第86章:恋人として
【SIDE:椎名和歌】
唯羽お姉様は本気で元雪様の事を好きなの?
お姉様に元雪様を取られてしまうんじゃないの?
次々と浮かんでは消えていく悩み。
心に抱えた悩みは晴れることはない。
「ふぅ……」
私は小さなため息をつきながら、私は社務所で絵馬の整理をしていた。
今日も人々で賑わう椎名神社。
神社の巫女としてのお仕事は夏休みになっても変わらない。
いつもの巫女服姿で雑用をこなしていく。
「元雪様はお姉様とデート。どこに行ったんでしょうね」
私は独り言をつぶやきながら、段ボールから絵馬を取り出す。
彼らの事を考えると仕事をしていても、気が気がでない。
余計な雑念を払いたくても、心に余裕はなかった。
「……和歌。少し休憩でもしましょうか?」
「お母様。あ、はい」
時計を見れば3時過ぎ、休憩のために私は社務所の奥の部屋に向かう。
そこには他の巫女さんも休憩して、お茶やお菓子を食べている。
「ねぇ、和歌。最近、様子がおかしいけども、どうかしたの?」
和菓子を食べながらお母様が私に尋ねてきた。
「いえ、別に」
「嘘よ。せっかく、元雪君と一緒に暮らし始めて楽しそうにしていたのに。最近は表情も暗いでしょう?それは唯羽の性格が明るくなった事と関係がある?」
「お姉様は……」
私は表情を曇らせてしまう。
お母様にどうこう言う問題でもない。
これは私とお姉様の問題だもの。
「あの子、変わったわよね。まるで別人みたいに。あんな風に笑顔を見せるなんて今までなかったわ。一安心できたのはいいけども、不思議な事もある。彼女を変えたのは元雪君なんでしょ?」
「そうですね。元雪様が変えたのは間違いないです」
お姉様の場合は性格が変わったと言う表現が正しいかどうかは分からない。
前世の呪い、10年前の悪夢。
お姉様から感情を奪っていたものがあって、それを取り戻しただけ。
「頑張ってくれたのはいいけども、その性格が変わった唯羽も元雪君に気があるのが和歌の悩みかしら?」
お母様に言い当てられて、私は静かに頷いた。
「ホント元雪君って、いい子よね。容姿もカッコいいし、優しいし、気配りもできる」
「私も恋人として、すごく大切にしてもらっています」
「でも、私から見てもあの子は誰にでも優しい。その優しさは唯羽を変えてくれたけども、同時に恋心の方にも変化を与えちゃったのかもしれないわね。そこまでされると和歌も妬いたりしてるんじゃない?」
何も事情を知らない人から見ればそう見えるのかもしれない。
けれども、それは事実とは少し違う。
最初に元雪様を好きになったのはお姉様の方が先だ。
ずっと前から好きな男の子を救うために感情を封じ込めていた。
その一途な想い、元雪様はそれを知って心が揺れ動いた。
『ごめんな。優柔不断で情けない俺でごめん。俺は唯羽に対して想いを抱いてる。和歌と同じくらいに……』
元雪様に私と同じくらいにお姉様が好きだ言われた事もショックだった。
私は浮気とかは絶対に許せない。
それゆえに、元雪様の言葉は本当に辛い。
けれども、この複雑な事情では私は彼を責めるつもりはない。
事情が事情ゆえに仕方のないことだから、と彼が私を愛してくれることを信じることにした。
私を愛してくれるその気持ちを……今は信じたい。
「元雪君の気持ちはどうなの?」
「彼の気持ちは私に向いてるのだと、私は元雪様を信じてますから」
拗ねるような口調で顔をうつむかせる。
「口で言うわりには辛そうに見えるけど?」
そんな私にお母様はなぜか笑って言うんだ。
「くすっ。もしかして、和歌と唯羽は恋のライバルとして戦ってる?」
「うっ。な、何で笑うんですか」
「ごめんね。でも、和歌も青春してるんだなぁって」
「青春とか、そんな言葉で済む問題でもない気がします」
……切実なる娘の悩みを分かってほしい。
お茶を飲みながら、私はお茶菓子に手を伸ばす。
お饅頭のほのか餡子の甘さが私をほんの少しだけ和ませる。
「和歌。負けちゃダメよ。しっかりと頑張りなさい」
「負けるつもりはありません。元雪様は私のものですから」
「でも、従姉妹同士で一人の男の子をめぐる争いなんて。漫画みたいな泥沼修羅場の突入はやめてね?さすがに私もそれは避けて欲しいわ。唯羽に元雪君を取られたら、それは和歌が可哀想だもの」
「……そうならない事を祈ります」
すでに親戚同士でありながら、前世では敵対しているのでどうかと思う。
紫姫様と椿姫様の因縁。
時代を超えて、こんな形で再現してしまうのも不思議な事ではあるけども。
人を愛して、愛されて。
誰かを好きと言う気持ちはいつの時代も変わらないと言う事なんだろう。
「そう言えば、今日は唯羽と元雪君はお出かけしてるのよね」
「はい。おふたりで出かけてるみたいです」
「デートすることは認めてるんだ?」
「それは……まぁ、いろいろとあるんですよ」
悩みの種は尽きなくて、うなだれることしかできない。
前世の事もあり、お姉様に対して強く元雪様に近付かないでと言えない理由もある。
「デートしてもOKなの?よく分からない関係ね?」
「うっ。言わないでください」
「元雪君はうちのお婿さん候補なんだからしっかりと心を掴んでおきなさい。和歌が運命の相手だと信じている大切な人なんだから。大好きな人に逃げられないように」
「当然ですよ。だから悩んでいるんです」
言われなくても分かっている。
彼は私の大好きな人、他に代わりになる人などいない。
例え、お姉様が相手とはいえ、譲るつもりはない。
「そろそろ休憩終了ね。ねぇ、和歌。恋に悩むのも仕方ない事だけど、お仕事の途中は我慢して頑張って。そうだ、次は表の参道の方に行ってくれる」
「はい、分かりました」
お母様の言う通り、ここで悩んでミスをしたらどうしようもない。
気持ちを切り替えてお仕事に集中しよう。
今日の夜にでも、もう一度、元雪様とお話をしてみようかな。
だって、私たちは恋人同士もの。
ちゃんと想いを伝えあわなければいけない。
夕方まで、私は表の参道で参拝客の対応をしていた。
やがて、巫女のお仕事も終わると私はひとりで桜のご神木の方へと足を運ぶ。
参拝客もいなくなると、この場所は本当に静かだ。
夕焼け空を眺めながら私はご神木の前に座り込む。
「……紫姫様」
この場所に来るとやっぱり落ち着く。
そう言えば、元雪様はこの場所に近付いてはいけないらしい。
お姉様からもあまり近づけないで上げて欲しいと言われてたのを思い出した。
「――相変わらずこの場所は不思議な場所だ」
その時、どこからか男の人の声が聞こえる。
私は振り向くと、見知らぬ男性がそこに立っていた。
年齢は20代後半くらいの眼鏡をかけた男の人。
明るめの茶髪が印象的ながらも、どこか落ち着いた雰囲気がある。
「複雑な思念と悲しみに満ちている。だからこそ、神秘的に感じるのかもしれない」
森を眺めながら、彼はご神木の方へと近付いてくる。
「10年ぶりか。“あの子”は今頃どうしているんだろうな」
ぼそっと呟く彼の表情はどこか悲しげに見えた。
「せめて、あの子が救われている事を望む。そうでなければあの子の想いが報われない」
その言葉は誰に向けられて呟かれたものなのか。
そこで彼はようやく私に気付いた様子を見せる。
「おや、可愛らしい巫女さんがいるじゃないか。こんにちは」
「こんにちは。ご神木に興味がおありですか?」
「まぁ、そんなところかな。久しぶりに実家の方に帰省して、懐かしい場所にきたんだよ。学生時代は郷土史を調べるのに夢中で、この椎名神社にも何度か来た事がある。ご神木も健在で10年前とほとんど変わっていないね」
懐かしそうに語る男の人はご神木の桜の木を眺めていた。
古びた木の幹、桜の花は咲いてなくても樹齢数百年の存在感はある。
今も昔も変わらずにこの場所で様々な出来事を見てきた巨木だ。
「椎名神社の伝承『恋月桜花』。当時の私達には実に興味深いものだったよ」
「いろいろと調べたりしたんですか?」
「あぁ。郷土史研究会っていう部活をしていたんだ。後輩たちと共に街のあちらこちらの伝承などを調べていた。その中でも、最も私達の興味を引き、知的好奇心を楽しませてくれたのは恋月桜花だったな」
彼のように恋月桜花に興味を抱いてくれる人がいるのは嬉しい事だ。
真実を知った今は少し複雑な気持ちもあるけども。
「調べてみれば調べるほどに、恋月桜花には隠された謎が多くてね。紫姫と影綱、それに……あっ、と。失礼。ここの巫女であるキミにこの神社の話をするのもアレか」
「いいえ。伝承について調べていけば、きっと私達が知らない事もありますよ」
「確かに。真実と言うものを知るのは当事者達だ。古文書や史跡、いろんな物を調べて初めて見えてくる真実を探求するのは楽しいが、時に真実は残酷なこともある」
どこか寂しそうに告げる口調。
きっと彼は恋月桜花の真実を知ってる側の人間なんだ。
その男の人はやがて会釈をして立ち去っていく。
恋月桜花の本当の事を知ってる人ってどれくらいいるんだろう?
私が恐れているのはその人たちに紫姫様の想いを否定されてしまうことなのかもしれない。
夏の夕焼け空を眺めながら、私は晴れない悩みに苦しんでいた。