第79章:決断の時
【SIDE:篠原唯羽】
それは10年前の出会いから始まった。
時間にすればたった数日間の触れ合い。
それでも私と柊元雪は友達であり、私にとって彼は初恋の相手でもあった。
前世という過去の記憶や知識をまだ持っていなかったために、純粋に彼が好きだった。
椿姫が現世に現れていなければ、どうなっていたんだろう?
今さらしてもしょうがない仮定、もしもの世界。
想像してみると、私と彼は幼馴染として良い付き合いができていたかもしれない。
きっかけでもあれば、恋人になっていたかもしれない。
そんな、“もしも”はありえないけども……。
「……唯羽。約束通りにきたぞ。どうしてここに?」
「ここが全ての始まりの場所であり、私達にとっての思い出の場所でもある」
私が柊元雪を呼びだしたのは例のご神木の奥にある、旧椎名神社跡。
かつての社は10年前の火災で燃え尽きている。
「椿姫が影綱と紫姫を恨んでるって話は聞いたけど、ここを燃やした理由は?」
「恋月桜花、当時の2人の思い出も残されている。それゆえに、この場所ごとお前と共に葬りさるつもりだったんだろう」
「女の嫉妬もここまでくれば怖すぎる。その原因が俺の前世っていうのがな」
肩をすくめる柊元雪。
彼の前世のしでかした事が原因ゆえに複雑な心境なのだろう。
「いわゆる、ヤンデレ属性を持っていたと思えばいい。死ぬほど愛される事の恐怖。まさにヤンデレ。人を想う気持ちも、ある一線を超越すると憎しみに変わる。恐ろしいモノだ」
「おいおい。唯羽、余計に怖くなった。やめれ」
「ヤンデレ相手だと最後は刺殺ENDになるから気をつけてくれ」
「……相手は怨霊だ。どう気をつけろって言うんだよ」
軽い口調で言い合う私たち。
これからここで何が起こるのか。
柊元雪は理解しているんだろうか。
「そういや、聞いてなかったんだけどさ。椿姫の最後ってどんなのだったんだ?影綱は戦死、紫姫は病で亡くなったんだろ。確か身体が悪いって言ってたから彼女も病気か何かで亡くなったのか?」
私にも前々世の記憶があるわけではない。
だとしても、この場所を特別だと感じる。
「いや、違う。影綱の死後3年くらいになるか。椿姫は影綱の裏切りに絶望して、邪教を信仰するようになった。それが終わりの始まりだった」
「邪教?」
「当時はキリスト教をそう呼んでいたんだ。異教に救いを求め、神にすがった椿姫だが、その心の奥底で紫姫への殺意があったんだろう。やがて、彼女を殺そうと画策し、この場所で紫姫に襲いかかったが、高久という影綱の弟に切り捨てられ未遂に終わった」
「……何とも言えない最後だな。そりゃ、影綱も紫姫も恨みたくなる」
人の最後は必ずしも、良い終わりをしない。
恋月桜花、彼ら3人の最後はそれぞれ悲しい終わり方であった。
数百年の時を超えて、繋がる愛もあれば運命の復讐もある。
「なぁ、唯羽」
「なんだ?」
夏とはいえ、今日はとても涼しい気候だ。
鎮守の森の中も、木漏れ日がさすだけで心地よく感じる。
「麻尋さんから聞いたよ。本当の自分を取り戻せるかもしれないこと。前にも言ったけどな。俺の事は気にするな。これ以上、お前は苦しまなくても良い。椿姫相手に俺だって自分で立ち向かうさ。俺の前世のしでかした事が原因だからな」
はっきりとした言葉で、私を納得させようとする。
分かっている。
柊元雪は優しい奴だから、そう言ってくれると想像できた。
「それでも、私は……」
躊躇する気持ちがあるのだ。
どうしても、どうしても、椿姫の事を考えると怖くなる。
私は柊元雪を失いたくない。
「影綱のしたことは時代的な背景では悪い事じゃなかったのかもしれない。それでも、今の俺はそれを悪いと思う。もちろん、好きになってしまったら自分の気持ちなんて止められない。例え、誰かを傷つけてでも、貫きたい愛があるのも事実だろう」
「紫姫を好きになった影綱。椿姫を愛していなかったわけではなくても、気持ちが揺らいでいたのかもしれない。それはどんな関係でも普通に起こりうる事だ。特別な事などないと私は思う」
「あぁ。けれど、だからって許される事でもないんだよな。ようは、どう“けじめ”をつけるか。影綱は椿姫に自分の裏切りを告白する事もなく死んだ。そのけじめってやつをつけなきゃいけないんだ。影綱の魂を受け継ぐ、この俺が……」
いろいろと柊元雪なりに考えている。
どうすればこの問題を解決する事ができるのか。
「俺は唯羽には本来の自分を取り戻してほしい」
「……椿姫を蘇らせるかもしれない。お前を殺すかもしれない」
「そんな事にならない事を祈るね」
「楽観的だな。最悪の事態が目の前に迫るかもしれないのに」
柊元雪はそっと私の手を取り握り締めてくる。
「……けじめをつけるって言っただろ。俺は覚悟はできてる。いろいろとな。だから、唯羽も友達としてこれ以上苦しめたくないんだ。辛い想いをさせたくない」
「ありがとう、柊元雪。そう言ってくれるのは嬉しい。私は感情を取り戻す事を恐れている。今の私はきっと自分を止められない。抑えることなどできないから」
「それはどういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。先に謝っておく。ごめんなさい。私はきっと……」
影綱と紫姫、柊元雪とヒメの関係を壊すかもしれない。
己の意思で、己の感情のままに。
私は自分を止められない――。
『はぁい、おふたりさん。唯羽の覚悟は決まったようね』
「この声は?」
『私だよ、元雪。こうして会うのは何度目かな?』
「え?……つ、椿なのか!?」
椿の声だけが森に響く。
もはや、姿は見えず、存在を目で確認する事はできない。
「あははっ。探しても無駄。私はもう実体化するほどの力はないもん。私の望み通りの展開になった。私の消滅、すなわち、唯羽との融合。私も元は唯羽だもの。ずっと前から元に戻りたいと願ってた」
「椿……?」
「これは決断だよ、唯羽。どうなるのか分かってるんでしょう?」
最悪を想定した時、私はどうしても躊躇せざるを得ない。
それでも、私の背中を押してくれる人がいる。
「唯羽……お前の好きなようにしろ」
「……柊元雪」
「10年間だ。長かっただろう。俺のために、俺を守ってくれてありがとう。けれど、俺も唯羽を犠牲にし続けるのは心苦しい。元はと言えば、俺の前世の不始末だ。その罪は俺が背負うべきなんだよ」
私たちは出会うべきじゃなかった。
再会なんてするから、想いが再び蘇る。
この私に希望を持たせるような事ばかり言う。
彼の優しさはずるい、そんなずるさも含めて私は好きなんだ。
「今の私はこれで最後になる。だから、一言だけ。最後に真実を話すよ」
「真実って?」
「――私は柊元雪の事を愛していた。大好きなんだ」
今の私にできる限りの笑顔を彼に向ける。
好きな人に好きと言うのは大変だな。
たった一言『好き』というだけで、こんなにも覚悟がいる。
「え?あ?え?」
唖然とする柊元雪から私は離れてご神木に触れる。
この桜の巨樹は数百年前から私達を見守り続けている。
「椿……私は覚悟を決めたよ」
『唯羽。貴方はもう一人の自分に“椿”と言う名前を与えた。それはなぜ?』
「お前が椿姫を封じ込めた存在だからだよ」
『違うね。貴方は椿姫の事も好きなんだ。悲しいほどに一途な愛を貫き通している、可哀想なお姫様。その前々世に同情し、彼女を受け入れたかった。結果として、それができなかった事を悔やみ、彼女を封印した私に椿と名づけた』
そうなのかもしれない。
私は椿姫を救ってあげたかったのかもしれない。
だけど、彼女は救えないと思い知った。
柊元雪を殺させるわけにはいかないから、相容れない存在だ。
『ねぇ、唯羽。運命に負けないで。頑張って、もう一人の私』
「……負けるつもりなんてない」
『そう。最後に、この記憶を貴方に見せてあげる』
私の頭の中に流れ込んでくる映像のような記憶。
それは満開の桜の咲くご神木の巨木。
かつての影綱、紫姫、椿姫の3人が見た数百年前の桜。
『桜が繋いだこの“縁”という“運命”は3人を現世に結び合わせた。彼らが出会ったことの意味。人は“運命”によって結ばれた相手に出会うように人生ができている。そして、現世にて、貴方達3人が出会った事にも意味はある』
私の身体の中に暖かい光が溶け込んでいく。
私は目を瞑りながら、それを受け入れる。
色あせた世界、私の現実にはまるで色がなかった。
楽しい事を楽しいと感じられない、悲しい事を悲しいと思えない。
感情の欠落。
それが自らの意志だとしても、心の奥底で辛いと感じていたのかもしれない。
私が感情を取り戻したい理由はひとつ。
柊元雪が好きだと言うこと。
彼が好きだから、彼を愛したいから……自分勝手な我がままな選択をしようとしている。
『……バイバイ、唯羽』
光りの中に消えていく椿。
私は彼女にこう言ってやった。
『さよならじゃないさ、椿』
本当に長い10年と言う月日を経て。
私は本当の自分を取り戻す。
『――おかえりなさい』
さよならではなく、おかえりと言いたい。
世界の全て。
そして、私の世界は10年ぶりに色を取り戻した。
……。
ゆっくりと瞑っていた瞳を見開く。
夏の香りのする世界。
私は髪をそよ風になびかせながら辺りを見渡す。
「……唯羽?」
私の方を不思議そうな顔をして見つめている男の子。
「……」
「だ、大丈夫なのか?」
「……」
あぁ、よかった。
記憶はちゃんと私のままなんだ。
大好きな人が、大好きだと言う事を記憶として覚えている。
私は私だ、変わりはない。
「よかった……」
「唯羽?泣いてるのか?どこか痛むのか?」
私の瞳から流れだしたのは涙。
自分の意思で泣く事もできなかった頃とは違う。
「ううん。違うよ、そうじゃないの」
私は彼に甘えるように抱きついた。
この温もりを求めていた、ずっと心の底から求めていたんだ。
「ゆ、唯羽?」
「――温かいね。ずっと、望んでいたの。私は“元雪”が好きなんだよ」
告白の言葉と共に自然と浮かぶ微笑み。
“元雪”が恋しくて、愛しいと思える愛の感情。
私はちゃんと気持ちを素直に表現できるようになっていたの――。
第3部、終了です。唯羽が本来の自分を取り戻し、三角関係に?第4部は恋の三角関係。NEW唯羽の暴走やら、10年前の真相やらを書いていくつもりです。