第91章:恋の記憶《中編》
【SIDE:篠原唯羽】
それは夢。
私は元雪と出会ってからよく夢を見た。
見知らぬ女性が怒った顔をして何かを叫んでいる。
『私は影綱様を許せない』
許さない?
『私を裏切ったあの方を、許せるはずがない』
だけど、怒りだけじゃない。
『どうして、私を捨てたの、影綱様。どうして……?』
怒りの感情の中に、寂しさと辛さも感じるのはなぜ?
幼い私には嫉妬も、憎しみも理解はできなかった。
けれど、その人を可哀想だと思っていた。
夢に出てくるお姫様。
彼女の名前は椿姫。
私と元雪の運命を変える、諸悪の根源――。
幼い子供の声が神社の境内に響く。
「元雪、早いよっ。ヒメちゃんがついてこれない」
「ゆき君、待って~」
「ごめん。ほら、しーちゃん。転ばないようにしてね」
私とヒメちゃん、元雪の3人は今日も一緒に遊んでいた。
私は会うたびに元雪に惹かれていた。
元雪は転びそうになるヒメちゃんの手を繋ぐ。
「えへへ、ゆき君。ありがとー」
「あー、元雪。ヒメちゃんには優しい」
「え?そう?」
「うん。私も手を繋ぎたい~っ」
そう言うと彼は笑いながら手を差し出してくる。
「はい、唯羽ちゃんもつなぐ?」
「私だけ仲間はずれは嫌だもんっ」
男の子の手はどこか女の子とは違う。
温かくて、心地よくて、私は幸せだった。
元雪を好きになれば、なるほどに。
彼の存在が心を支配すればするほどに。
私は自分が苦しむ事になるなんて思わなかったんだ。
……幸せな日々は長くは続かない。
苦しい、苦しい、苦しい。
私の夢に現れる女性はいつも怖い顔をして憎悪を見せていた。
『許さない、許さない、許さない』
怖い、怖いよ、どうして彼女は怒ってるの?
今までこんな夢を見ることはなかった。
この夢を見始めたのは元雪と出会い始めてからだ。
『殺す……私は……』
誰に対して、こんなにも憎しみを抱いてるの?
『影綱様……来世で幸せなどさせない……』
影綱って誰なの?
『……紫姫も、影綱様も、私は認めない。そんな恋は……私が終わらせる』
紫姫……あの石碑に書かれている名前のお姫様だ。
もしかしたら、あの人に関係ある事なのかな。
長い夢の中で私の苦しみは続く。
私は佐山のお兄ちゃんに相談をしていた。
彼は私の話を頷きながら真面目に聞いてくれる。
「そうか。キミの夢に出てきたのは椿姫だろうね。今もなお、憎しみの炎に燃えているとは……危険だな。唯羽ちゃん、キミの年頃の子にはまだ難しいお話かもしれないが、恋月桜花という話をしてあげよう」
彼は私に話してくれたのは椎名神社に恋月桜花の物語。
戦国時代に恋をした姫と武将の悲恋。
私も話はなんとなく聞いた事があったけども、私にも理解できるようにお兄ちゃんは物語を教えてくれたの。
そして、私は知ってしまった。
紫姫と影綱の想いを、関係を、来世への願いを……。
話を聞き終えて私は自分の身体が震える想いがした。
私の前々世の椿姫は影綱に裏切られてしまった。
だから、夢の中であんなにも怒っているらしい。
「恋月桜花だと、結ばれる相手は紫姫なの?」
「……影綱が最後に想ったのは彼女だろう。それに妻だった椿姫が怒る気持ちは当然だ。けれども、恋ってのは単純なものではないよ。今も昔もそれは変わらない」
紫姫の運命の相手、それが影綱。
影綱にとっても紫姫と結ばれる事が幸せなことなのかな。
そのことだけが頭に残り続けていた。
時に真実は残酷だと思う。
私は人の魂の色が見える。
目に見える人のオーラは私に自分の知らない事を教えてくれたりもする。
他人の心を覗くようで悪い気になる事もあるけども。
私の母も同じような力を持っていたらしい。
私が自分の力を不思議だと思ったのはヒメちゃんと会った頃だ。
彼女に触れたその瞬間、私に彼女の前世の記憶が流れ込んできた。
そして、私は彼女が紫姫というお姫様だと知った。
恋月桜花の知識も何もないのに、紫姫という名前が出てきた事を驚いたのを覚えてる。
私には不思議な力がある、と初めて知ったきっかけでもあった。
それ以来、彼女をヒメちゃんと私は呼んでいる。
「お姉さま。今日は雨だね。ゆき君、来ないかなぁ」
ヒメちゃんが寂しそうに告げる。
窓の外を打ち付ける大雨。
春の雨は冷たくて寒い。
「しょうがないよ。雨じゃ元雪は来ない。晴れたらまた遊ぼうね。ヒメちゃんは元雪が好き?」
「うんっ。ゆき君、優しいから好き~」
「私も好きだよ。元雪のことが大好き」
初恋の想いを、元雪にも知ってほしいな。
しばらくして、私は傘をさして、神社の境内を散歩し始めた。
別に理由なんて何もない、ただ、なんとなくご神木の方へと向かう。
予感があったわけじゃない……そこに“彼”がいるなんて。
大雨の中、傘もささずに雨にぬれる“柊元雪”。
幼い身体を雨に濡らして、彼はただご神木を眺めていた。
「も、元雪っ!?どうしたの、こんなところで何をしてるの?」
「……」
私の言葉が届いていないように彼は沈黙し続ける。
何で雨の日にここにいるのか、疑問に思う。
「元雪……?」
不安になりながら彼の顔を覗き込むと、黙って桜を眺めていた。
まるで何かにとりつかれているように。
「も、元雪、しっかりしてよ。ねぇっ!」
私は彼の身体を揺らすも反応を示さない。
このままじゃ危ない、とっさにそう感じた私は無理やり彼を引っ張る。
ご神木の近くには古びた社があるので、そこまで連れて行く。
「ねぇ、元雪?私の声が聞こえてる?大丈夫?」
なんとか社まで引っ張ると、私は未だに動けない元雪の身体に触れる。
その時だった、彼の“記憶”が私の中に流れ込んできた。
「な、なにこれ……?」
それは彼の前世、過去の記憶だ。
舞い散る桜と綺麗な月。
『今宵も美しい月と桜だな、紫。そうは思わぬか?』
『……紫、そなたは本当に可愛いな』
『なぁ、紫。来世と言うものがあるのなら、再び我らは巡り合いたい。また、こうして桜が見たいものだ』
桜を眺める女の人を抱き寄せる男性。
ここと同じ場所、あのご神木を眺めている光景。
これは紫姫と影綱、お兄ちゃんが話してくれた恋月桜花の光景なの?
私は意識を取り戻すと、ぐったりとする元雪に寄り添う。
「今のは……元雪の記憶……」
だとするならば、彼の前世は赤木影綱?
恋月桜花の紫姫が恋をした相手、椿姫を裏切った人。
他人の記憶を知るのはあまり好きじゃない。
私は元雪の頬に触れながら彼を起こそうとする。
でも、できなかった。
「あ、あれ……?」
私の頬を伝うのは雨粒ではなく、涙だった。
私は自分が泣いている事に気付いて戸惑う。
悲しくて、辛くて……こんな気持ちになるのはどうして?
「ひっく……元雪っ……」
そう、私が泣いている理由はただひとつ。
私は元雪の運命の相手じゃないってことだ。
影綱が望んだのは紫姫。
つまりは私ではなく、ヒメちゃんと結ばれる運命だということ。
「私じゃダメってことなの?どうして、私じゃダメなんだろう」
好きなのに、大好きなのに……諦めなきゃダメなんだ。
だって、私は紫姫じゃない、ふたりの望んだ相手じゃない。
来世の再会を願ったふたりこそが結ばれなきゃいけない。
私は自分の力を初めて嫌いになった。
こんなこと、知らなければよかったの。
雨の音が響く森の中で泣きじゃくることしかできなかった。
「……唯羽ちゃん?」
私が泣いているとようやく元雪が普通の状態に戻ったみたいで目を覚ます。
「どうして、泣いてるの?どこか痛いの?」
彼はなぜ自分がここに来たのかも分かっていない様子だった。
影綱の魂を受け継ぐ男の子。
「うぁっ……何でもないよ、元雪」
私は涙ながらに彼に抱きついて、戸惑う元雪の温もりを感じていた。
どうしようもない、どうすることもできない気持ちを抱きながら――。
その後は、おじさんが見つけてくれて、雨に濡れていたので、ふたりで一緒にお風呂に入った。
元気を取り戻した元雪にいろいろと元雪に悪戯されたのは……良くも悪くも思い出だけど。
後になって思い返してみれば、この時の感情が私たちの運命を狂わせてたんだ。
私が初めて感じた“嫉妬”の気持ち。
それが私と元雪の運命を狂わせ、別離に導くものとなる――。