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恋月桜花 ~巫女と花嫁と大和撫子~  作者: 南条仁
恋月桜花3 ~恋せよ乙女~
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第76章:花の記憶《後編》

【SIDE:赤木椿】


 影綱の死から三年の月日が流れて、私は隣国へと足を踏み入れていた。

 彼が亡くなった場所、椎名神社へとようやくたどりつく。

 

「……椿姫様。ここが椎名神社です」

 

 影綱の弟である高久が私の従者として付き添っている。

 

「ここが……椎名神社?」

 

 想像していたよりも立派な場所だった。

 影綱の最後を迎えた土地は戦が起きたとは思えないほどに、美しい外観の立派な神社が建立されている。

 

「はい。三年前よりも、良き場所になっています」

 

「噂ではこの国の姫が新しく神社を建立したとか。どうして、敵対していたはずの姫が、敵将の弔いなどするの?」

 

 当時、高久も彼女と言葉を交わす程度はしているはずだ。

 何も言わない所をみれば影綱との事情もよく分かっている。

 

「高久。貴方は知っているのでしょう。紫姫という姫が影綱とどういう関係であったのかも」

 

「姫様を傷つける事になるかもしれませぬ」

 

「かまわないわ。私はここに来たのは事実を知りたかったからよ」

 

 嘘をつき誤魔化すのは許さない。

 私が厳しい口調で言うと、彼も渋々口を開く。

 

「兄上は彼女の事を気にいっていたようです。捕らえたあとも、自分の傍においていました。椿姫様の前では言いにくいのですが、心中は惹かれていたのではないか、と」

 

「……そう。影綱様は……誰にでも優しい方だったもの」

 

 ただ、その優しさは時に残酷でもある。

 はじめは優しさで接していただけでも、彼女を愛する気持ちが芽生えたのかもしれない。

 

「影綱様は最後に誰を想い、亡くなったの……?」

 

 さぁっと春のそよ風が私達を包む。

 

「それはもちろん、椿姫様でしょう。姫様は兄上の気持ちをお疑いですか?」

 

「どうかしら。分からないわ。影綱様は私の愛していた人よ。だからこそ、真実を知りたいの」

 

 私の視界に入ったのは古い社だった。

 他が新しく建造されたのものだけに逆に目立つ。

 これこそが、本来の椎名神社の社なのだろうか。

 この場所は元は小さな神社だったと聞いている。

 私は社に近付くと桜の巨木が花びらを散らせていた。

 

「見事に美しい桜だわ。影綱様も見た桜なのかしら?」

 

「えぇ、兄上は夜桜を眺めておりました」

 

「同じ光景を私も見ているのね」

 

 散りゆく桜、三年前、影綱が見た景色と何も変わらない。

 私は桜の木を撫でて、何かを感じ取ろうとする。

 私の気持ちを裏切った影綱に対する恨みはある。

 だけど、それ以上に紫姫が私は憎い。

 私の愛する人を奪い、自分の愛する人であると勘違いしてるのが許せない。

 私は彼の妻だったのだから……。

 

「……高久。私は影綱様に愛されていたのかしら。今はその気持ちすら分からないの。身体も弱く、先もない私をただ同情してくれていただけだったのかもしれない」

 

「そんなことはありませぬ。兄上は姫様を愛しておられました」

 

「本当に?影綱様の気持ちは私に向いていたの?」

 

 肝心の影綱が亡くなり、もう真実は分からない。

 風に枝が揺れて桜が舞う光景を眺めていたその時だった。

 

「……紫姫様が来られたぞ!」

 

 誰かの声に振り向くと、従者を連れて身なりのいい女性が神社にやってくる。

 その姿を見て、私は胸の奥に何かが湧き上がってきた。

 

「あれが……紫姫……?」

 

 現れたのは可愛らしい容姿をした姫だった。

 年齢は一八くらいか、まだどこか幼さを残した顔をしている。

 彼女こそが紫姫、私が会いたいと望んでいたいた相手。

 

「……高久、彼女が紫姫?」

 

「えぇ、そうです。ずいぶんと大人の顔つきになりましたが」

 

 三年前、この神社で起きた戦で影綱は死んだ。

 その戦を引き起こしたのは、敵国の姫であった紫姫が原因とも言える。

 今でこそ、和平を結び、同盟国となっているけども、私にとってこの国は敵と言ってもいい。

 彼女さえいなければ、影綱は……。

 

「あぁ、神よ、我が主よ……このめぐりあわせに感謝します」

 

 私は胸元に飾っていた十字架に触れる。

 紫姫がこちらへと近付いてくるので、私たちは彼女達と距離を取るように社の影に隠れた。

 

「しばらく、ひとりになりたいのです。貴方達はあちらで待っていてもらえますか?」

 

「はっ。紫姫様。何かあればお呼びくださいませ」

 

 彼女は従者を待たせて、ひとりで社の方へと歩いてくる。

 桜の木にたどりついた紫姫は花を眺めながら独り言をつぶやいた。

 

「……影綱様。また春が来ましたよ。この桜も綺麗に咲いています。綺麗ですね」

 

 彼女の口から影綱の名が出てきた事に胸がしめつけられた。

 穏やかな表情を浮かべている彼女、影綱を愛していたと言う噂は本当だったらしい。

 込み上げてくるのは怒りだ。

 やめて、私の影綱を奪わないで……彼は私だけのものなのに。

 

「影綱様、私は今でも貴方様を愛しています……。これから先もずっと、貴方だけを……」

 

 今もなお影綱に恋をしている紫姫の一言が、私の心を狂わせる。

 影綱は妻であった私だけが愛していい存在だ。

 このような現実を私は認めない!

 心に激しい怒りに渦が巻き起こる。

 

 紫姫が憎い……憎い、彼女が憎いっ!!

 

 許せない、許せない、許せない!!

 

 ―――おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ、おのれ!

 

 憎悪の炎、紫姫と対面することで、私の中で感情が破裂する。

 

「――私は……紫姫を殺すッ!」

 

 私は着物の中に隠し持っていた短刀を抜く。

 彼女は桜を眺めてこちらに気付く様子もない。

 もう二度と影綱の名前を呼ばせるものか。

 彼を愛していいのは私だけなのだから。

 

「椿姫様!?何をなさるおつもりですか!?」

 

「私の邪魔をしないで、高久っ!」

 

 高久の制止を振り切り、私は短刀を握りしめて紫姫のもとへと駆ける。

 最初からこの場に来たのは、機会があれば紫姫を殺して、復讐するのが望みだった。

 彼女の命を奪う事ができれば、私も未練なく逝ける。

 

「――何もかも、これで……終わりにッ!」

 

 側室は持たない、私以外を愛する事はない。

 そう言っていたはずの彼の気持ちが偽りだった事を認めたくなかった。

 私は紫姫のように、可憐で、健康な体を持つ女ではなかったせいだろう。

 最後に彼が愛したのは、彼女に違いない。

 紫姫こそが影綱が最後に想いを抱いた相手だったのだと、彼女を見ればそれがよく分かる。

 最初から期待など抱かねばよかった。

 ならば、この想いも記憶もすべて、消えてしまえ――。

 私は紫姫に向けて短刀を振りかざす。

 紫姫を殺せば、私の心は救われるのだから――!


 刹那――。

 

「――な、にぃ……?」

 

 だが、届かなかった。

 紫姫に私の握りしめた短刀の刃は届くことはなかった。

 なぜならば、私の胸元を銀色にきらめく刀が貫いていたからだ。

 

「がはっ……な、なぜ、高久……?」

 

 溢れだす鮮血と苦痛。

 私は背後を振り向くと、悲痛な面持ちで刀を突き刺す高久がそこにいた。

 

「そんな、馬鹿な……なぜ、私を斬った、高久!?」

 

 裏切りとも言える行動に思考がおいつかない。

 刀を引き抜かれ、私は傷口を押さえながら、力なく地面に横たわる。

 

「申し訳ありませぬ。御館様のご命令です。もしも、椿姫様が誰かに危害を加えようとするのならば斬れ。邪教に心を捧げた者が何をしでかすか分からない。家の名前を傷つけることは例え、娘だとしても、許さない。それが御館様の言葉です」

 

「そんな……父上が、私を斬れと言ったの?高久は最初から私の護衛などではなく……私を……」

 

 なぜ、気付けなかったのだろうか。

 父上はもはや、私を見限っていたのだ。

 姫としての価値もなく、邪教信仰をする私を邪魔ものとして排除しようとした。

 

「まさか……高久が私を斬るなど想像もしてなかったわ。幼馴染としても信用していたのに」

 

 高久は「申し訳ございませぬ」と私に頭を下げた。

 悲壮な表情を浮かべる彼を憎む気はなかった。

 高久は愚直な性格ゆえに、父上の命令を遂行しただけだ。

 私は傷口を押えながら、息も絶え絶えに社にもたれかかる。

 

「……長年苦しみ続けた病ではなく、父上に命じられた幼馴染に斬られて死ぬとは……想像していなかった」

 

「こうする事でしか姫様を止められませんでした。椿姫様。なぜ、このようなことを……」

 

「私から全てを奪ったものを許せないもの。高久の方こそ自国の姫である私よりも、紫姫の命を優先するなんて」

 

「……椿姫様は道を誤られた。御館様が危惧しておられた“最悪”を選んでしまったのです」

 

 私が歩むべき道は、影綱の死で既に見失ってしまっていたのだ。

 

「このような身体に生まれ、今まで生きながらえてきたけども、誰ひとりからも愛されなかった。これが私の人生か」

 

 この世に生まれ、誰も私を愛してなどくれなかった人生に意味などなかった。

 心の中で嘆きながら、私は薄れゆく意識の中、紫姫の方へと視線を向ける。

 距離があったせいか、彼女は騒動にも、私にも最後まで一切気づくことなく、その場を去っていく。

 

「……本当に心の底から憎たらしい」

 

 最後の最後に自嘲する笑みがこぼれた。

 憎き相手の命を奪う事すらできず、目的も果たせないとは悔しい。

 

「覚えておれ、紫姫。そなたに幸せなど来ない。私は許さないし、認めない」

 

 私は羨望していた、紫姫は最後まで影綱様に愛されて、今もなお、彼を愛する姿が……純粋に羨ましかった。

 私は血に濡れた手で胸元の十字架を握りしめた。

 

「私は、ただ、救いが欲しかっただけなのに」

 

 幼い頃から病魔に侵され、死の恐怖におびえてきたゆえに、苦しみ、もがき、孤独に死を迎えたくはなかった。

 最後の希望として、影綱に救いを求めた結末。

 愛する夫である影綱を失い、その弟である高久に斬られて最後を迎えようとしている。

 私は仇である紫姫も討つ事が叶わず、あまつさえ父上にも神にも見捨てられた。

 死を迎えようとする私には恐怖はなく、憎悪のみが渦巻く。

 

「……ぁっ……影綱、影綱……私は……」

 

 私の視界には桜の花びらが綺麗に舞っている空が見えた。

 影綱……私は他でもない貴方にだけは裏切られたくなかった。

 私は心の底から影綱を愛していたのだと自覚する。

 瞳からこぼれ落ちていく涙は悔し涙だ。

 

「ははっ、呪ってやる。呪って、呪って、呪ってやるわ。……私は、影綱も紫姫も許さない」

 

 呪詛を込めた言葉には女としての“意地”と“悔しさ”が込められていた。

 すべてに嫉妬する気持ちが溢れていく。

 

「認めない、私は認めない。来世で結ばれる事などさせない、紫姫」

 

 紫姫を憎みながら、私はゆっくりと目を閉じる。

 

「……何もできずに死ぬのは無念だわ。それでも、せめてもの救いがあるとしたら」

 

 愛した男の亡くなったこの場所で死ねるという事くらい。

 憎んでも、嫌になっても、影綱を忘れることができない。

 

「私は……影綱と共に生きたかっただけ……――」

 

 その言葉を最後に私は自らの意識を手放した。

 来世という機会が来ようとも、私は紫姫だけは許さぬ、絶対に――。

 

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