冷たい感触。
「……お姉ちゃんの手は冷たいね?」
「うん。私は低温な方だから。元雪君の手は温かいわ。とても、温かい」
彼女の微笑みに俺はどこか照れくさくなっていた。
俺は彼女を、古い社がある方に連れていく。
ご神木からさほど離れていない距離にある社。
古い社の周囲には誰もいなかった。
「元雪君はよくここで遊んでいるの?」
「遊んでいるよ。唯羽ちゃんとしーちゃん。2人とよく遊んでるんだ」
「へぇ、ふたりとも女の子かしら?仲のいいお友達なの?」
「うん。大事なお友達だよ」
俺達が神社につくと彼女はしばらく、その社を眺めていた。
ここからだと、桜の巨木も眺める事ができる。
「何も変わらないわ。風の匂いも、桜の綺麗さも変わらない」
何かを呟く彼女。
その横顔はどこか寂しそうに見える。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「何でもないわ。元雪君。中に入ろうか?」
「え?神社の中に?いいのかなぁ?」
「いいのよ。誰もいないし、入ってみましょう」
俺の手を握ったままの彼女に誘われるがままに社へと入る。
古臭い木の匂い、普段から人が入っていない様子が見て取れる。
「お姉ちゃんはここに何の用事があるの?」
「ここに来たかった。そして、元雪君に会いに来たのよ」
俺の手をそっと離す彼女。
その顔に先程までの優しい笑みは消えていた。
「……元雪君。貴方は優しい子だわ。それだけに残念ね」
「お姉ちゃん?」
何やら尋常ではない雰囲気を感じ取る。
「貴方が悪いわけじゃない。それでも、貴方は、あの人の魂を受け継ぐ存在だから」
「あの人?お、お姉ちゃん?」
俺を睨みつけるその瞳、美しい顔立ちに似合わない怒りの表情。
怖い、という恐怖が俺の足をすくませる。
「ごめんね、元雪君。貴方には何も罪はないわ。けれども、仕方のない事なのよ」
彼女はなぜか俺に謝るとその手を俺の首にかけた。
「これは“あの子”の願いでもあるもの。さぁ、終わらせましょう、全てを――」
「く、苦しいよ、お姉ちゃん……!?」
俺の首をしめる彼女。
女性とは思えない力の強さ。
子供の力では到底、彼女から逃れる事は出来なかった。
そして、俺は知ってしまう。
彼女は人ならざる者であると――。
「私は許せないのよ。私を裏切った影綱様も、紫姫も……彼らの思い出の地であるこの場所も、全てを許せない。ごめんね。貴方は純粋で可愛い子供なのに。魂を受け継ぐ貴方を私は許せない。だから、私のために死んで欲しいの」
「いたいよぅっ……やだぁっ……!?」
苦しみもがく俺を見つめるのは冷たい瞳。
優しげな微笑みを浮かべていた女性とは思えないほどに。
「おねえ……ちゃん……やめてっ……」
「今すぐに、楽にしてあげるわ。おやすみなさい、元雪君」
彼女は本気で俺を殺そうとしている。
もうダメかもしれない。
俺が意識を失いかけたその時だった。
「……ぅっ、がはっ、なっ……!?」
突如、彼女は俺の首から手を離した。
俺は床を転がり、「けほっ」と大きくむせる。
「う、嘘よ、これは……どういうことだぁ!?」
彼女は自らの身体の異変に苦悶する。
何が起きてるのか俺には分からない。
「私が……消えかけている、なぜ……?」
ただ、彼女の身体が薄く透けていくのが俺の目にも見て取れた。
俺は自分の目をこすり、現実に戸惑う。
これはどういうことなのか?
彼女は一体、何者なのか?
「まさか、そんな事があるはずない。自分の感情を捨てたのか……?」
豹変する彼女は苦しいのか、息も絶え絶えになっていく。
「そんな!?あの子の負の感情は極限にまで達していたはず。想いを諦めていたはずなのに、どうしてこんなことが……ありえない……。あの子は、自分を捨てたのか!?私を封じるために……自らを犠牲するつもりか。愚かな、私の……復讐をっ、邪魔するなぁ……」
ついに彼女は力なく片膝をついて床に倒れ込む。
「……私の存在を……消すのか、唯羽が望んだ事を私が実現してあげるというのに」
「唯羽?唯羽ちゃんのこと!?」
「ふふっ、あははっ……元雪君、貴方を殺そうとしたのは、唯羽よ。あの子の“願望”が私を生み出したの」
「何を言ってるのかわかんないよ!?唯羽ちゃんが、俺を……?」
唯羽が俺を殺すなんて、まったく意味が分からない。
「くぅっ……まだだ、私は消えない。この恨みを晴らすまでは……」
一瞬で、目の前が赤く染まった。
熱い、そう感じた時には社が燃えていたのだ。
火の気も何もない場所がいきなり燃え始める。
「せめて、この場所と共に……彼を葬れば……」
「うっ……熱い、熱いよ」
燃え盛る炎と熱風が俺を襲う。
古い木材の建物だ、火の回りは早く、俺を炎が取り囲む。
俺は床に倒れ伏せながら逃げることもできない。
「あははっ、燃えろ……燃えてしまえ。彼らの想いも、思い出も何もかも消えてしまえばいい」
消えそうになり弱々しくも笑う椿姫。
俺を殺そうとする彼女の殺意は本物だった。
そして、燃える社から逃げられない俺は窮地を迎えていた。
「――誰でもいい、誰か、助けて……!」
俺の悲痛の叫びは炎の渦に消えていった――。