第87章:不満爆発
【SIDE:柊元雪】
唯羽と海水浴に行った日の夜の事である。
「……地味に痛いな」
軽く日焼けしたせいで背中が痛む。
一応、日焼け止めは塗ったのだが、あまり効果はなかったようだ。
ここ最近の唯羽の変わりようってのは驚くほかにない。
自分から海に行きたいなんて。
一昔前の唯羽なら考えもつかなかったぜ。
それでも、今の変化を俺は嬉しく思う。
少しずつ、変わってくれたらいい。
彼女の笑顔を取り戻すためなら何でもするさ。
「眠くなってきたな」
海で泳ぐことは意外と体力を使うものだ。
それにしても、唯羽は……もう少し、スタイルが成長してほしいものだ。
男の願望的な意味で。
唯羽はミステリアスな雰囲気だったが、ずいぶんと子供らしさを感じる雰囲気になった。
それが本来の唯羽なんだろうな。
俺が眠気にウトウトとし始めた頃だった。
ふと、俺の横に誰かの温もりと存在を感じる。
「……ん、誰だ?唯羽か?」
布団の中に潜り込んでくる誰か。
こんな事をしてくるのは唯羽しかいない。
「唯羽……あんまりこういうのはやめてほしいわけだが?」
返事がないので振り向いて、俺は心臓が止まる想いをする。
そこにいたのは……。
「――私ですが、何か?」
「わ、和歌さん!?」
むすっとした表情の恋人が俺を睨みつけていた。
和歌の思わぬ襲来に慌てて布団から飛び出して、電気をつける。
「え?あ、いや、え?和歌?」
「私でごめんなさい。唯羽お姉様ではなくて悪かったですね?」
「いやいや、その、あの、和歌がこんな真似をするとは思いもせずに……」
「お姉様とはよくこういう事を?」
「してません!?何もしてないからっ」
唯羽はネトゲをいまだに少しだけやってたりする。
だから、夜に俺の部屋を訪れることは少ないのだ。
和歌はそれを知っているためか、俺の言葉を信じてくれたのか、
「まぁいいですけど。元雪様に大切な話があってきたんです」
「大切な話?」
「はい。私たちの“関係”についてちゃんとした話がしたいと思いきました」
――まさかの破局危機ッ!?
もう怒りとか信じるとか信じないとかそんなレベルではない。
関係についてのお話。
つまりは……俺、和歌に見限られた?
俺は和歌に自分の気持ちが揺らいでる事を告白した。
だけど、嘘をつきづけることはできなかった。
その事が彼女を傷つけた事も自覚している。
だが、破局危機はいきなりやしないだろうか。
「わ、和歌……?関係の話って?」
俺は起き上がり、和歌に向き合う。
やばい、本気でこれはまずい。
破局危機を迎えるのだけは避けたい。
「私、ずっと考えてたんです。その事についてお話がしたいんです」
「か、考えてた……?」
「そんな緊張した顔をしないでください。私は元雪様の事を嫌っていませんよ。別れるつもりもありませんから」
……だといいのだが。
和歌の言葉に少しホッとするも、危機は去っていない。
「でも、今日は言いたい事を言わせてもらってもいいですか?」
「あぁ、どうぞ」
和歌の意見も聞くべきだ。
彼女の本音を、互いの気持ちを確認しあうためにもな。
だが、こちらが思っていた以上に和歌の怒りは溜まっていたらしい。
「――元雪様の浮気者」
ぐさっ!?
俺の心に突き刺さるのは和歌の容赦のない一言。
言葉と言う刃が俺にダメージを与える。
「私だけを愛してるって言ってましたよね?運命だって、一目惚れしてくれたって……。あれだけ愛してくれていると思ってたのに、前世だって愛しあっていた関係なのに。いきなりお姉様が魅力的に変化した途端にこれですか?」
「それについては……」
「元雪様。私の言いたい事が言い終わるまでは黙っていてくれます?」
「は、はい、ごめんなさい!」
なんてこった。
和歌が怒りモードに入ると怖いのは承知済みだ。
彼女は大和撫子、お淑やかさの中にも芯の強さもある女の子なのである。
これ以上、怒らせないように大人しく黙っておく事にしよう。
「お姉様は今の性格になって可愛らしくなりましたよね。元雪様が振り向いてしまうのも仕方ありません。一緒に暮らしていてドキッとする事もあると思います。それに料理も上手ですし、とても優しくて気配りのできる方ですから、将来、結婚した良い奥さんになるでしょう。母性の強い方ですから子供だって可愛がる人になるでしょうし」
和歌から見ても、唯羽はそう見えるらしい。
そこが彼女にとって不満の所でもあるようだが。
「だけども、私だって負けてません。私も子供は好きです。わ、私だって元雪様との間に子供だって欲しいんですからっ」
顔を赤らめて大胆告白をする和歌。
「す、ストップだ。和歌、落ち着いてくれ」
今の和歌に立場が低いのは仕方ない。
だが、これ以上の深い話は俺としても戸惑うだけなのだが。
唇を尖らせる和歌は俺に文句を続ける。
「大体、元雪様ってばお姉様にデレデレしすぎです。お姉様ばかり相手にして、私の事だってもっとかまってほしいです」
「もしかして、和歌は妬いてるのか?」
「焼きもち、妬いちゃダメなんですか?元雪様っ」
「い、いや、そんなことない、ですけど」
迂闊に呟いた不用意な一言が余計に和歌を怒らせる。
しまった、これもNGワードか……怒る和歌は普通に怖いです。
「妬きますよ。大事な人が奪われそうになってるんですから。嫉妬くらいします。当然じゃないですか。元雪様だって私と同じ立場になったら、普通の心の状態でいられるはずがないです」
そりゃ、そうだな。
もしも、逆の立場なら全力阻止で和歌を引きとめようとする。
「私は……元雪様だけしか好きになった事がないんです。貴方だけが好きなんです」
和歌の真っすぐな瞳を見て、俺は改めてこの子の想いを知る。
「だから、苦しいんですよ。お姉様の抱えてきた事情も、その気持ちも分かります。だけども、譲れない。大好きな貴方だけは……絶対に誰か他の人の者になんてしたくないんです」
恋人がいるくせに、もう一人の女の子も好きな自分がいる。
その中途半端な態度が和歌の不満爆発に繋がっている。
「私だけを見てください。それが私の本音です。それでも、貴方の気持ちが揺れているのなら、私は自分のできる限り、元雪様の気持ちを私に引きつけます。お姉様に負けないように、全力で」
「和歌……」
「私の愚痴は以上です。元雪様、失礼な事を言ってしまってごめんなさい」
和歌は怒りを鎮めて、静かに頭を下げた。
言いたい事をいってすっきりしたのだろうか、不思議と冷静さを取り戻している。
「和歌が謝る必要はない。責められるのは当然なんだからさ」
そう、俺は責められて当然で、こんな風に和歌が想っていたんだと実感もする。
「元雪様と出会えた事は私にとっての運命ですけれど、元雪様の運命の相手は私だけではなかった事が非常に残念です」
彼女は少しさびしそうに呟くと俺の身体に寄り添ってくる。
甘い女の子の香りが鼻腔をくすぐる。
「でも、恋人としての関係は解消する気ありませんから……。今まで通りに元雪様に甘えてもいいですよね?」
「当たり前だっての。俺だって和歌を愛してるんだからな」
「元雪様も苦しいんですよね?私のこと、お姉様のこと……元雪様がいろいろと悩んで考えてくれているのは分かってます。これでハーレム万歳とか思っている最低な人なら私は好きになったりしません」
やべぇ、ほんのちょっと思ってました。
口に出さずにいて本当によかった。
「あの……元雪様。我がままを言ってもいいですか?」
「我がまま?別にいいぞ。和歌の我がままなら何でも聞く」
「今日は一緒に眠っても良いですか?あっ、変な意味では全然なくて……貴方のぬくもりを今は感じていたいんです」
可愛らしく恥じらいながら彼女は言う。
「それが和歌の願いなら。たまにはこういうのもいいかもな」
「ありがとうございます。せっかく、元雪様と一緒に暮らしているので、こんな機会があればと思っていたんですよ」
そう言って、和歌が「失礼しますね」と俺の布団の中に入り込んでくる。
電気を消すと、視界が真っ暗でも互いの存在だけを感じ合うことができる。
少しだけ狭い、でも、触れる温もりや香りやらが心地よくて。
「……元雪様の夢を見れたらもっと幸せですね」
ドキドキ感もあるが、それ以上に俺にすり寄ってくる和歌が可愛らしく思えた。
俺の事を許してくれた和歌。
その信頼をこれ以上、裏切りたくない。
眠れぬ夜、悩みと高揚感に包まれた長い夜が過ぎていく。
ちなみに、翌朝の俺はある事を思い知る事になる。
「――うぐっ。わ、和歌……は、離してくれ、そこは……んぎゃー!?」
完璧な大和撫子、和歌の意外な弱点。
幸せな余韻をぶち壊すほどに、寝起きと寝相がとんでもなく悪いと言う事を改めて身体で思い知る。
和歌と一緒に寝る時は要注意だ。
無意識なのだろうが、それゆえに思った以上の力で抱きしめられて身動きが取れない。
……いや、これは和歌なりに、ここ最近の俺の態度の悪さに対する仕返しだったりするのだろうか。
などと、熟睡中の和歌に無理な姿勢で抱きしめられている現状で冷静に考えられる状態ではない。
「うっ、く、苦しい……誰か助けて……」
唯羽の救助がくるまであと1時間。