第92章:恋の記憶《後編》
【SIDE:篠原唯羽】
影綱は最後に紫姫を想い、前世での結び付きを望んでいた。
紫姫もまた運命の相手だと影綱を信じ、来世に願いを託した。
相思相愛、望まれた関係。
私は違う、椿姫は影綱に望まれず捨てられた者。
前世の繋がり。
元雪の事がどんなに好きでも、私と彼は結ばれない。
ヒメちゃんと結ばれる事が、彼らの想いを叶えることになる。
知ってしまった真実。
元雪の前世を知ってからの私は嫌になるくらいに気分が沈んでいた。
「……唯羽ちゃん?どこか苦しいの?最近、暗いよね?」
「そんなことないよ。でも、今日はちょっと疲れたかな。ヒメちゃんと遊んであげて」
「うん。分かった。しーちゃん~」
元雪が心配してくれるけども、私は適当にごまかす事しかできない。
彼とヒメちゃんと遊んでる姿を見ているとに胸が痛んだ。
まさに恋の苦しみ。
この時には既に私は自分の想いが恋だと気付いていた。
初めて好きになった男の子なのに。
「諦めなくちゃダメなんだよね」
ポツリと呟いた一言。
「私は元雪の特別な相手じゃないんだ」
言葉にするたびに何か嫌な想いが胸に込み上げてくる。
「ヒメちゃんじゃないとダメだなんて、どうしてなの?」
私は涙ぐんだ瞳をぬぐった。
諦めるしかない、諦めたくない。
どうして自分じゃダメなの?
何だか悔しいよ。
私もヒメちゃんになりたい、私が元雪と結ばれたい。
少しずつ“嫉妬”の気持ちが膨らんでいく。
さぁっと心地の良い風が流れていく。
私はひとりでご神木にもたれかかっていた。
「……苦しいよ、心が苦しい」
私は自分の胸を押さえて呟いた。
恋の悩みと苦しみ。
負の感情の積み重ね。
嫉妬する気持ちは“最悪”を目覚めさせてしまう。
『――その苦しみから解放してやろうか?』
聞いた事のない低い女の人の声。
私は当たりを見渡すけども、誰もいない。
『その苦しみを取り除く術はあるぞ』
「だ、誰なの?」
『恋などせねばよかった。辛い想いを、する必要などないのに』
声の主を探す私の前に現れたのは……。
『……終わらせてやろう。私が、お前を救ってやる』
着物姿の綺麗な女の人がそこにいた。
ゾクッと背筋が凍るような怖さを感じる。
この人は、“人”じゃない。
魂の色も感じれない、未知の存在に私は怯える。
「い、いやぁ。来ないで!?」
『私はお前の辛い気持ちを理解できるぞ。羨ましいのだろう、妬ましいのだろう?』
「何が分かるの、貴方に?」
『人を愛する事と苦しみ。愛する者を他人に奪われる想いを、私は知っている』
彼女はそう言うと、散りゆく桜の花びらを手のひらに受ける。
人ならざる者の声に耳を傾けてはいけない。
そう分かっているはずのなのに。
「……貴方は椿姫?」
彼女は私の夢に出てきた女性、椿姫なのではないか?
直感的に私はその名を呟く。
『そうだ。お前の願いを私は叶えてやれる。来世で結ばれたいと願いを託した愚か者どもの想いをうち砕ける』
「それは影綱と紫姫のこと?2人の願いを壊すって……」
『すべてを終わらせるのだ、お前の心がそれを可能にさせる』
「な、何をする気?ねぇ、何をするつもりなの!?」
私は幼心に危機感を抱いて彼女に叫ぶ。
この女は危険で、何かとんでもない事をする気でいる。
『お前の抱く、嫉妬の気持ちは心地よいぞ。他者を羨ましく、妬ましく、苦悩する心。それこそが私をようやく目覚めさせた。感謝をしよう、唯羽。私をこの世に目覚めさせたお前の願いは私が叶えよう』
「私の願い?なんのこと?」
私が願うのはヒメちゃんと元雪の運命を変えたいだけ。
まさか、その願いを、この椿姫は……!?
『影綱と紫姫の魂を受け継ぐ者が結び付く事はない。彼らが望んだ未来への願いなど成就させるか。私が、ふたりを滅ぼせば全て終わるのだから。これからは何も悩むことがなくなる』
高笑いをする彼女に恐怖心で足がすくむ。
何を言ってるの、この人は……?
『お前の苦しみはもう終わりだ。心を安らかにするまで何もせず、待っていればよい』
椿姫は歩きだして、神社の方へと向かい始める。
何をする気なの?
私は慌てて後を追いかけようとする。
「ま、待って!?ヒメちゃんと元雪に何かするつもりなの!?」
私の言葉に邪悪な笑みだけを見せて何も答えない椿姫。
やがて、強い風がまき散らす桜吹雪と共に彼女は姿を消した。
私は愕然として、立ちつくしていた。
「……私のせい、なの?私が……嫉妬しちゃったから?」
椿姫は言った、私の嫉妬心が目覚めさせた、と。
私のせいだ、私が……ヒメちゃんを羨ましいって、悔しいって思ったから。
大好きな元雪を諦められずにいたせいだ。
人ならざる者、椿姫の覚醒に私は焦る。
「ど、どうしよう!?元雪達が危ないっ」
彼女の言葉が本当ならば彼らに危害を加える可能性がある。
私は元雪達が遊んでいる境内の方へと走る。
すると、そこにはヒメちゃんだけが絵馬の前で遊んでいた。
「ヒメちゃん!?元雪はどこに行ったの?」
「んー?分かんない。お姉さまを探しに行くって、森の方へ行ったよ?」
「元雪……。ヒメちゃん。今日はもう家に帰って。お母さんたちの所へ帰るの。いい?」
私は「まだ遊びたいよ」と不満そうな彼女を言いくるめた。
今、ひとりになると危ないと分かっていたから。
私は家までヒメちゃんを送ると、再び森の方へ向かう。
「どこにいるの、元雪?」
薄暗い森の中で、私は彼の名を叫んだ。
「元雪~っ。いるなら返事をして!!」
広い森の中を駆けて彼を探す。
何度か転んで傷だらけになりながらも、彼の名を叫びつつづける。
「……おや、唯羽ちゃんじゃないか。怪我をしてるじゃないか。どうしたんだい?」
森の中で出会ったのは佐山のお兄ちゃんだった。
いつも出会うご神木の方向から来たみたい。
「お兄ちゃんっ。元雪……えっと、同じ歳くらいの男の子を見かけなかった?」
「今さっきまでご神木の方にいたけども、誰も見ていないな。だけど、今日は嫌な気配がするよ。いつもと何か違う。この森に近付かない方が良い。“何か”が来ている。この気配は尋常ではないな」
お兄ちゃんも何か異変を感じているようだ
私は彼に詰め寄って尋ねた。
「お兄ちゃん。私のお話を聞いて!」
私は先程、起きた事を全て彼に告げた。
もう私にはどうしようもない事だったから。
元雪に迫る危機を回避するためには彼の力を借りるしかない。
「……椿姫の呪い。この嫌な気配は悪霊の類か。なるほどね」
「どうすればいいの?どうしたら、元雪を助けられる?」
「落ち着いて、唯羽ちゃん。これが椿姫の呪いだとしたら、かなり危険だ。キミがどうこうして、解決できる問題ではない」
私の負の感情が目覚めさせてしまった、椿姫。
数百年前の恨みを晴らすために。
「呪術……そうだよ、お兄ちゃん。呪術で何とかできないの?呪い返しとか、聞いた事ある。呪いを何とかできる方法もあるよね?」
「呪術ってのはそれほど万能でもないよ。……いや、待てよ。キミの負の感情を封じ込めれば、あるいは――」
「何か方法があるの!?」
何かを思いついたお兄ちゃんは首を横に振ってしまう。
「ダメだ、ダメだ。そんな事はしちゃいけない」
「何か思いついたのなら教えてよ!元雪が危ないのっ」
切羽詰まる私に彼は唇をかみしめて、
「……キミの感情を封じ込めてしまう方法がある。負の感情が椿姫を呼び起こすきっかけになったのだとしたら、その原因を封じればいい。だけど、それは唯羽ちゃんの感情を殺す事になる。キミを犠牲にするかもしれない方法は危険だ」
「私の感情がなくなるってこと?」
「そうだ。楽しい事も、悲しい事も、何も感じられない。そんなのは辛すぎるだろう」
呪術で私の感情を封じ込めてしまう。
そうすれば椿姫を止められるかもしれない。
わずかな可能性に、賭けてみるしか私に方法は残されていなかった。
「……いいよ、お兄ちゃん。私にその呪術をかけて」
「だから、ダメだってば!いいかい、唯羽ちゃん。心を封じるってのは、本当に危険なことなんだ。感情は人にとってキミはまだ幼いのに、そんなことをすれば……」
私には人の心が見えるから、普通に暮らしていくには十分だろう。
私が犠牲になれば、助かるかもしれないのなら、私はそれに賭けたい。
「あのね、お兄ちゃん。私は元雪が大好きなの。私のせいで、元雪やヒメちゃんが傷つくのは嫌なんだ。だから……」
原因は私のせいだもん。
私が元雪とヒメちゃんの運命を受け入れられず、諦めれなかったから。
そのせいで、2人が傷つくのなんて見たくない。
恋なんてしちゃいけなかった。
私が元雪を好きになったから、こんな事になったの。
抱えていた恋の苦しみは、私から全てを奪おうとしている。
そんなことはさせない、絶対に……。
「――そのためなら、私はどうなってもいいからっ!」
お願いだから、元雪たちを助けて――!