第78章:自分のために
【SIDE:篠原唯羽】
私が連絡を取ったのは麻尋さんだった。
平日の午後と言う事もあり、彼女はひとりで家にいた。
柊元雪には麻尋さんに会いに行くとだけ声をかけておいた。
「いらっしゃい、唯羽ちゃん」
柊元雪の実家に暮らしている彼女のもとを訪れた。
「おじゃまします。突然、すみません」
「いいの、いいの。どうせ、暇だもん。私に相談があるって頼られた方が嬉しい」
私には相談相手になるのは麻尋さんくらいしかいなかったのだ。
これまでも電話程度ならば、何度かやり取りをしている。
私には姉と思えるほどに信頼もしている相手だった。
「あっ、これは椎名神社のお守りです。ヒメから渡すように頼まれました。どうぞ」
私は和歌から預かっていた安産祈願のお守りを麻尋さんに手渡す。
既に妊娠している彼女に渡しておいてほしいと頼まれていたものだ。
「ヒメって和歌ちゃんのことよね。ありがとう、ふたりとも」
嬉しそうに笑う彼女はお守りを受け取ってくれる。
「こういうのをもらうと、自分が妊娠してるんだって改めて思えるわ」
ヒメから聞いてる話だと以前からずっと子供を望んでいたらしい。
彼女の境遇も聞いてる。
同じ女としても、心情は理解できた。
私はリビングに案内されると、麻尋さんはお茶を入れてくれる。
私がソファーに座ると、彼女は対面に座る。
「ユキ君は一緒じゃなかったんだ?」
「彼もそれなりに忙しいみたいですから」
「あははっ。夏休みの宿題でもしてるのかな。それで、唯羽ちゃん。私にお話があるって何なのかな?」
「麻尋さんに相談というのは……その、恋愛相談です」
他人に自分の気持ちを吐露するのは恥ずかしい。
けれども、悩んでも答えが出ないのだから仕方ない。
私だって、誰かに相談したい気持ちになることはある。
柊元雪への想いを取り戻してからは余計に心が不安定だった。
「恋の悩みかぁ。前に唯羽ちゃんの気になる相手って言ってたその子は今も貴方の傍にいる相手。違う?」
「麻尋さんはあの時から気づいていたんでしょうね」
「なんとなくね。ユキ君じゃないかなぁって気付いたのはちょっと後の事なんだけど。あの子なら唯羽ちゃんが心を許せる異性だろうなぁって。ユキ君は誰にでも優しい人だから」
誰にでも優しい。
だが、時にその優しさに耐えられない事もある。
私は柊元雪の優しさに接するたびに、彼を好きになる心を押さえらずにいた。
紅茶のカップに口をつけて私は彼女に想いを告げた。
「まずは唯羽ちゃんの状況を聞かせて。いつから好きになっていたの」
「最初からお話します。荒唐無稽だと思われてしまう、不思議な縁があるのです」
私の前々世と柊元雪の前世。
椿姫と影綱。
ふたりの関係はあまりにも残酷な結末を迎えた。
影綱の死と、椿姫の最後。
怨霊として今世にも蘇り、私達を苦しめてきた。
あの10年前の日から、私は自らの心を封じ込めることで椿姫の脅威を封じている。
だけども、限界が来ているのを感じていた。
感情が希薄である事に慣れていたはずの私が“恋心”を取り戻しただけで、他の感情を切望しているということだ。
私は取り戻したい。
喜びや悲しみを味わう感情という名の“心”。
失ってしまったそれらを取り戻せば、私は本当の自分に戻れる。
けれども、それは柊元雪を傷つける結果になるかもしれないのが怖い。
恐れ続けて、自らの半身ともいえる椿と距離をとってきた。
それなのに、今の私は自ら椿を受け入れ、ひとつになる事もありだと思い始めていた。
心を取り戻し、柊元雪に素直な気持ちで接したい。
それはそれで、彼には既にヒメという恋人がいる問題もある。
どうすればいいのか、どうしたいのか。
私には考えがまとまらないのだ。
「……そう。そんな事があったの」
妄想話だと呆れられてしまう事を危惧していたけども、麻尋さんは真剣に私の話を聞いてくれていた。
「んー、前世かぁ。貴方達の他にもユキ君や誠也さんが関係しているなんてねぇ」
「人の縁と言うのは不思議なものだと思います」
「すごいじゃない。運命っていうのを信じてみたくなるわよね」
運命だと言うと甘い意味にとってしまうが、今の運命は辛い意味だ。
誰もこの運命には抗う事ができない。
「椿ちゃんっていうのが、唯羽ちゃんの感情を支配してる人格ってことでいいの?」
「似たようなものです」
「……唯羽ちゃんは我慢強い子だと思うわ」
我慢?
そんなつもりはない。
「ユキ君のこと。好きなんでしょ。それを我慢して、椿姫っていう呪いを押さえ込むために感情まで封じちゃって。ねぇ、唯羽ちゃん。それが唯羽ちゃんなりのユキ君への愛情なのかな?」
「多分そうです。私は柊元雪が好きだから、守りたい」
「そのためには自分が犠牲になってもいいの?」
「……はい」
私ひとりが我慢をすれば、柊元雪もヒメも幸せな日常をおくれる。
私が邪魔をする事なんてない。
「それは無理だよ。人はそんなに強くない。唯羽ちゃん。私は和歌ちゃんも好きだから、あまりこういうことは言いたくないけども、それでも言わせて。我慢することは正しい事じゃない。本当の気持ちを大切にするべきじゃない?」
「本当の気持ち?」
「自分のために生きなさいってこと。唯羽ちゃんは自分のために生きてない。前世の呪い。守りたいって強い気持ちがあるのは分かるよ。でもね、今を生きてるのは唯羽ちゃんじゃない。椿姫じゃない。前世なんかに今の貴方の生き方を邪魔されていいの?」
心に突き刺さるほどに強い言葉だった。
前世に縛られて生きてる私には痛いほどに胸に来る。
「人間って少しくらい自分勝手でもいいんじゃない?自分の事を優先するべき事は優先しても、誰も悪いって言わない。そうじゃなければ、唯羽ちゃんが可哀想だもの」
そっと私の頭を撫でる麻尋さん。
真っすぐに私を見つめるその視線。
「……和歌ちゃんに負けないくらい、ユキ君が好きなのだから。その気持ち、抑えられないのなら解放しちゃった方が良い。それに……椿って子は嫉妬や妬みを持つなって言っていたんでしょう?」
「えぇ。椿姫の封印を解いてしまうのはそういう負の感情だと」
「それよ、それ。我慢するって、逆によくない事じゃないの?昔の唯羽ちゃんのように、無自覚ではもういられないのだから。人を好きになる。想いが強ければ強いほどに、嫉妬や妬みが溜まるんじゃない?」
ヒメが柊元雪と幸せな日々を過ごすのを傍目に見ていて、恋心に気付いてからの私は辛い想いを抱くようになってたのも事実だ。
それこそが、嫉妬や妬みという、椿の危惧する負の感情の連鎖だとしたら?
「前世なんて関係ない。唯羽ちゃんはどうしたいの?」
「私は……」
恋をしたいんだ。
素直になりたい、想いを解き放ちたい。
己の感情のままに、柊元雪を愛したい……。
「恋は辛い事もあるけども、楽しい事も嬉しい事も教えてくれるわ」
「……はい」
「唯羽ちゃんの心にある確か感情はひとつ。ユキ君への愛情でしょう?」
かつての私が失っていたはずの感情。
たったひとつの愛情という感情が、ここまで私を変わらせるなんて思いもしなくて。
「恋愛という現実を受け止めて、認めて、前を向くしかないんじゃないかな」
「現実を受け入れる……?」
「言葉は悪いかもしれないけども、例え、3角関係になっても私は今のままよりはいいと思う。だって、唯羽ちゃんは昔からユキ君が好きだった。小さな頃の想いは忘れられない。人は想いを忘れる事なんてできないの」
私が自らの恋心をに素直になると言うこと。
それは、妹のように大切なヒメと対峙するということでもある。
ヒメを、柊元雪を、私は傷つけたくはないのに。
「唯羽ちゃん。ごめんなさい、勝手なことを言いすぎたかしら。余計にまどわせちゃったかな?」
「あ、いえ、その……」
戸惑い黙り込んでしまう私に心配そうに麻尋さんは声をかける。
私には何も言い返せなかったのだ。
初めから分かっていた。
柊元雪を好きな気持ちを解放するという事の意味。
それは私がヒメと柊元雪の間に入りこむということだ。
大切なものたちを苦しめてしまうかもしれない、避けては通れない痛み。
私が向き合わなければいけない現実がそこにはある。
「唯羽ちゃんは自らの意思で選ばなければいけない」
「選ぶ、ですか?」
「どういう未来を生きていくのかってことだよ」
私が選ぶ未来。
椿姫と言う前世に翻弄されたままで本当にいいのか?
「――私が生きたい未来は……それは……」
私が出した答えが正しいかどうかなんて分からない。
それでも、私は……ひとつの道を選んだ。
自らの意思で、いくつもの悩みを抱えつつも……選んだんだ――。