第8章:願いを叶えて
【SIDE:椎名和歌】
私は自ら決めた事がひとつだけある。
「そうだ、和歌。例の件なんだが、本当に進めてもいいのかい?」
それは、結婚する相手の条件のこと。
「はい。私も16歳になりますし、早い時期に決めた方がお父様も気が楽でしょう」
椎名神社には後継者候補がいない。
どこの神社でも同じ問題で悩むことがある。
後継者問題、あとを誰が引き継いでくれるか。
大抵は息子だったり、親族だったりする。
特別な職種であり、資格も必要な宮司の成り手は限られている。
それゆえに、神社の存続の鍵となるのが後継者の存在だ。
実際に今の時代は寂れて、宮司のいない小さな神社もそれなりにある。
そんな場合は他の宮司が掛け持ちをしたりしているケースも多々ある。
私の父も、10を超える他の小さな神社などの宮司を兼任している。
後継者がいれば、この神社はこれからも守っていける。
幼い頃から私は大好きな神社を守りたいと思っていた。
大好きなこの場所で、大好きな人と一生を暮していきたい。
けれど、それは現実には……そう単純な物でもない。
私自身、異性が苦手という事もあり、話自体もまったく進んでいなかった。
高校に入学しての初めての夏。
ようやく、その話が本格的に始まろうとしていた。
「こればかりは相手のいる事だから難しいのは確かだよ。和歌、無理せずに決めて欲しい。僕はそれだけが心配だ。好きでもない相手と結婚してまで、この神社を継いで欲しいとは僕は思っていないのだよ」
「心配してくださり、ありがとうございます。お父様の気持ちは嬉しいです。けれど、これも私の運命……。私が決めたことですから。良い縁があればぜひ、お話を進めて欲しいです。覚悟はとうの昔に出来ていますから……」
恋愛の有無に関わらず、良い縁があるのなら、私はそれを受け入れれる。
そう考えていた、今日という日が来るまでは……。
どうして……私は……あの人に出会ってしまったの。
一目惚れをしてしまった彼の顔を思い出すたびに胸が締め付けられる。
これは恋をすることの痛みなの?
「和歌?」
「なんでもありません」
「そうか。疲れているのならまた後で話すが?」
「いいえ。私にお話があるのでしょう。大丈夫ですから」
どうして、このタイミングで話を切り出してきたのか。
それはきっと……お父様が相手を見つけてきてくれたに違いない。
お父様は少し不安そうにこちらを見ていた。
「その件だが、実は柊の息子さんを紹介してもらう事になったんだ」
「柊のおじ様の?息子さんがいると聞いたことがありますけど、確か息子さんは結婚されていたのでは?」
柊のおじ様はお父様の古い友人で、この家にも時折やってくる。
とても面白く明るい方で、雰囲気のいい人だ。
そして、彼の息子さんは数年前に結婚しており、彼の話にも出てくる事がある。
「いや、それは長男の誠也君の事だな。柊には次男の子がいてね。高校2年生だから、和歌よりひとつだけ年上になる。会うだけでも会ってみるかい?さすがに、彼も事情が事情だし、すぐに結婚という話にならないと思うけどね」
私の悩みはこの問題の難しさもある。
ただ単に私との結婚という一点のみの問題ではない。
神社の神主になる、という私の夢を押し付ける事になるのだから。
最初から宮司になる気がある人ならばいいけれど、そう言う事の縁遠い方ならば、「はい、分かりました」と受け入れられる事でもない。
きっと、その彼もすごく戸惑うに違いない。
「……はい。私の方はかまいません。柊のおじ様の息子さんならば、会ってみたいです」
「そうか。彼の名前は……元雪君という」
すごく古風な名前だと言う印象を受けた。
和歌なんて言う名前の私が言える立場ではないけども。
少しだけ親近感がわいてくる。
「はじまりの雪、ですか。素敵なお名前ですね」
「柊は和歌には相性がいいんじゃないかって言っていたよ。それで、話は急になるんだが、明日はどうだい?」
「明日、ですか?」
早い方が良いには違いないけども、急な話だと思う。
「分かりました。心の準備はしておきます」
でも、先延ばしにしても意味はないので、私は頷いて答えた。
「それでは、この話は進める事にしよう。……和歌。神社を思う気持ちは良い事だけど、キミの人生もまた大切なことだ。自分の事も考えるんだよ」
お父様にそう言われて、私は頷けなかった。
……頷いてしまえば、きっと、私はその話を断ってしまいそうになったから。
私は夕食後、自分の部屋で思い悩んでいた。
脳裏に浮かぶのは2人の存在。
ひとりは一目惚れの彼のこと。
そして、もう一人は……明日、会う事になる元雪様のことだ。
前者はただの憧れ、後者は現実の問題。
どちらも今日と言う日に訪れた私の縁の相手。
「……縁とは不思議なものですね」
私は窓の外から見える景色を眺めながらため息をつく。
神社は高台にあるので、そこに併設されている私の家からもよく景色が見える。
街の色どり豊かな光の色、綺麗な夜景を部屋の窓から眺める事が出来る。
「元雪様、か。どんな人なんでしょう」
柊のおじ様のようなタイプなのかな。
怖い人だけではなければいいな。
どんな相手であれ、この話を進める以上は結婚を考えなければいけない。
相手が私と条件を受け入れてくれる事が前提条件ではあるけども……。
私も相手に望むのは……。
「今はただ、元雪様が良い人である事を望むだけ……あの人のように」
夜景に向けて放った自分の本音に、私は嫌悪感を覚えた。
「私は……なんてことを……」
誰かの面影を会った事もない人に対して重ねようとするのは失礼だと思った。
元雪様は「神社の後継者と結婚したい」という私の我が侭に巻き込む形になってしまったというのに。
他人と比べる事は私は好きではない、それなのに。
「良い人と言えば、彼が思い浮かぶなんて……一目惚れなんてしなければよかった」
ダメだ、今の自分は思っている以上に精神的に参っているらしい。
「はぁ……」
お母様はこの気持ちが恋だと言った。
私は今、それを痛いほどに自覚させられていたの。
結婚相手になるかもしれない相手ができて、明日会う予定もあるのに。
心では別の人の事を一番に強く考えてしまっている自分がいる。
私が好きなのは……あの人なのだ、と。
神社を継いでくれる人と結婚するのは私の夢。
そのはずが、私はどうして……こんなにも彼の事を考えてしまうの。
「せめて、一夜だけでも、彼だけを思いたいのに……」
純粋に、初恋の彼を想い、眠る夜が欲しかった。
結婚の話はせめて、数日後にもらいたかった。
明日会う予定の元雪様には失礼だけども、私はこの初恋の気持ちに浸りたかったの。
「あっ……」
気がつけば、瞳の端に薄っすらと涙の雫が溜まっていた。
私はそれを慌ててぬぐう。
「どうして……恋とは辛いものなのでしょう」
人が人を想う事、15年生きてきた私が初めて味わう、恋の痛み。
私は今、名前も知らない初恋の人を思い浮かべている。
明日には現実と向き合わなければいけなのに。
その相手が私にはいるのに、幻想を求めてしまう。
「ごめんなさい、元雪様。明日、貴方に会うまでは、私は……」
私は一言だけ彼に謝り、部屋を出た。
「本当に一夜だけの夢を、見させてください」
今は元雪様の事を忘れて、初恋の人の事だけを考えさせて――。
深夜の神社、誰もいない静まり返った境内……。
時折、夜中に参りに来る人がいるけども、今日はその様子もない。
「私自身、縁結びの神様に祈る事はなかったけども……」
私はここにきてくれるたくさんの人々の笑顔が好き。
縁を求めて、願って、それが成就した時の喜びを見せてくれる人々が好き。
「神様……私にも……特別な縁が欲しいと思うのは私の我がままでしょうか」
拝殿に座りこむ私はただ小さな声で呟くことしかできなかった。
この場所で、日々、たくさんの人が祈りを込める。
その願い、その思い、私は……今、改めて感じる事ができた。
「こういう願いを皆さんは、抱いていたのですね……」
私は子供だった……私はまるで何も理解していなかったのだと理解した。
恋愛とは単純ではない、それゆえに人は悩み、神に祈り、願いを込める。
「一目惚れした、あの人にもう一度会いたいです」
今宵はただ、あの人だけを想う。
「彼を好きになってしまった私は……どうすれば……」
私は神様に自分の想いを、本音を呟き続ける。
明日、元雪様に私はどんな顔をして会えばいいの。
初恋に悩み苦しむ自分の姿に……私は本当に自分が子供なのだと思い知った。