第77章:運命の選択
【SIDE:篠原唯羽】
過去の記憶を思い出したのは私が柊元雪への気持ちを思い出した事がきっかけだ。
あれは10年前。
私の初恋、一目惚れをした男の子がいた。
柊元雪に対して恋心を抱いた私の過ち。
それは当時、うっすらと自覚していた自らの事が原因だ。
私はヒメが紫姫という前世を抱いてるのを感覚で感じていた。
だが、自らの前々世である椿姫は自覚していなかった。
恋月桜花、影綱は紫姫と来世で結ばれると願っていた伝承を知っていた。
いくら私が柊元雪が好きでも、彼はヒメのものだと誤解していたのだ。
それが諸悪の根源、10年前の悲劇の始まり。
幼心にヒメに嫉妬した私の心に、前々世の椿姫が目を覚ました。
嫉妬と憎悪の怨霊。
影綱の魂を受け継いだ柊元雪を殺そうと呪いの猛威が襲う。
幼い私にはどうしようもできない。
それを食い止める唯一の方法は、私の感情を切り捨てる事だった。
愛も、憎しみも、悲しみも。
すべての感情を切り離す事で一時的にではあるが椿姫の暴走を封印できた。
嫉妬する気持ちがなければ、椿姫は目覚めない。
私が柊元雪を守るためには、恋心も捨てるしかなかった。
わずか6歳の私には手段がそれしかなかったのだから。
自分の気持ちに背を向けた、それに意味がないと知るのは、大人になってからだ。
逃げても何も変わらないのに。
弱い私はそれしかできないと、諦めた。
けれど、この胸に再び恋心を取り戻してしまった私は怖くなる。
私は柊元雪が好きだ。
過去の彼も、今の彼も、前世である影綱の想いさえも。
……好きで好きで仕方ないのに、押さえることができるかどうか不安だ。
今世では彼には恋人のヒメがいて、私はただの友達でしかない。
どうすればいいのか、分からない。
「……椿、どこにいるんだ。椿っ!」
私はひとり、ご神木の桜の場所で椿を探していた。
今までならば、会いたいと望めば、もう一人の私である椿は姿を見せた。
それなのに、恋心を取り戻してからはまったく姿を見せない。
消えたのか?
そうは思ったが、感情が戻っていない以上、それもありえない。
彼女は私の感情、そのものなのだから。
私が椿を嫌うのは、自分自身から逃げていた証拠でもある。
「おい、椿。いるのならば返事をしろっ!」
『……あれだけ嫌っていた私に会いたがるなんてね、唯羽』
やがて、聞こえてきたのは悪態をつく声だった。
「椿?お前は一体、どこにいるんだ……?」
声だけが聞こえて、姿は見せない。
辺りを見渡しても、存在を感じ取ることはできなかった。
彼女は消え入るような声を私に呟く。
『……私は消えかけてる。もう、姿を見せる事はできないわ』
「どういう意味だ?」
『私は元は唯羽の魂の片割れ。貴方と私。ひとつになろうとしているのよ』
「え……?そ、そんなことは望んでいないっ!」
椿と一つになると言うことは、椿姫の復活を意味する。
それだけは避けたい、絶対に。
『心の底では望んでいるはず。感情のない自分を嫌い、本当の自分を取り戻したい、と。だって、唯羽は恋してるんだもの。……恋心を取り戻した唯羽は私という感情を取り戻したくなる。それは当たり前のことだもの』
「……椿姫を蘇らせるつもりはない」
『記憶を取り戻したのね。そうか、だから、私は……消えかけてるんだ。もうダメだよ、唯羽。私は、消える。消えてしまう。貴方とひとつに戻ってしまう。封印は解ける、それが“私”の望みでもある』
消えることが望みだと?
一体、椿は何を考えているんだ。
自分のことながら理解ができない。
「椿、何を言ってるんだ?」
『唯羽。私は元雪が好き。好きで、大好きで仕方がない。だって、幼い頃から想いを抱いてた相手だもの。その思いを止めることなんてできるはずがない。封印なんてしても、意味はなかった。恋は封じる事なんてできないんだよ』
「そんなことはないっ」
椿姫の脅威から防ぐためにはしょうがないことだ。
だから、彼への気持ちを諦めたはずだ。
『自問自答に意味がないよ。唯羽』
「……諦めるしかないだろう?柊元雪はヒメの恋人なんだから」
『それでも、好きなの。忘れることなんてできないほどに愛してる』
「だからってどうしろと言うんだ!?」
思わず声を荒げてしまう。
椿はそんな私に淡々とした口調で言うんだ。
『受け入れるしかないんだよ。私を、運命を、すべてを……』
「そうして、椿姫をまた復活させてどうする?今度こそ、影綱の魂を受け継ぐ柊元雪を殺そうとするぞ。それを防ぐ手立てはない。だったら……」
『方法はある。感情を制御すれば、一筋の道はあるの』
椿が提案した方法はあまりにもシンプルで笑ってしまうものだった。
『……椿姫は嫉妬の気持ちが生み出すもの。かつての“私”がそうだったように。10年前、和歌と元雪は結ばれるべき存在だと、そんな風に誤解して、勝手に恋心を諦めてしまった。結局、諦めきれずに和歌に嫉妬した』
「それが椿姫を蘇らせて、悲劇を生んだきっかけになった」
『だったら、全てを受け入れればいい。逆の発想。嫉妬しないようにすればいいだけ』
あまりにも単純すぎて、呆れてしまう。
椿の言うことは理想だ。
恋をしても、嫉妬しなければ椿姫は封印されたままだ。
「そんな理想、現実的ではない。無理に決まっているだろう」
『それしか方法はないよ。元雪に告白して、全てを受け入れてもらう』
「無理だと言っているっ!」
『……どうせ、このままでいても、意味はないよ。唯羽の心の扉の鍵は開いた。もう閉じることはできない。全てを受け入れるしか方法はないの。覚悟を決めて、“私”』
やがて、椿の声が聞こえなくなる。
再び静まり返ってしまうと、私は小さく嘆息した。
「椿……私には自信がないよ。嫉妬しないでいる自信がない」
好きな人がいれば、独占したい、手に入れたいと思うのは必然だ。
永遠に片思いでもいい、そんな人間は少ないはずだ。
「……感情を取り戻したら、絶対に柊元雪が欲しくなるに違いないじゃないか」
私は自分の手を強く握りしめていた。
どうすることもできない。
最悪の事態を回避する方法はないのか?
「柊元雪。私はどうすればいいか、分からないんだ」
運命の選択。
恋の悩みを相談できる人は……ひとりしか心当たりがいなかった。