第90章:恋の記憶《前編》
【SIDE:篠原唯羽】
元雪との出会いは10年前の春。
まだ小学生になったばかりの頃。
末妹が生まれるために母は私を従姉妹のヒメちゃんの家に預けていた。
そして、そこで私はかけがえのない人と出会ったの。
私には小さな頃から人のオーラが見えていた。
その力は普通の人にはなくて特別なものだってことは幼いながらに理解していた。
「俺の名前は柊元雪。よろしくね」
元雪は私にとっての初めての同年代の男の子の友達だった。
偶然にも彼の父がこの神社に連れてきたのが縁で知り合い、同い年くらいだからって私とは遊ぶようになった。
彼のオーラを見た時に私はドキッとしたの。
だって、私が今まで見た事のない不思議な光を持つ男の子だった。
運命を感じてしまったのかもしれない。
「元雪、待ってよ。そっちは危ないよ?」
「えーっ。だって、桜が綺麗だから」
ある日、彼と遊んでいたら、神社の境内が珍しいのか、森の方へと行ってしまう。
私は追いかけることにして、隣にいたヒメちゃんに声をかける。
「ほら、ヒメちゃんも一緒に行く?」
「うぅ、私もゆき君と遊びたいよ。でも、私は巫女舞のおけいこがあるから」
彼女は小さな頃から巫女になるために巫女舞の練習をしていた。
邪魔をしちゃ悪いけど、彼女も私たちと遊びたそうにしている。
「そっか。それじゃ、練習が終わったら遊ぼうね。元雪にも言っておく」
「うんっ。ゆき君とお姉さまと遊べるように、お母さまにも頼んでみるっ」
寂しがる彼女の頭を撫でながら、私は元雪のあとを追った。
森の奥に広がるのは綺麗なピンクの花びらが舞い散る桜の古木。
「うわぁ、すごく大きな桜の木だ。こんな木、見たことないよ」
「この神社のご神木っていう、特別な木だからさわっちゃいけないんだって」
「ふーん。そうなんだ。こっちの石に何か書いてある。読めないや」
元雪が興味を持ったのは石碑だった。
それは幼い私にもまだ意味を理解していない、恋月桜花の伝承の石碑だった。
「何て書いてるの?」
「古いお姫様の名前が書いてあるんだよ。紫姫って言うの」
「……ゆかり姫?変わったお名前だね……紫姫か」
紫姫と言う名前を口にした彼はしばらく石碑を見つめる。
この神社の伝承が残るお姫様の名前に興味を持ったのか、それとも……。
「元雪、どうかしたの?」
「ううん。何だか前にもここに来た気がする。変だよね、初めてきたはずなのに」
「お父さんと一緒に来たとかじゃない?七五三の時に、とか」
「そうかも。んー、どうしてかなぁ?ここを俺は知ってる気がするんだ」
デジャブ感を抱く元雪。
不思議な事に、彼自身のオーラも何かに反応しているように見えた。
幼い私たちはご神木の下に座りながら桜を見上げる。
ひらひらと舞う桜。
私は持っていたお菓子を元雪と一緒に食べた。
小さな粒、甘い金平糖の味が口に広がる。
「これ、甘いね。すごく好きな味だ」
「私のお気に入りのお菓子なの。元雪も気にいってくれて嬉しい」
元雪と一緒の時間は楽しい。
隣り合う彼に私はこの神社にまつわる事を話す。
「ねぇ、知ってる?この神社は縁結びの神様がいるんだ」
「縁結びってなに?」
「大切な人と出会うことだってお母さんが言ってた。縁を大事にしないさいって」
「唯羽ちゃんは色んな事を知ってるんだ。すごいなぁ。俺達にも縁があるのかな」
無邪気に笑う彼に私は心がくすぐったくなる。
きっと、その時から私は彼に惹かれていた。
淡い初恋の気持ち。
私はその感情の名も知らないのに、人を愛する気持ちを知る。
それゆえに、自分に起きてる異変にも気付き始めていたの。
元雪が家に帰ってしまい、私は一人夕焼け空の下でご神木を眺めていた。
「元雪と遊んでいると楽しいなぁ」
明日も彼と会う約束をしている。
私は幼稚園でも男の子とはあまり触れた事がなかった。
元雪は普通の子とは違う気がする。
だって、彼と話していると、すごく楽しくて、嬉しくなるんだもん。
でも、不思議な気持ちも抱いていた。
ずっと昔、もっと前から一緒にいたような感覚。
「元雪も初めてここにきたのに、違う気がするって言ってた」
どうして、そう思うのかな。
私が悩んでいると、人影がこちらにやってくる。
「おや、唯羽ちゃん。今日もここにいたんだな」
「あー、お兄ちゃん。こんにちは」
眼鏡をかけた高校生ぐらいの男の人がにこやかに微笑む。
佐山お兄ちゃんとはここに預けられる前から何度かこの神社で会った男の人だ。
「また呪術でも教えてくれる?」
「唯羽ちゃんは幼いのに呪術が好きだな。あまり人に勧めるものでもないんだけど、おまじないなら教えてあげよう」
彼は時折、ここにきては色々と何かを調べている。
私と同じ人の魂の色が見えるらしくて、私にとっては頼れるお兄ちゃんだった。
「……今日は何だかすごく嬉しそうな色をしているね。何かあったのかい?」
「うんっ。お友達と遊んでたの。最近、仲良くなったんだ」
「それはいいことだ。友達は大切にした方が良い」
呪術に詳しいお兄ちゃんの話は興味深い。
それに呪術と言っても人を呪うと言う類のもだけではなく、占いや祈願などオカルトめいたもの全般の意味をさす。
子供の頃にクラスの誰かがしていた、好きな人の名前を消しゴムに書く、これもおまじないのひとつではある。
まぁ、消しゴムを減らす労力の消費にどれほどの効果があるかは分からないけども。
人が人を思う力は、時に思わぬ力があるのも事実だ。
幼い私が教えてもらっていたのはそんな簡単な類の呪術だった。
私は気になっていた事を彼に尋ねてみる事にする。
「お兄ちゃん。あのね、私のお友達、元雪って言うんだけど、すごく不思議な色が見えたの。いつもと違うんだ。急に色が明るくなったり、真っ黒になったりするの。なんだかホタルの光みたいだったよ」
「なるほど。彼自身の心の変化が原因かな。いや、もうひとつ可能性があるとするならば――」
彼はそう言葉を区切ると私の方をジッと見つめてくる。
「なぁに、お兄ちゃん?」
「その男の子は唯羽ちゃんと出会う運命にあった相手かもしれない。お互いに惹かれあう心がキミにその色の変化を見せているのかもしれない。キミの前々世は特別な存在だ。だとするならば、相手は……いや、考え過ぎか」
彼は首を横に振り自らの考えを否定する。
私の前々世はお姫様だったと彼に教えられた事がある。
元雪も、何か特別な存在だったりするのだろうか?
「ここで影綱の魂を継ぐ者が現れるなんて、そんな都合のいい縁もないか。もしも、そんな事があるとすれば、それは運命と呼ばざるを得ない。あまりにも危険すぎる“運命”だけどね」
私はまだ彼の呟いた言葉の意味を理解できずにいたんだ――。